志賀町
志賀町(しかまち)は、石川県羽咋郡にある町。本州の日本海側にある能登半島の、ほぼ中央に位置する。
Contents
地理
総面積196.84km2[1]。耕地面積29.90km2[2]、林野面積[* 1]は16,171km2[2]あるいは162.07km2[1]。
位置
- 東端 :北緯37度2分35.8秒 東経136度51分44.1秒(土田地区の徳田。赤蔵山山腹)。
- cf. 国土地理院の地図閲覧サービスによる、この位置へのリンク(以下同様)[7]
- 北端 :北緯37度13分38.5秒 東経136度48分53秒(稗造地区の切留近く)。[8]
- 西端 :北緯37度8分49.1秒 東経136度40分6.7秒(能登金剛海志埼の沖島西端、西海地区は西海久喜の沖島西端)。[9]
- 南端 :北緯36度56分17.5秒 東経136度47分46.9秒(羽咋市上中山町内飛地南端。眉丈第1・第2トンネル近く)。[10]
主要な地形
山地
- 高ツボリ山(標高141.6m)
- 遍照岳(通称:天元寺岳。標高146.6m)
- 天行寺山(標高137m)
- 赤蔵山(標高179m)
平地
- 福野平野[7]
海水域
陸水域 cf. 「石川県の二級水系一覧」
沿岸地形
- 能登金剛
- 大島海岸(おしま かいがん)
気候
生物相
レッドデータブックの絶滅危惧I類に指定されているイカリモンハンミョウ(Abroscelis anchoralis、ハンミョウの一種)は、本州では志賀町から羽咋市にかけての海浜にのみ、日本列島全体でも能登半島のほかは九州の宮崎・鹿児島(種子島を含む)両県にのみ生息する希少な昆虫である[9][10]。このことから、志賀町大島から羽咋市柴垣町(菱根川から柴垣[須田地区]までの海岸約2.5kmはイカリモンハンミョウ生息地として保全管理されることとなった[10]。
広域地域区分
- 志賀町は石川県の中西部、能登地方の北西部に位置している。
- 能登地方は北部と南部に区分されており、南部に属する志賀町と七尾市は北の境界線をもって北部と隣接する。
- 能登地方南部は、志賀町が属する羽咋郡のほか、羽咋市、七尾市、鹿島郡で構成されている。
- cf. 北陸地方および石川県の地方区分図(参考):≪外部リンク≫ “北陸地方”. 気象予報区区分表(ウェブサイト). 個人. . 2012閲覧.
- 能登半島を基部から奥部へ順に「口能登(くちのと)」「中能登(なかのと)」「奥能登(おくのと)」の3つに区分する場合は、古来の羽咋郡域(現在の志賀町、羽咋市、宝達志水町)だけで口能登を構成する。詳しくは「能登半島#半島内の地域」を参照のこと。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}古来の羽咋郡域は、羽咋市発足後の現在では「羽咋郡市(はくい ぐんし)」とも呼ばれ、羽咋郡市広域圏事務組合がそうであるように行政面でも共同関係にある[11]。
- 国勢調査では、七尾市と共に能登半島中部地域に区分されている[12]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}観光庁が選定する観光圏としては、能登半島の地方自治体(七尾市、輪島市、珠洲市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、中能登町、穴水町、能登町)が能登半島観光圏を形成している[12]。cf. 2009.
隣接する自治体
志賀町は能登半島の西側で日本海に大きく開けており、北は輪島市、南は羽咋市に隣接し、東は能登半島の東側にあって日本海の湾である富山湾に開けた七尾市と広く隣接する。
志賀町内の地域
歴史
※新暦導入以前(1872年以前)の日付は和暦による旧暦を主とし、丸括弧内に西暦(1581年以前はユリウス暦、1582年以降はグレゴリオ暦)を添える。「同年4月(4月)」は「旧暦4月(新暦4月)」の意、「同年4月(4月か5月)」とあれば「旧暦4月(新暦では5月の可能性もあり)」の意。
信仰史
渤海との交流
港の歴史
年表
先史時代
地質時代
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}新生代新第三紀中新世 :関野鼻一帯にて関野鼻石灰質砂岩層の形成期[13]。その後、岩層に生じた地表からの亀裂や節理を通って浸み込んだ地下水の長い年月にわたる容食性侵食作用により、現存する3つのドリーネが形成される[13]。日本列島では新生代に形成されたドリーネは稀有である[13]。
- 旧石器時代 :志加浦地区の赤住(あかすみ)にて赤住遺跡の形成期。
縄文時代
- 縄文時代 :西増穂地区の酒見(さかみ)にて酒見遺跡の、福浦地区福浦港にて福浦遺跡の形成期。土田地区の舘開(たちひらき)にて舘開城跡(陥穽遺構)の形成期の始まり(古墳時代の遺構もあり)[14]。中甘田地区の中甘田にて甘田タイ遺跡の形成期の始まり(遺構は平安時代まで断続)[14]。堀松地区の堀松にて、県内最大規模の貝塚である堀松貝塚の形成期[15]。堀松地区の神代(かくみ)地区にて神代貝塚の形成期[15]。
弥生時代
- 弥生時代全般 :下甘田地区の穴口にて穴口遺跡(集落遺構)の形成期[14]。
- 弥生時代 :富来地区の富来高田(とぎ たかた)にて高田遺跡の形成期[15]。土田地区の徳田にて得田氏館跡(竪穴式住居跡等の遺構)の形成期の始まり(古墳時代の遺構もあり)[14]。
- 弥生時代後期 :加茂地区矢駄の鹿首(かしくび)にて鹿首モリガフチ遺跡(水田・集落遺構)の形成期[14]。
- 弥生時代末期 :稗造地区の東小室(ひがしおもろ)にて東小室ボガヤチ遺跡(竪穴式住居跡等の遺構)の形成期の始まり(遺構は室町時代まで断続)[14]。
有史以前全般
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}有史以前 :高爪山は神体山として信仰を集めていたと考えられる[16](高爪信仰の萌芽)。近海航路の目標物であった高爪山は漁民からは航海神として、また、農耕が始まると大福寺・酒見川流域の農民から農耕神として崇められた[16]。
古代・中世
飛鳥時代
- 7世紀頃 :西海地区の西海千ノ浦(さいかい ちのうら)にて、二子塚古墳群(千浦二子塚古墳群)が造営される。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}大宝2年(703年) :社伝によれば、高爪山で高爪神社が創建(中世から近世にかけて隆盛する高爪信仰の始まりの一つ)[16]。
奈良時代
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}天平勝宝2年(750年) :社伝によれば、富来地区で冨木八幡宮(現在の冨木八幡神社)が創建されたとするも詳細は不明で、建保5年(1217年。cf. 1217)の創建とも考えられる[17]。
- 宝亀3年(772年) :『続日本紀』の伝えるところでは、日本滞在を終えて帰途に就いた渤海使の船が時化に遭って難破し、外浦海岸に漂着したため、朝廷の指示を受けて遭難者を福良津(ふくらのつ)に安置したという[18]。福良津は福浦(現・志賀町福浦)の船着場(福浦港の前身)に比定されており、文献初出である[18]。
平安時代
- 延暦23年6月27日(804年8月6日) :北路で来日する渤海使[* 2]の寄航・入国指定地に定められた福良津に、桓武天皇の勅によって客院「能登客院」が設けられたと『日本後紀』に記述あり。「鴻臚館#平安京の鴻臚館」も参照のこと。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}承和元年(834年) :山城国の松尾神社(現在の松尾大社)から勧請された松尾神社が末吉村(後世の羽咋郡堀松村末吉、現・志賀町末吉)に建立されたと伝えられる。本殿は一間社流造で建立年代は永禄2年頃(1559年頃。室町時代末期)と推定される[19][20][21]。cf. 1980.
