屋島

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屋島(やしま)は、香川県高松市の東北に位置する、南北に長い台地の地形(メサ)の独立峰[1]

概要

屋島の名称は屋根のような形状に由来し[注 1][注 2]、高松市のシンボルになっている[注 3]。また、いにしえから瀬戸内海の海路のランドマークであり、海外交流交易海路に面した要衝であった[2]

屋島は南北5キロメートル・東西3キロメートルのである[注 4][3]。南嶺の標高は292.0m・北嶺の標高は282m、山頂は平坦で、端部は急崖で囲まれた台地の地形(メサ)である。両者は細い尾根で接続されている[1][4][5]

山上に多島海が眺められる展望景観を有し、1934年(昭和9年)3月16日、国立公園[6]として初の瀬戸内海国立公園に指定された[注 5]。当初の指定範囲は屋島を含む備讃瀬戸の一帯である[7][8]

島内に重層の遺跡を有し、まれな台地であることから[注 6]1934年(昭和9年)11月10日、国の史跡および天然記念物「屋島」に指定された。史跡および天然記念物の指定範囲は、相引川以北の全域と、その地先の100メートルの海面区域である[9][10][11]

663年白村江の戦いの後に屋嶋城が築かれ、山上の全域が城とされている。また、南嶺山上に唐僧の鑑真が創建したとの伝承をもつ屋島寺がある。さらに、東岸の入江の一帯は源平合戦(治承・寿永の乱)の屋島古戦場である[11]。その他、長崎ノ鼻(ながさきのはな)古墳[注 7]・北嶺山上に千間堂(せんげんどう)跡[注 8]・屋島経塚・長崎ノ鼻砲台跡などがある[12]

屋島の山頂は平坦で、四周は急崖で囲まれたメサの標式的なものである。また、山頂近くの登山道沿いの通称「畳石」は、板状節理の露頭である[11]。その他、屋島礫層と通称「雪の庭」と呼ばれる白色凝灰岩が南嶺山上に分布する[13]

屋島スカイウェイ[注 9]の通じた南嶺山上は、香川県を代表する観光地の一つとして開発されている。しかし、北嶺山上は良好な自然公園である。両者は細い尾根で接続され、各々周回した歩行者専用の探勝遊歩道と、南北嶺を縦走できる登山道が整備されている[注 10][14][15]

屋島は字義どおり島である[注 4][3][4]。しかし、江戸時代に始まる塩田開発と干拓水田は後の時代に埋め立てられ、陸続きのようになる。東岸と西岸と相引川沿いの埋立地は、住宅地・市街地に改変され、国の史跡および天然記念物の指定地内に多くの人が集住する[16]。現在の法定区分は、高松市を形成する四国本島の扱いである。

島々への拠点港を有する新市街地、サンポート高松ウォータフロントからの屋島の遠望は、ハワイダイヤモンドヘッドに似た、シンボル性のあるランドマークである[17]

地形・地質ほか

地形の詳細は、巻頭と概要に記述の通り。

屋島は、新生代中新世の約1300万年前~約1500万年前の瀬戸内火山活動の溶岩などでできた讃岐層群からなる。基盤岩は花崗岩で、火山活動の溶岩などがを埋めた後に土地が隆起したとされている。その後、長期にわたる浸食・削剥作用に対して、硬質の讃岐岩質安山岩(サヌキトイド)がキャップロックとなり残った台地の地形である[1][18][19]

塩田跡と干拓水田が埋め立てられ、短い多くの橋が架かり、探索だけでは島を認識することは困難である。四国本土と屋島は、相引川(幅10メートルほどの河川)で分離されている[16]

歴史

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談古嶺で古戦場跡を望む

山麓の浦生(うろ)集落の鵜羽神社境内遺跡では、弥生時代の後期に土器製塩が開始され、古墳時代中期に築かれた長崎ノ鼻古墳に至る。山上では、弥生時代中期の高地性集落の痕跡があり、飛鳥時代屋嶋城の築城に至る[1]

