幕張海浜公園
千葉県立幕張海浜公園(ちばけんりつまくはりかいひんこうえん)は、千葉県千葉市美浜区にある県立の都市公園である。埋立地である幕張新都心において貴重な緑と国際交流の場の創出を目的として開設された。
Contents
歴史
- 1987年(昭和62年)4月 - 「青葉の森」が開園[1]
- 1990年 (平成2年)
- 1992年(平成4年)3月30日 - 事業コンペで「海のシルクロード」計画の採用が決定[5]。
- 1995年 (平成7年)8月25日 - 10月22日 - 第12回全国都市緑化フェア開催[6][7]。
- 1996年(平成8年)3月26日 - 「海のシルクロード」計画を縮小[8]。
- 2003年(平成15年)
- 2011年 (平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の発生による液状化の影響により園路の破損等があったほか、上下水道管の破断によりトイレが使用できなくなる等の被害が発生した[広報 1][注釈 2]。
- 2012年 (平成24年) 8月4日- この年から千葉市民花火大会「幕張ビーチ花火フェスタ」の会場となることになった[10]。
- 2015年 (平成27年)
- 2016年 (平成28年)
- 6月4日・5日 - 「2016年レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ 千葉」が開催。
- 2017年 (平成29年)
- 6月3日・4日 - 「2017年レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ 千葉」が開催。
- 2018年 (平成30年)
- 5月26日・27日 - 「2018年レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ 千葉」が開催[13]。
概要
公園の領域は大きく分けて、幕張新都心と幕張ベイタウンの間を北東から南西にかけて広がるA - Cブロックと、東京湾岸に沿って北西から南東に伸びるD - Gブロックからなり、前者は県立幕張海浜公園みどりと海パートナーズ、西武造園が指定管理者[14]、後者は千葉県が直接管理している[15] 。千葉マリンスタジアム(ZOZOマリンスタジアム)は後者(Fブロック)に属する[16]。
A - Cブロック
Aブロック
公園の最北部にあたり、京葉線より北側のエリアである。公園のプロムナード部として、出会いの広場、創作の広場、ふれあいのプロムナードが設置されている。
Bブロック
花時計を擁する大芝生広場があり、公園の中心的なエリアである。幕張新都心の業務研究地区の東縁と幕張ベイタウンとを隔てる。三井アウトレットパーク 幕張のすぐ東側が「にぎわいの広場」である。
Cブロック
公園のパークセンターがあり、木々に囲まれたエリアである。
1990年(平成2年)6月15日に日本庭園「見浜園」が開園し[3][注釈 1]、園内には北山杉を用いた数寄屋造りの茶室「松籟亭」(しょうらいてい)が開設された[17]。
- 見浜園
- 入園料 - 大人100円、子供50円
- 開館時間 - 8:00 - 17:00(2011年)
- 年中無休
- Makuhari Kaihin fountain.jpg
Aブロックにある噴水の広場
- Mihamaen.jpg
美浜園
- Msp 01.jpg
公園のシンボルとなっている花時計
D - Gブロック
D - Gブロックは海浜大通りと東京湾岸の幕張の浜に沿って広がるエリアである。
D・Eブロック
D・Gブロックは稲毛海浜公園とともに1995年(平成7年)全国都市緑化フェアの会場となった[6][7]。
1989年(平成元年)から2009年(平成21年)に幕張メッセで開催された東京モーターショーでは[注釈 3]、D・Eブロックで来場者を対象とした試乗会が行われた。
Fブロック
千葉マリンスタジアム(1990年 (平成2年)3月24日開場[2]、2011年(平成23年)3月より命名権売却によりQVCマリンフィールドとなる[24]。)が位置する。
Gブロック
浜田川(メッセ大橋)の西側にあり、公園の最西部にあたる。 マウンテンバイクコースが整備されている[25]。
- Msp 03.jpg
CブロックとDブロック間は海浜大通りを挟んで歩道橋で連絡されている。
- Beach at Makuhari, Chiba, Japan.jpg
人工海浜「幕張の浜」(遊泳禁止)
- Beach of Makuhari, with Apa-hotel.JPG
幕張の浜とAPAホテル&リゾート 東京ベイ幕張
- QVC Marine Field, sideview.jpg
ZOZOマリンスタジアム
交通アクセス
脚注
注釈
- ↑ 1.0 1.1 開園日とされた6月15日は[3]、1987年(昭和62年)から「千葉県民の日」とされている[4]。
- ↑ 美浜区各所で液状化等の被害に見舞われた。
- ↑ 1989年(平成元年)に幕張メッセで初開催[18][19]。1991年(平成3年)に200万人を超える集客をしたが[20]、2009年(平成21年)は2008年(平成20年)に発生したリーマン・ショック・世界金融危機・アメリカ自動車大手(ビッグスリー)業績不振の影響で海外メーカーが見合わせて出展者数が前回の約半分へ激減[21]、入場者数は第40回から約43%減の約60万人と激減した[22]。その影響もあり、2010年(平成22年)に2011年(平成23年)以降の開催地を幕張メッセから東京ビッグサイトに変更することを決定した[23]。
出典
