山村路直
山村 路直(やまむら みちなお、1978年12月5日 - )は、愛媛県伊予郡松前町出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
プロ入り前
九州共立大学1年秋、明治神宮大会で当時アマチュア球界最強を誇った近畿大学を相手に好投し、注目を集めた。2年夏の大学野球選手権では延長10回0-1で敗れたものの、上原浩治(当時大阪体育大学)と投手戦を繰り広げて評価を高めた。翌年秋の明治神宮野球大会では大学日本一となった。福岡六大学リーグ通算39試合登板し23勝6敗。最優秀選手4回、ベストナイン3回受賞した。
2000年のドラフト会議で福岡ダイエーホークスを逆指名し1位で入団。
プロ入り後
同期の山田秋親と共に鳴り物入りで入団したものの1年目のキャンプで故障、その後も原因不明の腕痛、右肘骨折など度重なる故障に悩まされ、2軍戦にも満足に登板できない日々が4年間続いた。ある年の契約更改時には自ら退団を申し出たこともあったという(球団に説得され契約した)。
2005年8月7日、楽天戦(フルスタ宮城)にて5年目にして1軍初登板。
2007年3月29日、楽天戦(ヤフーD)で同点の9回2死から5番手として登板。中前打を浴びたものの盗塁死でピンチを凌ぐと、その裏に柴原洋のサヨナラ本塁打が飛び出し、プロ入り7年目にして初勝利。
2008年は1軍登板なしに終わり、11月に戦力外通告を受ける。奇しくも山田も戦力外となり、鳴り物入りで入団した二人合わせてわずか17勝という結果に終わった。その後12球団合同トライアウトに参加したものの、獲得する球団は現れなかった。(この時の模様はTBSの番組『バース・デイ』で紹介された)
2009年1月、アメリカ球界への挑戦を表明。独立リーグやメジャーリーグ組織との契約を目指して、アリゾナウインターリーグに参加。サンディエゴ・サーフドーグズ(San Diego Surf Dawgs)でプレー。同年4月、メキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズにテスト入団。しかし、9試合で0勝3敗、防御率8.22と結果を残せず、5月26日に戦力外通告を受け退団。帰国して秋のトライアウト受験に向けてトレーニングを行っていたが、右肩に故障が見つかり引退を決意。その後は自身が故障に苦しんだ経験から理学療法士を目指し、専門学校に進学した[1]。
詳細情報
年度別投手成績
2005 | ソフトバンク | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 4 | 1.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 |
2006 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 2 | 0.2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00 | |
2007 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 1 | .500 | 116 | 26.0 | 29 | 3 | 12 | 0 | 1 | 12 | 1 | 0 | 13 | 11 | 3.81 | 1.58 | |
通算:3年 | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 1 | .500 | 122 | 27.2 | 30 | 3 | 12 | 0 | 1 | 12 | 1 | 0 | 13 | 11 | 3.58 | 1.52 |
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記録
- 初登板:2005年8月7日、対東北楽天ゴールデンイーグルス16回戦(フルキャストスタジアム宮城)、8回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:2007年3月24日、対オリックス・バファローズ1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、9回表に大引啓次から
- 初勝利:2007年3月29日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、9回表2死に6番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 初ホールド:2007年5月13日、対千葉ロッテマリーンズ9回戦(千葉マリンスタジアム)、11回裏に5番手で救援登板、2/3回無失点
背番号
- 61 (2001年 - 2008年)
- 4 (2009年)
脚注
- ↑ “理学療法士へ一球入魂 元ドラフト1位ホークス投手 山村路直さん(31)”. 西日本新聞. (2010年11月28日) . 2014年8月6日閲覧.