663年白村江の戦いの大敗の後、中大兄皇子(天智天皇)が新羅の侵攻に備え、対馬~九州の北部~瀬戸内海~畿内に至る要衝に、様々な防御施設を築いたことが『日本書紀』に記載されている。667年天智天皇6年の条に、「築 倭國高安城 讃吉國山田郡屋嶋城 対馬國金田城」と記載され、古代が築かれている。しかし、山上に遺構が見あたらず、実体のない幻の城であった。1998年(平成10年)、南嶺山上の石塁の発見を契機に城門跡が発掘され、古代山城の存在が明確になる[20][21][22]

古刹の屋島寺は、南面山千光院と号する仏教寺院で、前身は北嶺の山岳寺院、千間堂跡にあったとされる。寺伝では、空海が南嶺に伽藍を移したという。鎌倉時代は盛衰を繰り返し、江戸時代初期の勧進により再興する。その後、藩主の生駒氏・松平氏の庇護を受け整備された[1][20]。また、屋島寺本堂・木造千手観音坐像・梵鐘は、国指定の重要文化財である[23][24]

屋島は源平合戦の摂津一ノ谷の戦いに破れた平氏が、安徳天皇を奉じて根拠としており、翌年の1185年(元暦2年2月)に起こった、讃岐屋島の戦いの古戦場である。『平家物語』他、この戦いで源氏方の那須与一が平氏方の軍船に掲げられた、扇の的を射落としたエピソードなどが知られる[20][25]

登山・ハイキング

東西を横断するコースもあるが、代表的な南北嶺の縦走コースは下記の通り。

最寄駅から屋島競技場屋島小学校屋島寺に至る、歩行者専用の屋島登山道(参道・遍路道・四国のみち・県道)を目指す。車止めを過ぎれば、舗装された歩行者専用道路になる。加持水(かじすい)~不喰梨(くわずのなし)~畳石(たたみいし)を経て、屋島寺の仁王門に到着する。屋島寺の本堂から四天門に折り返して西側のみやげ物店を通ると、獅子ノ霊巌(ししのれいがん)の展望所である。遊歩道を歩み、北嶺入口を越えると北東角の、談古嶺(だんこれい)展望所である。北嶺入口に折り返し、舗装された遊歩道を進むと、北嶺周回の三差路に出合う。三差路の奥に千間堂広場が広がる。東西の遊歩道か、千間堂広場から北上する土道の遊歩道を進むと北端で合流する。北方のウバメガシの林を抜けると、北嶺北端の遊鶴亭(ゆうかくてい)の展望所である。遊鶴亭から山道をジグザグに下ると[注 11]県道の北嶺登山口に出る。県道を横切り林の中の山道を進むと、未舗装の車道に下り立つ。北に進み階段を下れば、海が広がる砲台跡の長崎ノ鼻の先端に到着する。帰路は車道を戻り、県道に出て、右折れして屋島西町方面に進むと、屋島健康ランド前のバス停に到着する。余裕があれば、最寄駅まで歩く。そして、本コースに、山上の南嶺南端の冠ケ嶽の折り返しを加える登山者もいる[15]

山麓の最寄駅からシャトルバスが屋島山上を往復する。シャトルバスを利用した種々のコースで、登山者・ハイカーウォーカーは、四季折々に天空の散策を楽しむ[14][15][26]

観光

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獅子ノ霊厳から備讃瀬戸(西方)を遠望

四季を通して観光客・四国霊場巡礼者・登山客が訪れる屋島は、県下の小・中学生の学習場所として活用され、県民も四季の屋島を楽しむ[注 12]

山上は南嶺と北嶺ゾーンに区分できる。南嶺には、四国八十八ケ所霊場第84番札所の屋島寺、蓑山大明神、屋島寺宝物館、新屋島水族館がある。また、屋嶋城の城門遺構の復元と見学路が整備され、2016年3月より、一般公開されている[27][28]

