太地町
太地町(たいじちょう)は、和歌山県東牟婁郡に属する町である。
昔から捕鯨で全国的に知られた町であり、日本の古式捕鯨発祥の地といわれる[1]。この町は周辺の町村が合併を繰り返す中、1889年(明治22年)に太地村と森浦村が合併した当時のまま残っているため面積が和歌山県で一番小さく、その全域が海と那智勝浦町に囲まれている。
Contents
地理
太地町は熊野灘に突き出た二股の崎に位置しており海岸線はリアス式、森浦湾と太地湾のため森浦・太地と2つの良港に恵まれた。太地湾の奥には太地町の主集落太地があり漁港の町として大規模な集落が発展している。森浦湾の奥にも森浦集落があるがこちらは至って小規模なものである。紀伊半島の南西部の南方に位置しており気候は温暖である。なお当町の北方にして那智勝浦町の南部、JR湯川駅附近の海岸に当たる場所には当町の大字太地に属する小字夏山(なつさ)が飛び地として存在している。
川:与根子川
人口
太地町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
歴史と文化
太地における捕鯨の歴史は、は1606年(慶長11年)、和田家一族(豪族)の和田頼元が外来の漁師などと共に原始的な捕鯨技術の開発を行い太地浦を拠点として組織的な捕鯨を行ったのが始まり[2]で、和田一族を中心として5つの刺手組という捕鯨団体のようなものが形成されていた。その後1675年(延宝3年)に三代目の和田頼治が鯨を網に追い込んでとる網捕法(網掛突捕法)という方法を発明すると今度は和田一族統制の下太地村一村で大きな鯨方を形成(最盛期は約千人と言われる[2])するに至り、これが200年近く続いた。太地では親子鯨を捕らないという独特の習慣もあった[3]。しかし1878年(明治11年)に捕鯨中の事故により百名以上の死者を出す大背美流れが起こったため、この鯨方も崩壊した[4]。
太地が再び捕鯨の町となるのは25年ほど経った日露戦争後のことである。近代的な大資本による捕鯨基地として多くの船で賑わい、鯨体の処理場や鯨を缶詰にする工場もでき、太地は再び捕鯨産業が盛んになった。遠洋捕鯨船の乗組員としても、多くの太地町の出身者が活躍した。小型鯨類のゴンドウクジラなどを対象とし、捕鯨銃を使う沿岸捕鯨も明治時代の末には非常に盛んになった。ゴンドウクジラ漁はテント(天渡)船(動力式の小型キャッチャーボート)[5]を利用した捕鯨銃や銛による突き取り漁となり、また北日本沖でミンククジラを対象として操業する沿岸捕鯨の拠点でもあった。しかし、遠洋捕鯨は、資源の枯渇などから国際捕鯨委員会(IWC)を中心とした規制が進み、最終的には商業捕鯨モラトリアムにより、資源状態に関わらず全面停止となった。これにより1988年には太地でも、沿岸のミンククジラ漁を含むヒゲクジラ商業捕鯨が中断されるに至った。以後は、捕鯨砲を用いてゴンドウクジラ類やツチクジラを捕獲する小型捕鯨業と、追い込み網漁などの「いるか漁業」だけが行われ、また、追い込み網漁に関しては他地域での衰退もあり、太地は、日本国内で大規模な追い込み網漁が残った唯一の町となった(ここで言う「いるか」はゴンドウクジラやイルカなどの「小型鯨類」を指す)。また、かつては頻繁に行われた小型鯨類の突きん棒漁業も現在はごくわずか行われる[6]。また、当地に、日本で最後に残るイルカの追い込み網漁が、他国から動物福祉の観点から非人道的と批判を受けることもあったが[7]、イルカ漁を支持する国民が多くおり、日本国政府はイルカ漁は日本の伝統文化だと説明し、2014年に閣議決定した[8]。
「くじらの町」と称し、1969年に太地町立くじらの博物館を建設し、また鯨を目玉とした観光の振興への取り組みが見られる。太地町には漁業協同組合直営のスーパーマーケットもあり、鯨肉も売られている。また、町章はクジラ、町のマスコットキャラクターはゴンドウクジラである[9][10]。クジラや、ゴンドウクジラ、イルカを用いた料理が幾つも伝わる。
沿革
