忠清南道
提供: miniwiki
略称: 충남;忠南;Chungnam;チュンナム | |
位置 | |
---|---|
忠清南道の位置 | |
地図 | |
忠清南道の地図 | |
各種表記 | |
ハングル: | 충청남도 |
漢字: | 忠淸南道 |
日本語読み仮名: | ちゅうせいなんどう |
片仮名転写: | チュンチョンナム=ド |
ローマ字転写 (RR): | Chungcheongnam-do |
統計(2015年) | |
面積: | 8,214[1] km2 |
総人口: | 2,107,802[2] 人 |
男子人口: | 1,078,310 人 |
女子人口: | 1,029,492 人 |
人口密度: | 224.5 人/km2 |
世帯数: | 816,247 世帯 |
行政 | |
国: | 大韓民国 |
下位行政区画: | 8市7郡 |
ISO 3166-2: | KR-44 |
行政区域分類コード: | 34 |
忠清南道の木: | コウライシダレヤナギ |
忠清南道の花: | キク |
忠清南道の鳥: | オシドリ |
自治体公式サイト: | 忠清南道 |
忠清南道(チュンチョンナムド、ちゅうせいなんどう、韓国語表記:충청남도)は、大韓民国中部(朝鮮半島中西部よりやや南)に位置する行政区。現在の道知事は南宮英(権限代行)。1896年、勅令第36号で朝鮮八道における忠清道の西半分を「忠清南道」と定めた。1945年以降は大韓民国の行政区となり、現在に至る。通常は忠南と略される。
かつて忠清南道の一部であった大田市は1989年に「大田直轄市」(1995年より大田広域市)として分離した。その後も道庁は大田広域市に置かれていたが、2012年12月28日に洪城郡(本館)と礼山郡(議会)にまたがる地域に移転した。
2004年、韓国の行政首都の燕岐・公州地区への移転が決定されたものの、憲法裁判所で遷都を違憲とする判決が下され、行政機能の一部移転にとどまる形となった。この地区は2012年7月1日、忠清北道清原郡の一部とともに「世宗特別自治市」として忠清南道から分離した。
概要
西を黄海に面し、北を京畿道、南を全羅北道、東を忠清北道に接する。
道の3分の1の面積は農用地である。農業以外では漁業も重要な産業である。220km2にも及ぶ塩田があり、また道南部では金や銀、石炭、モナザイト、ジルコンが採掘される。
845mの鶏龍山が最も高い山となる。独特な岩で構成されるため、国立公園に指定されている。また多くの歴史を有する寺院がある。1978年には、泰安海岸国立公園が開かれ、韓国の有数の海水浴場となっている。
1月の平均気温:
瑞山(-1.9℃) 天安(-3.0℃) 保寧(-1.2℃) 錦山(-2.9℃)
8月の平均気温: 瑞山(25.0℃) 天安(25.0℃) 保寧(25.2℃) 錦山(24.7℃)
行政
- 出典:忠清南道ホームページ「역대도지사(歴代道知事)」より。
- 出典:의원광장 현역의원(議員広場 現役議員)(忠清南道議会ホームページ)2016年8月12日閲覧
忠清南道の自治体
忠清南道には以下の8市8郡が設置されている。
市部
郡部
歴史
- 1896年 忠清道から忠清南道を分置
- 1932年 道庁を公州から大田に移転
- 1963年 全羅北道から錦山郡を編入
- 1983年 日本の熊本県と提携
- 1989年 大田直轄市(現・大田広域市)を道から分離(このとき大徳郡も大田直轄市に編入)
- 1995年
- 公州郡・市統合
- 天安郡・市統合
- 牙山郡・温陽市統合
- 保寧郡・大川市統合
- 瑞山郡・市統合
- 1996年 論山郡を市に昇格
- 1998年 熊本県事務所開設
- 2003年 鶏龍出張所が鶏龍市に昇格
- 2012年1月1日 唐津郡が唐津市に昇格
- 2012年7月1日 世宗特別自治市発足に伴い燕岐郡が廃止
- 2012年12月28日 道庁を洪城郡に移転。
- 2013年(平成25年)4月30日 日本の静岡県と友好道提携締結
著名な出身者
- 尹潽善 - 政治家
- 金鍾泌 - 政治家
- 李海瓚 - 政治家、教育家、言論人
- 安熙正 - 政治家
- 黄禹錫 - 生物学者
- 金升淵 - 実業家
- 金昊淵 - 実業家、政治家
- 李俊揆(外交官)
- 韓龍雲 - 詩人、僧、独立運動家
- 金玉均 - 李朝時代後期の開明派政治家
- 沈大平 - 国民中心連合代表
- 英雄在中 - JYJのメンバー
- 金鐘雲 - Super Juniorのメンバー
- 鄭俊鎬 - 俳優
- 李参平(? - 1655年) - 忠清道金江(現・忠清南道公州市反浦面)出身の陶工。1592年、豊臣秀吉の朝鮮侵略の際、日本軍に拉致された。有田で磁石(じせき、磁器の原料)を発見し、肥前磁器(伊万里焼)の生みの親となった。有田の「陶祖」と称されている。
関連項目
脚注
- ↑ 忠清南道公式サイト, 2016年9月11日閲覧
- ↑ 大韓民国国家統計ポータル > 人口・世帯 > 人口総調査> 人口部門 > 総調査人口(2015) > 全数部門 > 人口、世帯と住宅 - 邑面洞 2015年~2015年, 2016年9月11日閲覧
外部リンク
- 忠清南道公式サイト(朝鮮語)
- 忠清南道公式サイト(日本語)
- 忠清南道文化観光サイト(日本語)
- 忠清南道熊本事務所公式サイト(日本語)