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屋島寺と祭事風景

南嶺の獅子ノ霊巌(ししのれいがん)からは、高松市街・石清尾山五色台瀬戸大橋・琴平山(象頭山)、談古嶺(だんこれい)からは、源平合戦の屋島古戦場・五剣山、北嶺北端の遊鶴亭(ゆうかくてい)からは、多島海が眺望でき、三大展望所とされている。また、夕焼け~夜景の展望景観は、「日本の夕陽百選[29]・「日本夜景遺産[30]・「夜景100選」[31]に選定されている。

南北嶺の山上は歩行者専用の探勝遊歩道が周回し、北嶺北端の遊鶴亭に加え、南嶺南端の冠ケ嶽で讃岐平野と阿讃の山並を楽しむ散策者もいる。また、岡山県鷲羽山などの山並みと、兵庫県の南西部の山並みに加え、淡路島も遠望できる。さらに、晩秋から冬季は、剣山明石海峡大橋も視野に入る。そして、 談古嶺では、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地で、四国本島最北端の庵治町は眼下に、映画「二十四の瞳」・「八日目の蝉」のロケ地の小豆島も一望できる。その他、女木島男木島大島は眼下、直島豊島も一望できる。

日本三名狸屋島ノ太三郎(やしまのたさぶろう)狸は、蓑山大明神として屋島寺の境内に祀られている。一夫一婦の契も固く、家庭円満・縁結びの神とされている[32]井上ひさし著の小説『腹鼓記』の屋島ノ禿狸や、高畑勲監督のアニメーション映画「平成狸合戦ぽんぽこ」の太三郎禿狸として知られる。

名物は、「いいだこおでんかわらけ投げ」などがある。

屋島スカイウェイ[注 9]は南嶺東斜面を縦走する。山上に近いヘアピンカーブのトンネルを貫け、西斜面に出て駐車場(有料)に至る。東斜面に、二か所の展望所がある。このスカイウェイは、「日本風景街道」[33]の「源平ロマン街道」[34]に指定され、屋島山上~海沿いの庵治半島~道の駅「源平の里むれ」を結ぶ風景街道である。

屋島スカイウェイの東斜面中腹の山側に、 「ミステリーゾーン」 の表示板がある。この場所の路面は、上り坂が目の錯覚で下り坂に見えるとされている[35][36]

屋島スカイウェイの山麓の山側には、祭神が徳川家康松平頼重の屋島神社(讃岐東照宮)と、四国民家博物館(四国村)が隣接して存在する[25]

東岸の入江(屋島湾)と、入江を囲む屋島東町牟礼町庵治町・屋島の南に隣接した高松町が、源平合戦の屋島古戦場である。歴史と数々のエピソードを有する『平家物語』他が織り成す史跡が点在する[25]

香川県には、屋島を筆頭とするメサと、飯野山(讃岐富士)を筆頭とするビュート状の小山が混在し、特異な景観を有する[37]。この様子は、屋島山上からも展望できる。

屋島は、瀬戸大橋の開通時の賑わいを最後に観光客が激減した。みやげ物店・宿泊施設が相次いで閉鎖された後、廃屋が林立する状況に至った。2011年、大西秀人市長は屋島の活性化を宣言し[38]、屋島活性化基本構想・屋島活性化推進計画を策定した。その後、廃屋撤去跡の整備・屋嶋城の城門遺構の復元・屋島スカイウェイ高松市道化)ほか、種々の活性化策が展開されている[2]

2017年、環境省の「国立公園満喫プロジェクト展開事業」に、「屋島の絶景プロモーション事業」が採択された。文化・観光の拠点となる、「屋島山上拠点施設」ほかの整備計画が展開されている[39]

