志摩マリンレジャー

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志摩マリンレジャー株式会社(しまマリンレジャー、Shima Marine Leisure Co., LTD)は、日本海運業者近鉄グループに属し、三重県鳥羽市と同県志摩市観光遊覧船や定期船を運航している。

近畿日本鉄道子会社である近鉄レジャーサービスの子会社である。

事業所

  • 本社:三重県鳥羽市鳥羽一丁目2383番地51(鳥羽マリンターミナル内)
  • イルカ島営業所:三重県鳥羽市小浜町628番地(イルカ島)
  • 賢島営業所:三重県志摩市阿児町神明752番地11(賢島

現行航路

遊覧船

あご湾定期船

  • 賢島〜浜島航路
    • 浜島 → 御座 → 浜島 → 御座 → 賢島
    • 賢島 → 御座 → 浜島 → 御座 → 賢島
  • 賢島〜和具航路

過去の航路

沿革

創立期

当初は自動車運輸業者として会社を設立、後に航路を他の事業者から譲り受け海運業に転向する。

  • 1927年(昭和2年)4月15日 - 真珠湾交通株式会社[注 1]として設立。
  • 1936年(昭和11年)9月 - 浜島 - 鳥羽航路を志摩通運より譲受。
  • 1943年(昭和18年)9月 - 自動車運輸事業を三重乗合自動車(三重交通の前身の1社)に譲渡。
  • 1944年(昭和19年)4月 - 鳥羽湾交通株式会社を合併し、志摩航運株式会社に改称。
  • 1946年(昭和22年)10月 - 賢島 - 尾鷲航路を開設、的矢湾航運合名会社を合併。

拡大期

第二次世界大戦後は数社を合併したり、遊覧船の運航を開始するなど事業拡大を推進した。最盛期には三重県のみならず和歌山県にも進出した。

  • 1951年(昭和26年)4月 - 志摩観光汽船株式会社に社名変更。
  • 1952年(昭和27年)5月 - 鼓ヶ浦、霞ヶ浦[注 2]で出張営業を実施。
  • 1953年(昭和28年)7月 - 鳥羽湾納涼船の運行を開始。
  • 1956年(昭和31年)3月 - 観光鳥羽汽船有限会社から事業を譲受。
  • 1958年(昭和33年)
    • 4月 - 渡鹿野航路(的矢湾巡航)の運航を開始[4]
    • 6月 - 伊勢商船株式会社から事業を譲受。
  • 1959年(昭和34年)
  • 1962年(昭和37年)7月 - 名古屋~鳥羽~蒲郡間で水中翼船を就航。
  • 1964年(昭和39年) - 和歌山県の勝浦観光汽船株式会社を合併し、志摩勝浦観光汽船株式会社に改称する。
  • 1966年(昭和41年) - 鋼船「五十鈴」・「あさま」を導入。
  • 1969年(昭和44年)
    • 5月 - 鳥羽湾めぐり遊覧船乗り場を岩崎桟橋から佐田浜桟橋に移転。
    • 7月 - 鳥羽~蒲郡間にホバークラフトを就航。
  • 1970年(昭和45年)7月 - 本社を鳥羽港湾センター[注 3]に移転。

再編期

和歌山県の事業を分離し、事業の再編に着手するようになる。親会社の近畿日本鉄道の伊勢志摩での事業再編計画もあり、2度の会社清算と新会社への移行が行われ、現在に至る。近鉄志摩観光汽船は最高で年商約12億円を記録したものの、1998年(平成10年)度には半分まで落ち込んだうえ、約4億円の赤字を計上、約22億円の累積負債を抱えていた[5]

