小野小町

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小野小町(『前賢故実菊池容斎画、明治時代)
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歌碑(京都随心院)「花の色は」の歌が刻まれている。

小野 小町(おの の こまち、生没年不詳)は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人六歌仙三十六歌仙女房三十六歌仙の一人。

人物像

小野小町の詳しい系譜は不明である。彼女は絶世の美女として七小町など数々の逸話があり、後世に浄瑠璃などの題材としても使われている。だが、当時の小野小町像とされる絵や彫像は現存せず、後世に描かれた絵でも後姿が大半を占め、素顔が描かれていない事が多い。

出自

系図集『尊卑分脈』によれば小野篁息子である出羽郡司小野良真の娘とされている。しかし、小野良真の名は『尊卑分脈』にしか記載が無く、他の史料には全く見当たらない。加えて、数々の資料や諸説から小町の生没年は天長2年(825年) - 昌泰3年(900年)の頃と想定されるが、小野篁の生没年(延暦21年(802年) - 仁寿2年(853年))を考えると篁の孫とするには年代が合わない。ほかに、小野篁自身の娘[1]、あるいは小野滝雄の娘[2]とする説もある。

血縁者として『古今和歌集』には「小町姉(こまちがあね)」、『後撰和歌集』には「小町孫(こまちがまご)」、他の写本には「小町がいとこ」「小町姪(こまちがめい)」という人物がみえるが存在が疑わしい。さらには、仁明天皇更衣(小野吉子、あるいはその妹)で、また文徳天皇清和天皇の頃も仕えていたという説も存在するが、確証は無い。このため、架空説も伝えられている。

また、「小町」は本名ではなく、「町」という字があてられているので、後宮に仕える女性だったのではと考えられる(ほぼ同年代の人物に「三条町紀静子)」「三国町仁明天皇皇子貞登の母)」が存在する)。前述の小町姉が実在するという前提で、姉妹揃って宮仕えする際に姉は「小野町」と名付けられたのに対し、妹である小町は「年若い方の“町”」という意味で「小野小町」と名付けられたという説もある。

生誕地に纏わる伝承

生誕地については、伝承によると現在の秋田県湯沢市小野といわれており、晩年も同地で過ごしたとする地域の言い伝えが残っている。ただし、小野小町の真の生誕地が秋田県湯沢市小野であるかどうかの確証は無く、平安時代初期に出羽国北方での蝦夷反乱で出羽国府城輪柵山形県酒田市)に移しており、その周辺とも考えられる。この他にも京都市山科区とする説、福井県越前市とする説、福島県小野町とする説[3]熊本県熊本市北区植木町小野とする説[4]神奈川県厚木市小野とする説[5]など、生誕伝説のある地域は全国に点在しており、数多くの異説がある。東北地方に伝わるものはおそらく『古今和歌集』の歌人目録中の「出羽郡司娘」という記述によると思われるが、それも小野小町の神秘性を高めるために当時の日本の最果ての地の生まれという設定にしたと考えられてもいて、この伝説の裏付けにはなりにくい。ただ、小野氏には陸奥国にゆかりのある人物が多く、小町の祖父である小野篁は青年時代に父の小野岑守に従って陸奥国へ赴き、弓馬をよくしたと言われる。また、小野篁のいとこである小野春風は若い頃辺境の地に暮らしていたことから、夷語にも通じていたという。

晩年に纏わる伝承

前述の秋田県湯沢市小野で過ごしたという説の他、京都市山科区小野は小野氏の栄えた土地とされ、小町は晩年この地で過ごしたとの説がある。ここにある随心院には、卒塔婆小町像や文塚など史跡が残っている。後述の「花の色は..」の歌は、花が色あせていくのと同じく自分も年老いていく姿を嘆き歌ったものとされる。

墓所

小野小町の物とされる墓も、全国に点在している。このため、どの墓が本物であるかは分かっていない。平安時代位までは貴族も風葬が一般的であり(皇族等は別として)、墓自体がない可能性も示唆される。