- 1606年(慶長11年) - 組織的な古式捕鯨がはじまる。
- 1879年(明治12年)1月20日 - 郡区町村編制法の和歌山県での施行により、牟婁郡太地村・森浦村が東牟婁郡の所属となる。
- 1878年(明治11年)暮れ - 大背美流れが起こる。以後、洋式捕鯨へ徐々に切り替わる。漁閑期のてんと船による小型鯨類の突き獲り漁。[6]
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、太地村・森浦村の区域をもって太地村が発足。
- 1899年(明治32年)7月 - 追い込み漁で61頭のゴンドウクジラ捕獲。[11]
- 1904年(明治37年) - 捕鯨銃「前田式五連発銃」が完成。イルカ突き取り漁に使われるテント(天渡)船に装備されるようになる[12]。
- 1906年(明治39年) - この年の政府あて報告書で追い込み漁(寄せ物漁)の起源が不明なことが記載される。[13]
- 1912年(大正2年) - テント船の動力化が順次進み、前田式五連発銃や手銛をもちいた突き取り漁によるゴンドウクジラの漁獲高は1931年まで毎年500頭コンスタントに捕獲と記録に残る[14]。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 太地村が町制施行して太地町となる。
- 1933年(昭和8年) - 小型鯨類の追い込み漁により太地町から初めて水族館向けに出荷。[6]
- 1936年(昭和11年) - 阪神水族館(現・甲子園阪神パーク)に漁で捕ったゴンドウクジラ搬入[6]。話題に[15][16]。
- 1961年(昭和36年)-極洋捕鯨株式会社が捕鯨基地を開設する。採算割れで1965年に操業停止。テント船やミンク船(小型捕鯨船)による捕鯨も低迷する[17]。
- 1968年(昭和43年)-くじらの博物館のために生態捕獲をするためのイルカ追い込み漁を最後のテント船「勝丸」が中心になり、富戸からハツオンキ(伊豆半島で使われていた音響でイルカを誘導する道具、太地では改良され「鉄管」となる)の技術などの協力を得て、翌年十二年ぶりに追い込み漁を成功させる[18]。
- 1969年(昭和44年) - くじらの博物館完成。[19]
- 2006年(平成18年) - 古式捕鯨400年記念。
- 2006年(平成18年)10月29日 - 世界で初めて腹びれのあるイルカ(はるか)を生体で捕獲。2013年まで展示を行う。"「腹びれイルカ (はるか)」"
- 2013年(平成25年) - 森浦湾鯨の海構想。小型のクジラ目の牧場兼研究施設の開設に向けて調査が開始される[20][21]。
自治
経済
- 第1次産業就業者数は198名
- 第2次産業就業者数は286名
- 第3次産業就業者数は1066名
である。
産業
くじらの町である。古来から捕鯨が盛んな地域であり、ゴンドウクジラなどを対象にした沿岸捕鯨が行われる。町の税収の3割は、捕鯨からである。
他、毎年の夏には「いけす」を設置して観光客がハナゴンドウなどの小型鯨類と泳げるようにするなど、捕鯨以外のクジラ資源の活用を行う。また、2010年代から、森浦湾を仕切って、小型のクジラ目を放し飼いにし、観光客の誘致や鯨類の学術研究などに活用したり、古式捕鯨を伝える施設の建設などの「森浦湾鯨の海」構想が動いている[22]。
水族館販売用など鯨類の生体販売に取り組む[6]。国立研究開発法人「水産総合研究センター」の統計によると、太地町では2009年9月から14年8月までの間に760頭の生きたイルカが販売された。また、財務省の貿易統計によれば、日本の輸出頭数は354頭、輸出先は12カ国であり、その殆どが太地産であると、共同通信は推測した(匿名の水産庁関係者の話は、ほぼ全てが太地町で捕獲されたと推察するにとどまり、全ての数値が太地産かは判らないものである)[23][24]。
日本郵政グループ
※ 太地町内の郵便番号は以下のとおり。
- 「649-5371」=太地(3772 - 3904番地)