  • 1973年(昭和48年)3月 - 和歌山県(勝浦地区)での事業を会社から切り離し、近鉄志摩観光汽船株式会社に改称。
  • 1975年(昭和50年)3月 - イルカ島にトンネルが開通。
  • 1985年(昭和60年)7月1日 - 渡鹿野航路から撤退[2]
  • 1995年(平成7年)4月3日 - 志摩マリンレジャー株式会社設立[6]。この時点では、近鉄志摩観光汽船は存続する。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月31日 - 五ヶ所湾航路から撤退[3]。翌日から南勢町営バス(現・南伊勢町営バス)が運行開始。
    • 5月 - 近鉄志摩観光汽船が志摩マリンレジャーに事業譲渡、清算[6]
  • 2008年(平成20年)
    • 10月1日 - 近鉄レジャーサービスが志摩マリンサービス株式会社を設立[6]
    • 12月1日 - 志摩マリンレジャーが志摩マリンサービスに事業を譲渡、同時に以下のように社名変更が行われる予定[6]
      • (譲渡側)志摩マリンレジャー株式会社⇒志摩マリン開発株式会社
      • (譲受側)志摩マリンサービス株式会社⇒志摩マリンレジャー株式会社
    • 12月10日 - 志摩マリン開発の解散決議。
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 鳥羽マリンターミナルが供用開始、本社を同ターミナルに移転。
  • 2012年(平成24年)5月21日 - 金環日食に合わせて、鳥羽湾と英虞湾で観測クルーズを実施[7]
  • 2016年(平成28年)5月21日5月28日 - 第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)の開催に伴い、賢島 - 和具航路の賢島側発着港を志摩地中海村に変更[8][9]。志摩地中海村から鵜方駅まではシャトルバスが運行される[9]。また賢島 - 浜島航路の御座 - 賢島間を運休[9]

主な保有船舶

  • 龍宮城 - 鳥羽湾めぐり航路で就航。名前の通り龍宮城をイメージしたデザインになっている。
  • いせじ - 船上バーベキュー航路で就航。緑色赤色で塗装された蒸気船スタイルの船舶。
  • フラワーマーメイド - 鳥羽湾めぐり航路で就航。船体にが描かれている。
  • エスペランサ - あご湾めぐり航路で就航。大航海時代スペイン帆船風の船舶で、別途入室料の必要な特別室「イザベラ」を持つ。

脚注

注釈
  1. 真珠湾とは、ハワイパール・ハーバーではなく、三重県志摩市の英虞湾を指す。
  2. 霞ヶ浦とは、茨城県霞ヶ浦ではなく、三重県四日市市沖の海域を指す。
  3. 鳥羽港湾センターは、鳥羽港佐田浜桟橋に隣接して建っていたビルで、志摩マリンレジャーと鳥羽市営定期船の待合室、切符販売窓口、ゲームセンター商店などが入居していた。2011年(平成23年)4月にすべての機能を鳥羽マリンターミナルに譲り閉鎖。2011年6月現在建物は残っているが、取り壊しが決まっている。
出典
  1. 観光地点等分類ごとの入込客数”. 三重県雇用経済部 観光・国際局 観光政策課. 2015年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2015閲覧.
  2. 2.0 2.1 磯部町史編纂委員会 編(1997):1281ページ
  3. 3.0 3.1 五ヶ所湾ふるさとの会"南勢町の紹介"<ウェブ魚拓>(2013年5月13日閲覧。)
  4. 磯部郷土史刊行会 (1963):330ページ
  5. "脱「近鉄依存」を模索 伊勢志摩観光(リポートみえ)"朝日新聞2000年2月2日付朝刊、三重18ページ
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 子会社の解散および清算に関するお知らせ (PDF)”. 近畿日本鉄道 (2008年11月11日). . 2017閲覧.
  7. 丸山崇志・片山健生・渡辺大地"金環日食どこで観測? 各地で催し企画 英虞湾などクルーズも"中日新聞2012年5月18日付朝刊、伊勢志摩版
  8. 「賢島の規制開始5月21日で調整」中日新聞2016年3月29日付朝刊、10版1ページ
  9. 9.0 9.1 9.2 志摩市市長公室 編(2016):7ページ

参考文献

  • 磯部郷土史刊行会 編『磯部郷土史』磯部郷土史刊行会、昭和38年5月10日、506p.
  • 磯部町史編纂委員会 編『磯部町史 下巻』磯部町、平成9年9月1日、1340p.
  • 志摩市市長公室 編『広報しま 2016年5月号 Vol.195』2016年5月、志摩市市長公室、32p.
  • 鳥羽市観光協会50周年記念誌編纂委員会 編『鳥羽の観光50年』鳥羽市観光協会、昭和55年9月15日、289p.

関連項目

外部リンク