将棋界
テンプレート:将棋ヘッダ 将棋界(しょうぎかい)、棋界(きかい)は、将棋をめぐって、プロの棋士やアマチュア選手、将棋ファン(愛棋家)、業界関係者などで構成する社会領域。日本将棋連盟がその総本山である。
Contents
プロ将棋界
プロ棋士
将棋のプロは、次の2つに大別される。
- 1. 棋士(日本将棋連盟の四段から九段)
- 2. 女流棋士(女流2級から女流六段)
- 現役は、50から60名程度である。
また、女流棋士は、次の3つに分かれている。
- a. 日本将棋連盟所属の女流棋士
- b. 日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属の女流棋士
- c. フリーの女流棋士(2018年現在、フリーの女流棋士は中井広恵のみ)
過去に、北尾まどかが2009年6月15日にLPSAを退会して「フリーの女流棋士」、次いで「日本将棋連盟の客員女流棋士」となり、2011年4月1日に日本将棋連盟所属の女流棋士に復帰した例がある。「日本将棋連盟の客員女流棋士」の該当者は北尾のみ。北尾まどか#棋歴を参照。
女性が新進棋士奨励会に入会して棋士を目指す例もあるが、今日まで四段昇段に至ったものはなく、女性の「棋士」は誕生していない[2]。よって、女流棋士との区別をわかりやすくする意味で、棋士のことを「男性棋士」と呼ぶことがある。
棋戦
プロ将棋の公式棋戦には、タイトル戦と、タイトル戦以外の一般棋戦(「優勝棋戦」などとも呼ばれる)[3]があり、いずれも1年周期で行われる[4]。一般棋戦の中には選抜された12名で行われる将棋日本シリーズ、26歳以下かつ六段以下の棋士が参加するの新人王戦など出場条件が限られたものがある。
現在タイトル戦は竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦の8つが行われている。タイトル戦には名人戦の予選にあたる順位戦を除き[5]原則棋士全員が参加する。中には棋士以外でも出場できるものがあり、竜王戦・叡王戦・棋王戦には女流棋士とアマチュアの両方、王位戦・王座戦・棋聖戦には女流棋士の出場枠がある。
女性のみ参加できる棋戦は女流棋戦と呼ばれ、6つの女流タイトル戦(マイナビ女子オープン・女流王座戦・女流名人戦・女流王位戦・女流王将戦・倉敷藤花戦)と一般棋戦がある。これらの棋戦には女流棋士のほかに女流棋士ではない奨励会所属の女性棋士も参加できる。 テンプレート:棋戦 (将棋)
棋士の階層構造
8つのタイトル戦の中でも、竜王戦と名人戦は特に重要視される。
- 竜王戦の予選は、1組から6組に分かれて行われ、どの組からでも竜王に挑戦できるチャンスがあるが、番号が若い組ほど挑戦権を得やすいシステムになっている。各組の竜王ランキング戦で成績優秀の者は、次期に番号が1つ若いクラスに昇級する。ただし、竜王戦七番勝負の敗者は(たとえ3組以下からの挑戦者であっても)次期の1組に入る。詳細は、「竜王戦」を参照のこと。
- 名人戦の予選は「順位戦」と呼ばれ、A級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組に分かれており、飛び昇級はない。また、名人挑戦者になれるのは、A級の優勝者だけである。新しくプロになった棋士はC級2組(もしくはフリークラス)に所属することになるため、名人への挑戦権を得るまでには、プロ入り後最低でも5年かかる。
獲得賞金と対局料
獲得賞金と対局料の合計額による棋士のランキングは、毎年、「獲得賞金・対局料ベスト20」として、翌年に日本将棋連盟から発表される。4月から3月の「年度区切り」ではなく、1月から12月までの集計である。なお集計のタイミングは「実際に賞金が支払われる時期」を基準とするため、竜王戦(のタイトル戦)のように「対局は年末、賞金の支払いは年明け」となる場合、ランキングでは翌年の集計に反映される[6]。
タイトルホルダー、棋戦優勝者のほか、順位戦A級の棋士が上位になりやすい。また竜王戦は賞金額が高く、竜王保持者はもちろんのこと、タイトル戦の敗者も上位になりやすい。
このランキングは、翌年のいくつかの棋戦への出場権に関係する。「JT将棋日本シリーズ」では2006年に出場枠の規定が変更され、獲得賞金・対局料ランキングでの順位が出場権に反映されるようになった(従来は、順位戦の順位)。また、2007年から2012年まで行われた「大和証券杯ネット将棋・最強戦」の出場権も、このランキングに関係していた。