- 「649-5171」=太地(その他)
- 「649-5172」=森浦
集配業務はいずれも紀伊勝浦郵便局(東牟婁郡那智勝浦町築地)が担当している。
姉妹都市
- ブルーム(Broome、オーストラリア・西オーストラリア州) - 1981年5月7日姉妹都市締結
- 白馬村(日本・長野県北安曇郡) - 1984年10月31日姉妹都市提携
- クラクスヴィーク - 同じく捕鯨の町として2018年1月19日姉妹都市提携[26]。
教育
小・中学校
隣接する自治体
- 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町
交通
鉄道・バス
町内には西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)が走っている。代表駅は太地で、太地町にある唯一の駅である。全ての普通電車と特急列車が停車する。太地駅は森浦集落のはずれに位置し、太地の中心部へは太地町町営のバス(太地町町営じゅんかんバス)が出ている。小字夏山地区には紀勢本線は通るが駅はない(最寄り駅は湯川駅)。
道路
町内を走る主要な道は以下のとおり。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
観光
- くじら浜公園
- 太地町立くじらの博物館
- 太地町立石垣記念館 - 当町出身の洋画家である石垣栄太郎の記念館。1991年に妻で評論家でもある石垣綾子によって設立された。
- ワールド・ドルフィンリゾート
- ドルフィン・ベェイス
- 落合博満野球記念館
- 燈明崎 - 古式捕鯨で総指揮所の役割を果たした燈明崎山見台が1992年に復元された。1636年(寛永13年)に、航海の安全の為、鯨油を用いる行灯式灯台を設置[27]。日本初の鯨油を灯す燈明台(灯台)とも言われる[28]。
- 梶取崎 - 梶取埼灯台がある。
- 平見台園地・継子投
- グリーンピア南紀(2003年閉館)
- 和田頼元墓 - 太地捕鯨の創始者の墓である。和歌山県の史跡に指定されている。附近には和田一族の墓が並んでいる。
- 鯨方漂流人記念碑
- 飛鳥神社
- 東明寺
- 順心寺
- 太地港
温泉
お祭り
くじら踊り
毎年8月15日に行われるもので、和歌山県の無形民俗文化財に指定されている。1670年(寛文10年)ころから鯨方の出初式に行われていた踊りである。
太地浦勇魚祭
毎年8月14日に太地浦で行われる古式捕鯨の再現。「網掛け突き捕り捕鯨法」をおよそ9mの鯨模型と勢子舟を使って再現するもの[29]。
出身著名人
太地町を題材にした作品
文芸
- 『鯨分限』 伊東潤著、(光文社、2015年) ISBN 978-4334910518
- 『巨鯨の海』 伊東潤著、(光文社、2013年4月) ISBN 978-4334928780 [32]
- 『鯨の哭く海』 内田康夫著(祥伝社文庫、2005年)ISBN 978-4396332426
- 『勇魚』 C・W・ニコル著、村上博基訳(文藝春秋、1987年)のち文庫 ISBN 4-16-309540-3 / ISBN 4-16-309550-0。舞台が太地。ニコルは執筆のために太地に一年余生活した。
- 『深重の海』 津本陽著(新潮文庫、1982年)ISBN 978-4101280011 第79回直木賞
ドラマ
- BSフジ『浅見光彦シリーズ24 鯨の哭く海』[33][34]
- NHK連続テレビ小説『風見鶏』 - 1977年(昭和52年)10月3日から1978年(昭和53年)4月1日まで放送。大正時代の鯨のもり打ちの娘ヒロイン・ぎんの故郷が太地である[35]。
TV ドキュメンタリー
- 参照: クジラと生きる
映画
- 『ふたつのクジラの物語』(仮邦題) - 佐々木芽生監督。2016年公開予定。太地町でも撮影のドキュメンタリー映画[36][37]。
