小川半次
提供: miniwiki
小川 半次(おがわ はんじ、1909年9月9日 - 1994年12月26日)は日本の政治家。元衆議院議員(10期)・参議院議員(1期)。石川県高松町出身。立命館大学法学部卒業。
来歴
京都市議会議員(3期)、京都府議会議員(1期)を経て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本進歩党より出馬し初当選。以後衆議院(京都1区)10回、参議院(京都府選挙区)1回当選。改進党、日本民主党を経て保守合同で自由民主党に参加。所属派閥は岸派→福田派。
厚生大臣秘書官、衆議院予算委員長・文化委員長、自民党副幹事長、全国組織委員長、中央政治大学院学長、国民運動本部長、参議院予算委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長などを歴任。予算委員長や弾劾裁判所裁判長といった閣僚経験者クラスのポストも経験したが、最後まで入閣することはなかった。1979年、勲一等瑞宝章。
人物
- 文人政治家で、歌集「国会風景」や随筆「私の歩く道」といった著書もある。
- 初当選時、東京の宿舎としていたアパートに学生時代の竹下登が住んでおり、当時からよく遊びに来ては国政の話をしていた。竹下が政界入りを決意したのは小川との関係もある[1]。
脚注
出典
参考文献
- 岩瀬達哉 『われ万死に値す ドキュメント竹下登』 新潮文庫、2002年3月1日。ISBN 4-10-131031-9。
典拠レコード: