天乙
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天乙 | |
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商 | |
初代王 | |
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王朝 | 商 |
姓・諱 | 子履 |
父 | 主癸 |
子 | 外丙 |
天乙(てんいつ、紀元前1600年頃)は商朝の初代王。名は履。姓・諱を合わせ、子履(しり、ピン音:Zǐ Lǚ、ウェード式:Tzu-Lwu)ともいう。殷墟出土の甲骨文占卜には、大乙、名は唐、成と見える。湯王(湯)、太乙、成湯、成唐とも呼ばれる。
それまでの勢力を制圧し中原の覇権を得て、亳に王都を築営した。
史書の天乙
桀は暴虐な政治を行い、人心は夏から離れていた。夏の臣であった天乙は伊尹の補佐を受け桀を攻め、これを滅ぼした(鳴条の戦い)。書経には桀を滅ぼす時に諸侯に向けての演説したとされる『湯誓』がある。
天乙は夏の禹、周の文王、武王と並び聖王として後世に崇められている。徳は高く鳥や獣にまで及ぶと言われた[1]。
脚注
- ↑ 「学習漫画 中国の歴史 人物事典」2008年10月8日発行、監修・春日井明、14頁。