- 元慶7年10月29日(883年12月2日) :『日本三代実録』のこの日の記録に、渤海使が北陸道に来着した場合、帰国に使う船を修理もしくは造船する際には必ず福良泊(ふくらのとまり)の木材を用いるようにと定め書きされており[18]、この時代には福良にあった津(国司管理下の公的な港)が整備されて、朝廷指定の造船施設を備えた、律令制下の北陸道で唯一の泊(とまり。中央政府直轄の宮港)になっていたことが分かる[18]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}長暦4年(1040年) :堀松近郊の末吉村(すえよしむら)にて、近江国の日吉神社から勧請した山王社(現在の末吉日吉神社)が創建[22]。当社の祭神は、室町時代後期の福野潟開拓時代 (cf. 1577) を迎えると開拓の守護神として崇められることになる[22]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}寿永2年(1183年) :5月11日(西暦6月2日)に起こった倶利伽羅峠の戦いに敗れた平維盛の重臣・平式部大夫が、その後間もなく志賀村(現・志賀町町)に落ち延びて隠棲する。平式部大夫を祖とする「平家(ひらかけ、たいらけ)」はその後、中能登の在地土豪に成長し、応永15年(1408年)頃には能登国守護となった畠山満慶に召し出されて能登畠山氏の被官となる。後世、平家は江戸幕府天領地13カ村を治める大庄屋になる。cf. 1577(平式部館の落城)、1615(平家の復帰)、江戸中期(平家庭園)。
鎌倉時代
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}承元2年2月(1208年2月か3月) :高爪山六所宮(現在の高爪神社)にて、今に伝わる木造薬師如来坐像が本地仏として造立される(江戸時代にいう「能登十二薬師」の一つである「高爪薬師」。在銘仏として県内最古で、県指定有形文化財)[23][24]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}建保5年(1217年) :社伝によれば、富来村を始めとする近隣8ヵ郷の総社として、鶴岡八幡宮から勧請した冨木八幡宮(現在の冨木八幡神社)の祠が建立される[17]。以来、広く信仰され、中世以降は神仏習合して神宮寺八幡寺となることで隆盛期を迎える。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}建治元年9月9日(1275年9月29日) :高爪山六所宮(現在の高爪神社)で六柱の神(高爪大明神・気多大明神・白山妙理権現・伊須留岐権現・若王子・八幡大菩薩)の本地仏を表した御正体(みしょうたい)である木板彩画六所宮懸仏(国の重要文化財に指定)が造立・奉納される[25][26][27]。cf. 1964.
室町時代
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}応永年間(1394-1427年) :能登国守護・能登畠山氏の本拠・七尾城の出城として、堀松庄の末吉村(後世の羽咋郡堀松村末吉、現・志賀町末吉)の北にある山(末吉城山)に末吉城(すえよしじょう)が築かれる(応仁の乱[1477年]後に中世城郭として完成)。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}宝徳元年(1449年) :土田地区の谷屋にて、長龍寺の建立[28]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}永禄元年(1558年) :上棚(うわだな)にて、真宗大谷派・来入寺(らいにゅうじ)の建立[29]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}天正年間(1573-1592年)
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}天正4- 5年(1576-1577年) :戦国大名・上杉謙信が能登国に侵攻し、当地域の城・館(富来城、末吉城、木尾嶽城[きおだけじょう]、平式部館[ひらかしきぶやかた])を含む諸城・諸館を落とす。天正5年に決着する七尾城の戦いによって能登畠山氏は滅亡する。このとき、兵火を被った高爪山六所宮(現在の高爪神社)では多くの社殿や寺宝、記録等が焼失し、六所宮は一時衰退する。同じく冨木八幡宮(現在の冨木八幡神社)も大きな被害を受けて一時衰退する。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}天正5年(1577年)頃 :助太夫家が福野潟(ふくのがた。現在の志賀町福野周辺)を干拓して田畑に変える開墾事業に着手。事業は代々続けられ、「潟の主」とも呼ばれる千石百姓、豪農になった助太夫家には実際千石に迫る持高があったという[31]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}永禄2年頃(1559年頃) :松尾神社が改修され、現存する本殿が新築される[20][21]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}室町時代 :肥前国大村藩(長崎県大村市)の船持武太夫の息子が乗った船が大島(おしま)沖で難破し、乗組員全員が死亡した。武太夫は供養のために肥前から石を運ばせ、大島の地に石造五輪塔である石積六角地蔵搭を建てた。今日では大島諸願堂と呼ばれている。
近世
安土桃山時代
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}近世初期 :重税に苦しむ若狭国大飯郡高浜村(現・福井県大飯郡高浜町)の漁民が漁船に乗って米町川(こんまちがわ)河口近くの海岸部にたどり着き、そのまま移住して高浜村(現・志賀町高浜町)を興す[32][33]。cf. 1990.
