広島平和記念公園
広島平和記念公園(ひろしまへいわきねんこうえん、英語: Hiroshima Peace Memorial Park)は、広島県広島市中区中島町にある無料の市民公園。平和記念公園(英: Peace Memorial Park)もしくは単に平和公園(英: Peace Park)
Contents
概要
1945年8月6日、アメリカ軍が広島市に原子爆弾を投下した。
その後、1946年11月1日に、爆心地に近い中島町内10.72haが「中島公園」として都市計画公園に指定された[1]。
1949年の11月1日には、「広島平和記念都市建設法」が制定された。世界に向けて人類の平和を願い訴えることと、過去の過ちを繰り返さないことを目的に、コンペにより選ばれた丹下健三 [2] が設計した。そのうち、広島平和記念資料館や原爆死没者慰霊碑の設計や、原爆ドーム・原爆死没者慰霊碑・資料館を結ぶ南北軸、資料館を中心とする3棟の建物による東西軸は実現した。当初は現在の広島市中央公園や基町中層アパート群・市営基町高層アパートの周辺も、平和公園として構想されていた[3]が実現しなかった[4]。また、平和大通りについても構想に含まれていた[5]。公園南側の平和大橋・西平和大橋は、アメリカ人彫刻家であるイサム・ノグチの設計による[6]。公園の建設にあたっては、敷地内の多くのバラックを撤去することとなった。また、敷地内を走っていた古くからの繁華街の道(中島本通 / かつての西国街道→國道四号)は残されることになった[7]。
1951年8月6日に現在の区域を平和記念施設とすることを決定し[5]、1954年4月1日に完成した。
渡辺忠雄が呼びかけて集められた、平和大通り植樹のための樹木は、平和公園にも植えられている[8]。
毎年8月6日には平和記念式典が開催され原爆が投下された午前8時15分には黙祷が捧げられる。式典では、市内中学校、高校の吹奏楽部による「ひろしま平和の歌」の伴奏、広島市の合唱団等による合唱が行われる。
平和記念公園は被爆前も公園だったと誤った認識があるが、被爆前は中島地区と呼ばれ幕末から明治・大正にかけて市内有数の繁華街として栄えた歴史のある街であった(中島町を参照)。
公園の北側の原爆ドームがあるあたりは、相生通りを挟んで広島市中央公園(旧広島市民球場跡地周辺)と隣接している。
公園内・周辺の施設
平和記念資料館の公式サイトによれば、平和公園及びその周辺の緑地帯には、50を越える原爆関係の記念碑・記念建造物がある[2]。建物以外の多くは原爆犠牲者の慰霊碑や平和を願う記念碑である。その中には、現在公園となっている地区とその周辺の住民、建物疎開に動員されていた学校・義勇隊、この付近に所在していた会社・団体・公共機関によるものが多く含まれている。
建物
慰霊碑・記念碑等
- 地区住民関係の慰霊碑
- 被爆まで現在の公園地域内に居住していたため多くの犠牲を出した各町(戦後この地区が「中島町」としてまとめられる以前の旧町名)の住民により建立されたもの。
- 平和乃観音像(中島本町町民慰霊碑)
- 旧天神町北組慰霊碑
- 材木町跡碑
- 旧天神町南組慰霊碑 - 公園外の緑地帯に設置。
- 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑
- 広島二中原爆慰霊碑
- 広島市商・造船工業学校慰霊碑
- 広島市立高女原爆慰霊碑 - 公園外の旧校地内に設置。
- 義勇隊の碑(安佐郡川内村温井地区から動員された義勇隊員の慰霊碑)
- 会社・団体・公共機関関係の慰霊碑
- 友愛碑(日本損害保険協会加盟会社の慰霊碑)
- 全損保の碑(全日本損害保険労働組合による保険会社社員の慰霊碑)
- 中国・四国土木出張所職員殉職碑(内務省(現・国土交通省)職員殉職碑) - 被爆当時、広島県産業奨励館内に事務所が置かれていた。
- 広島県地方木材統制株式会社慰霊碑 - 同上。
- 広島郵便局職員殉職碑 - 公園外の旧跡地に設置。
- 原爆犠牲建設労働者・職人之碑
- 広島瓦斯株式会社原爆犠牲者追憶之碑 - 公園外の旧本社跡地に設置。
- 石炭関係原爆殉難者慰霊碑(石炭統制関係会社職員の慰霊碑)- 公園外の会社跡地に設置。
- 広島県農業会原爆物故者慰霊碑 - 公園外の旧広島支所跡地に設置。
- その他の慰霊碑・記念碑等
- 原爆犠牲ヒロシマの碑
- 原爆死没者慰霊碑
- 韓国人原爆犠牲者慰霊碑
- 峠三吉詩碑
- ノーマン・カズンズ氏記念碑
- バーバラ・レイノルズ氏記念碑
- 原民喜詩碑
- マルセル・ジュノー博士記念碑
- ローマ法王平和アピール碑
鐘・木・像・塔・時計等
遍歴
- 1946年11月1日 「中島公園」(10.72ha)として、原爆ドームを除く地域が都市計画公園として、戦告237号で指定[1]。
- 1949年8月6日 「広島平和記念都市建設法」が制定される。
- 1951年8月6日 現在の区域を公園とすることが決定する[5]。