- 『ビハインド・ザ・コーヴ 〜捕鯨問題の謎に迫る〜 (洋題:Behind "THE COVE") 』、2016年1月から国内上映、現在(9/14)も公開中。2015年八木景子監督・製作の日本初捕鯨問題ドキュメンタリー映画。2015年8月7日メディア試写会[38]。和歌山県太地町を舞台に日本の捕鯨現場を描いた作品[39]。 太地町住民を始め、映画『ザ・コーヴ』の監督ルイ・シホヨスや主演リック・オバリー、シー・シェパードなど反捕鯨団体の幹部インタビューも太地町などで収録。[40]、太地町を舞台にした『ザ・コーヴ』が日本の食文化や伝統を歪めて伝えているとして反証の内容。[40]。
- 『town of sun, the black tide and whales』は、2009年、ザ・コーヴ公開の4カ月後に公開された17分の米国製ショートフィルム。監督は Matias Camozzi [41]。太地町の歴史を説明する内容[42]。
- 『さゞなみ』 - 2002年。稲子(唯野未歩子)の母・澄江(松坂慶子)は、太地町でカメラ店を単身経営する設定。[43]
- 『鯨捕りの海』 - 記録映画。梅川俊明 監督、1998年。日本の沿岸捕鯨や調査捕鯨の活動や乗組員の暮らしの記録。太地町の元捕鯨船員が当時を語る場面がある[44]。
捕鯨文化にまつわるエピソード
大背美流れ
おおせみながれ。1878年(明治11年)暮れ、アメリカなどの列強による鯨の乱獲などの影響で、漁師は近年にない不漁による経済難から、荒天の中、鯨捕り(古式捕鯨)に出漁して遭難し、一度に100余名が死亡・行方不明となった惨事。この件により労働力を失った太地は、一気に疲弊、古式捕鯨は事実上壊滅し、後に近代捕鯨へと切り替わるきっかけとなった[4][45]。
腹びれイルカ
2006年に見つかった、世界に一頭しかいない、ほぼ完全な形をした腹びれを持つハンドウイルカ(生年不明-2013年)。
イルカ追い込み漁に関する議論
反捕鯨団体の議論とその対策
2009年8月22日、太地町でのイルカ追い込み漁を批判的に描いたドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』が公開された。太地町側は科学的根拠に基づいておらず[46]、町の歴史や誇りを傷つける不当な行為であると映画を批判した[47]。また、反捕鯨団体「シーシェパード」が活動家を常駐させており、漁業の妨害行為を行っている[48]。和歌山県の仁坂吉伸知事はシーシェパードの挑発に乗らず、冷静に対応する漁民の姿勢を称賛した[49]。シーシェパードは、器物損壊・暴行事件などの違法行為も起こしており[50][51]、太地町側は反捕鯨団体の活動に備えるため臨時交番を開設し、違法行為を取り締まる姿勢を見せている[52][53][54]。また和歌山県警と第5管区海上保安本部は反捕鯨団体の違法行為に対応するため合同で訓練を実施している[55]。
駐日米大使によるイルカ追い込み漁反対声明
。
日本語のインターネットでは、「外国人が日本の文化に口出しをするな」、「牛や豚、魚を殺すことは冷酷ではないんですか?」、「私はクジラを食べませんが、他国の文化は尊重すべきです」、「日本の文化への敬意を欠いている」などのケネディへの怒りの反応が多数あった[56][7][57]。。
テンプル大日本校のクリーブランド准教授は、ケネディ大使はイルカ漁を取り上げることで、日本に対する他国からの懸念についてもっと日本が配慮する必要があることを日本に伝えたかったのではないかとの見解を示した[7]。
大使の声明への反論
ケネディ大使のツイート(書き込み)には日本からすぐに、また、官民から多くの反論(反応)があった。菅義偉官房長官は速やかに談話を公表し、「イルカを含む鯨類は重要な資源であり、科学的根拠に基づき、持続的に利用すべきと考えている。また、イルカ漁業は我が国の伝統的な漁業のひとつで、法令に基づき適切に実施されていると考えている。また、イルカは国際捕鯨委員会(IWC)の管理対象外であり、各国が自国の責任で管理を実施することにしている」[58]と米政府に理解を求める見解を出した[59][7]。