- 天正9年(1581年) :前田利家が織田信長より能登国の支配を命じられ、能登へ入部。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}天正13年(1585年) :七尾城の戦いで兵火を被って以来衰退していた高爪山六所宮(現在の高爪神社)が前田利家によって再興され、以後、歴代加賀藩主・前田家の庇護を受けて社領の寄進や社殿の造営が行われ、大いに栄えることとなる。
江戸時代
- 慶長13年(1608年) :福浦村住人・日野資信(日野長兵衛資信)が、福浦湊(福浦港)を航行する船の安全を願って篝火による私設灯台を日和山の断崖に設置したところ、好評を得たことから、以後は日野家の家伝となる(旧福浦灯台の前身)[18]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}元和年間(1615-1623年)頃 :七尾城の戦いで居城・平式部館を失って以来、陸奥国津軽に落ち延びていた平家が、志賀村(現・志賀町町)に舞い戻って庄屋になったと伝えられる。
- 承応2年(1653年) :日野家が能登国郡奉行より正式に福浦湊の灯明役に命じられる。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}寛文11年(1671年) :富来村の十村役である上島弥六が、七尾城の戦いで兵火を被って以来衰退した冨木八幡宮(現在の冨木八幡神社)の社殿を再建し、社領を寄進する。
- 天和3年(1683年) :蝦夷地に渡って北前船廻船問屋「阿部屋張江家」の使用人から独立して村山家の基礎を築くことになる初代村山伝兵衛が、能登国羽咋郡安部屋村(明治時代以降の石川県羽咋郡志加浦村安部屋、現在の志賀町安部屋)で誕生する[34]。
- 元禄5年(1692年) :日野家当主が福浦湊に石垣を築いて灯明台[* 3][35]を建設し、3月から10月まで毎晩灯明を灯すようになる。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}江戸時代前期 :平家の居館にて、今に伝わる池泉観賞式[* 4]書院庭園である平家庭園(たいらけ ていえん)が作庭され始める。[36][37]
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}江戸時代中期 :土田地区の谷屋にある長龍寺(宝徳元年[1449年]建立)にて、加賀藩御用作庭家「能登の駒造」の手で、山裾を築山に見立てた山畔池泉一式の庭園が作られる(長龍寺庭園、別名 鹿谷園の作庭)[28]。
近代以降
明治時代
明治改元後
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}明治元年(1868年)前後 :全国に神仏分離令が発布され、当地域でも高爪山六所宮が高爪神社になるなど仏式の廃止が進む。
- 明治2年6月17日(新暦1869年7月25日) :版籍奉還により、当地域が属する加賀藩は金沢藩になる。
- 明治4年(1871年)
- 1872年10月27日(旧暦 明治5年9月25日) :射水郡以外の七尾県域が石川県に合併し、七尾県は消滅する。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1876年(明治9年)10月 :日野吉三郎が福浦の灯明堂に替えて擬洋風建築による木造四角形の灯台である福浦灯台(旧福浦灯台)に新築する[18][38]。
- 1889年(明治22年)4月1日 :石川県羽咋郡で町村制が施行され、高浜町、羽咋町、および、38の村(行政村)が成立。
日清戦争後
日露戦争後
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1908年(明治41年) :慶長13年の創建以来300余年にわたって日野家が私設灯台として維持してきた福浦灯台(旧福浦灯台)が福浦村営に変わる[18]。
大正時代
第一次世界大戦後
昭和時代
太平洋戦争前
太平洋戦争中
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1942年(昭和17年) :志加浦村(現・志加浦地区)で灌漑用アースダム「猪之谷貯水池」の建設着工。
- 1943年(昭和18年)10月13日 :日中戦争のさなか、陸運統制令に従って北陸鉄道・能登鉄道・温泉電気軌道・金名鉄道・金石電気鉄道・湯涌自動車・七尾交通の7社が戦時統合し、能登線の全駅は北陸鉄道能登線の駅となる。
太平洋戦争後
- 1950年(昭和25年)4月11日 :北陸鉄道能登線の駅として直海駅が開業。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1952年(昭和27年)
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1953年(昭和28年)
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1956年(昭和31年)7月10日 :二級国道249号(旧・外浦街道)の整備・開通(その後、1965年に国道249号となる)。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1957年(昭和32年)12月 :松本清張が長編推理小説『ゼロの焦点』の連載を開始。高浜町域が主要舞台の一つとなり、周辺地域への観光客が急増する。
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)7月1日 :北陸鉄道能登線の末吉駅が志賀町駅に改称。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1961年(昭和36年)
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1963年(昭和38年)5月11日 :富来町(現・志賀町富来町)の漁師であった寺越昭二(当時36歳)と寺越外雄(当時24歳)が甥の武志(当時13歳、中学生)と共に富来町の福浦漁港から能登半島沖へ漁に出たまま行方不明になる(のちに北朝鮮による拉致の被害者ではないか[* 5]との疑惑を取り沙汰される寺越事件の発生)[41][42]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1964年(昭和39年)
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1965年(昭和40年) :1876年設営の福浦灯台(旧福浦灯台)が、日本最古の木造灯台(※正確に定義すれば、日本に現存する最古の、擬洋風建築による木造灯台、西洋型の木造灯台)として県指定史跡に指定される。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1967年(昭和42年)11月13日 :能登原子力発電所(のちの志賀原子力発電所)の建設計画が発表される。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1968年(昭和43年)5月1日 :能登半島国定公園が指定され、能登金剛が指定地域に含まれる。
- 1970年(昭和45年)11月1日 :志賀町と高浜町が新設合併し、新生・志賀町(第二次志賀町)が発足[40]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1972年(昭和47年)
