山内孝徳

提供: miniwiki
移動先:案内検索

山内 孝徳(やまうち たかのり、1956年8月5日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

鎮西高校では、1974年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、中九州大会準決勝に進出するが佐伯鶴城高に敗退、甲子園には届かなかった。卒業後は電電九州に進む。1979年のドラフト会議で南海ホークスの3位指名を受けるが、これを保留し、1980年都市対抗にエースとして出場する。1回戦で優勝候補の東芝に完投勝利するなど活躍。同年の日本選手権では準決勝に進出するが、エース長谷部優を擁する松下電器に0-1で惜敗。シーズン終了後に南海に入団した。電電九州のチームメートに村岡耕一がいる。

入団時に躊躇なく背番号19をつける。南海の功労者である野村克也元監督が1977年に解任されて以来、空き番となっていたが、これは球団が18番の山内和宏(実質同期入団)、20番の山内新一(当時のエース格)と番号を揃えることで「山内トリオ」として売り出すためと[1]、2位指名の事前約束を反故にする形での3位指名だったこと[2]で拒否を考えていた山内自身も「南海といえば19番だから」という理由で入団条件として要求したこともあり、つけることになった。

スライダーシュートを武器にする強気なスタイルと制球力を持ち味とし[3]、山内和宏らとともに弱小期南海のエース格として7年連続2桁勝利を上げる活躍をした。ただチームが低迷期ゆえ[4]、9年連続2桁敗戦も記録。先発登板の際は、香川伸行がスタメン捕手を務める事が多かった。自身の地元である福岡(平和台野球場)ホーム開幕戦(1989年4月15日)で勝利して以降成績が低迷した。1992年に通算100勝をマークし現役引退[5]

RKB毎日放送東京メトロポリタンテレビジョン野球解説者、また福岡でタレント、パーソナリティーとして活躍し、その傍らNPO法人ホークスジュニアアカデミーで野球教室のコーチを務めている[3]1997年から2003年までスポーツニッポン評論家も務めた。2014年からは福岡ソフトバンクホークスのファーム投手チーフコーチに就任し[6]、背番号「91」[7]をつけたが、1年限りで退団[8]2015年から社会人野球の九州三菱自動車硬式野球部で投手チーフコーチに就任し、[9]2年間務めた。現在は野球解説者としての活動に専念している。

現役時代からの口ひげは今も健在[10]

詳細情報

年度別投手成績

1981 南海
ダイエー
25 24 10 2 5 7 13 0 -- .350 680 162.2 188 13 24 1 3 50 0 0 77 63 3.48 1.30
1982 30 30 14 2 5 13 12 0 -- .520 879 216.0 212 26 25 1 4 79 2 0 88 73 3.04 1.10
1983 31 31 16 2 3 10 14 0 -- .417 1002 242.0 264 30 35 3 11 88 1 0 120 110 4.09 1.24
1984 31 31 13 2 1 16 11 0 -- .593 880 204.2 248 32 34 1 6 89 1 0 125 111 4.88 1.38
1985 32 31 14 2 4 10 12 0 -- .455 862 202.1 228 31 37 1 4 85 1 0 123 107 4.76 1.31
1986 33 29 13 1 4 11 18 0 -- .379 901 211.1 251 39 32 6 5 117 0 1 112 105 4.47 1.34
1987 30 28 10 2 4 10 14 0 -- .417 836 195.2 240 20 33 5 0 75 0 4 99 91 4.19 1.40
1988 26 25 10 1 1 11 11 0 -- .500 796 186.1 208 22 43 8 4 68 1 0 95 87 4.20 1.35
1989 21 18 6 0 1 3 13 0 -- .188 501 110.0 154 21 21 1 7 39 2 0 85 82 6.71 1.59
1990 39 6 0 0 0 7 7 5 -- .500 318 70.2 89 15 23 4 2 39 0 0 51 48 6.11 1.58
1991 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 42 9.2 11 2 3 0 0 3 0 0 8 8 7.45 1.45
1992 16 1 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 137 31.0 40 7 6 1 2 17 0 0 22 22 6.39 1.48
通算:12年 319 254 106 14 28 100 125 5 -- .444 7834 1842.1 2133 258 316 32 48 749 8 5 1005 907 4.43 1.33
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

記録

初記録
節目の記録
  • 1000投球回数:1985年9月15日、対日本ハムファイターズ19回戦(後楽園球場)、3回裏3死目に達成
  • 1500投球回数:1988年6月15日、対日本ハムファイターズ10回戦(大阪スタヂアム)、1回表3死目に達成
  • 100勝:1992年6月28日、対日本ハムファイターズ12回戦(平和台球場)、先発登板で7回1/3を3失点 ※史上104人目
その他の記録

背番号

  • 19 (1981年 - 1992年)
  • 91 (2014年)

関連情報

出演

脚注

  1. 『ベースボールマガジン 1998年夏季号 背番号&ユニフォーム大特集』 ベースボールマガジン社、1998-07-01。
  2. 2位として高校野球で有名になった香川伸行捕手を急遽指名することになったため。
  3. 3.0 3.1 NPO法人ホークスジュニアアカデミー > 山内 孝徳”. HAWKS JUNIOR ACADEMY. . 2011閲覧.
  4. ホークス75年史―南海、ダイエー、ソフトバンクー継承される栄光の歴史、ベースボール・マガジン社、2013年、P74
  5. 実家で百姓の手伝いをしていた事もあり、「百姓が100勝して200勝」とネタにする。
  6. 新入団コーチのお知らせ福岡ソフトバンクホークス公式サイト2013年10月17日配信
  7. 新入団の山内コーチが会見「先発完投型を育てたい」福岡ソフトバンクホークス公式サイト2013年10月21日配信
  8. コーチの退団について福岡ソフトバンクホークス公式サイト2014年11月5日配信
  9. 昨年ホークスコーチの山内孝徳氏が社会人野球のコーチに就任 田尻耕太郎(スポーツライター)。Yahooニュース、2015年2月16日。
  10. 勝ち星が自身の背番号19を上回ることができたら髭を剃るつもりだったが、1984年の16勝を上回ることができず、結局ひげを生やしたままにしていた

関連項目

テンプレート:福岡ソフトバンクホークス開幕投手 テンプレート:南海ホークス1979年ドラフト指名選手