以前は、対局料とは別に、順位戦のクラスによって決まる基本給もあった。基本給は名人が最も高く、A級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組と下がる毎に、1つ上位の7割前後が基本給となっていた[7]。また、棋士は厚生年金に加入していた。
2011年3月4日に日本将棋連盟が公益社団法人化されると、基本給は原則廃止され、対局料・賞金、そして将棋普及活動への報酬に回された。また、夏と冬の特別手当(賞与)も廃止され、厚生年金も脱退した。基本給、賞与、厚生年金保険料負担は、公益社団法人に禁止されている「特別の利益」に該当するとされたためである[8]。しかし、多くの棋戦はトーナメント方式なのに対し、リーグ戦方式で対局数が保証されている順位戦の対局料は、今なお基本給的性格を持っている。また、各棋戦ごとに参稼報償金が設定されており、現在は基本給に代わるものとして支給されている[9][10]。
- 獲得賞金・対局料ベスト20
|
1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 | 8位 | 9位 | 10位 | 11位 | 12位 | 13位 | 14位 | 15位 | 16位 | 17位 | 18位 | 19位 | 20位 | 備考 | |
2017年 | 渡辺明 7534 |
佐藤天 7255 |
羽生 5070 |
久保 3019 |
丸山 2908 |
稲葉 2801 |
菅井 2363 |
中村太 2144 |
松尾 1985 |
佐藤康 1967 |
|||||||||||
2016年 | 羽生 9150 |
渡辺明 7390 |
佐藤天 5722 |
糸谷 3543 |
山崎 3206 |
郷田 3185 |
豊島 2492 |
丸山 2210 |
三浦 1997 |
深浦 1849 |
久保 1665 |
佐藤康 1602 |
稲葉 1423 |
||||||||
2015年 | 羽生 11900 |
糸谷 5531 |
渡辺明 4577 |
森内 3450 |
行方 2689 |
佐藤天 2616 |
郷田 2467 |
豊島 2459 |
深浦 2373 |
広瀬 2042 |
三浦 1989 |
山崎 1346 |
|||||||||
2014年 | 羽生 11499 |
森内 8374 |
渡辺明 6684 |
郷田 2340 |
豊島 2160 |
行方 2090 |
三浦 2089 |
深浦 1720 |
佐藤康 1643 |
木村一 1634 |
糸谷 1563 |
広瀬 1356 |
|||||||||
2013年 | 渡辺明 10255 |
羽生 7281 |
森内 5503 |
郷田 3453 |
丸山 2912 |
佐藤康 2720 |
行方 1821 |
谷川 1818 |
久保 1788 |
三浦 1633 |
豊島 1179 |
深浦 1149 |
木村一 1037 |
森内竜王名人 | |||||||
2012年 | 羽生 9175 |
渡辺明 7197 |
森内 5317 |
丸山 3409 |
久保 3233 |
郷田 2597 |
佐藤康 2505 |
深浦 2100 |
藤井猛 1705 |
山崎 1643 |
三浦 1413 |
||||||||||
2011年 | 羽生 9886 |
渡辺明 8365 |
久保 4659 |
森内 3371 |
丸山 2643 |
深浦 2145 |
木村一 2052 |
広瀬 2005 |
佐藤康 1920 |
郷田 1679 |
三浦 1650 |
橋本崇 1498 |
山崎 1405 |
屋敷 1333 |
豊島 1286 |
谷川 1220 |
佐藤天 1148 |
藤井猛 1107 |
高橋 1088 |
糸谷 1035 |
|
2010年 | 羽生 11576 |
渡辺明 6240 |
久保 4829 |
森内 3270 |
深浦 3173 |
佐藤康 3018 |
三浦 2850 |
藤井猛 2410 |
丸山 2372 |
広瀬 2136 |
谷川 1925 |
郷田 1602 |
山崎 1426 |
木村一 1342 |
松尾 1235 |
阿久津 1230 |
