投資銀行
投資銀行(とうしぎんこう、英:investment bank)とは、主に大口顧客を対象として株式・社債等の引受業務、M&Aの仲介業務等に付随するコンサルティング業務を行う銀行の形態である[1]。支配的なものをバルジ・ブラケットという。
ヘッジファンドにバックオフィス機能を提供して、世界金融危機までに極端なレバレッジをかけた。
Contents
概説
投資銀行は米国で独特の証券会社の形態として発達した業態である[2]。19世紀以来、欧米の資本主義経済は約10年の周期で恐慌が起きる景気循環が発生していた[2]。19世紀後半、南北戦争が終結すると米国経済は加速度的に発展し、資本家の企業買収による事業の独占が進んだ[2]。1850年にはリーマン・ブラザーズ、1869年にはゴールドマン・サックスが創立されている[2]。ジョージ・ピーボディ系またはロスチャイルド系の投資銀行に加え、クーン・ローブやスペヤー商会(Speyer & Co.)も台頭した[3]。
欧州ではスイス系のUBSやクレディ・スイス、フランス系のBNPパリバ、イギリス系のバークレイズ、ドイツ系のドイツ銀行などが有名。これらは今でも同一の会社で商業銀行業務と証券業務の双方の営業活動を展開しており、ユニバーサルバンクと呼ばれる。投資銀行が利益の大部分を占めている金融機関が増えてきている(GBLなど)。
1907年恐慌で活躍したJPモルガンもユニバーサルバンクであった。
この未分化で支配的な投資銀行は1929年の世界恐慌によって注目を浴びた[4][3]。その後、米国政府は企業の利益独占と金融政策・経済政策の失敗が恐慌を招くとして、銀行業務と証券業務の分離(グラス・スティーガル法)や州を越えた銀行業務の制限(マクファーデン法)などの方針を打ち出した[2]。その結果、機関投資家による産業資金の供給や合併の仲介について[3]、より専門性の強い投資銀行という形態の証券会社が必要とされた[2]。このような投資銀行は、預金を資金として引受け比較的短期の貸し付け(商業金融)を行う一般の商業銀行とは区別される[1]。第二次世界大戦が終わると米国では独占禁止法による規制が強くなり、業種の異なる企業間での買収や経営統合の動き(コングロマリット)が活発化した[4]。
米国の投資銀行
投資銀行 (investment bank) という法律用語を作ったのはアメリカ政府である。金融機関のうち株式の株式市場での直接取引免許を有する金融機関のみを投資銀行と定義した。アメリカでは1933年に成立したグラス・スティーガル法により商業銀行と投資銀行を一つの法人が兼業することが完全に禁止された(銀証分離)。
たとえばモルガン・スタンレーという投資銀行は、グラス・スティーガル法成立時に商業銀行となったJPモルガンと袂を分かって成立している[3]。しかしながら、1980年代以降グラス・スティーガル法の銀証分離規定も骨抜きになり、バンク・オブ・アメリカやJPモルガンが証券子会社を設立することにより投資銀行業務に進出するなど抜け道がある。しかし、銀証分離規定の完全な撤廃も幾度も議論になっているが未だに正式な可決はされていない。
投資銀行は基本的に株式証券を通して顧客の資金調達等を支援、財務戦略を助言する投資顧問会社が本業である。通常自らポジションを取って投融資を行うことはなかった。しかし、銀行系証券会社が顧客企業の企業買収時に銀行融資により買収資金を供与することによりM&Aでのシェアを高めるにつれ、旧来の投資銀行も競争戦略上自らポジションを取って買収資金を供与する事例が1980年代とみに増加し、投資銀行と商業銀行の境界が薄れてきている。
2007年からの世界金融危機により、アメリカの五大投資銀行の勢力図は大きく変わった。
ファンド資本主義
1990年代、アメリカの投資銀行はヘッジファンドにバックオフィス機能を提供するプライムブローカー業務を活発化させた[注釈 1]。ヘッジファンドの活動に必要な、資金決済の管理、帳簿管理、記録の代行、取引の執行、決済サービス、資金・証券貸付サービスを提供したのである。投資銀行は、ヘッジファンドにリバース・レポ(売戻し条件付買入取引)やマージン・ローンで資金を提供し、ヘッジファンドからの預かり資産を担保にレポ(買戻し条件付売却取引)で資金を調達していた。指数運用を主軸とする機関投資家からも[注釈 2]、カストディアンを通じて有償で証券を借りていた。プライムブローカー業務は、ヘッジファンドのレバレッジ拡大を可能とし、OTD金融を支える上で重要な役割を果した。そしてこれが2000年代の投資銀行の重要な収益源となっていた。2005年に世界全体であげた88億ドルの利益に、ヘッジファンド関係の収益は投資銀行部門全体の約25%に達していたのである[注釈 3]。[5]
住宅価格の下落しだした2006年下半期に、投資銀行は業容を縮小させた[注釈 4]。世界金融危機の前兆であった。2007年末、投資銀行、および金融持株会社傘下の証券会社10行のプライムブローカー業務を通じたリスクエクスポージャは3兆2673億ドルに及んでいた[5]。10行のTierⅠ自己資本は合計4232億ドルだったので、この業務だけでレバレッジ7.7倍も記録していた[5]。
カナダの投資銀行
カナダにおいては投資銀行業務と商業銀行業務を統合し、総合的なサービスを提供する金融機関が多く、カナダ五大銀行が市場の大部分を占めていると言える(スコシアバンク、モントリオール銀行、CIBCなど)。資産残高でカナダ最大のRBCグループの場合、商業銀行業務を行うカナダロイヤル銀行の他に、RBCウェルス・マネジメント、RBCキャピタル・マーケッツなどが各々対象顧客別に投資銀行業を含む総合的なサービスを展開している。ムーディーズ・インベスター・サービスによるとRBCは世界最強の投資銀行トップ15位に入り、市場独占度、収益率などにおいて高い評価を得ている[6]。これらのほかには、TD Canada Trustが有名。
