広島三越
広島三越 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒730-0021 広島市中区胡町5-11 |
座標 | 東経132度27分51.53秒北緯34.393083度 東経132.4643139度 |
開業日 | 1973年(昭和48年)4月8日 |
建物名称 | 中国新聞文化事業社ビル |
施設所有者 | 株式会社中国新聞文化事業社 |
施設管理者 | 株式会社中国新聞文化事業社 |
設計者 | 鹿島建設[1] |
施工者 | 鹿島建設[1] |
前身 | 中国新聞社の本社 |
最寄駅 | 胡町停留場 |
最寄IC | |
外部リンク | 広島三越オフィシャルHP |
MITSUKOSHI |
株式会社 広島三越(ひろしまみつこし)は、広島県広島市中区の百貨店。
旧三越(現三越伊勢丹)の地方子会社の1つで、現在は三越伊勢丹ホールディングスの完全子会社である。
概要
1973年(昭和48年)4月8日に三越広島店として開店した。これにより三越は、広島市中心部に進出した初の全国区の百貨店となった。
この場所には、1969年(昭和44年)まで中国新聞社の本社が置かれていた。その経緯により、現在でも建物は、中国新聞社の関連会社の『中国新聞文化事業社』が所有し[2]、管理している[3]。また、建物の名称は『中国新聞文化事業社ビル』である[4]。
売場面積は 15,851m2、地上8階・地下1階建てである。開店当初の売場面積は約8,700m2だったが、1975年(昭和50年)6月1日には約12,000m2に増床が行われた。三越の進出で、広島地区は百貨店激戦区になり、三越開店の先月には天満屋広島店(現・天満屋八丁堀ビル)の大改装、翌年1974年(昭和49年)10月10日には広島そごう(現・そごう広島店)が出店した。また、広島三越の1974年の2回目になる増床時には、広島そごう・福屋八丁堀本店・天満屋八丁堀店も同時に増床を行っている。
立地環境としては、隣地に天満屋八丁堀ビルが、中央通りを挟んで福屋八丁堀本店が立地し、すべてえびす通り商店街に面している。天満屋八丁堀ビルとは、非常時用の避難通路が屋上でつながっている。
三越(現・三越伊勢丹)の親会社である三越伊勢丹ホールディングスの地方店舗分社化に伴い、2010年(平成22年)4月1日をもって株式会社広島三越として分社化された(法人設立は2009年10月1日)。
店舗縮小報道
2016年11月8日の三越伊勢丹ホールディングスの記者会見にて、伊勢丹松戸店・伊勢丹府中店・松山三越と共に売り場面積縮小や他社との提携、業態転換などを検討されていることが明らかになった[5]。。前述の通り近隣の百貨店と長らく競合関係にあったが、売上高ではそごう広島店や福屋八丁堀本店、福屋広島駅前店の後塵を拝していた。2012年3月には天満屋八丁堀店が閉店[6]しており、当店も建物全体を「完全閉鎖」する訳ではなく、売場面積の縮小、専門店ビルへの転換、他企業への譲渡などを検討するとしている。
館内
- 屋上 - 屋上
- 8階 - 催物会場・レストラン
- 7階 - 画廊・ソーシャルサロン・メガネサロン
- 6階 - ホームファッション・呉服
- 5階 - メンズファッション・ゴルフサロン
- 4階 - レディスプレタポルテ・フォーマル・ジュエリー・ウォッチ・ジュエリーリフォーム
- 3階 - レディスカジュアル・ランジェリー・婦人靴
- 2階 - デザイナーズワールド・ライフスタイリング・レディスシューズ
- 1階 - ワールドブティック・アクセサリー・ビジュウ・コスメティック・ファッションパーツ
- B1階 - フードホール
アクセス
参考書籍
- 建築画報(建築画報社) 1973年6月号
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 建築画報 1973年6月号 109ページ
- ↑ 広島市報 平成24年1月4日
『大規模小売店舗を設置する者』は建物所有者と同義である - ↑ 中国新聞社の関連企業・事業
- ↑ 広島大学学校教育学部紀要
- ↑ “三越伊勢丹、松山、広島など地方4店の売り場縮小も 採算悪化で”. 産経新聞社. (2016年11月8日) . 2017閲覧.
- ↑ 天満屋の直営部分は全て退去し、建物名と入居するアトリエの名称にその名を残すに留まっている。直営部分にはウィズワンダーランド跡地からヤマダ電機が移転、ユニクロが入居した他、従来より出店していた丸善やレストラン・クリニックが残り現在に至る。