平田村
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地理
福島県の南東部、阿武隈高地にあり、山並みを縫うように農地が広がっている。
隣接している自治体
統計データ
現在の村勢
- 総人口 - 7,538人(2005年)
- 世帯数 - 2,032世帯(2005年)
- 年少(15歳未満)人口率 - 14.4%(2005年)
- 高齢(65歳以上)人口率 - 23.7%(2005年)
- 昼間人口 - 6,751人(2000年)
- 労働力人口 - 4,517人(2000年)
- 第1次産業就業者数 - 1,134人(2000年)
- 第2次産業就業者数 - 1,966人(2000年)
- 第3次産業就業者数 - 1,295人(2000年)
- 農業産出額 - 3,500百万円(2004年)
- 製造品出荷額等 - 11,590百万円(2004年)
- 商業年間商品販売額 - 2,842百万円(2003年)
- 出典
- 総務省統計局『統計で見る市区町村のすがた2007』2007年
人口
平田村(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
年表
- 1953年(昭和28年)5月18日 - 国道115号(現在の国道49号)が制定。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 昭和の大合併で小平村と蓬田村が合併し、平田村となる。
- 2004年(平成16年)11月25日 - あぶくま高原道路の平田IC-小野IC間が開通。
- 2015年(平成27年)9月 - 役場庁舎を旧永田小学校校舎へ移転[1]。
行政区域変遷
- 変遷の年表
平田村村域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 現平田村村域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行に伴い、以下の村がそれぞれ発足。[2][3] |
1955年(昭和30年) | 3月31日 | 小平村・蓬田村が合併し平田村が発足。 |
- 変遷表
平田村村域の変遷表 | ||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |
小平村 | 小平村' | 昭和30年3月31日 平田村 |
平田村 | 平田村 | ||
西山村 | ||||||
中倉村 | ||||||
上北方村 | 明治15年 北方村 | |||||
下北方村 | ||||||
駒形村 | ||||||
東山村 | ||||||
上蓬田村 | 蓬田村' | |||||
下蓬田村 | ||||||
蓬田新田村 | ||||||
九生滝村 | ||||||
永田村 | ||||||
鴇子村 | ||||||
大柿村 | 明治元年頃 小松原村 | |||||
北向村 |
経済
基幹産業は農業であり、観光、企業誘致にも力を入れている。
教育
高等学校
中学校
- 平田村立ひらた清風中学校
小学校
- 平田村立蓬田小学校
- 平田村立小平小学校
交通
バス
道路
道の駅
観光
- ジュピアランドひらた
- 芝桜まつり
史跡
- 蓬田舘址
- 石川城主石川成光の次男秀光で文明年間(1469~86)に築城された城郭跡。
- 中倉六地蔵
- 耕林寺宝殿
無形文化財
- 駒形じゃんがら念仏踊
- 駒形地区に古くから伝わる伝統芸能
記念日
- 10月3日 - 開拓記念日
主な出身者
その他
村民の風習
- 平田村では羊肉料理が良く食される。家族が帰省した際などによくジンギスカンが食されている。村では≪羊肉料理 = ご馳走≫と捉えられている。これは1934年~1935年の冷害凶作による飢饉の際、平田村出身の成功した実業家宗像金吾が羊200頭を寄付し、村民はそれにより飢えをしのいだという歴史がある。村民の羊肉料理への愛情は深く、この村で供されるジンギスカンがとても美味しいと評判を呼び、現在では村の名物となっている。[4][5][6]
村の発展に貢献した偉人
- 阿部好貞 (1855~1939)
- 久保木久治
- 遠藤栄吉
- 宗像金吾
- 吉田喜左衛門
脚注
外部リンク
典拠レコード: