山川豊
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山川 豊 | |
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出生名 | 木村 春次 |
生誕 | 1958年10月15日(66歳) |
出身地 | 日本 三重県鳥羽市 |
ジャンル | 演歌 |
職業 | 演歌歌手 |
担当楽器 | 歌 |
活動期間 | 1981年 - 現在 |
レーベル |
東芝レコード(東芝EMI) (1981年 - 2007年) EMIミュージック・ジャパン/サクラスターレコード (2007年 - 2013年) ユニバーサルミュージック/Prime Music (2013年 - ) |
事務所 | 長良プロダクション |
公式サイト | 所属事務所による公式サイト |
山川 豊(やまかわ ゆたか、本名:木村 春次(きむら はるじ)、1958年10月15日 - )は、日本の演歌歌手。血液型B型。1981年「函館本線」にて歌手デビュー。
同じく演歌歌手の、鳥羽一郎の実弟である(鳥羽は山川より1年半後の、翌1982年8月に「兄弟船」でデビュー)。
Contents
経緯
父は漁師、母は海女という漁業一家に生まれた。1981年2月のデビュー・シングル「函館本線」がいきなりロング・ヒットを記録。同年度(1980年12月)にデビューしたアイドル歌手・近藤真彦らと音楽新人賞争いを繰り広げ、1981年末の第23回日本レコード大賞・新人賞など数々受賞した。
歌手デビューから5年後の、1986年末に第37回NHK紅白歌合戦へ、念願の初出場を果たした。それ以降も2005年末の第56回NHK紅白歌合戦まで、過去11回の紅白出場の経験がある[1]。
高校を卒業後、職業訓練学校を経て、自動車の整備士として、地元・三重県(鈴鹿市)の「鈴鹿サーキット」で勤務していた時期があった。
音楽
シングル
# | 発売日 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|---|
1980年代 | |||||
1 | 1981年 2月5日 |
函館本線 | たきのえいじ | 駒田良昭 | 前田俊明 |
2 | 1982年 3月1日 |
放浪ごころ | やしろよう | 伊藤雪彦 | 竜崎孝路 |
3 | 1982年 9月1日 |
酒ごころ | 水木れいじ | 浜圭介 | 竜崎孝路 |
4 | 1983年 5月21日 |
死なず花 | 川内康範 | 五木ひろし | 高田弘 |
5 | 1984年 4月21日 |
はぐれ雲 | やしろよう | 伊藤雪彦 | 竜崎孝路 |
6 | 1984年 11月21日 |
流氷子守歌 | 池田充男 | 曽根幸明 | 丸山雅仁 |
7 | 1986年 2月21日 |
ときめきワルツ | 川内康範 | 遠藤実 | 只野通泰 |
8 | 1987年 5月1日 |
愛待草より | 川内康範 | 遠藤実 | 斉藤恒夫 |
9 | 1987年 11月5日 |
港酒場 | たきのえいじ | 小町昭 | |
10 | 1988年 6月25日 |
こころ花 | 里村龍一 | 聖川湧 | 前田俊明 |
11 | 1989年 8月2日 |
北斗星 | やしろよう | 浜圭介 | 馬飼野俊一 |
1990年代 | |||||
12 | 1990年 4月6日 |
しぐれ川 | 吉田旺 | 徳久広司 | 馬場良 |
13 | 1992年 2月19日 |
夜桜 | 吉田旺 | 徳久広司 | 前田俊明 |
14 | 1993年 3月31日 |
きずな | 里村龍一 | 弦哲也 | 馬場良 |
15 | 1994年 3月16日 |
途中下車 | 吉幾三 | 野村豊 | |