高橋 1229 |
鈴木大 1122 |
屋敷 1075 |
井上慶 1035 |
|
2009年 | 羽生 11278 |
渡辺明 5605 |
深浦 4864 |
久保 3341 |
木村一 2942 |
森内 2728 |
佐藤康 2688 |
郷田 2632 |
阿久津 2570 |
山崎 2271 |
谷川 2187 |
丸山 1755 |
三浦 1598 |
藤井猛 1438 |
井上慶 1337 |
高橋 1257 |
森下 1250 |
鈴木大 1206 |
行方 1156 |
松尾 1061 |
|
2008年 | 羽生 10711 |
渡辺明 6252 |
佐藤康 6082 |
森内 3782 |
深浦 3497 |
木村一 2958 |
丸山 2544 |
久保 2402 |
行方 2068 |
郷田 1994 |
鈴木大 1840 |
森下 1799 |
谷川 1657 |
三浦 1502 |
山崎 1439 |
島 1392 |
阿久津 1382 |
藤井猛 1376 |
阿部隆 1257 |
高橋 1202 |
|
2007年 | 羽生 8132 |
渡辺明 8032 |
佐藤康 7927 |
森内 6721 |
深浦 3392 |
郷田 2994 |
久保 2680 |
木村一 2384 |
谷川 2350 |
丸山 1953 |
森下 1885 |
阿久津 1700 |
鈴木大 1585 |
藤井猛 1522 |
三浦 1433 |
阿部隆 1332 |
島 1248 |
中原 1235 |
高橋 1122 |
行方 1098 |
|
2006年 | 羽生 9376 |
佐藤康 7576 |
森内 6536 |
渡辺明 5654 |
谷川 3205 |
丸山 3116 |
藤井猛 2506 |
鈴木大 2277 |
郷田 2159 |
森下 1989 |
木村一 1925 |
深浦 1864 |
三浦 1587 |
久保 1485 |
島 1301 |
阿部隆 1295 |
井上慶 1233 |
高橋 1226 |
中原 1170 |
先崎 1152 |
|
2005年 | 羽生 10391 |
森内 7117 |
渡辺明 6194 |
佐藤康 5040 |
谷川 2844 |
三浦 2637 |
山崎 2299 |
木村一 2286 |
藤井猛 1981 |
深浦 1954 |
郷田 1934 |
丸山 1898 |
森下 1622 |
久保 1595 |
鈴木大 1479 |
阿部隆 1372 |
先崎 1356 |
中村修 1334 |
島 1327 |
中原 1220 |
|
2004年 | 羽生 11272 |
森内 10833 |
谷川 4673 |
佐藤康 4051 |
丸山 2785 |
渡辺明 2442 |
久保 2407 |
深浦 2384 |
森下 1785 |
三浦 1772 |
先崎 1728 |
鈴木大 1553 |
藤井猛 1512 |
中原 1468 |
郷田 1456 |
高橋 1422 |
山崎 1327 |
屋敷 1294 |
島 1220 |
神谷 1213 |
森内竜王名人 |
2003年 | 羽生 12910 |
佐藤康 5709 |
森内 5269 |
谷川 4291 |
丸山 3745 |
深浦 3330 |
三浦 2105 |
阿部隆 2049 |
中原 1850 |
久保 1818 |
青野 1750 |
島 1696 |
郷田 1655 |
藤井猛 1572 |
森下 1550 |
堀口一 1488 |
渡辺明 1472 |
木村一 1459 |
中村修 1395 |
鈴木大 1389 |
|
2002年 | 羽生 11048 |
佐藤康 5788 |
森内 4872 |
丸山 4405 |
谷川 4231 |
藤井猛 3417 |
郷田 2851 |
堀口一 2631 |
阿部隆 2563 |
森下 2371 |
中原 1773 |
木村一 1666 |
杉本昌 1575 |
青野 1536 |
島 1516 |
南 1480 |
高橋 1450 |
三浦 1390 |
中田宏 1365 |
田中寅 1337 |
|
2001年 | 羽生 11519 |
藤井猛 5823 |
丸山 5727 |
谷川 4846 |
森内 3992 |
郷田 3274 |
佐藤康 2567 |
