実験
実験(じっけん、英語: experiment)は、構築された仮説や、既存の理論が実際に当てはまるかどうかを確認することや、既存の理論からは予測が困難な対象について、さまざまな条件の下で様々な測定を行うこと。知識を得るための手法の一つ。
実験は観察(測定も含む)と共に科学の基本的な方法のひとつである。ただ、観察が対象そのものを、その姿のままに知ろうとするのに対して、実験ではそれに何らかの操作をくわえ、それによって生じる対象に起こる変化を調べ、そこから何らかの結論を出そうとするものである。ある実験の結果が正しいかどうかを確かめることを追試という。
工学においては、規範的実験と設計的実験とに分類できる。
- 規範的実験とは、理論と原理を検証し、知識を理解・定着させ、基本的な実験操作技能や厳密で着実な作業態度を育成することを目的にしている。
- 設計的実験とは、学生の実験設計能力や問題解決能力の育成を重視している。
より一般的な場では、目新しい手法を使う場合や、本番前の試しの意味で実験的という語が使われる場合がある。「実験的な手法」などといった表現がある。また、科学史の上では、特にその分野で重要な発見の元になった実験に対して、「○○の実験」といった固有名詞をつくる。普通は関わった研究者の名をつけて呼ばれる。
実験と仮説
一般的には実験は、仮説を検証するために行われる。全く仮説なしに行われる場合もあるが、普通は観察やそれまでに知られている知見に基づき、そこにはこんな仕組みや法則があるのではないかと予想する。そしてその予想が正しければ、このような実験をすればこのような結果が出るだろう、と判断する。そこでそれを実際に行うことで、この予想を確かめる。当たれば想像は正しかったのかも知れない。当たらなければまず間違いだったとわかる。
たとえばかつては「物体はその質量が大きいほど早く落ちる」と考えられていた。ガリレオはこれは間違いだと考え、伝説によるとピサの斜塔から重さの異なる二つの物体を落とし、落下時間に差がないことを証明した(ここでは伝説の真偽は置く)。普通の感覚では、上記の命題はそれほど不思議とは思えない。たとえば石ころは早く落ちるし、羽根はふわふわと落ちる。しかし、これには空気抵抗などが関与している。だから、本当に質量によって落ちる速さが変わるかどうかを確かめるためには、少なくとも、二つの物体の大きさや形態を同じにし、できるだけ空気の影響を受けない形にしなければならない。そのようにしてはじめて、本当に質量だけが落下速度を決めているのかが確かめられる。これが実験に求められることである。
伝説では実験ではやはり重い方がわずかに早かったともいわれる。これが質量の影響だと考えるならば、今度は質量の差と落下速度にどのような関係があるかを確かめるための実験を行うだろう。そうではなく、やはり空気の影響だと考えるなら、より空気の影響を受けない実験を行うことも方向性としてはあるだろう。このような予想、仮説の設定と実験による確認によって科学は進歩してきた。
中には全く仮説なしに、とりあえず何か突いて見るべし、との判断もあり得る。特にその細部や内部の構造に予測がつかない、あるいは知見が不足している場合に、まず何か試してみて、出た結果から何かを得ようというやり方も行われる。
対照実験
厳密な意味での実験では、比較のための対照実験(コントロール実験)が行われる。これは観察対象とする現象にある要因が影響するという仮説を実験で検証する際に、その要因だけを変え、それ以外の条件を同じにする実験をいう(対象 と対照 を間違えないように注意)。現象が起こらない対照を陰性対照、現象が起こることがすでにわかっている対照を陽性対照という。また、ある数値データが得られることがすでにわかっている条件に設定する実験を標準といい、これも対照実験の一種である。例えば吸光度から目的とする物質の濃度を求める場合など、得られた数値データから条件を逆算するには、条件と標準データとの関係をグラフ化した標準曲線(検量線)が用いられる。対照実験は、微妙な条件が実験ごとに異なる可能性があるため、可能であれば主実験と同時に行うことも多い(対照群とか対照区とか呼ばれる)。また直接的な対照が置かれない実験でも、例えば同種の実験を従来多数行っていればそれらの結果と比較するのが普通であり、このような従来の実験結果を背景(バックグラウンド)データという。対照実験が不可能な場合(例えば生命に係るような医学的処置、あるいは条件の設定が困難な自然現象や社会現象を調べる場合)もあるが、この場合にも対照の代わりに比較できるようなデータを得る工夫が必要である。
実験計画
物理学や化学の実験では条件を一定に設定して実験するのが普通だが、生物学などでは(対象によるが)条件設定がより困難であり、社会科学などではさらに困難となる。従って実験の計画に当たっては、物理学や化学などでは条件を設定して再現性を確認することに主眼が置かれ、医学や社会科学などでは統計学的方法によってバラツキを減らすことに主眼が置かれる。効率のよい実験を行うための応用統計学的方法として実験計画法があり、これは生物学、医学、社会科学、工学などに利用されている。
物理実験