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1977年(昭和52年)
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1979年(昭和54年) :能登中核工業団地が第一期工事竣工[43]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1980年(昭和55年)
- 1982年(昭和57年)11月17日 :能登有料道路の当地区間(柳田IC - 徳田大津IC間)が開通し、上棚矢駄インターチェンジも供用開始。
- 1983年(昭和58年)3月 :能登有料道路の西山インターチェンジと西山パーキングエリアが供用開始。
- 1985年(昭和60年)7月 :米町川が氾濫し、中流域で床上浸水14戸・床下浸水34戸の被害が発生[8]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1986年(昭和61年) :志加浦地区の赤住にて、工業用・工事用ゾーン型ロックフィルダム「大坪川ダム」の建設着工。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1987年(昭和62年)
- 1月10日 :社団法人日本の松の緑を守る会が「日本の白砂青松百選」を選定し、富来町領家町(現・志賀町富来領家町)にある増穂浦海岸が選定物件の一つとなる。
- 3月29日 :富来町(現・志賀町富来町)が増穂浦海岸に全長460.9mの木製ベンチを設置し、当日付けで「世界一長いベンチ」としてギネス世界記録に登録される(※現在は記録を更新されて次点以下となっている。詳しくは「ベンチ#サンセットヒルイン増穂のベンチ」を参照のこと)。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1988年(昭和63年)12月1日 :志加浦地区の赤住にて能登原子力発電所の建設着工。同時に志賀原子力発電所へ改称。
平成時代
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1990年(平成2年)11月3日 :志賀町が福井県の高浜町と姉妹都市盟約を締結[32]。cf. #高浜村移民。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1992年(平成4年) :志加浦地区赤住にて大坪川ダムの竣工。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1993年(平成5年)7月30日 :志賀原子力発電所が営業運転開始。
- 1994年(平成6年)4月 :志加浦地区赤住にて、北陸電力が原子力発電展示・PR施設「アリス館志賀」を開設[45]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1998年(平成10年)
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}1999年(平成11年)
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}2000年(平成12年)12月15日 :加茂地区の矢駄にて石川北部RDFセンターの建設着工、石川北部アール・ディ・エフ広域処理組合の設立[48]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}2001年(平成13年)3月23日 :富来町相神(現・志賀町富来相神)にある増穂浦海水浴場と、志賀町大島にある大島海水浴場が、環境庁(現・環境省)「日本の水浴場88選」に選ばれる。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}2002年(平成14年)
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}2003年(平成15年)1月3日 :石川北部RDFセンターがRDF発電を開始(業務運転を開始)し、7,000kWの出力を確認[48]。cf. a.
- 2004年(平成16年)4月1日 :志賀町字末吉で「道の駅ころ柿の里しか」が開業。
第三次志賀町成立後
- 2005年(平成17年)9月1日
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}2006年(平成18年)9月1日 :景勝地・能登金剛のうちの福浦港- 巌門船着場間を遊覧船で巡る旅客不定期航路事業を、能登金剛遊覧船有限会社が、55人乗り遊覧船4隻で開業[53][54]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}2007年(平成19年)
- 3月15日 :隠蔽されていた1999年6月18日発生の志賀原子力発電所臨界事故が発覚する。
- 3月25日 :輪島市西南西沖40km(志賀町北端直近の沖合い)を震央とした平成19年(2007年)能登半島地震が発生(志賀町は震度6弱)し、能登金剛の一部である景勝「ヤセの断崖」の突き出した先端部が幅10mにわたって崩落。以後、崖の部分は立ち入り禁止区域となる。
- 4月1日 :志賀町立志賀中学校と志賀町立高浜中学校が合併、新生・志賀町立志賀中学校となる。
- 11月29日 :福浦港にて日本海発電(北陸電力の100%子会社)福浦風力発電所の建設着工[55][56]。
- 12月14日 :富来領家町にて、地元・西海風戸出身の著作家・加能作次郎をテーマとする「作次郎ふるさと記念館」が開館[57][39]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}2008年(平成20年)10月 :志賀町における防災行政無線のデジタル化と同時に、光ファイバーによってデジタル放送とブロードバンドサービスを全世帯に提供する「志賀町ケーブルテレビネットワーク (SCN)」が開局し、併せて、IP告知放送システム[* 6]が導入される[58]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}2009年(平成21年)
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}2010年(平成22年)11月1日 :志賀町若葉台にて北陸電力 志賀太陽光発電所の建設着工[61]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}2011年(平成23年)
- 1月31日 :日本海発電 福浦風力発電所で国産最大級の風力原動機「三菱風車 MWT92/2.4」(ローターの直径92m)[55][62][63]が完成し、本格営業運転[55]を開始[64]。
- 3月11日 :東北地方太平洋沖地震が発生して福島第一原子力発電所事故が引き起こされると、これ以降、日本における原発推進派の安全意識が大きく揺らぎ、志賀原子力発電所を擁する志賀町も多大な影響を受けることとなる。
- 3月12日 :志賀町若葉台にて志賀太陽光発電所が営業運転開始[61]。
- 4月1日 :町民憲章、および、町花「はまなす」、町木「もちの木」が制定される[65]。