- 1954年4月1日 広島平和記念公園完成。
- 1996年12月5日 原爆ドームが世界遺産に登録。これにともない、平和公園はバッファーゾーン(緩衝地域)に指定される。
- 1999年 広島平和記念資料館と合わせて、日本の近代建築20選(DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築)に選定。
- 2002年8月1日 新たに国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が建設される。
- 2007年2月6日 平和公園の中央部分が国の名勝に指定される。戦後完成した公園・庭園として初の例。
- 2008年3月28日 名勝の指定部分が公園全体に拡大される。
平和公園で起こった事件
- 1989年7月、公園内にある「全損保労働組合被爆20周年記念碑」が台座から持ち去られ、広島刑務所脇に放置された。碑文の『なぜ あの日はあった なぜ いまもつづく』を天皇制と資本主義に対する批判であるとして大日本愛国党広島支部長(49)が小型トラックに積み込み動かしたもの。
- 2001年12月、原爆死没者慰霊碑に落書き、さらに赤ペンキが掛けられる。
- 2002年3月、原爆慰霊碑に再びペンキが掛けられているのが見つかる。
- 2003年8月、関西学院大学4年の男が公園内の折り鶴に放火。飾られていたうちの14万羽が焼失。(折り鶴放火事件を参照)
- 2003年10月、原爆慰霊碑の表面に、油のような物で手形が入れられているのが見つかる。
- 2005年7月27日、原爆慰霊碑破損事件。原爆死没者慰霊碑に刻まれた碑文『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』の『過ち』の部分を、右翼の男が削ろうとして傷つける。この『過ち』に、原爆を投下した当のアメリカへの抗議と批判が込められていないと解釈され、男はそれに反発したと主張した。10月26日に懲役2年8ヶ月(求刑懲役3年)の実刑判決。
- 2006年1月11日午前7時50分頃、平和の灯と平和記念像の台座、トイレに落書き。トイレの壁には更に、昭和天皇の田植えを撮った写真が貼られていた。
- 2007年9月24日午後11時頃、平和記念公園内で路上生活をしていた男性(56)が同じく路上生活者の男(63)に果物ナイフで刺殺された。(平和記念公園殺人事件を参照)
- 2010年3月11日、平和公園の被爆桜が、数本が引き抜かれているのが発見される。
- 2012年1月4日、原爆慰霊碑に金色のペンキのような物が掛けられているのが見つかる。3回目。
- 2012年5月9日、韓国人被爆者の追悼目的で平和公園内に植樹されていたチョウセンゴヨウ(マツ科)の木が、人為的に抜き取られていたことが明らかになった。
- 2015年1月27日、平和記念資料館の南側の花壇で、ハボタンが約65株に亘り抜き取られているのが見つかる。
- 2016年7月25日、平和公園内の樹木のうちの一本に、アルファベットの「M」の字が刻み込まれているのが見つかる。
- 2016年7月26日、公園内のポケモンGOのポケストップ及びジムの削除、並びにポケモンの出現停止をナイアンティック社に要請、後に全て削除された[9][10]。
- 2017年4月、公園内の韓国人犠牲者慰霊碑の北側に植樹された、同国の国花であるムクゲの木のうち、3本が損壊されていたことが明らかになった[11]。
- 2017年5月21日、広島弁護士会のウェブサイトが一時的に「5月22日に原爆ドームを爆破する」などの内容に改竄され、広島県警が原爆ドーム周辺の警戒に当たる事態となった[12]。
海外の見方
中国
- 広島は重要な軍港であるとともに、対中国侵略の軍事基地であり、平和都市ではなく戦争の道具だったにもかかわらず、市民が原爆でどれほど悲惨な目にあったかということだけが喧伝されている。戦争の道具が壊滅されたことと平和都市が爆撃されたことは別問題。原爆による被害があったことは事実だが、同時に広島が戦争の道具として中国やアジア諸国に残虐な行為を働いた事実があり、問題の二面性に同時に注目すべき[13]。
交通
JR広島駅から
- 広島駅電停から広島電鉄の路面電車2号線宮島口ゆき・6号線江波(えば)ゆきに乗り、原爆ドーム前電停下車。この区間は、原爆の被害を受けた被爆電車が平和学習の貸切電車によく用いられる区間である[14]。
- 広島駅電停から広島電鉄の路面電車1号線広島港ゆきに乗り、本通電停・袋町電停・中電前電停下車。
- 広島駅バスターミナル3番乗り場から、広島バス24号吉島線の吉島営業所、吉島病院行き。または、6番乗り場から、広島バス25号草津線の平和記念公園経由井口・商工センター行きに乗車し、平和記念公園バス停で下車(25号線は、十日市経由もあり。十日市経由の場合は、原爆ドーム前下車)。
- 広島駅新幹線口から中国JRバスの「めいぷる~ぷ」に乗車、原爆ドーム前または平和記念公園バス停下車。運賃200円。
