志筑藩
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志筑藩(しづくはん)は、常陸国新治郡志筑(現在の茨城県かすみがうら市)周辺を知行した小藩。藩庁は志筑陣屋に置かれた。厳密には藩(大名領)として存在したのは明治維新後の短期間であり、それまでは江戸時代の全期を通じて旗本領であった。
概要
関ヶ原の戦いの後、慶長7年(1602年)に常陸国主佐竹氏が出羽国秋田に減転封されたのと入れ替わりに、上杉攻めで功あった出羽国本堂城(秋田県美郷町)主の本堂茂親が常陸国新治郡志筑に8500石で入部、茂親は旗本・交代寄合となり、正保2年(1645年)に同地に陣屋を構え、その後廃藩置県まで本堂氏10代が領主としてこれを治めた。
10代親久のとき明治維新を迎え、その直後の石直しで新田2110石分が認められ、都合1万0110石の大名として諸侯に列した。
幕末に活躍した新撰組隊士・のち御陵衛士の伊東甲子太郎・鈴木三樹三郎兄弟は本藩の出身である。
歴代領主
- 本堂家
8,500石→8,000石→10,110石
- 本堂茂親
- 本堂栄親 - 弟・親澄に500石分与
- 本堂玄親
- 本堂伊親
- 本堂苗親
- 本堂豊親
- 本堂親房 - 板倉勝清の子。大番頭となる。
- 本堂親庸
- 本堂親道
- 本堂親久 - 石直しで新田2110石分が認められ、都合1万0110石の諸侯に列す
幕末の領地
明治維新後に新治郡5村(旧幕府領5村、旧旗本領1村)が加わった。なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。
先代: (常陸国) |
行政区の変遷 1868年 - 1871年 (志筑藩→志筑県) |
次代: 新治県 |