尋尊
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尋尊(じんそん、永享2年8月7日(1430年8月25日)- 永正5年5月2日(1508年5月31日))は、室町時代中期から戦国時代にかけての奈良興福寺の僧。父は一条兼良。母は中御門宣俊の娘。興福寺180世別当。大乗院第20代門跡。
生涯と業績
永享10年(1438年)室町幕府から罪を得て去った経覚のあとを受けて大乗院に入り、以後70年間在院した。同12年(1440年)に得度。維摩会研学竪義(ゆいまえけんがくりゅうぎ)を遂げ、少僧都・大僧都を経て僧正に任じられ、康正2年(1456年)興福寺別当に就任した。のち法務に任じられ、奈良長谷寺・橘寺・薬師寺の別当をも兼任した。応仁の乱(1467年-1477年)では父兼良の日記『藤河ノ記』を兵火から守った(『群書類従』所収)。また、大乗院に伝わる日記類を編纂し、大乗院日記目録を作成した。
また見聞したことを多くの記録に書き記したが、その日記「尋尊大僧正記」は興福寺に関することだけではなく、この時代を知る上での必須の資料である。この日記と後に門跡を務めた政覚・経尋の日記をあわせて『大乗院寺社雑事記』と呼び、室町時代研究の根本史料の一つとなっている。