- 6月11日 :石川県の羽咋市以北の4市4町(七尾市、輪島市、珠洲市、羽咋市、志賀町、中能登町、穴水町、能登町)に属する指定地域「能登の里山里海」が、新潟県佐渡市の「トキと共生する佐渡の里山」と共に、日本初の世界農業遺産(正式名称:世界重要農業資産システム)登録物件となる[66][67]。
- 6月17日 :「能登の里山里海」の世界農業遺産認定を受けて七尾市・輪島市・珠洲市・羽咋市・志賀町・中能登町・穴水町・能登町の4市4町が関係団体と共に「能登の里山里海」世界農業遺産活用実行委員会を発足させる[66]。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}2012年(平成24年)
行政区域の変遷
- 1954年(昭和29年)10月1日 :羽咋郡にて志加浦村・堀松村・加茂村・土田村・上熊野村が新設合併し、志賀町(第一次志賀町)が発足[40]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 :上中山(山林所有者の関係で羽咋町に編入)以外の下甘田村が志賀町に編入し、人口1万4741人の新生・志賀町が発足[40]。
- 1970年(昭和45年)11月1日 :志賀町と高浜町が新設合併し、人口1万7123人の新生・志賀町(第二次志賀町)が発足[40]。
- 2005年(平成17年)9月1日 :志賀町と富来町が新設合併(対等合併)し、人口2万6千人の新生・志賀町(第三次志賀町)が発足[40][* 7]。
人口
志賀町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政
町長
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
大山玄一 | 1954年(昭和29年)10月1日 | 1954年(昭和29年)11月9日 | 町長職務執行者 | ||
1 | 1 | 小泉久平 | 1954年(昭和29年)11月10日 | 1958年(昭和33年)11月9日 | |
2 | 2 | 尾崎利一 | 1958年(昭和33年)11月10日 | 1962年(昭和37年)10月9日 | |
3 | 1962年(昭和37年)11月10日 | 1966年(昭和41年)11月9日 | |||
4 | 1966年(昭和41年)11月10日 | 1970年(昭和45年)10月31日 |
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
南浩三郎 | 1970年(昭和45年)11月1日 | 1970年(昭和45年)11月14日 | 町長職務執行者、旧高浜町長 | ||
1 | 1 | 尾崎利一 | 1970年(昭和45年)11月15日 | 1974年(昭和49年)11月14日 | |
2 | 2 | 野崎外雄 | 1974年(昭和49年)11月15日 | 1978年(昭和53年)11月14日 | |
3 | 1978年(昭和53年)11月15日 | 1982年(昭和57年)11月14日 | |||
4 | 1982年(昭和57年)11月15日 | 1986年(昭和61年)11月14日 | |||
5 | 1986年(昭和61年)11月15日 | 1990年(平成2年)11月14日 | |||
6 | 3 | 細川義雄 | 1990年(平成2年)11月15日 | 1994年(平成6年)11月14日 | |
7 | 1994年(平成6年)11月15日 | 1998年(平成10年)11月14日 | |||
8 | 1998年(平成10年)11月15日 | 2002年(平成14年)11月14日 | |||
9 | 2002年(平成14年)11月15日 | 2005年(平成17年)8月31日 |
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
松田佑興 | 2005年(平成17年)9月1日 | 2005年(平成17年)9月24日 | 町長職務執行者、旧富来町長 | ||
1 | 1 | 細川義雄 | 2005年(平成17年)9月25日 | 2009年(平成21年)9月24日 | |
2 | 2 | 小泉勝 | 2009年(平成21年)9月25日 | 2013年(平成25年)9月24日 | |
3 | 2013年(平成25年)9月25日 | 2017年(平成29年)9月24日 | |||
4 | 2017年(平成29年)9月25日 | 現職 |
- 町長 - 小泉 勝(こいずみ・まさる)
- 副町長 - 庄田 義則(しょうだ・よしのり)
役所・出張所・町民会館等
町役場
役所に関して、志賀町では「本庁方式」を採用している。
- 志賀町役場 本庁舎 :所在地 石川県羽咋郡志賀町末吉千古1番地1。
- 志賀町役場 富来支所 :所在地 石川県羽咋郡志賀町富来領家町甲の10番地。
税務
- 七尾税務署 管轄区域 [79]
広域行政サービス
一部事務組合(特別地方公共団体)である羽咋郡市広域圏事務組合(事務所所在地:羽咋市中央町ア185番地)の管轄区域である[11]。構成団体は、羽咋市、志賀町、宝達志水町[11]。組合長は羽咋市長[11]。
公共サービス施設
- 志賀町立志賀図書館
- 志賀町立富来図書館
- 志賀町文化ホール
- 能登中核工業団地 コミュニティ施設
- 志賀町総合体育館
- 志賀町総合武道館
- 志賀町陸上競技場
- 志賀町多目的スポーツセンター
- 富来勤労者体育センター
- ほか
警察
消防・防災・救急救命
消防
- 羽咋郡市広域圏事務組合消防本部 管轄 [80]
- 志賀消防署
- 志賀消防署富来分署
- 志賀町消防団 :全16分団(旧志賀町消防団8分団、旧富来町消防団8分団[50])。[81]
救急救命
防災
防災システム
- 志賀町ケーブルテレビネットワークとIP告知放送システム :cf. 2008.
災害時応援協定
災害時等相互応援協定締結都市は以下のとおり。
水道事業
- 志賀地区上水道 :給水人口13,138人(2011年度)。水源は深井戸。水源15か所、浄水場7か所、配水池10か所。[84][85]
- 富来地区上水道 :給水人口7,317人(2011年度)。水源は、表流水、深井戸、一部伏流水。水源8か所、浄水場5か所、配水池12か所。
- 熊野地区簡易上水道 :給水人口538人(2011年度)。水源は深井戸。水源2か所、浄水場1か所、配水池1か所。
- 鵜野屋地保飲料水供給施設 :水源は伏流水。水源1か所、浄水場1か所、配水池1か所。
- し尿処理施設
- 羽咋郡市広域圏事務組合 衛生センター :関係区域は羽咋郡市。羽咋市東釜屋町東区80番地に所在。[86]
清掃事業
各分野の主な公共施設ほか。
清掃
- 志賀クリーンセンター
- 羽咋郡市広域圏事務組合リサイクルセンター(愛称:クリンクルはくい) :2003年(平成15年)3月に竣工し、供用開始。羽咋市滝谷町ヌ30番地。ごみ資源化施設であり、ごみ燃料化施設でもある[86]。[87][88]
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}石川北部RDFセンター :石川北部アール・ディ・エフ広域処理組合施設[48]。ごみ燃料化施設(当地域ではクリンクルはくい)でRDF化(廃棄物固形燃料化)したゴミを発電燃料として活用する施設で、志賀町矢駄11字103番地に所在し、周辺地域の5組合(河北郡市広域事務組合、輪島市穴水町環境衛生施設組合、七尾鹿島広域圏事務組合、羽咋郡市広域圏事務組合、奥能登クリーン組合)の管轄区域から出るRDFを活用を担う[48][87][89]。cf. 2000, 2002, 2003.