16 | 1995年 2月17日 |
面影本線 | 里村龍一 | 四方章人 | 前田俊明 |
17 | 1996年 2月21日 |
酒は男の子守歌 | 秋浩二 | 伊藤雪彦 | 伊戸のりお |
18 | 1997年 3月26日 |
酒場のろくでなし | 秋浩二 | 伊藤雪彦 | 伊戸のりお |
19 | 1998年 2月18日 |
アメリカ橋 | 山口洋子 | 平尾昌晃 | 矢野立美 |
20 | 1998年 8月7日 |
男のららばい | たきのえいじ | 鈴木淳 | 前田俊明 |
2000年代 | |||||
21 | 2000年 1月13日 |
雪舞橋 | 山口洋子 | 平尾昌晃 | 矢野立美 |
22 | 2000年 9月13日 |
逢えてよかった | 山口洋子 | 平尾昌晃 | 矢野立美 |
23 | 2001年 5月16日 |
泣かないで | たきのえいじ | 浜圭介 | 矢野立美 |
24 | 2002年 1月17日 |
わかれ雪 | 高橋直人 | あらい玉英 | 佐伯亮 |
25 | 2003年 1月1日 |
港のブルース | たきのえいじ | 弦哲也 | 前田俊明 |
26 | 2004年 7月28日 |
哀愁の街に霧が降る[2] | 佐伯孝夫 | 吉田正 | 竜崎孝路 |
27 | 2005年 2月2日 |
海峡本線 | 麻こよみ | 徳久広司 | 南郷達也 |
28 | 2005年 10月13日 |
友情-とも- | たかたかし | 西つよし | 南郷達也 |
29 | 2007年 1月31日 |
ニューヨーク物語り | つんく | 湯浅公一 竹上良成 | |
30 | 2009年 6月24日 |
霧雨のシアトル | 阿木燿子 | 平尾昌晃 | 矢野立美 |
2010年代 | |||||
31 | 2010年 9月8日 |
我が娘へ | 吉幾三 | 伊戸のりお | |
32 | 2012年 1月11日 |
ナイアガラ・フォールズ | 阿木燿子 | 堀内孝雄 | 川村栄二 |
33 | 2013年 5月22日 |
優しい女に会いたい夜は | 紙中礼子 | 花岡優平 | 矢野立美 |
34 | 2015年 3月25日 |
螢子 | 高田ひろお | 弦哲也 | 前田俊明 |
35 | 2016年 3月16日 |
再愛 | 原文彦 | 叶弦大 | 丸山雅仁 |
36 | 2017年 6月14日 |
黄昏 | 原文彦 | 叶弦大 | 丸山雅仁 |
37 | 2018年 4月18日 |
今日という日に感謝して | 麻こよみ | 徳久広司 | 前田俊明 |
主なテレビ出演
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1986年(昭和61年)/第37回 | 1 | ときめきワルツ | 07/20 | テレサ・テン | 紅白初出場 |
1992年(平成4年)/第43回 | 2 | 夜桜 | 03/28 | 香西かおり | 6年ぶり復帰 |
1993年(平成5年)/第44回 | 3 | 流氷子守歌 | 03/26 | 香西かおり(2) | |
1994年(平成6年)/第45回 | 4 | 途中下車 | 16/25 | 香西かおり(3) | |
1997年(平成9年)/第48回 | 5 | 酒場のろくでなし | 05/25 | Every Little Thing | 3年ぶり復帰 |
1998年(平成10年)/第49回 | 6 | アメリカ橋 | 05/25 | 西田ひかる | |
1999年(平成11年)/第50回 | 7 | アメリカ橋(2回目) | 07/25 | 香西かおり(4) | |
2000年(平成12年)/第51回 | 8 | 逢えてよかった | 04/25 | 中村美律子 | |
2001年(平成13年)/第52回 | 9 | 泣かないで | 03/27 | 原田悠里 | |
