廣田神社
廣田神社(ひろたじんじゃ)は、兵庫県西宮市にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
祭神
- 主祭神
伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と御同体
- 脇殿神
歴史
日本書紀に当社の創建のことが書かれている[1]。神功皇后の三韓征伐に出発する際、天照大神の神託があり、和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうと言った。皇后の留守の間に忍熊王が神功皇后とお腹の中にいる皇子(後の応神天皇)を亡きものにしようと明石で待ち伏せていた。戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指した。しかし、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣があった。「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」と。そこで皇后は、山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られた。これが廣田神社の創建である。このとき、生田神社・長田神社・住吉大社に祀られることになる神からも託宣があり、それぞれの神社の鎮座が行われた。すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができた。
朝廷より篤い崇敬を受け、『延喜式神名帳』では名神大社に列し、二十二社の一社とされ、たびたび奉幣勅使の派遣があった。平安時代後期より、神祇伯白川家との関係が深く、代替わりのごとに当社に参詣していた。中世には和歌の神として信仰されるようになり、社頭にて何度か歌合せが行われている。
当初は甲山山麓の高隈原に鎮座し、後に御手洗川のほとりに遷座したが、水害のため、享保9年(1724年)に現在の西山の地に遷座し、1945年、空襲による全焼までは西側の廣田山に鎮座していた。戦後、その東側の現在地に移転した。明治4年(1871年)には官幣大社に列格した(兵庫県で最初。伊弉諾神宮は1931年に列格)。かつて「向か津峰」と呼ばれた六甲山全山は、元は廣田神社の社領であったという[2]。六甲山大権現を古くからの祭神とする六甲山神社(むこやまじんじゃ石の宝殿=現廣田神社の摂社)と六甲比命神社(むこひめじんじゃ)がかつての奥宮と考えられる。六甲比命神社は、インドの渡来僧法道仙人によって大化の改新の頃に、付近の心経岩・雲ヶ岩とともに、唐櫃(からと)の吉祥院多聞寺 (神戸市北区)(本尊は毘沙門天・吉祥天・禅膩師童子)奥の院とされた。 六甲山東麓の社家郷山は廣田神社宮司家の所有地であったその名残という。 昭和20年に空襲によって社殿を焼失、現在の本殿は伊勢神宮荒祭宮の旧社殿を譲り受けて昭和31年に竣工したものである。平成13年に鎮座1800年の喜節を迎えた。
廣田神社を中心とする神社群は、京から西国方向を目指す街道上にある神社ということで「西宮」(にしのみや)とも呼ばれていた。「西宮」の語は、後に廣田神社の神郷一帯(現在の神戸市東部から尼崎市西部まで)を指すようになったが、行政区画では廣田神社が武庫郡大社村、戎社(現・西宮神社)が西宮町となり、現在は町村合併により西宮市に含まれている。えべっさんで有名な西宮神社は元は広田の摂社、浜南宮で、西宮神社境内の南宮神社がその原型といえる。
摂末社
摂社
- 境内社
- 齋殿神社 - 神功皇后の命を受けて、天照大神御魂を広田の地に祀った葉山媛命を祀る。例祭日は5月8日
- 元は境外にあったが、享保12年に境内に遷座した。
- 元は独立の神社で、明治6年に村社に列格した。大正6年に廣田神社境内へ移転したが、第二次大戦で社殿を失い、本殿に合祀された。平成2年に社殿が再建された。
- 境外社
- 元は独立の神社で、明治11年に当社の摂社となった。
- 元は独立の神社で、明治11年に当社の摂社となった。神戸女学院大学キャンパス内にあるため、学校関係者以外が参拝するためには事前に有印文書による許可申請が必要となる。
- 南宮 - 西宮神社境内。例祭日は9月22日
- 若宮神社 (西宮市高座町) - 祭神:不明。例祭日は4月第2土曜
末社
- 境内社
- 五末社(八坂神社・子安神社・春日神社・地神社・稲荷神社)
- 松尾神社
- 境外社
西宮神社(西宮戎)も元は浜南宮と呼ばれ、当社の境外摂社であった。
その他
- 境内にはコバノミツバツツジの群落があり、総数2万株に及ぶ。このツツジ群落は兵庫県指定天然記念物である。
- 阪神タイガースが全選手・監督・コーチをそろえて毎年キャンプイン前の1月に廣田神社(武運長久⇒優勝を祈願)に参拝する行事は、球団創立時からの伝統である。
- 神功皇后の新羅征伐からの帰還伝説に依拠すると思われる廣田神社・西宮神社の夏祭御神幸が戦国時代まで行われていた。やはり、神功皇后に従って先祖が出兵したとの伝説を持つ北風家等がある和田岬(輪田岬)まで、往路は数百艘の船で、復路は陸路で馬に乗った一群の辰馬・八馬・葛馬・乙馬(おつま/おとま)・音馬・小上馬・六馬・七馬・十馬・中馬・大黒馬・一馬・大徳馬・小唐馬・善茂馬などの家の者が付き従った。
- 主祭神の天照大神荒魂とは、瀬織津姫のことであったとする説がある。戦前の由緒書きには、瀬織津姫を主祭神とすることが明確に記されていた。
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
- 西宮北口駅(阪急神戸線)から、阪急バス(甲東園行き)で「広田神社前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
- 西宮駅(JR神戸線)から、阪急バス(甲東園行き)で「広田神社前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
- 西宮駅(阪神本線)から、阪神バス(山手東廻り)で「広田神社前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
関連図書
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、51頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、296-297頁
- 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、206-207頁