成田国際空港の安全確保に関する緊急措置法
成田国際空港の安全確保に関する緊急措置法 | |
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日本の法令 | |
通称・略称 | 成田新法 |
法令番号 | 昭和53年法律第42号 |
効力 | 現行 |
種類 | 特別措置法 |
主な内容 | 成田国際空港の安全確保について |
関連法令 |
刑法 航空危険行為等処罰法 成田空港会社法 成田財特法 |
条文リンク | 法令データ提供システム |
成田国際空港の安全確保に関する緊急措置法(なりたこくさいくうこうのあんぜんかくほにかんするきんきゅうそちほう、昭和53年法律第42号)は、成田国際空港の機能や施設、航空の安全確保に関する日本の法律。略称は「成田新法」。空港反対派からは「成田治安法」とも呼ばれている。最終改正は、自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律(平成25年法律第86号)附則第8条による、刑法上の凶器集合準備及び結集罪の条ずれを反映させたもの。
Contents
概要
1978年(昭和53年)3月、三里塚闘争を抱え1960年代からの懸案となってきた新東京国際空港(現・成田国際空港。以下、「成田空港」。)では、開港予定日である3月30日に向けた準備が進められていた。
しかし開港予定日の4日前である3月26日に、三里塚芝山連合空港反対同盟を支援する極左暴力集団が成田空港周辺で蜂起し、敷地内になだれ込んだ。港内に乱入した部隊は火炎瓶等で破壊活動を行って警備をひきつけ、更に地下に潜伏していた別働隊が呼応してマンホールから飛び出して管制塔に突入、これを占拠して管制機器を破壊した(成田空港管制塔占拠事件)。この事件により、政府は新東京国際空港の開港を5月20日に延期する事を余儀なくされた。
この事態を受けて、衆参両院は過激派集団の破壊活動を許し得ざる暴挙と断じた上で、暴力排除に断固たる処置を採るとともに、地元住民の理解と協力を得るよう一段の努力を傾注すべきこと及び新空港の平穏と安全を確保し、我が国内外の信用回復のため万全の諸施策を強力に推進すべきことを政府に対して求める決議をそれぞれ採択した。
以上の経緯のもと、三里塚闘争や成田空港問題に関連したゲリラ活動を封じることを目的に、自民党、公明党、民社党、新自由クラブ共同の議員立法として、「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」が5月13日に成立し、即日施行された。
この法律に基づき、運輸大臣(現・国土交通大臣)に、成田空港及びその航空保安施設等の周辺3キロメートルに限り、建築物その他の工作物について使用の禁止等を命ずる権限が付与された。
当法律は拡大解釈の恐れがあるなどの議論を呼び、反対派からの提訴を受けて憲法第31条等を巡り法廷で争われたが、最高裁判所は合憲判決を下した(成田新法事件)。
2004年(平成16年)4月1日に「新東京国際空港」から「成田国際空港」に名称変更されたのに伴い、「成田国際空港の安全確保に関する緊急措置法」に改題されて現在に至る。
団結小屋に代表される工作物について使用禁止命令を発する権限などを規定している。これにより、成田空港周辺の団結小屋等に対する使用禁止命令によって、「岩山団結小屋」「三里塚野戦病院」が使用禁止されている[1]。かつては天神峰現地闘争本部も含まれていた[2]。
かつて成田新法に指定されていた団結小屋
- 木の根団結砦 - 1987年11月27日除去
- 東峰団結会館 - 1989年12月4日除去
- 木の根育苗ハウス - 1990年3月21日除去
- 三里塚闘争会館 - 1990年8月23日除去
- 大清水団結小屋 - 1990年10月16日除去
- 横堀団結の砦 - 1990年11月29日除去
- 横堀要塞 - 2002年11月、自主的に解体・撤去 [3]
- 菱田現地第一砦 - 2003年3月、自主的に解体・撤去
- 天神峰現地闘争本部 - 2011年8月6日除去
法律の構成
- 第一条 - 目的
- 第二条 - 定義等
- 第三条 - 工作物の使用の禁止等
- 第四条 - 損失の補償
- 第五条 - 物件の一時保管等
- 第六条 - 国土交通大臣の権限の行使
- 第七条 - 関係行政機関の協力
- 第八条 - 行政手続法の適用除外
- 第九条 - 罰則
- 附則
出典・脚注
- ↑ “成田空港周辺の団結小屋等に対する使用禁止命令”. 国土交通省航空局 (2016年9月16日). . 2017閲覧.
- ↑ “団結小屋等に対する使用禁止命令について”. 国土交通省航空局 (2003年9月18日). . 2017閲覧.
- ↑ “団結小屋等に対する使用禁止命令について”. 国土交通省 (2003年9月18日). . 2017閲覧.