- ↑ “青葉の森・幕張海浜公園 四月から一部開園 ふるさと5カ年計画 期間中「柏の葉公園」も”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (1987年1月21日)
- ↑ 2.0 2.1 “千葉マリンスタジアム 盛大にオープン 藤田監督らテープカット”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 1,9,12,17. (1990年3月25日)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 “幕張海浜公園 市民憩いの場 日本庭園と茶室 「県民の日」にオープン”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (1990年5月4日)
- ↑ “大きくはばたけ ふるさと千葉 県民の日特集”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 17-21. (1987年6月5日)
- ↑ “「海のシルクロード」計画の採用が決まる 幕張海浜公園海浜地”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 24. (1992年3月31日)
- ↑ 6.0 6.1 “都市緑化千葉県特集 都市緑化フェア 8月25日開幕”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 1-3. (1995年7月20日)
- ↑ 7.0 7.1 「特集 第12回全国都市緑化ちばフェア 多彩な花と緑に包まれた未来への夢・体感イベント」、『ニューライフちば』第387号、千葉県広報協会、1995年8月、 6-11頁。
- ↑ “幕張・海のシルクロード 計画縮小し13年開園 アジアテーマに都市や公園”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (1996年3月27日)
- ↑ “レゴランド正式撤退 県立幕張海浜公園 不況で出資者集まらず”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (2003年7月20日)
- ↑ “潮流 千葉市民花火大会 初の幕張開催 波及効果 高まる期待 合同セールで集客 商店街 高額プランも完売 ホテル”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 4. (2012年7月31日)
- ↑ “幕張に連日6万人 「空のF1」大盛況 日本初のエアレース閉幕”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (2015年5月18日)
- ↑ “JAと千葉県が協定 幕張にサッカー代表拠点”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (2015年9月12日)
- ↑ “ワールドチャンピオン室屋義秀が千葉幕張の空にもどってくる! レッドブル・エアレース千葉2018開催決定”. レッドブルエアレース (2018年3月5日). . 2018閲覧.
- ↑ 施設のご案内. 西武造園. 2017年6月9日閲覧。
- ↑ 幕張海浜公園. 千葉県. (2016年12月1日). 2017年6月9日閲覧。
- ↑ 千葉県立幕張海浜公園案内図 (PDF) . 千葉県. 2017年6月9日閲覧。
- ↑ 「松籟亭 幕張海浜公園日本庭園 千葉県千葉市 設計 野村加根夫設計事務所」、『新建築』1990年8月号、新建築社、1990年8月、 261-270頁、334頁。
- ↑ “「幕張メッセ」東京モーターショー 華麗に豪華に「車の祭典」 開幕初日3万人”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 1,4,12,17. (1989年10月27日)
- ↑ “曲線美ずらり きょうから来月6日まで 東京モーターショー”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 3. (1989年10月26日)
- ↑ “東京モーターショー閉幕 記録更新入場者200万を突破”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 1,17. (1991年11月9日)
- ↑ “出展企業数が半分に 今秋の東京モーターショー 県、規模縮小も来場期待”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 4. (2009年3月25日)
- ↑ “入場者43%減の61万人 モーターショー”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 18. (2009年11月5日)
- ↑ “モーターショーの会場変更 幕張から東京ビッグサイトに”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 1,4. (2010年5月21日)
- ↑ “QVCマリンフィールド 千葉ロッテ本拠地の新名称 来年3月から使用開始”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 14. (2010年12月28日)
- ↑ “マウンテンバイク あらゆる悪路を想定”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 27. (1995年10月31日)