久保 2440 |
中原 1881 |
森下 1818 |
木村一 1730 |
高橋 1705 |
中村修 1673 |
井上慶 1471 |
加藤一 1427 |
屋敷 1419 |
南 1399 |
田中寅 1386 |
青野 1385 |
深浦 1367 |
|
2000年 | 羽生 10595 |
谷川 6739 |
藤井猛 6503 |
佐藤康 4744 |
丸山 4137 |
森内 2729 |
中原 2427 |
鈴木大 2160 |
郷田 2086 |
森下 1882 |
青野 1695 |
加藤一 1652 |
田中寅 1609 |
南 1565 |
高橋 1423 |
井上慶 1356 |
|||||
1999年 | 羽生 7872 |
谷川 6769 |
佐藤康 6355 |
藤井猛 6146 |
丸山 5228 |
郷田 3801 |
森内 3138 |
中原 2377 |
森下 2144 |
島 2071 |
|||||||||||
1998年 | 羽生 11466 |
谷川 9539 |
佐藤康 5737 |
郷田 4078 |
屋敷 2937 |
藤井猛 2705 |
中原 2408 |
森内 2352 |
南 2186 |
丸山 2059 |
|||||||||||
1997年 | 谷川 11762 |
羽生 10182 |
屋敷 3555 |
中原 3156 |
森下 3148 |
佐藤康 2651 |
森内 2594 |
島 2307 |
真田 1997 |
高橋 1924 |
郷田 1488 |
谷川竜王名人 | |||||||||
1996年 | 羽生 16145 |
谷川 5069 |
森内 3398 |
高橋 3111 |
佐藤康 3104 |
屋敷 2789 |
米長 2502 |
中原 2487 |
島 2482 |
三浦 2178 |
羽生六冠→七冠 →五冠 | ||||||||||
1995年 | 羽生 16597 |
谷川 5402 |
中原 4309 |
森下 3410 |
佐藤康 3372 |
米長 2591 |
有吉 2068 |
郷田 1980 |
高橋 1966 |
森雞 1905 |
|||||||||||
1994年 | 羽生 11297 |
佐藤康 5513 |
米長 4732 |
谷川 4359 |
中原 3058 |
南 2512 |
阿部隆 2478 |
高橋 2231 |
郷田 1972 |
加藤一 1958 |
|||||||||||
1993年 | 羽生 10063 |
谷川 5650 |
米長 4876 |
中原 4739 |
森内 2297 |
佐藤康 2191 |
南 2168 |
深浦 2109 |
郷田 1970 |
塚田泰 1925 |
羽生が初めて1位 |
将棋は先手が有利か
序・中盤の少しの差が勝負に直結することの多いプロの将棋においては、先手が有利、後手が不利なものであるとされてきた[11]。実際、日本将棋連盟が公式戦の統計を取り始めた1967年度以降、41年連続で先手番が後手番に勝ち越していた。象徴的なのは、羽生善治が初タイトル(竜王)を獲得した1989年度に、先手番での勝率が9割を超えたことである(29勝2敗で0.935)。また、「相矢倉は微差ながらも先手有利」という見解が大勢を占め始めた2000年頃から、谷川浩司は後手番のときにあまり矢倉を指さなくなった。
ところが、2008年度は初めて後手番が先手番に勝ち越し、それまでのプロ棋界の常識が覆った[12]。これは、勝率が低かった後手番における普通の振り飛車が減った事や、4手目△3三角戦法の流行、ゴキゲン中飛車と横歩取り△8五飛戦法の好調、および後手番一手損角換わりの大流行、など複合的な要因があったとされる。
しかし、翌年以降は再び先手番の勝ち越しが続いている。これらの統計は全プロ棋士を対象としたものであり、上位棋士どうしの対局や持ち時間の長い対局だけに限れば、技術と時間の面で先手の利を活かしやすいため、さらに先手の勝率は上昇する。
年度 | 対局数 | 先手 | 後手 | ||
勝数 | 勝率 | 勝数 | 勝率 | ||
2003 | 2337 | 1215 | 0.534 | 1061 | 0.466 |
2004 | 2335 | 1266 | 0.554 | 1019 | 0.446 |