理論的予想を検証するため、新しい物理法則を見つけ出すため、或いは既存の実験の精度を高め再現性を確認するために行われる実験。なお、学生実験は大規模で形式的な追実験の一種である。
化学実験
化学の分野における実験とは、主として新規物質の合成、新しい化学反応の探索、化学構造や物性の解析、などを目的とする。化学実験のステレオタイプであるような、白衣姿で試薬とフラスコを駆使する、という実験は合成を行うときのみであり、近年ではコンピュータ制御の大型測定装置による機器分析も分野を問わず頻繁に行われる。また、理論化学や計算化学などの分野では全く実験をせずに、計算のみで化学的な性質の議論が行われる。
仮想実験
実際に実験ができないものについて(または実際の実験結果と比較するために)、架空で実験をしてみるというもの。そのためには対象物の性質に関する情報が必要であり、これが間違っていれば大きな誤差を生じるであろう。近年ではコンピュータを使うことで細部の計算を精密にすることで現実に近い結果を求めることが試されている。
生物学において
生物学は特にその初期において、その起源を博物学におき、主として記載的な学問と考えられてきた。そのため、観察は重要な手法であったが、実験についてはそれをどのように行えばいいかすらわからなかった。物理化学の対象に比べ、生物の性質そのものが複雑でありすぎたためかも知れない。ファン・ヘルモントによるネズミの自然発生の証明と植物の生長が土壌の吸収によらないことの証明との共存がそのあたりを物語るとも言える。
しかし次第に生物に関する細部の知識が増えるに連れ、様々な実験が行われるようになった。たとえば発生学では記載と群間の比較に始まり、19世紀末に実験発生学が行われるようになった。メンデルは19世紀半ばに遺伝の実験を行い、遺伝法則を発見したが、当時の生物学はこれを受け入れず、それが理解されるようになったのはやはり19世紀末である。遺伝学ではそれ以前からも交配実験が行われたが、そもそもその結果を解釈するための手法や、理解するための細部の知識が存在しなかったためにその結果が利用できなかったものと考えられる。なお、自然発生説については、例外的に先述のファン・ヘルモント以降、19世紀半ばにパスツールによって結論が出るまで、長く実験に基づく論争が繰り返された。これは、重要な問題ではありながら、ある意味で生命現象の細部の理解が必要ないわかりやすい現象であったためであろう。
生物学においては、その構成が物理化学的な対象である分子や原子であり、少なくとも細部においてはその性質に基づいて理解されるべきであるが、その間の乖離があまりに大きい。これはその対象にも、その現象の背景にも言えることである。したがって、そのような対象に関する実験を行う場合、それを試験管に取り出して実験を行って得られた結果が、その生物に於いて実際にあり得るとは限らない場合もある。そこで、その実験がどの条件で行われたかを以下のように言い表す。それぞれの意味は、対象や分野によってやや異なる。
- in vitro(インビトロ):生体外・細胞内や生体内を試験管など人工容器に取り出して再現する。
- in vivo(インビボ):生体内、生きた細胞の中で実験する。
- in situ(インサイチュー):生きた生物のそれが本来あるべき場所、あるいはその場の細胞内で実験する。
哲学的背景
物理学ひいては科学全体の営みの中で、実験という行為は非常に重要な意味を持っており、そのため哲学においてもしばしばその意味や役割が議論される。そういった議論は哲学の中の、科学哲学(科学の意味や正当性について議論する哲学の一分科)において行われる。例えば科学哲学の世界の有名な主張であるポパーの反証主義は、実験に最重要の位置づけを与えており、「反証可能性」(実験によって否定される可能性)を持たない理論は科学理論とは言えない、と主張する。この反証可能性の概念は科学者の間では有名なものであり、疑似科学を批判するさいに今でも良く引き合いに出される。その他、実験という行為の意味付けや、その理論的バックボーンについてなどの様々な議論も、もっぱら科学哲学を中心に行われている。
教育の場で
初等・中等の学校教育の場では、理科の実験はそれなりに重視されている。理科の内容を理解するためには、実物に触れるのは大事なことであり、また、様々な実験において、対象物が時に意外な変化をするのは、子どもにとっても大きな驚きの体験となる。
ただし、実験は場所や準備の時間など、労力が大きいこと、それに知識の伝授という立場からは効率がよくない点など、一部では煙たがられる。また、機材などを多く要することから、その整備も重要である。日本では理科教育振興法によってこれが推進されている。
理科以外においても、予測を立ててそれを試してみることはままあり、そういった方法をより発展させたものに「仮説実験授業」がある。
高等教育の専門分野においても、実験は重要である。ここでは知識と体験の伝授と同時に、自ら新しい実験を行えるような実験技術の習得が求められる。
参考文献
- 川崎謙「実験 : その日本的様相 (PDF) 」 、『科学教育研究』第25巻第1号、日本科学教育学会、2001年、 2-10頁、 ISSN 0386-4553、 NAID 110002704871。