安倍晋三首相はCNNのインタビューに応じ、「古来続いている漁で、彼らの文化、慣習として、生活のためだということを理解してもらいたい」、また、「それぞれの国、地域には、祖先から伝わるさまざまな生き方、慣習、文化がある。当然そうしたものは尊重されるべきだと思うが、同時にさまざまな批判があることも承知している」、そして、「漁の仕方も相当工夫されていると聞いている。漁も漁獲方法も厳格に管理されている」などと述べた[60][57]。
イルカ追い込み漁が唯一行われている当地、太地町の三軒一高町長は、地元の漁師たちは漁業権を行使しているだけだと述べたうえで、絶滅の危機にある動物を捕獲しているわけではないとし、「われわれは住民を批判から守る必要がある」と述べ、更に、シー・シェパードは資金集めや宣伝のために追い込み漁を利用していると非難の声をあげた[61]。
映像ジャーナリストで和歌山大学特任のサイモン・ワーン助教(オーストラリア出身)は「本当に生命を守るとは、(『ザ・コーヴ』のような)センセーショナルな映像を作って流すことでない。生き物に感謝して生かされていることに感謝すること。太地にはそういう文化が伝わっている」、また、「捕鯨は太地で連綿と受け継がれてきた技術。油を取って捨てるようなことはせず、必要数だけを捕り、全ての部位を使い無駄にしない。太地の捕鯨こそ、環境に配慮した持続可能な漁」と話している[62]。
尚、当のケネディ大使はこういった賛否両論について、論争が行われるのは健全なことであるとコメントしている[63]。
日本政府の閣議決定
2014年2月25日、日本政府は閣議で、アメリカのケネディ駐日大使が反対している日本のイルカ漁に関し、「わが国の伝統的な漁業の一つであり、法令に基づき適切に実施されている」との答弁書を決定した。内容は「政府はイルカを含む鯨類は重要な水産資源で、科学的根拠に基づき持続的に利用すべきだ」と記したうえで、「引き続きイルカ漁業に対する国際的理解を得られるように努力していく」とした[8]。
住民の水銀濃度
食物連鎖によってメチル水銀がクジラ、イルカなどの海洋哺乳動物で濃縮されることが知られている。2010年、太地町からの要請を受けて、環境省の国立水俣病総合研究センターは、毛髪水銀濃度測定によるメチル水銀摂取状況および健康の影響に関する調査を実施した。国内14地域と比べ、毛髪水銀濃度は明らかに高く、世界保健機関(WHO)の安全基準値を上回るものも43人いた。クジラ類の摂取との関連性が示唆されたが、健康への影響そのものは認められなかった。その後、2012年も調査を行い、の安倍重一所長が健康に問題ない旨の宣言を行った。センターは引き続き胎児への影響を含め調査を続ける方針である。
脚注
- ↑ “古式捕鯨発祥の地、太地町公式ホームページ”. . 2012閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 紀南地方-太地町 くじら捕りの歴史和歌山県ガイドブックWEB
- ↑ 環太平洋地域の鯨文化 秋道智彌(国立民族学博物館・民族文化研究部)著 季刊 環境情報誌 ネイチャーインタフェイス 第2号 2001/03/31 ISBN 4901581015 2013年1月21日閲覧。
- ↑ 4.0 4.1 太地町の歴史と文化を探る 大背美流れ(おおせみながれ)
- ↑ 「日本の動物記」毎日新聞社 122頁 動力は小型焼玉エンジン
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 第10章 変容する鯨類資源の利用実態 -和歌山県太地町の小規模沿岸捕鯨業を事例として- 遠藤愛子(海洋政策研究財団政策研究グループ)。松本博之編『海洋環境保全の人類学』,国立民族学博物館調査報告 97 : 237―267(2011)。
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「mainichi20140124
