平和革命
平和革命(へいわかくめい)とは、議会闘争・平和的デモなど、相対的に平和な方法で流血を極力避けつつ国家権力の階級移行を実現すること。社会主義革命としての平和革命では、ゼネラル・ストライキなど階級的な力の行使は否定されず、力によってブルジョワ階級から労働者階級への権力奪取をめざすという点では、革命であることにかわりはない。
日本
日本共産党は1950年代前半は武装闘争路線をとり、1955年第六回全国協議会(六全協)以降はこれまでの武装闘争路線を否定しつつも、平和革命一元論を否定し敵の出方論による暴力の行使の可能性を留保した。ただ、2010年代を迎えた現在では「敵の出方論」が言及されることはなくなり、「多数者革命」(議会の多数を得ての革命という意味)という名の平和革命路線に落ち着いており、その路線を示すものとして、日本共産党系の新日本出版社から「多数者革命」という題名のフリードリヒ・エンゲルスの文章を集めた書物も出版している[1]。
六全協の方針転換などに反発して1950年代末期から1960年代前半にかけて生まれた新左翼は、平和革命を強く否定し、1970年代にかけて角材・鉄パイプ(ゲバルト棒)で武装し街頭で機動隊と衝突したり火炎瓶・爆弾闘争をおこなったり、また、さらに過激な党派は世界を巻き込んでハイジャックや銃乱射、爆弾テロなどに訴えたが、ことごとく失敗した。こうした過激な勢力は、2010年代においては、存続している組織も多いが、大幅に弱体化しているか、地方選挙・国政選挙での票集めや、合法活動重視の路線に転換している。
日本社会党は平和革命の立場に立っていたが、1986年決定の「日本社会党の新宣言」で革命そのものを否定した。日本社会党の後継政党である社会民主党は、日本共産党と主張が似ている部分も多いが、革命を目指していない。
世界
平和革命を目指し選挙によって労働者による権力掌握に成功した例はあるが、チリ人民連合のアジェンデ政権のチリ・クーデターによる失敗に見られるように、社会主義革命としてはまだ実現していない。しかし、東欧革命・ソ連崩壊・台湾および韓国の民主化など平和革命とみられる国家権力の移行はすでにおこなわれている。
1999年に発足したベネズエラのチャベス政権およびその後継者であるマドゥロ政権は、社会主義平和革命の途上にあると言えるが、国家を社会主義体制へ移行させる新憲法案が僅差で否決されている。
脚注
- ↑ 古典選書 多数者革命新日本出版社