2005 | 2344 | 1216 | 0.530 | 1077 | 0.470 |
2006 | 2325 | 1192 | 0.521 | 1095 | 0.479 |
2007 | 2381 | 1237 | 0.531 | 1091 | 0.469 |
2008 | 2387 | 1162 | 0.497 | 1175 | 0.503 |
2009 | 2422 | 1223 | 0.516 | 1149 | 0.484 |
2010 | 2404 | 1269 | 0.540 | 1081 | 0.460 |
2011 | 2446 | 1287 | 0.541 | 1093 | 0.459 |
2012 | 2553 | 1303 | 0.528 | 1164 | 0.472 |
2013 | 2443 | 1269 | 0.534 | 1106 | 0.466 |
アマチュア将棋界
「将棋のアマチュア棋戦」を参照。
コンピュータ将棋
コンピュータ将棋の力は年々高まっており、すでにアマチュアのトップレベルを負かし、さらにはプロとも熱戦を繰り広げられるまでに至っている。
詳細は、「コンピュータ将棋」を参照。
「将棋界の」を冠した言葉
「将棋界の一番長い日」
毎年3月頃の、A級順位戦の最終局(5局が同日に開催される)が行われる日を、俗に「将棋界の一番長い日」と呼ぶ。
約1年間かけて行われたA級順位戦リーグの最終日であり、名人挑戦者と2名の降級者が確定する可能性が高い(既に挑戦者や陥落者が決まっていることもある)ことや、大山康晴・中原誠など現役晩年の名人経験者の陥落がかかっている場合は「負けたら引退か」という状況になることもあるため、プロ棋士をはじめとする将棋界からの注目が高くなる。当日はNHK BSプレミアム(2011年まではNHK衛星第2テレビジョン<BS2>)で中継が行われていたが、2013年はスカパー!の囲碁・将棋チャンネル、BSスカパー!、スカチャンに移譲して、全対局の完全ノーカット実況が実施された。同年から(2015年を除く)はニコニコ生放送、2017年からはAbemaTV将棋チャンネルでも全対局の完全生中継が行われている。
基本的に最終局は通常の対局同様に東京・将棋会館で行われるのが普通だが、2014年・2018年には東京を離れ、静岡市の浮月楼で対局が実施されたことがあり、その際は特に「名人戦第0局」という別称が冠せられた[13][14]。
脚注
- ↑ 現制度の編入該当者は今泉健司のみ。現制度以前にもプロ編入試験の合格者として花村元司と瀬川晶司がいる。現行の編入試験は、瀬川の一件をきっかけに制定された。同時に、奨励会初段・三段編入試験も設けられた。
- ↑ 新進棋士奨励会における女性の段級位としては里見香奈、西山朋佳の三段が最高。
- ↑ 囲碁界では、将棋界の一般棋戦に相当する棋戦での優勝も「タイトル」と呼ぶ。それゆえ、将棋界のタイトル戦に相当する棋戦を「七大タイトル戦」と呼ぶ(棋聖戦 (囲碁)、名人戦 (囲碁)、本因坊戦、十段戦 (囲碁)、王座戦 (囲碁)、天元戦、碁聖戦)。
- ↑ ただし、棋聖戦や早指し将棋選手権は、過去1年に2度行われていた。
- ↑ フリークラス所属棋士は参加できない。
- ↑ 将棋・賞金ランキングの意義 - 大阪の弁護士大川一夫のブログ
- ↑ 棋士には日本将棋連盟の職員として給料が支払われたが、女流棋士の場合は給料はなかった。また、順位戦から外れたフリークラスの棋士も給料はなかった。
- ↑ 公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律 (平成十八年六月二日法律第四十九号)
- ↑ 2011年6月 1日 (水) 日本将棋連盟が公益社団法人となった経過とコメントへの返事 - 「田丸昇のと金 横歩き」田丸昇
- ↑ 2014年10月21日 (火) 将棋界の引退制度に関するコメント、囲碁界との比較、引退後の収入 - 「田丸昇のと金 横歩き」田丸昇
- ↑ 例えば、「将棋世界」2006年9月号で片上大輔が「将棋は先手有利なゲーム」と述べている。
- ↑ 2008年度公式棋戦の対局で、統計開始以来初の後手番が勝ち越し!(日本将棋連盟)
- ↑ 第72期A級順位戦最終局(静岡対局)イベント募集のお知らせ - 日本将棋連盟・2014年1月28日
- ↑ 第76期将棋名人戦第0局(A級順位戦最終局) - 静岡市