  • 秋田県湯沢市小野には二ツ森という深草少将と小野小町の墳墓がある。なお、近隣には、小野小町の母のお墓とされる姥子石など、小野小町ゆかりの史跡が多数存在している。
  • 宮城県大崎市にも小野小町の墓があり、生地の秋田県雄勝郡横堀村に帰る途中、この地で病に倒れ亡くなったと伝えられている。
  • 山形県米沢市の塩井町には小野小町の墓とされる美女塚がある。
  • 福島県喜多方市高郷町には、小野小町塚があり、この地で病で亡くなったとされる小野小町の供養塔がある。
  • 栃木県栃木市岩舟町小野寺にも小野小町の墓があり、小町は大慈寺裏の断崖から薬師如来の世界を見て、身投げをしたという伝説がある。
  • 茨城県土浦市石岡市には、小野小町の墓があり、この地で亡くなったとの伝承がある。この2つの地は、筑波山の峠を挟んでかなり近いところにある。
  • 愛知県あま市新居屋に小町塚があり、背面には「小町東に下るとき此処で死せし」とある。
  • 京都府京丹後市大宮町五十河も小野小町終焉の地と言われ、小町の墓と伝えられる小町塚や、小町を開基とする妙性寺がある。
  • 京都府綴喜郡井手町では、小野小町が当地にて69歳で没したと伝えられ、小町の墓と伝えられる小野小町塚が残されている。
  • 京都市左京区静市市原町にある小町寺補陀洛寺)には、小野小町老衰像と小町供養塔などがある。
  • 滋賀県大津市大谷にある月心寺内には、小野小町百歳像がある。
  • 和歌山県和歌山市湯屋谷にも小町の墓があり、熊野参詣の途中この地で亡くなったとの伝承がある。
  • 鳥取県伯耆町にも同種の言い伝えがあり、小町地区に墓がある。また隣接して小野地区も存在する。
  • 岡山県総社市清音黒田にも、小野小町の墓がある。この地の伝承としては、小町が「四方の峰流れ落ちくる五月雨の黒田の蛭祈りますらん」とよむと、当地の蛭は吸い付かなくなったという蛭封じの歌が伝えられている。
  • 山口県下関市豊浦町川棚中小野にも、小野小町の墓がある。
  • 神奈川県厚木市小野には、嘉永元年に建てられた拝殿の横に、小町塚が存在する。

作品

歌風はその情熱的な恋愛感情が反映され、繊麗・哀婉、柔軟艶麗である。『古今和歌集』序文において紀貫之は彼女の作風を、『万葉集』の頃の清純さを保ちながら、なよやかな王朝浪漫性を漂わせているとして絶賛した。仁明天皇の治世の人物である在原業平文屋康秀良岑宗貞と和歌の贈答をしているため、実在性が高い、とする説もある。実際、これらの歌人との贈答歌は多く伝わっている。

<poem>

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを 『古今集・序』 色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける 『古今集・序』・今昔秀歌百選 選者:伴紀子(池袋松屋社長) わびぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらば往なむとぞ思ふ 『古今集・序』 わが背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも 『古今集・序』 いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞきる うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人めをもると見るがわびしさ かぎりなき思ひのままに夜もこむ夢ぢをさへに人はとがめじ 夢ぢには足もやすめずかよへどもうつつにひとめ見しごとはあらず うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき 秋の夜も名のみなりけりあふといへば事ぞともなく明けぬるものを 人にあはむ月のなきには思ひおきて胸はしり火に心やけをり 今はとてわが身時雨にふりぬれば事のはさへにうつろひにけり 秋風にあふたのみこそ悲しけれわが身むなしくなりぬと思へば</poem>

— 『古今集』
<poem>

ともすればあだなる風にさざ波のなびくてふごと我なびけとや 空をゆく月のひかりを雲間より見でや闇にて世ははてぬべき 宵々の夢のたましひ足たゆくありても待たむとぶらひにこよ</poem>

— 『小町集』

次の歌からも美女であった事が窺える。これは、百人一首にも選ばれている。

花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に — 『古今集』

著作

小野小町にちなむ作品

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「卒塔婆の月」(月岡芳年『月百姿』)年老いた小野小町

小野小町を題材とした作品を総称して「小町物」という。

小野小町を題材にした七つの謡曲、『草紙洗小町』『通小町』『鸚鵡小町』『関寺小町』『卒都婆小町』『雨乞小町』『清水小町』の「七小町」がある。これらは和歌の名手として小野小町を讃えたり深草少将百夜通いを題材にしたものと、年老いて乞食となった小野小町に題材にしたものに大別される。後者は能作者らによって徐々に形作られていった「衰老落魄説話」として中世社会に幅広く流布した。

歌舞伎

  • 積恋雪関扉(つもるこい ゆきの せきのと) 通称「関の扉」、歌舞伎舞踊常磐津)、天明4年 (1784) 江戸桐座初演
  • 『去程恋重荷』(さるほどに こいのおもに) 通称「恋の重荷」、歌舞伎舞踊(常磐津)、文政2年 (1819) 江戸中村座初演
  • 六歌仙容彩(ろっかせん すがたの いろどり) 通称「六歌仙」、歌舞伎舞踊(義太夫長唄清元)、天保2年 (1831) 江戸中村座初演
  • 『和歌徳雨乞小町』(わかの とく あまごい こまち) 通称「雨乞小町」、歌舞伎狂言、明治29年 (1896) 東京明治座初演

御伽草子

美術

鎌倉時代に描かれた、野晒しにされた美女の死体が動物に食い荒らされ、蛆虫がわき、腐敗して風化する様を描いた九相詩絵巻は別名を「小野小町九相図」と呼ばれる。モデルとしては他に檀林皇后も知られ、両人とも「我死なば焼くな埋むな野に捨てて 痩せたる(飢ゑたる)犬の腹を肥やせ(よ)」の歌の作者とされた。

