岡崎嘉平太
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おかざき かへいた 岡崎 嘉平太 | |
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生誕 |
1897年4月16日 岡山県賀陽郡大和村(現・吉備中央町) |
死没 | 1989年9月22日(92歳没) |
死因 | 急性硬膜下血腫 |
遺体発見 | 自宅 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
職業 | 実業家 |
肩書き | 全日空社長など |
受賞 | 勲一等瑞宝章受章など |
岡崎 嘉平太(おかざき かへいた、1897年(明治30年)4月16日 - 1989年(平成元年)9月22日)
経営者。 1922年東京大学を卒業,日本銀行に入る。 39年上海の華興商業銀行理事,大東亜省参事官。 45年敗戦処理で国民党政府湯恩伯将軍と交渉。引揚げ帰国後,池貝鉄工,丸善石油の再建で評価され,全日空の副社長,61年社長となる。 62年高碕達之助経済訪中団に同行以来,日中友好に専念した。高碕の死後,日中民間総合貿易の中心人物となった。 67年全日空社長を退くが,その後も全日空に隠然たる影響力をもった。 78年勲一等瑞宝章受章。
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