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 8.0 8.1 「イルカ漁は適切」政府が答弁書を決定 「わが国の伝統的な漁業」 MSN産経ニュース 2014.2.25
- ↑ 町章 くじらの町太地町公式ホームページ
- ↑ 太地町ってこんな町、イラストマップ (PDF) 太地町
- ↑ 太地町史, 493頁
- ↑ 「イルカ漁は残酷か」平凡社 伴野準一 48頁
- ↑ 「イルカ 小型鯨類の保全生物学」 粕谷俊雄著 119頁
- ↑ 「イルカ漁は残酷か」50頁
- ↑ 阪神間の“今”を探そう♪阪神間クチコミ情報サイト-阪神ナウ!-
- ↑ この展示の年代に関しては1935年及び1937年説もある、ゴンドウクジラ属#日本における展示飼育も参照。
- ↑ 「イルカ漁は残酷か」55頁
- ↑ 「イルカ漁は残酷か」69-84頁
- ↑ 太地町の歩み太地町公式ホームページ
- ↑ クジラ牧場、開設に向け調査 太地町2013年03月09日更新 - AGARA紀伊民報
- ↑ 「一緒に泳げる」クジラ牧場 和歌山・太地町に構想中 47NEWS(よんななニュース)2012/05/01
- ↑ 森浦湾鯨の海構想概要 太地町くじらと自然公園の町づくり協議会(森浦湾鯨の海構想と魅力ある町づくり)
- ↑ “追い込み漁の太地イルカ、半数は海外に輸出”. (2015年6月8日) . 2015閲覧.
- ↑ 同期間に太地以外から輸出された小型鯨類の例(2004年に救助され、鴨川シーワールドで飼育され、2012年、鴨川から米国サンディエゴに輸出されたマゴンドウのアルゴ(Argo)の記事)Pilot whale arrives at SeaWorld from Japan | L.A. NOW | Los Angeles TimesMarch 19, 2012
- ↑ Compiled From Kyodo, Staff Report (2009年10月15日). “Australian town embraces Taiji again , Broome reverses suspension of sister-city status”. The Japan Times. オリジナルの2013年4月22日時点によるアーカイブ。 . 2013閲覧.
- ↑ “太地町とデンマーク・クラクスヴィーク、捕鯨めぐり姉妹都市提携”. TBS News. (2018年1月25日) . 2018閲覧.
- ↑ [1]立教大学
- ↑ 燈明崎の燈明台きのくに風景讃歌
- ↑ イベント情報太地町
- ↑ わかやま新報 » Blog Archive » 【AR】活動拠点をNYに 書画家・田中太山さん2015年06月12日 わかやま新報
- ↑ 太地町観光大使 田中大山氏
- ↑ 『巨鯨の海』 (伊東潤 著) | 著者は語る - 週刊文春WEB2013.06.02 2015年7月12日閲覧
- ↑ 浅見光彦の家 - 中村俊介氏主演『鯨の哭く海』 10月13日放映! 浅見光彦倶楽部
- ↑ <ドラマ名作選>『浅見光彦シリーズ24 鯨の哭く海』 BSフジ
- ↑ 連続テレビ小説 風見鶏 | NHK名作選(動画・静止画) | NHKアーカイブス2015年7月12日閲覧
- ↑ 「クジラ映画」佐々木芽生さん 国際ドキュメンタリー祭最優秀企画賞受賞 「ザ・コーヴ」への疑問がきっかけ 2015年11月3日 産経新聞
- ↑ Filmmaker plans more balanced documentary on Taiji's dolphin hunt May 22, 2015
- ↑ マスコミ試写会のご案内 合同会社八木フィルム(水産ジャーナリストの会公表),(PDF), 2015-8-7閲覧
- ↑ “「シー・シェパード、ひどい」 モントリオール映画祭、日本人女性監督の反捕鯨「反証」作品に熱い反響”. 産経ニュース. 株式会社産経デジタル (2015年9月5日). . 2015-9-23閲覧.