JR横川駅から
JR西広島駅から
- 広電西広島駅まで徒歩連絡。同駅から広島電鉄路面電車2号線広島駅ゆき、または3号線広島港ゆきに乗り、原爆ドーム前電停下車。3号線広島港ゆきに乗り、本通電停・袋町電停・中電前電停下車。
- 広電西広島駅前の己斐バス停から広島バス25号草津線平和記念公園経由広島駅行きバスに乗車し、平和記念公園で下車。十日市経由広島駅行きもあり、この場合は原爆ドーム前(広島市民球場前)下車。
広島港から
高速バス・郊外バス
自家用車で行く場合
- 国道2号で、福山・東広島方面からは広島駅を、岩国・廿日市方面からは西広島駅を目指して進み、そこを基点に平和大通りを行くのが良い。
- 山陽自動車道からは、広島ICより国道54号を南へ広島城あるいは基町クレドへ向け進む。
紙屋町付近は一方通行の細い道路も多い。公園周辺には広島センタービル駐車場やエディオンお客様駐車場など大きな駐車場がいくつかあるが土曜、日曜、祝日は混雑している。
その他交通手段
その他
- ハト - 1992年(平成4年)には公園内に2,000羽ものハトが繁殖してふん害などが問題となっていたが、広島市によるエサやりの自粛などの対策が功を奏し1998年(平成10年)には254羽まで減少した[15]。
- 公衆無線LAN - 2008年9月から2012年7月31日まで公園において広島市公衆無線LANが利用可能だった[16][17]。
関連項目
- 広島市への原子爆弾投下
- 原爆ドーム
- 広島平和記念資料館
- 長崎市にある平和公園
- 中島町 (広島市)
- マルセル・ジュノー(彼の功績を称えた記念碑が建てられている)
- ヨハネ・パウロ2世
- 天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会(スタート・ゴール地点となっている)
- 平和大通り
- ひろしまフラワーフェスティバル
- 日本国指定名勝の一覧
- 被爆アオギリ
脚注
- ↑ 1.0 1.1 『広島新史 都市文化編』46ページ
- ↑ 2.0 2.1 “平和記念公園マップ”. 広島平和記念資料館. . 2013閲覧.
- ↑ ヒロシマの記録-平和都市法50年 未完の「平和記念公園」 復興の夢と希望託す - 中国新聞 1999年6月22日
- ↑ 平和文化 No.181_13 広島平和記念資料館平成24年度第1回企画展 基町 姿を変える広島開基の地 - 公益財団法人 広島平和文化センター
- ↑ 5.0 5.1 5.2 『広島新史 都市文化編』59ページ
- ↑ 本来は慰霊碑の設計も行ったが却下された。原爆死没者慰霊碑の項参照。
- ↑ 平和公園が所在する中島地区の戦前の歴史については[[中島町 (広島市)|]]を参照のこと。
- ↑ 『20人の広島市長 市制施行から90年 -19- 渡辺忠雄(22代)』 - 中国新聞 1979年3月30日 夕刊 1面
- ↑ “平和記念公園から「ポケモンGO」の削除を要請 広島市は「ポケモンも出ないように」 長崎市は原爆資料館のみ”. ねとらぼ. ITmedia (2016年7月27日). 2016年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016年7月29日閲覧.
- ↑ “ポケモンGO 広島市が平和公園の除外求める”. NHK NEWSWEB (日本放送協会). (2016年7月27日). オリジナルの2016年7月27日時点によるアーカイブ。 . 2016年7月30日閲覧.
- ↑ 韓国の国花、ムクゲの木裂かれる 広島・平和公園 産経新聞 2017年4月7日
- ↑ 広島弁護士会 HP改ざん 原爆ドーム周辺を警戒 毎日新聞 2017年5月22日
- ↑ 莫邦富『中国人は落日の日本をどう見ているか』(1998年 草思社)
- ↑ 広電電車 電車のご利用方法 - 団体・貸切 - 広島電鉄
- ↑ 本田博利 (2000年). “広島市のはと対策 (PDF)”. 日本公共政策学会. . 2013閲覧.
- ↑ “平和公園など無線LAN終了”. 中国新聞. (2012年6月12日). オリジナルの2012年6月12日時点によるアーカイブ。 . 2013閲覧.
参考文献
- 『広島新史 都市文化編』(広島市)
外部リンク
- 広島平和記念資料館
- 被爆までの広島 - 広島平和記念資料館
- 平和記念公園周辺ガイドMAP - 広島市サイト内
- 被爆前の広島について - 広島市サイト内
- 建築マップ 広島平和記念資料館・平和記念公園
- 中国新聞特集・ヒロシマの記録「未完の平和記念公園」
- 中国新聞特集・ヒロシマの記録「平和公園(爆心地)街並み復元図」 (PDF)
- 広島平和記念公園ストリートビュー
- 平和記念公園 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ひろしま平和の歌 - 広島市サイト内