彼杵郡
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郡域
概ね現在の下記の区域にあたるが、行政区画として画定されたものではない。
- 長崎市の大部分(戸石町、上戸石町、船石町、中里町、古賀町、松原町以東および宿町、芒塚町、田手原町、早坂町、三景台町、田上、茂木町、宮摺町、大崎町、千々町、藤田尾町、布巻町、椿が丘町、川原町、宮崎町、脇岬町より南東を除く)
- 佐世保市の一部(庵浦町、野崎町、赤崎町、小島町、鵜渡越町、矢岳町、東大久保町、清水町、中通町、横尾町、春日町、桜木町、赤木町、田代町、小佐世保町、木風町、日宇町、黒髪町、心野町より南東および烏帽子町の一部)
- 諫早市の一部(多良見町各町)
- 大村市・西海市・西彼杵郡・東彼杵郡の全域
歴史
彼杵の郡名の由来は諸説あるが、「肥前国風土記」では景行天皇が土蜘蛛と称された現地の豪族から得た玉を賞してこの地を「具足玉国(そないたまのくに)」と命名したとの故事を記し、転訛して彼杵と称するようになったとしている。
郡衙は現在の大村市内に置かれていたと推定されている。
近世以降の沿革
- 所属町村の変遷は西彼杵郡#郡発足までの沿革、東彼杵郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は長崎奉行が管轄。(1町64村)
- 慶応4年
- 明治2年6月20日(1869年7月28日) - 長崎府の管轄地域が長崎県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治5年(1872年) - 高来郡脇御崎村・為石村・布巻村が本村の一部となる。
- 明治11年(1878年)10月28日 - 郡区町村編制法の長崎県での施行により、彼杵郡のうち、上長崎村ほか1町172村および高来郡日見村・茂木村・川原村・樺島村の区域に西彼杵郡が、大村町ほか1町172村の区域に東彼杵郡がそれぞれ行政区域として発足[1]。同日彼杵郡消滅。
脚注
- ↑ 明治初年の町村の再編により、町村数の合計は「旧高旧領取調帳」の記載とは一致しない。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代: ----- |
行政区の変遷 - 1878年 |
次代: 西彼杵郡・東彼杵郡 |