その他

  • 屋島の国有林は、四国の「レクリエーションの森の風景林」に指定され、北嶺にはウバメガシの純林などが広がる[40]
  • 屋島の818ヘクタールは、香川県の鳥獣保護区に指定されている[41]
  • 山麓から屋島寺に至る屋島登山道と、相引川側に沿った八栗寺に至る道は、国土交通省の「四国のみち」に指定されている[42]
  • 四国百名山」に「屋島」として選定されている[43]
  • 新日本観光地百選」や「日本二十五勝」などに「屋島」として選定されている。
  • 遊歩百選」に「屋島」として選定されている。
  • 美しい日本の歩きたくなるみち500選」に「源平合戦史跡を巡るみち」として選定されている。
  • 山麓には、うどんの「わら屋」・骨付鳥の「一鶴」・「やしま第一健康ランド」などがある。
  • 髙松市のシンボル屋島は、市庁舎の入口正面壁画と、市議会議場の正面どん帳に描かれている。また、市内の多くの小・中学校や高校の校歌の歌詞に採用されている[44]
  • 屋島は当初、国の「名勝」として指定が検討されていた。しかし、屋島を含む備讃瀬戸が日本初の国立公園に指定されたため、名勝的価値は国立公園に委ねられた[45]

アクセス

山上へは、屋島山上行きシャトルバス・タクシーの利用、または自動車・二輪車・自転車・徒歩で屋島スカイウェイ[注 9]を利用する。シャトルバス・タクシーの利用は、JR高徳線屋島駅または高松琴平電気鉄道(琴電)志度線琴電屋島駅が最寄駅となる。山上は南嶺の駐車場を除いて歩行者天国、自動車・二輪車・自転車の走行は許可申請を要する。登山の場合は、琴電潟元駅・琴電屋島駅またはJR屋島駅で下車、屋島小学校の前を通り、歩行者専用の屋島登山道(参道・遍路道・四国のみち・県道)を登る。かつては屋島ケーブルがあったが、2004年に廃止された。

ギャラリー

脚注

注釈

  1. 「屋島の山容」を、卓状およびテーブル状とたとえる例もある。遠望の屋島を東西からは「寄棟形の屋根」、南方からは「切妻形の屋根」、山麓の南からは「屋島富士」にたとえる例もある。
  2. 平家物語とその派生文化では、「八嶋(八島)」と表現されていることが多い。
  3. 「世界で誇れる高松市のシンボル」として再生するため、「屋島活性化基本構想」を策定した(わがまちの自然公園/髙松市、大西秀人。国立公園 NO.717号、2013年、24-25頁)。
  4. 4.0 4.1 国土地理院と海上保安庁(日本国政府)は、屋島を「島」と定めている。
  5. 雲仙国立公園および霧島国立公園と同時指定である。
  6. 屋島礫層の発見後は「屋島のメサを溶岩台地と呼ぶのは適切ではない」とされている。
  7. 5世紀初頭の全長45メートルの前方後円墳で、石棺は阿蘇溶結凝灰岩製である。
  8. 屋島寺の前身の仏堂跡(礎石建物)で、基壇から多口瓶が3個体出土している。
  9. 9.0 9.1 9.2 旧屋島ドライブウエイは、2018年5月27日、高松市道として供用を開始。自転車・徒歩での通行も可能となる。ただし、駐車場は有料化された。
  10. 香川県は「瀬戸内海国立公園 屋島案内図」の説明板を、山上の遊歩道と山麓の要所に設置している。
  11. この登山道は、「長崎屋島北嶺線遊歩道」である(『香川の瀬戸内海国立公園 ガイド』、香川県 みどり保全課、2016年、16頁)。
  12. 山麓には小・中学生を対象にした県立の集団宿泊施設、「屋島少年自然の家」がある。

