島尻郡
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島尻郡(しまじりぐん)は、沖縄県の郡。人口103,108人、面積234.89km²、人口密度439人/km²。(2018年6月1日、推計人口)
以下の4町8村を含む。
- 与那原町(よなばるちょう)
- 南風原町(はえばるちょう)
- 渡嘉敷村(とかしきそん)
- 座間味村(ざまみそん)
- 粟国村(あぐにそん)
- 渡名喜村(となきそん)
- 南大東村(みなみだいとうそん)
- 北大東村(きただいとうそん)
- 伊平屋村(いへやそん)[注釈 1]
- 伊是名村(いぜなそん)[注釈 1]
- 久米島町(くめじまちょう)
- 八重瀬町(やえせちょう)
沿革
- 明治29年(1896年)4月1日 - 「沖縄県ノ郡編制ニ関スル件」(明治29年勅令第13号)の施行により、島尻方(小禄間切・豊見城間切・兼城間切・高嶺間切・真壁間切・喜屋武間切・摩文仁間切・具志頭間切・玉城間切・知念間切・佐敷間切・東風平間切・大里間切・南風原間切・真和志間切・具志川間切・仲里間切)および渡嘉敷島・座間味島・渡名喜島・粟国島・伊平屋島・南大東島・北大東島の地域をもって行政区画としての島尻郡が発足。郡役所が那覇区に設置。(17間切7島)
- 明治36年(1903年) - 小禄間切の一部(儀間村の一部)が那覇区に編入。
- 明治41年(1908年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、島尻郡に糸満町(兼城間切のうち糸満村が分立)・小禄村・豊見城村・兼城村・高嶺村・真壁村・喜屋武村・摩文仁村・具志頭村・玉城村・知念村・佐敷村・東風平村・大里村・南風原村・真和志村・具志川村・仲里村・渡嘉敷村・座間味村・渡名喜村・粟国村・伊平屋村が発足。(1町22村2島)
- 大正12年(1923年)3月31日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)6月30日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和14年(1939年)7月1日 - 伊平屋村の一部(伊是名島)が伊是名村として分立。(1町23村2島)
- 昭和20年(1945年)4月1日以降 - 米国海軍軍政府布告1号により米軍占領地域で順次日本政府の統治から切り離されアメリカの統治下になる。
- 昭和21年(1946年)
- 1月 - 連合国軍最高司令官総司令部覚書により連合国よりアメリカ軍政へ移管される。
- 4月1日 - 真壁村・喜屋武村・摩文仁村が合併して三和村が発足。(1町21村2島)
- 6月12日 - 南大東村・北大東村が村制施行。(1町23村)
- 昭和24年(1949年)4月1日 - 大里村の一部(与那原・上与那原・板良敷)が与那原町として分立。(2町23村)
- 昭和28年(1953年)10月1日 - 真和志村が市制施行して真和志市(現那覇市)となり、郡より離脱。(2町22村)
- 昭和29年(1954年)9月1日 - 小禄村が那覇市に編入。(2町21村)
- 昭和36年(1961年)10月1日 - 糸満町・兼城村・高嶺村・三和村が合併し、改めて糸満町が発足。(2町18村)
- 昭和46年(1971年)12月1日 - 糸満町が市制施行して糸満市となり、郡より離脱。(1町18村)
- 昭和47年(1972年)5月15日 - 全域が日本に復帰する(沖縄返還)。「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」第3条により「従前の沖縄県は、当然に、地方自治法に定める県として存続するものとする。」と規定され、地方自治法が適用される。
- 昭和54年(1979年)10月1日 - 東風平村が町制施行して東風平町となる。(2町17村)
- 昭和55年(1980年)4月1日(4町15村)
- 平成14年(2002年)4月1日(5町12村)
- 平成18年(2006年)1月1日(4町8村)
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 1896年(明治29年)4月1日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
備考
- 平成の大合併により、沖縄本島南部から「村」が消滅し(島尻郡の村は本島周辺離島のみとなる)、本島中部も含め自治体はすべて人口が1万人を超える自治体となった(本島中部の自治体は復帰後の1980年代から既にすべての自治体の人口が1万人を超えていた)。
脚注
注釈
参考文献
- 角川日本地名大辞典 47 沖縄県