- ↑ 40.0 40.1 “「シー・シェパード、ひどい」 モントリオール映画祭、日本人女性監督の反捕鯨「反証」作品に熱い反響 (2)”. 産経ニュース. 株式会社産経デジタル (2015年9月5日). . 2015-9-23閲覧.
- ↑ 2009films DocuWest, 2015-8-7閲覧
- ↑ town of sun, the black tide and whales IMDB-VIDEO
- ↑ さゞなみ : 作品情報 - 映画.com2015年6月12日閲覧
- ↑ 「コーヴ」公開に合わせ邦画上映 クジラ漁の記録映画 - 47NEWS(よんななニュース)2010/08/14 共同通信
- ↑ NHK 知る楽 歴史は眠らない 2009 08/09月 第1回 大国に翻弄された町 8月4日九州大学大学院理学研究院地球惑星科学部門・理学部地球惑星科学科 吉田茂生web
- ↑ 米映画『ザ・コーヴ』、アカデミー賞受賞に太地町反発 写真2枚2010年03月09日 国際ニュース:AFPBB News
- ↑ イルカ漁等に対する和歌山県の見解(米映画『ザ・コーヴ』についてどのように考えるか) 和歌山県ホームページ
- ↑ シー・シェパードが妨害宣言 和歌山・太地町に送り込んでくる活動家はリピーターより初参加組 - MSN産経west1ページ、2ページ 2013.12.14
- ↑ ようこそ知事室へ 知事からのメッセージ 平成23年5月 太地の捕鯨 和歌山県ホームページ]
- ↑ 太地町における反捕鯨問題対策広報誌『和歌山の警察2013』19ページ、和歌山県警察。2013年3月発行。
- ↑ 反捕鯨団体想定し警備訓練 和歌山県警と海保 AGARA紀伊民報 2013年08月10日更新
- ↑ シー・シェパード妨害許さぬ クジラの町・太地に臨時交番2013.8.24 MSN産経west
- ↑ ケネディ駐日米大使のつぶやきにイルカの町が“鯨撃” 「漁を守り続ける」強い思い - 政治・社会 ZAKZAK 2014.02.10
- ↑ 捕鯨トラブルで対策本部 和歌山・太地町に臨時交番 日本経済新聞 2011/7/20
- ↑ クジラ漁を前に県警と海保が合同訓練、違法行為に対応 太地町 AGARA紀伊民報 2012年08月08日更新
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「jcast20140119
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 57.0 57.1 安倍首相がイルカ漁を擁護、米CNNインタビュー 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News2014年01月26日 15:27 発信地:東京
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「jc4567
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 「イルカ漁反対」と水産庁前で抗議=ケネディ発言受け市民ら(時事ドットコム)
- ↑ イルカ追い込み漁:CNNに安倍首相「古来から…理解を」 毎日新聞 2014年01月25日 10時39分(最終更新 01月25日 11時29分)
- ↑ CNN.co.jp : イルカ漁批判、日本側が反論 - (2/2)2014.01.21 Tue posted at 18:47 JST
- ↑ ニュース和歌山-2014年2月8日1面 イルカ漁の真実 世界へ 映像ジャーナリスト サイモン・ワーンさん 太地の捕鯨 偏見正し文化保存 ニュース和歌山株式会社
- ↑ 朝日新聞-2014年1月23日「イルカ漁懸念ツイート「政策示すこと大事」」