2003年(平成15年)/第54回 | 10 | 函館本線 | 05/27 | 水森かおり | 2年ぶり復帰 |
2005年(平成17年)/第56回 | 11 | 海の匂いのお母さん | 11/29 | 平原綾香 | 2年ぶり復帰 |
ドラマ
紀行番組
- 童謡の魅力に出会う旅〜山川・氷川・水森・田川・岩佐・はやぶさが行く(BSジャパン、2014年2月8日)
受賞歴
1981年
- 日本有線大賞 新人賞
- 全日本有線放送大賞 新人賞
- FNS音楽祭 新人賞
- 第12回日本歌謡大賞 優秀放送音楽新人賞
- 第23回日本レコード大賞 新人賞
- 日本テレビ音楽祭 優秀新人賞
- KBC新人歌謡音楽祭 シルバー賞
- ABC1981年歌謡新人グランプリ 審査員奨励賞
- 銀座音楽祭 専門審査員奨励賞
- 新宿音楽祭 金賞
- 横浜音楽祭 新人奨励賞
- 全日本歌謡音楽祭 銀賞
1987年
- 古賀政男記念音楽大賞
- 日本有線大賞協会選奨
- 日本歌謡大賞放送音楽賞
1990年
1991年
- 藤田まさと賞
- メガロポリス歌謡祭 男性部門入賞
- 横浜音楽祭 音楽祭賞
- 日本歌謡大賞放送 音楽賞
1998年
- 日本作詩大賞 大賞
2007年
- 日本作詩大賞 優秀作品賞
テレビ出演時のエピソード
- 『クイズ!ヘキサゴンII』では、珍解答を連発している。また、稀に問題を聞き逃すこともあり「何?」「もういっぺん問題読んで」と言う。ファミリーメンバーとして有名な香田晋と共に出演した際の紹介では「毎回、ハジけてくれます」という言われぶりであった。
- 『クイズ$ミリオネア』(2006年12月7日放送)でも、つまらない昔話でお茶を濁した挙句、早々とライフラインを使用後、10問目の日本史問題、大坂夏の陣で、豊臣氏を滅ぼした武将を、徳川家康を選択しないで上杉謙信を選んで終了する「不勉強」ぶりを披露して撃沈した。
- 『ネプリーグ』(2012年9月10日放送)でも、不正解を連発しまわりの人達(特に水森かおり)から突っ込まれていた。
備考
- 当初、山川 豊という芸名でのデビューは予定されていなかった。同じ事務所で先輩である橋幸夫のマネージャー「山川 豊」が、デビュー直前に階段から落ちて転落死したため、亡くなったマネージャーを哀悼する形で、そのまま芸名として名乗ってデビューすることになり、今日に至る。
- 1981年、実兄の鳥羽一郎は日本歌謡大賞・新人賞候補に山川がノミネートされているのをテレビで見てたまらず、会場の日本武道館に直行。警備員の制止を振り切り(鳥羽はデビュー前だった)、優秀放送音楽新人賞を受賞した山川を、鳥羽と共に男泣きしながら抱擁する一幕があった。
- 野球にも造詣が深く、大の読売ジャイアンツファン。『ラジオ日本ジャイアンツナイター』には2度ゲスト出演(2007年8月22日、対中日戦[3]と、2010年9月21日、対横浜戦[4])を果たしている。
- フジテレビのドラマ『アタシんちの男子』で玄関を開けるシーンにおいてこの名前がキーワードになっている。
- 川嶋あいとの交流は兄:鳥羽一郎ほどはないものの、2010年、ラジオ番組川嶋あい On The Streetの放送300回を鳥羽一郎とともに祝うメッセージがこの番組の中で流された。
- 矢沢永吉のファン[5]。
- わたなべボクシングジム所属でJBC日本ボクシングコミッションからC級プロボクサーライセンス及びプロボクシングトレーナー保持者。現在もトレーナーとして指導に当たっており、山崎静代も山川から手ほどきを受けたことがある[6]。ただし、JBCを初めとするボクシング団体管轄の試合で、プロボクサーとしてリングに上がった経験はない。
- ガス溶接技能者
- 社交ダンスアマチュアメダルテスト・シルバー級