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 『屋島 ―シンボリックな大地に刻まれた歴史―』、高松市歴史資料館、2014年、2・8・12・16・25・27頁。
  2. 2.0 2.1 屋島活性化基本構想(PDF) - 高松市。2018年6月29日閲覧
  3. 3.0 3.1 香川県のしまっぷ ー第六管区海上保安本部
  4. 4.0 4.1 地図情報(電子国土基本図)・地名集日本2007(地名に関する情報) - 国土地理院
  5. 讃岐ジオサイト (10) 屋島 - 香川大学
  6. 国立公園 - 環境省
  7. 瀬戸内海国立公園 - 環境省
  8. 瀬戸内国立公園 パークガイド 瀬戸内海 東部地域』、自然公園財団、2004年、33頁。
  9. 『髙松市史跡天然記念物屋島保存整備等基本構想』、髙松市、1995年、9-10頁。
  10. 屋島 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  11. 11.0 11.1 11.2 屋島 - 文化遺産オンライン(文化庁
  12. 史跡天然記念物屋島の調査- 高松市
  13. 「屋島」天然記念物- 高松市
  14. 14.0 14.1 「香川の瀬戸内海国立公園 ガイド」、香川県 みどり保全課、2016年、15-16頁。
  15. 15.0 15.1 15.2 高松勤労者山の会「屋島」『香川県の山』、山と渓谷社、2017年、10-15頁。
  16. 16.0 16.1 屋島風土記編纂委員会 『屋島風土記』、屋島文化協会、2010年、52・58頁。
  17. 座談会/屋島活性化に必要なこと。四国新聞、2013年11月1日閲覧。
  18. 長谷川修一 他 著 『讃岐ジオサイト探訪』、香川大学生涯学習教育センター、2013年、1-5・50-53頁。
  19. 林 巍 監「屋島」『里山に遊ぶ』、里山悠遊クラブ・自然探訪の会、2003年、84頁。
  20. 20.0 20.1 20.2 澁谷啓一 「屋島」『歴史考古学大辞典』、吉川弘文館、2007年、1167頁
  21. 向井一雄 「屋嶋城跡」『東アジア考古学辞典』、東京堂出版、2007年、525頁
  22. 『 史跡天然記念物屋島』、高松市教育委員会、2003年、63・124頁。
  23. 国指定文化財等データベースー文化庁
  24. 『 香川の文化財』、香川県教育委員会、1996年、11・104・165頁。
  25. 25.0 25.1 25.2 香川県の歴史散歩編集委員会『香川県の歴史散歩』、山川出版社、2013年、41・45-47頁。
  26. 「屋島」『野山への招き PARTⅢ』、髙松市ハイキング協会、2001年、47-50頁。
  27. 歴史ロマン「開門」。四国新聞、2016年3月19日閲覧。
  28. 『屋嶋城跡ー城門遺構整備事業報告書ー』、高松市教育委員会、2016年。
  29. 高松市 -日本の夕陽百選選考委員会
  30. 屋島獅子ノ霊巌 - 日本夜景遺産事務局
  31. 夜景100選(香川県) - 新日本三大夜景・夜景100選事務局
  32. 「蓑山大明神之屋島太三郎狸」の説明板による。
  33. 日本風景街道 - 日本風景街道戦略会議
  34. 源平ロマン街道 - 四国風景街道協議会
  35. 「るるぶ 香川'18」、JTBパブリッシング、2017年、56頁。
  36. 坂道錯視 - 北岡明佳の錯視のページ
  37. 木原溥幸 編『香川県の謎解き散歩』、新人物往来社、2012年、218頁。
  38. 「大西ひでとマニフェスト」、大西ひでと後援会事務局、2011年。
  39. 大西秀人「瀬戸内海国立公園の多島美を世界へ」『国立公園』 NO.762号、2018年、19-20頁)。
  40. 四国の「レクリエーションの森」 - 林野庁
  41. 「かがわの自然保護マップ」、香川県 みどり保全課、2014年。
  42. 「四国のみち」 - 国土交通省四国地方整備局
  43. 『四国百名山』、山と渓谷社、2000年、89頁。
  44. 大山晃 著「屋島は高松市のシンボルか」『高松の校歌』、高松市図書館、2001年、4頁。
  45. 『屋島名勝調査報告書』、高松市教育委員会・京都府公立大学法人、2016年、報告書抄録。

参考文献

  • 高松市歴史資料館 編 『屋島 ―シンボリックな大地に刻まれた歴史―』(史跡・天然記念物屋島指定80周年記念企画展)、高松市、2014年。
  • 長谷川修一・鶴田聖子 著 『讃岐ジオサイト探訪』、香川大学生涯学習教育センター、2013年。

外部リンク