- 羽咋郡市広域圏事務組合 木材資源化センター :海岸漂着流木および火災残渣をチップ化し、パルプ原料、肥料原料、マルチング材として加工する施設。羽咋郡宝達志水町針山寅1番2に所在。[90][86]
姉妹都市・提携都市
日本国内
日本国外
立法
町議会
選挙区
司法
裁判所
検察庁
郵便事業
- 福浦郵便局
- 高浜郵便局
- 下甘田郵便局
経済
かつては繊維工業で栄えた。現在では電気機械の製造が盛んである。現在の志賀町は、若葉台地区に設けた能登中核工業団地(1977年第一次工事着工、1979年竣工。[11])、および、堀松工場団地で広く企業誘致を行っており[94]、多くの製造業者の工場が参集している[95][96]。
- cf. ≪外部リンク≫ “団地企業 - 進出企業一覧”. (公式ウェブサイト). 志賀町. . 2012閲覧.
- cf. ≪外部リンク≫ “周辺企業 - 進出企業一覧”. (公式ウェブサイト). 志賀町. . 2012閲覧.
製造業等
地元企業は創業の早い順、誘致企業は当地域への誘致実績が早い順に記載する。グループ企業の場合は最も早期に実績がある所属企業に連ねて他も記載する。
電力業
- 北陸電力 志賀原子力発電所 :1993年(平成5年)7月30日、営業運転開始。cf. 1967, 1972, 1980, 1988, 1993, 1999, 2007, 2012.
- 北陸電力 志賀太陽光発電所 :2011年(平成23年)3月12日、営業運転開始。cf. 2010.
- 日本海発電 福浦風力発電所 :2011年(平成23年)1月31日、本格営業運転開始。cf. 2007, 2009, 2011.
- 石川北部アール・ディ・エフ広域処理組合 石川北部RDFセンター :2003年(平成15年)1月3日、RDF発電を開始(公共業務運転開始)。cf. main.
その他
- 日高グループ 日高機械 :志賀町徳田で1962年(昭和37年)2月創業[97]。木工機械。
- 日高グループ 田辺鉄工所 志賀工場 :志賀町堀松で1962年(昭和37年)開設[98]。木工機械。
- 石川サンケン 志賀サンケン工業(1964年11月創立) 志賀工場・堀松工場 :半導体。[99]
- 和泉工業 工場 :1968年(昭和43年)に新設移転[100]。産業用機械。
- ノリタケコーテッドアブレーシブ 能登工場 :1974年(昭和49年)1月開設[101]。研磨布紙。
- エナジーサポート・グループ 北陸エナジス :1981年(昭和56年)4月、北陸高松電機(現・北陸エナジス)設立[102]。高圧開閉器。
- ノトアロイ :1984年(昭和59年)7月10日設立[103]。超硬質合金。
- エイ・エム・シィ :1985年(昭和60年)4月設立[104]。金型。
- 羽咋丸善鍛造部 志賀第1工場・志賀機械工場 :1987年(昭和62年)に平鍛造株式会社(現・羽咋丸善鍛造部)志賀工場開設、1990年(平成2年)に平鍛造株式会社 志賀機械工場開設[105]。ベアリング軸受。
- 上田鍍金 北陸工場 :1992年(平成4年)開設[106]。リードフレーム等の鍍金。
- 日機工業 石川工場 :1989年(平成元年)4月に志賀町で創業した日機プレシジョン株式会社を1995年(平成7年)8月に吸収合併して石川工場にする。精密機器部品。[107]
- 日立メディアエレクトロニクス 北陸工場 :1995年(平成7年)に日立ハイテクノ(現・北陸工場)を統合して社名を変更[108]。携帯電話部品。
- サンケンオプトプロダクツ :1999年(平成11年)設立[109]。冷陰極蛍光管。
- サンケンロジスティクス 石川事業所 :2003年(平成15年)8月13日開設[110]。物流。
- アースエンジニアリング 志賀工場 :2001年(平成13年)3月開設[111]。環境関連設備。
- シグマ光機 能登工場 :2001年(平成13年)3月開設[112]。光学装置用基本機器。
- 古河電工産業電線 北陸工場 :電線ケーブル。[113]
- アクセスケーブル[114] 北陸工場 :情報通信ケーブル。[115]
- 高槻電器工業 石川工場 :2007年(平成19年)開設[116]。電子部品。
- NTN 志賀製作所 :2009年(平成21年)設立[117]。大形軸受・建設機械用等の鍛造部品。
- NTN 能登製作所 :2010年(平成22年)12月設立[118]。産業機械用軸受および機械部品。
- UHT 能登工場 :工業・医療用エアーモーター。[119]
- ケースリー 北陸工場 :工業用ゴム製品。[120]
- エコラボジャパン 志賀工場 :業務用洗剤。[121]
- インパック 能登事業所・能登工場 :花関連資材。[122]
水運業・水産業
水運業
水産業
地域
教育機関
高等学校
- 石川県立志賀高等学校
- 2009年(平成21年)3月31日に石川県立富来高等学校と石川県立高浜高等学校が閉校して統合し、翌4月1日、改めて石川県立志賀高等学校として開校(創立)した。
中学校
- 志賀町立志賀中学校
- 2007年(平成19年)4月1日、志賀町立志賀中学校と志賀町立高浜中学校が合併、新生・志賀町立志賀中学校となった。
- 志賀町立富来中学校
小学校
- 志賀町立志賀小学校
- 志賀町立富来小学校
幼稚園
- すばる幼稚園
保育所
- 志賀町立高浜保育園
- 志賀町立志加浦保育園
- 志賀町立土田保育園
- 志賀町立中甘田保育園
- 志賀町立とぎ保育園
- 私立乳幼児保育園 [126]
マスメディア
- 志賀町ケーブルテレビネットワーク :cf. 2008.
