拿捕
拿捕(だほ)とは、国家が主体となっておこなう船舶の航行の自由を制約する行為のうち、船舶の抑留など実力行使を伴うもの。捕獲(ほかく)や鹵獲(ろかく)、拿獲(だかく)ともいう。しばしば船員の抑留や積荷の没収を伴う場合もある。
古来、沿岸国が自国の勢力圏の海域へ航行してきた船舶を、沿岸国の危険を防止する名目で拿捕する行為は数多く行われていたが、国家や国際社会の発展のためには、主権を害さない範囲で船舶の航行の自由を広く認めるべきだという思想が生まれ、やがてそれが支配的な考えとなり国際慣習法が形成された。歴史的には戦時における拿捕をめぐって問題があったが、現在では平時における拿捕の可否も争点となっており、船舶の種類が公船か私船か、また航行場所が内水か領海か接続水域か排他的経済水域か公海かで、船舶の航行の自由の範囲は異なるため、拿捕が許される範囲も事情により異なってくる。 「拿」の漢字が常用漢字表に含まれていないため、報道では「だ捕」と表記されることも多い。
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平時における拿捕
平時においては、当該船舶に領海や経済水域の侵犯、刑事犯罪への関与、漁法違反などが疑われる場合、沿岸国の法令に基づいて拿捕が行われる。また、沿岸国の法律が及ばない公海上でも、軍艦や沿岸警備隊船艇・航空機など、政府の公務に使用されていることが明らかに表示されておりかつ識別されることのできる船舶又は航空機は、海賊行為を行った船舶・航空機を拿捕できる。
これらの拿捕に関しては、沿岸国の法令のほか、海洋法に関する国際連合条約、慣習国際法によって規定されている。
戦時における拿捕
戦時において、交戦国が敵国を利する船舶を拿捕する行為は、古より行われていた。どのような船舶や貨物を拿捕可能とするかについて、時代によりいくつもの解釈があったが、1856年のパリ宣言により、戦時禁制品以外の船舶や貨物は拿捕できないという原則が、各国によって受け入れられた。
戦時禁制品に関する規定は1909年のロンドン宣言によって細かく定められている。このロンドン宣言は、批准による効力こそ発揮されていないが、主要海洋国家10カ国が署名しており、慣習法の成文化とも言える重要なものである。当該船舶は前述の戦時禁制品を運んでいる場合か、一方の交戦国の軍艦に護送されている場合、他方の交戦国に対する敵対行為とみなされ拿捕の対象となる。規定の詳細はパリ宣言の記事に譲る。
拿捕された船舶は拿捕国の捕獲審検所に送付され、拿捕が正当であったかの審議を受けるが、拿捕国の国内に捕獲審検所が設置されていることには疑問の声もあり、18世紀半ばから国際捕獲審検所を設置しようとする主張があった。1907年のハーグ平和会議で、国際捕獲審検所の設置について条約が作成されたが、批准・効力発生には至っていない。
また、交戦中の戦闘艦艇が相手国に降伏する場合、その戦闘艦艇は拿捕されることがある。
参考文献
- 深津栄一 「商船捕獲のルール」『世界の艦船』349号、海人社、1985年、104-105頁
- 西木正明 『オホーツク諜報船』、社会思想社〈現代教養文庫〉、1992年 ISBN 4-390-11454-9 (旧版は、角川書店、1985年)
- 波多野里望、小河芳彦編『国際法講義(新版増補)』(有斐閣、1998年)
関連項目
- 逮捕
- 臨検
- 通商破壊
- 北洋漁業
- 李承晩ライン
- レポ船
- 外国軍用品審判所
- フェートン号事件:日本国内初の外国船舶権拿捕事件である。
- 宝来丸略奪事件
- プエブロ号事件
- カボタージュ
- 鹵獲
- 自沈(拿捕を防ぐために行われる)