平山高明

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平山 高明(ひらやま たかあき、1924年3月31日 - )は、日本カトリック教会司教洗礼名は「ペトロ」。2000年までカトリック大分司教区長を務め、引退後の現在は大分司教区名誉司教。

経歴

1924年(大正13年)3月31日、朝鮮京城(現在の韓国ソウル)にて生まれる。祖父は長崎出身の実業家であり、日本二十六聖人の映画を製作した平山政十[1]

長崎海星中学校宮崎農林専門学校畜産科を卒業後に阿蘇開拓団に加わって農業に従事。その後1950年(昭和25年)4月に聖スルピス大神学院に入学し、大神学院卒業年の1957年(昭和32年)3月19日、カトリック福岡司教区深堀仙右衛門司教によって司祭叙階された[2]

1970年(昭和45年)1月25日には司教に叙階され、大分教区司教座に着座[3]。30年後の2000年には75歳定年のため引退し、同年に自らの主司式で後継者の宮原良治神父(現・カトリック福岡司教)を司教に叙階した[4]

引退後はローマに在住。2008年に高松教区にある新求道共同体(ネオ・カテクメナートス)の教区立国際宣教神学院(レデンプトーリス・マーテル)が一旦閉鎖[5]されてローマに移されるとき、平山がその校長になることが発表された。また、新求道共同体の問題で日本の4人の司教がバチカンに行って教皇ベネディクト16世、国務庁長官タルチジオ・ベルトーネ枢機卿らと会談したが、平山も同席した[6]

2011年6月26日に大分教区浜口末男司教の叙階式が別府で行われた時、現役の各教区長や他2人の名誉司教と共に叙階式に参加した[3]

脚注

外部リンク