2014年までの約20年間に、カナダロイヤル銀行、TD Canada Trust、Bank of Nova Scotiaが企業融資により大きく収益を伸ばしており、資産残高で比較すると実際はカナダ三大銀行になりつつある[7]。
日本の投資銀行
日本では野村證券、大和證券、日興證券などが主に投資銀行業務を担っていたが、それらの企業はメリルリンチのように個人向け有価証券売買の仲買業務の割合が大きかった[注釈 5]。
しかし、東京オフショア市場の開設や規制緩和に伴って[注釈 6]、大和証券と住友銀行が合弁で大和証券SMBC(三井住友フィナンシャルグループと大和証券の合弁解消により、現在は大和証券に吸収)を設立したり、当時の日興證券とトラベラーズグループ(後にシティコープと統合してシティグループ・ジャパン・ホールディングス)の合弁で同じく日興ソロモンスミスバーニー証券(現在はシティグループ証券とSMBC日興証券の投資銀行本部に分割)を設立するなどホールセール専業の本格的投資銀行が出現した。1990年代以降ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーのような米系投資銀行が、高度な金融技術を武器に複雑な合併案件や巨額の資金調達の財務アドバイザーに指名されるようになった。
また、2000年に当時みずほフィナンシャルグループ傘下だった第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行のそれぞれの証券子会社が合併した[注釈 7]。この(旧)みずほ証券が法人に特化した営業を行った[注釈 8]。2005年に三菱証券とUFJつばさ証券が合併した三菱UFJ証券(現・三菱UFJ証券ホールディングス、事業は三菱UFJモルガン・スタンレー証券が継承)や独立系の証券会社である東海東京証券が投資銀行ビジネスを拡大・注力するなど、日本でも狭義の投資銀行という業態が活躍する。
2006年、証券取引法とその他の金融商品に関する法律を合わせて抜本改正された金融商品取引法(投資サービス法も内包)が可決された。これにより、銀証分離規定が廃止され、銀行による証券業務参入と証券会社による銀行業務参入が自由化された。そして、欧州型のユニバーサルバンクへの道が開かれることになり、国内メガバンクもドイツ銀行グループやUBSのような世界的な金融グループへの発展が現実味を増している。
脚注
注釈
- ↑ この目的を示唆する記事。奥村皓一 「シティ-制覇を狙う欧州大銀行の買収戦略--英国の名門投資銀行が次々と標的に(欧州金融界)」 世界週報 76(27), p12-15, 1995-07-25
- ↑ 年金基金、保険会社、ミューチュアル・ファンド、大学基金など。これらは2000年代にファンド・オブ・ヘッジファンズを通じて間接的にヘッジファンド投資を拡大した。
- ↑ 決済・カストディアン業務から12億ドル、取引の執行・決済サービスから34億ドル、マージン・ローンおよびセキュリティ・レンディングから42億ドル、さらにヘッジファンドとのトレーディングで170億ドル
- ↑ 近年の決算を見ると投資銀行部門の収益は、投資銀行全体の収益に占める割合は低い。ゴールドマン・サックスの2006年11月決算では純利益の15%、モルガン・スタンレーの2006年11月決算では同14%を占めるにすぎない。いずれの会社もトレーディング部門の収益貢献度が非常に高い。このため、トレーディング部門の社員は収益貢献度の低い投資銀行部門を卑下する傾向があり、近年の経営陣もトレーディング部門の出身者が昇進する傾向が見られる。
- ↑ ここにいう個人向け有価証券において、昭和30年代から投資信託が大量に販売されていた。
- ↑ 日本でもアメリカのグラス・スティーガル法と同様に証券取引法第65条が銀証分離を規定していた。しかし、アメリカと同様に緩和され、銀行子会社の証券業務参入が認められた。それから、みずほFGやMUFGなどの都市銀行を母体とする金融持株会社が出現し、商業銀行と投資銀行を傘下に置いている。
- ↑ 2002年に3行は分割・合併し、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行
- ↑ 現在は、新光証券に吸収合併されたことに伴い、新光証券がみずほ証券に改称され、リテールを含めた総合証券となっている。
出典
- ↑ 1.0 1.1 野澤澄人 『図解入門ビジネス最新投資銀行の基本と仕組みがよーくわかる本』2008年。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 野澤澄人 『図解入門ビジネス最新投資銀行の基本と仕組みがよーくわかる本』2008年。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 森杲 「大戦間におけるアメリカの資本市場と投資銀行」 経済学研究 13(1), 91-196, 1963年8月
- ↑ 4.0 4.1 野澤澄人 『図解入門ビジネス最新投資銀行の基本と仕組みがよーくわかる本』2008年。
- ↑ 5.0 5.1 5.2 柴田徳太郎 『世界経済危機とその後の世界』 日本経済評論社 2016年 124-126頁
- ↑ RBC ranks among world’s strongest investment banks: Moody’s
- ↑ Big 5 Canada Banks Now Big 3 as Assets Diverge
関連項目
主な投資銀行
Category:投資銀行を参照。