小此木彦三郎
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小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう、1928年1月26日 - 1991年11月4日)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)。
来歴
早稲田大学文学部哲学科卒業。横浜市会議員を経て、第32回衆議院議員総選挙に神奈川1区から出馬し初当選。連続当選8回。党内では中曽根派→渡辺派に所属した。運輸政務次官、外務政務次官、衆議院運輸委員長などを経て1983年に第2次中曽根内閣の通商産業大臣として初入閣。竹下改造内閣では建設大臣を務めた。また、自民党国会対策委員長、衆議院議院運営委員長を歴任するなど党内でも有数の議運・国対族として知られ、与野党に幅広い人脈を持っていた。
1991年、小選挙区比例代表並立制導入を柱とする政治改革関連法案を審議する衆院政治改革特別委員会の委員長を務めたが、国対委員長の梶山静六と共に主導で突如審議未了・廃案[1]。当時の海部俊樹首相退陣(海部おろし)の引き金となった。
同年、衆議院第2議員会館7階に梶山静六を訪ねたが不在であったため、5階の自分の事務所に引き返す折に階段で転落し頭を強打。これが原因で11月4日に死去した。63歳没。
当選同期
小沢一郎・羽田孜・奥田敬和・林義郎・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など。
脚注
関連項目
議会 | ||
---|---|---|
先代: 山口敏夫 |
衆議院議院運営委員長 第46代:1989年 - 1990年 |
次代: 山下徳夫 |
先代: 古屋亨 |
衆議院運輸委員長 1980年 - 1981年 |
次代: 越智伊平 |
先代: 中野四郎 |
衆議院予算委員長 1978年 (代理) |
次代: 竹下登 |
公職 | ||
先代: 越智伊平 |
建設大臣 第52代:1988年 - 1989年 |
次代: 野田毅 |
先代: 宇野宗佑 |
通商産業大臣 第45代:1983年 - 1984年 |
次代: 村田敬次郎 |
党職 | ||
先代: 田村元 |
自由民主党国会対策委員長 第27代 : 1982年 - 1983年 |
次代: 江藤隆美 |
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