山本鼎
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山本 鼎 | |
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生誕 |
1882年10月24日 愛知県額田郡岡崎町 |
死没 |
1946年10月8日 (63歳) 長野県上田市 |
墓地 | 東京都江戸川区一之江 国柱会墓所 |
教育 | 東京美術学校 |
著名な実績 | 版画家・洋画家・教育者 |
山本 鼎(やまもと かなえ、1882年(明治15年)10月14日 - 1946年(昭和21年)10月8日)
版画家。 1906年東京美術学校西洋画科卒業。翌年石井柏亭,森田恒友らと雑誌『方寸』を創刊して創作版画運動を推進。 12~16年ヨーロッパへ留学,ロシアを経て帰国後,再興日本美術院洋画部の同人となり,同展に多くの滞欧作を発表。 18年恩地孝四郎らと日本創作版画協会を創立。翌年には長野県小県郡神川村小学校で児童の自由画教育運動を起し,また同村に日本農民美術研究所を設立。
20年には小杉放庵らと院展を脱退,22年春陽会の結成に参加。簡潔で清新な木版画を得意とした。村山槐多の従兄。主要作品『漁夫』 (1904) ,『支那の女』 (12) ,『ブルターニュの小湾』 (12) ,『サンマルタンの冬』 (14) 。