宇都宮景綱
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宇都宮景綱 | |
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時代 | 鎌倉時代中期 |
生誕 | 嘉禎元年(1235年) |
死没 | 永仁6年5月1日(1298年6月10日) |
幕府 | 鎌倉幕府 引付衆、評定衆 |
主君 | 宗尊親王、惟康親王、久明親王 |
氏族 | 宇都宮氏 |
宇都宮 景綱(うつのみや かげつな)は鎌倉時代中期の鎌倉幕府の御家人。宇都宮氏第7代当主。父は宇都宮泰綱。母は北条朝時の娘。
生涯
建長4年(1252年)4月、宗尊親王の近習として仕える。正嘉元年(1257年)には御格子番、弘長3年 (1263年)には御鞠奉行に任じられるなど、宗尊親王から重用された。その後も下野守に叙任され、引付衆や評定衆に任じられるなどして、幕政の中でも重きを成した。弘安6年(1283年)には御成敗式目に基づき宇都宮家式条(宇都宮家弘安式条)を制定した。
弘安8年(1285年)11月、内管領平頼綱によって安達泰盛が滅ぼされた霜月騒動では、景綱は安達氏の縁戚(泰盛と義兄弟の関係)であった事から失脚するが、永仁元年(1293年)に平禅門の乱で頼綱が滅ぼされると幕政に復帰した。永仁6年(1298年)5月1日、64歳で死去。