裁縫用具

  • 裁縫に使う「待ち針」の語源は小野小町にちなむという俗説がある。言い寄ってくる多くの男に小野小町がなびくことがなかったため、穴()のない女と噂されたという伝説に基づき、穴のない針のことを「小町針」と呼んだことから来ているというものである[6]
  • 横溝正史の推理小説『悪魔の手毬唄』に登場する手毬唄では、「穴がない女性」という意味で「小町」の語が用いられている。

舞台

  • 『夜会』Vol.5(1993年)
中島みゆきの舞台。サブタイトルが「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」である。ポスターには十二単を着て小野小町に扮した中島みゆきが後姿で写っている。ストーリーは小野小町の伝承と、上田秋成雨月物語の中の浅茅が宿をモチーフにしている。
  • 『ミュージカル小野小町』
わらび座2007年上演の舞台。内舘牧子脚本、椿千代主演)は小町が残した「我死なば 焼くな埋むな 野にさらせ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ」の歌から、自分の人生を生ききった美しいだけではない強い女性として小町を描いている。
  • 『小町の千年情話』
さちいろ玉手箱第一回公演、2013年8月の舞台。真波連路の落語輪廻小町星恵が舞台劇に脚色、演出。企画、主演は棚橋幸代。生前の愛憎のもつれのために、没後、一千年も成仏できず、江戸の町をさまよう小野小町の霊。やっと成仏できる機会がめぐってきたが、小町の霊は、その機会を自分でふいにしてしまい、そして……。

小説

  • 『小説 小野小町「吉子の恋」』
三枝和子著。小野小町の本名が「小野吉子」で、文徳天皇更衣だったとする説を採用して、その一生を描いている。

アニメ

六歌仙のひとりとして3話から5話にかけて登場。声を演じたのは遠藤綾

原作者であり監督の新海誠は、小野小町の古今和歌集の和歌から着想を得て、この作品をつくったとしている[7]

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを

《現代語訳》

あの人のことを思いながら眠りについたから夢にでてきたのだろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうものを。

ドラマ

小野小町と深草少将の「百夜通い」の如く、公家の裏切りに傷ついた白拍子への想いを証明しようとした面打師・孫四郎(演 - 名高達郎)は九十九夜を最後に通いは途絶えた。時は流れ、転生した孫四郎は現代の京都で低温科学研究所に勤務する青年・山村三郎(演 - 名高達郎)として幸福な結婚をするが、前世の恋人が死ぬことなく400歳の妖怪「氷女」と化して真夏の上に異常気象で酷暑に見舞われる「きらら坂」に現れて男性を次々と死なせる事件を引き起こし、「百日行」の残り一日を目前にした修行僧・日信(演 - 小林芳宏)や三郎の父・山村孝吉(演 - 芦屋小雁)も犠牲になった。京都府警の早川六助(演 - 遠藤太津朗)は捜査の過程で、記録にあるだけでも戦後から5件も同様の怪事件が起きていることを知り困惑する。更には、妻・民子(演 - 村田みゆき)も「氷女」を目撃したショックで眼が見えなくなり入院してしまう。その一方で、「氷女」の前に非業の死を遂げた日信の怨霊が出没して恨み言をぶつける。真夏の凍死事件の記事を読んだ三郎は父が恋い焦がれた着物デザイナーの九条沙織(演 - 宇津宮雅代)が人間の法律では裁けぬ妖怪だと確信して罠を仕掛け、背後から忍び寄った「氷女」にナイフを突き刺して致命傷を与えるが、彼女は三郎の前世である孫四郎の恋人であり、三郎の妻は沙織の妹の転生だった。死に際、妹を幸せにしてやって下さいと言い残し、沙織は呪われた人生の幕を閉じた。その直後、民子は眼が見えるようになる。

小野小町が由来になったもの

秋田県湯沢市小野出身という説に由来。

関連項目

脚注

  1. 前田善子『小野小町』三省堂、1943年
  2. 角田文衛「小野小町の実像」『王朝の映像-平安時代史の研究』東京堂出版、1970年
  3. 小野町 歴史”. 小野町. . 2018閲覧.
  4. 小野の泉水(おののせんすい) 植木町 - 熊本県庁
  5. 「小野小町と小町神社(厚木市小町)」『神奈川県の伝説』149 - 152項。
  6. 宮武外骨編『日本擬人名辞典』附録5頁(成光館、1930)
  7. 映画『君の名は。』公式サイト 新海誠[監督]インタビュー

参考文献

  • 『神奈川の伝説』読売新聞横浜支局 編、有隣堂、昭和42年(1967年)。
  • 桶谷秀昭今昔秀歌百撰』(コンジヤクシウカヒヤクセン)不出售(フシユツシウ)特定非営利活動法人文字文化協會 2012年 ISBN 978-49905312-25{{#invoke:check isxn|check_isbn|978-49905312-25|error={{#invoke:Error|error|{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。|tag=span}}}}
  • 『小野小町論』黒岩涙香著、朝報社、大正2年(1913年)

外部リンク