斎場
羽咋郡市広域圏事務組合管轄区域にあり、火葬業務を行う斎場(火葬場)は以下の2箇所である[127][128]。
交通
航空交通
水上交通
北前船の隆盛期には、福浦湊(福浦港)や安部屋湊(あべやみなと、安部屋港)[34]、高浜湊(高浜港)などを拠点とする繁栄を見せた。1683年(天和3年、江戸時代前期)に羽咋郡安部屋村(明治時代以降の石川県羽咋郡志加浦村安部屋、現在の志賀町安部屋)で生を受け、先に蝦夷地に渡って北前船廻船問屋「阿部屋」を興した張江家の使用人から独立した初代・村上伝兵衛は[34]、当地域と松前藩および蝦夷地を結ぶ象徴的存在である。北前船の繁栄が遠い昔となった現代では、福浦港は地方港湾に、他は地元漁港となっている(cf. #水運業・水産業)。
陸上交通
1972年(昭和47年)6月25日に北陸鉄道能登線が全線廃止されたことにより、地域内の鉄道駅(甘田駅、大島駅、能登高浜駅、志賀町駅、堀松駅、大笹駅、米町駅、直海駅、三明駅)は全て廃駅となり、これ以降、当地域は鉄道空白地帯となった。
- アクセス情報における移動所要時間は志賀町中心部(志賀町高浜町)を基準とする。
- JR羽咋駅から車で約20分、北陸鉄道バス(富来・高浜方面行き)で約30分。
- JR羽咋駅までは、JR金沢駅から特急列車で約30分、普通列車で約1時間。
- JR金沢駅からは北陸鉄道の急行バスも運行あり(高浜・富来方面行き)、所要時間約1時間30分。
- 自動車では、金沢市方面からのと里山海道で約50分(西山ICから志賀町中心部[志賀町高浜町]までは約5分)。
道路
旧街道
- 外浦街道(能登外浦街道) :国道249号のうち、羽咋郡市近辺部分の前身。
- 浜街道
- 中道通
- 土田街道 :加茂地区の安津見から奥山峠を越えて田鶴浜に通じる。
- 得田街道(とくだかいどう) :堀松地区の吉田から七尾西湾の大津に通じる。
現代の道路
道の駅
陸上公共交通
- 路線バス
- コミュニティバス
- 志賀町コミュニティバス :cf. 2002.
- まごころバス :高浜地区市街地を走る。無料。
- なないろバス :高浜地区市街地と郊外を結ぶ7路線。有料。
- 富来地域コミュニティバス :富来地区市街地と郊外を結ぶ6路線。有料。
- 志賀町コミュニティバス :cf. 2002.
名所・旧跡・観光地・行楽地・娯楽施設・祭事、ほか
{{safesubst:#invoke:Anchor|main}}名所・旧跡・観光地
自然物、自然物主体の名所
社寺
- 高爪神社 :かつての高爪山六所宮。木板彩画六所宮懸仏(国の重要文化財)、木造薬師如来坐像(県指定有形文化財)が伝わる。cf. a, 703, 1208, 1275, 1576, 1585, 1868, 1964.
- 松尾神社 :本殿は国の重要文化財。拝殿は県指定有形文化財[131]。cf. 834, 1559, 1980.
- 冨木八幡神社 :cf. 750, 1217, 1576, 1671.
- 堀松八幡神社 :cf. 1573.
- 末吉日吉神社 :cf. 1040年.
- 長龍寺 :江戸時代中期に作られたとされる庭園で知られる。cf. 1449, a.
- 来入寺 :真宗大谷派の古刹。cf. 1558.
旧跡
城や居館については「城址」「城跡」「館跡」とすべきところを略記する。
- 富木城(とぎじょう) :別名 富来城、岡野城。東増穂地区の八幡(やわた)にあった丘城。
- 木尾嶽城(きおだけじょう) :別名 木尾城、城ヶ根城。稗造地区の貝田に所在した山城。
- 石田館 :土田地区の徳田にあった館。
- 得田館 :土田地区の徳田にあった館。
- 舘開城 :別名 徳田城。土田地区の舘開(たちひらき)にあった丘城。
- 青谷城 :土田地区の徳田にあった山城。
- 末吉城 :堀松地区の末吉(すえよし)にあった丘城。cf. 1394, 1573, 1576.
- 平式部館 :志加浦地区の安部屋は町地区の浄真寺にあった館。cf. 1577.
- 舘城 :下甘田地区の舘(たち)にあった平城。
- 土田城 :下甘田地区の大坂にあった丘城。
- 地頭町中世墳墓窟群(じとうまち ちゅうせい ふんぼくつぐん) :志賀町富来地頭町に所在。[132]
- 平家庭園(たいらけ ていえん) :平式部大夫を祖とする平家(ひらかけ、たいらけ。cf. 1183)居館の池泉観賞式[* 4]書院庭園。県指定名勝。[36] cf. a.
- 長龍寺庭園 :江戸時代中期に作られたとされる庭園で、山裾を築山に見立てた山畔池泉一式。鹿谷園とも称。土田地区の谷屋に所在。cf. a.
- 旧福浦灯台 :日本最古の木造灯台(※正確に定義すれば、日本に現存する最古の、擬洋風建築による木造灯台、西洋型の木造灯台)。県指定史跡。cf. 1876, 1907, 1908, 1952.
- 福浦灯台 :旧福浦灯台に替わって現在稼動中の鉄筋コンクリート製灯台。cf. 1952.
- 大島諸願堂(おしま しょがんどう) :室町時代に建てられた難破船乗組員供養のための石積六角地蔵塔。cf. a.
- 腰巻地蔵
その他の施設
- 高山右近の碑 :マニラへ国外追放されたキリシタン大名・高山右近の子孫が、加賀藩当時の右近に与えられた知行地であると思われる末吉の地に密かに戻っていたという伝説に基づいて建立された。堀松地区の矢蔵谷地内に所在。[133]
- 加能作次郎文学碑 :西海風戸に所在。cf. 1952.
- 松本清張歌碑 :小説『ゼロの焦点』で描かれたヒロインの悲運を美しく詠っている松本清張の歌碑[134]。富来牛下巌門に所在。
- 坪野哲久・山田あき歌碑 :高浜生まれの歌人・坪野哲久とその妻・山田あきの歌碑。
- 作次郎ふるさと記念館 :西海風戸出身の著作家・加能作次郎の記念館。富来領家町に所在。cf. 2007.
- アリス館志賀
{{safesubst:#invoke:Anchor|main}}行楽地・娯楽施設等
- 増穂浦海水浴場 :「日本の水浴場55選」「日本の水浴場88選」選定物件。cf. 1998, 2001.
- 大島海水浴場 :「日本の水浴場88選」選定物件。cf. 2001.
- 能登リゾートエリア増穂浦 :増穂浦海水浴場に面したリゾートサイト。大島キャンプ場を含む。
- サンセットヒルイン増穂
- 能登金剛温泉
- 能登・志賀の郷温泉
- いこいの村能登半島
- 花のミュージアム フローリィ
- 海士埼灯台 :cf. 1953.
