広島東洋カープ (ファーム)

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チーム名 広島東洋カープ
会社名 株式会社広島東洋カープ
加盟団体

創設年度 1950年
チーム名の遍歴

本拠地 広島東洋カープ由宇練習場

広島東洋カープ(ひろしまとうようカープ、Hiroshima Toyo Carp)のファームは、日本プロ野球球団・広島東洋カープの下部組織として設置されている二軍チームである。ウエスタン・リーグの球団のひとつ。

本拠地

1996年より山口県岩国市にある広島東洋カープ由宇練習場を本拠地としている。

過去の本拠地

歴史・概要

1950年、広島カープ一軍と同時に創設された。同年2月26日松竹ロビンスとオープン戦を行った記録が残されている(4-4で引き分け)[1]

ウエスタン・リーグの事実上の前身である関西ファーム・リーグには参加しておらず、1954年の新日本リーグ参加が本格的な二軍としての始動であった。新日本リーグでは一軍と別に球団名・本拠地を定めることになり、広島在住の作家・畑耕一の案で一軍の名称候補の一つに挙がっていた「グリーンズ」を採用[2]。本拠地は呉市の二河野球場に置かれた。

1955年、関西ファーム・リーグを改組する形でウエスタン・リーグが発足し、グリーンズも参加する。1956年に球団名を広島カープグリナーズへ改称、1958年には一軍と同じ広島カープとなるが、1968年に経営難で東洋工業(現マツダ)の支援を受けたことから一軍と共に広島東洋カープへ改称する。

本拠地は1980年代後半より沼隈郡沼隈町(現福山市)にあるみろくの里神勝寺球場を使用していたが、1993年に球団の専用練習場が山口県玖珂郡由宇町に完成したことを機に、1996年より二軍本拠地も由宇へ移転している。

2002年から社会人野球の公認大会であるJABA広島大会(毎年5月)にエントリーするようになった。これまで社会人野球の試合にプロチームが出場することは規制の問題から実現できなかったが、近年のプロ・アマ交流が盛んになったこと、特に社会人チームとプロ2軍の練習(交流)試合も盛んに行われるようになったことから、日本野球連盟・中国地区連盟は広島大会に限定してカープ2軍チームの出場を許可し、社会人野球公式戦の舞台で社会人チームとの対戦が実現した。

2011年から「三軍」を事実上採用。現段階では対外試合での調整ではなく「リハビリチーム」という位置づけで故障などで戦線を離脱している選手の調整が主であるが、将来的には若手育成のため育成・研修選手の実践の場を提供することも念頭においている。

沿革

  • 1950年 結成
  • 1954年 新日本リーグに参加。球団名を広島グリーンズとし、本拠地を呉市に置く
  • 1955年 ウエスタン・リーグに参加
  • 1956年 広島カープグリナーズへ改称
  • 1958年 広島カープへ改称
  • 1968年 広島東洋カープへ改称
  • 1996年 本拠地を神勝寺球場から由宇球場へ移転
  • 2002年 この年から社会人大会に出場するようになる

社会人野球大会戦績

2002年 1回戦敗退(2-3 三菱三原硬式野球クラブ
2003年 優勝(決勝戦:4-0 三菱重工広島)全国の社会人野球の大会でプロチームの初めての優勝だった
2004年 優勝(決勝戦:4-3 三菱自動車水島
2005年 準決勝敗退(準決勝:4-6 デュプロ
2006年 予選リーグ敗退(7-0 常石鉄工、1-4 JFE西日本 予選Bグループ2位に終わり、決勝トーナメントに進めず)
2007年 予選リーグ敗退(8-1 ツネイシホールディングス野球クラブ、2-3 伯和ビクトリーズ 予選Aグループ2位に終わり、決勝トーナメントに進めず)
2008年 優勝(決勝戦:8-1 三菱重工広島)
2009年 優勝(決勝戦:7-6 三菱重工広島)
2010年 優勝(決勝戦:2-0 ワイテック
2011年 予選リーグ1位(7-0 シティライト岡山、7-0 伯和ビクトリーズ 予選1位として決勝トーナメント出場権を得たが、決勝トーナメントが雨天順延されたことからウェスタンリーグ公式戦と日程が重複し、出場権を辞退した)
2012年 優勝(決勝戦:4-3 三菱重工広島)
2013年 優勝(決勝戦:4-2 三菱重工広島)

監督・コーチ

歴代監督

三軍

[4]

脚注

  1. カープ年表・1950年中国新聞
  2. カープ年表・1954年(中国新聞)
  3. 一軍コーチを務めていた2003年に登録名を山崎立翔に変更
  4. 公式な三軍監督ではなく「統括コーチ」だが、事実上は三軍監督に同じ

外部リンク

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