{{safesubst:#invoke:Anchor|main}}祭事・恒例イベント
文化財
国の重要文化財として、松尾神社本殿 (cf. 834, 1559, 1980)と、高爪神社の木板彩画六所宮懸仏 (cf. 1275, 1964) がある。
- {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}“志賀町の文化財”. 大好き 志賀町!(個人ウェブサイト). 個人 (2008年3月). . 2012閲覧.
特産物
近世の主要な特産物には、安部屋晒布(あべやさらし)、安部屋瓦(あべやかわら)、安部屋縮/安部屋縮織(あべやちぢみ、あべやちぢみおり)などがある[18]。近現代の主要特産物としては、ころ柿(干し柿)、スイカ、能登牛などを挙げることができる。
志賀町を舞台とした作品
文学
映画
著名人
出身著名人
志賀町とその前身地域および前身自治体で生まれた著名人を挙げる。「???生まれ」とあるのは、誕生時に所属していた前身自治体名が特定できない(特定するに足る情報が得られない[* 9])ことを意味する。
江戸時代の生まれ
- 日野資信(日野長兵衛資信) :1608年(慶長13年、江戸時代初頭)、篝火による私設灯台を福浦湊(福浦港)近くに設営し、運用を日野家家伝とした地元・福浦村の名士。
- 初代村山伝兵衛 :蝦夷地開拓民、場所請負人、実業家[34]。1683年(天和3年、江戸時代前期)、能登国羽咋郡安部屋村(後世の石川県羽咋郡志加浦村安部屋、現在の志賀町安部屋)生まれ[34]。
- 山田市郎右衛門 :蝦夷地開拓民、実業家(漁業経営者、「山田屋」創業者)[34]。歴代・山田文右衛門の祖。1794年(寛政6年、江戸時代中期)、能登国羽咋郡神代村(後世の石川県羽咋郡堀松村、現在の志賀町神代[かくみ])生まれ[34]。
明治生まれ
- 日野吉三郎 :福浦村の名士。旧福浦灯台の設営者(篝火から灯明堂に変化していた灯台に替えて、1876年[明治9年]、西洋型の木造灯台「福浦灯台」を新築した)。
- 加能作次郎 :著作家。1885年(明治18年)1月10日、西海村風戸(現・志賀町西海風戸[さいかい ふと])生まれ。cf. 1952, 2007.
- 端野いせ :「岸壁の母」のモデルとなった女性 (cf. 1954)。1899年(明治32年)9月15日、富来村(現・志賀町富来町)生まれ。
- 南好雄 :政治家、運輸大臣。1904年(明治37年)1月29日、高浜町(現・志賀町高浜町)生まれ。
- 坪野哲久 :歌人。1906年(明治39年)9月1日、高浜町(現・志賀町高浜町)生まれ。
- 南政善 :画家。1908年(明治41年)5月3日、志加浦村川尻(現・志賀町川尻)生まれ。
昭和生まれ
- 桜井勇 :文化人。1930年(昭和5年)、???生まれ。
- 室矢芳隆:元陸上競技選手(中距離走)。1930年(昭和5年)4月6日、中甘田村大島(現・志賀町大島)生まれ。日本代表として1952年(昭和27年)の第15回ヘルシンキオリンピックと1956年(昭和31年)の第16回メルボルンオリンピック男子800メートル競走に二度出場。また、1958年(昭和33年)に第3回アジア競技大会で優勝した。
- 寺越武志 :叔父らと共に北朝鮮による拉致疑惑を取り沙汰される[* 5]北朝鮮に渡った日系朝鮮人。1950年(昭和25年)、高浜町(現・志賀町高浜町)生まれ[41][42]。cf. 「#寺越事件 1963」、「寺越友枝」。
- 三山節子 :漫画家。1952年(昭和27年)4月3日、富来町(現・志賀町富来町)生まれ。
- 掛田誠 :俳優。1956年(昭和31年)10月10日、志賀町酒見生まれ[136]。
- 小松辰雄 :元プロ野球選手(投手)。1959年(昭和34年)5月10日、富来町(現・志賀町富来町)生まれ。
- Dio Kobayashi :サーカスパフォーマー。1972年(昭和47年)8月28日、志賀町高浜町生まれ。
- 板倉美紀 :元陸上競技選手(競歩)。1975年(昭和50年)8月1日、志賀町倉垣生まれ。
- 中林祐介 :元プロ野球選手(投手)。1983年(昭和58年)8月25日、志賀町宿女生まれ。
ゆかりある著名人
出身者ではないが、育った、活動したなど、当地域にゆかりの深い著名人を挙げる。
脚注
注釈
- ↑ 林野面積 :現況森林面積に森林以外の草生地(野草地)の面積を加えた面積。
- ↑ 当時、日本側の入国窓口は大宰府のみであったが、渤海国にある出航港との位置関係から到着することは技術的に難しく、決まって日本海の主要港に寄港していたため、日本側が折れて渤海使に例外を認め、能登国の福良津と若狭国の気比松原を正式な寄港地・入国指定地域に定めてそれぞれに客院(国賓宿泊施設)を設けた。
- ↑ 灯明台(とうみょうだい):篝屋(かがりや)とも称。江戸時代に作られるようになった灯台の一種で、石積みの台の上に小屋を建て、その中で木を燃やす仕組みを持ったもの。
- ↑ 4.0 4.1 池泉観賞式(ちせんかんしょうしき)とは、池泉式(池と泉から成る)日本庭園の一様式で、書院など室内から見て楽しむように作庭されたもの。
- ↑ 5.0 5.1 救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)認定被害者。日本政府、非認定。
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- ↑ 第九管区海上保安本部の資料では「七海漁港(しつみ ぎょこう)」であるが、国土地理院公式資料および志賀町公式資料の字名は「七海(ひつみ)」である。
- ↑ 例えば、出典に「志賀町出身」とあるだけでは、他と同様に「現在の志賀町内」(当時は他所だが略して記さず)という意味か、「当時の志賀町」という意味か、文意を掴むことはできない。
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関連項目
外部リンク
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