大阪狭山市
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大阪狭山市(おおさかさやまし)は、大阪府南河内地域に位置する市。本項では、発足時の名称である狭山村(さやまむら)、市制前の名称である狭山町(さやまちょう)についても述べる。
2010年(平成22年)の国勢調査によると、人口は58,238人で、府内31番目。府内の市としては四條畷市・阪南市に次いで3番目に少ない。
Contents
地理
人口
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.20%増の58,227人であり、増減率は府下43市町村中19位、72行政区域中37位。
大阪狭山市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
狭山の地名は河内国丹比郡(のち分割され丹南郡)の郷名に由来し、東の羽曳野丘陵と西の河泉丘陵に挟まれた地形による。
- 1600年(慶長5年) - 北条氏盛が初代藩主となり、狭山藩が立藩される。
- 1616年(元和2年) - 丹南郡池尻村に狭山陣屋が設置される。
- 1987年(昭和62年)の市制施行は、大阪府下では1971年11月3日の交野市以来16年ぶりであった。
- 市制施行前に行った町民への新市名アンケート(1374件)では「河内狭山市」がトップ(329件)で、「さやま市」が二番目(121件)、「大阪狭山市」は三番目(117件)であった[1]。しかし、半ば行政主導で「大阪狭山市」に決まった。
- 平成の大合併の際に、当時政令指定都市昇格を目指していた堺市(2006年に政令指定都市移行)と合併する動きも見られたが、2003年(平成15年)2月に市議会は合併協議会の設置請求を反対多数で否決した。
沿革
- 1873年(明治6年) - 丹南郡新町(通称:狭山新宿。狭山新町および半田新町)を池尻村に編入。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、丹南郡池尻村・半田村・東野村の区域をもって狭山村が発足。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 丹南郡狭山村の所属郡が南河内郡に変更。
- 1931年(昭和6年)6月16日 - 南河内郡狭山村が三都村と合併し、改めて狭山村が発足。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 南河内郡狭山村が町制施行して狭山町となる。
- 1977年(昭和52年) - 町立公民館・図書館が完成する。
- 1985年(昭和60年) - 町立総合体育館完成。また、この年の国勢調査で狭山町の人口が5万人を突破[2]。
- 1987年(昭和62年)10月1日 - 南河内郡狭山町が市制施行して大阪狭山市となる。大阪府下で35番目。ただし、法令上は狭山町を狭山市とし、これが先に名称を使用していた埼玉県狭山市と重複するため、狭山市の名称を大阪狭山市に変更する手続きが取られた[3]。
- 1997年(平成9年) - 第52回国民体育大会(なみはや国体)、成年男子バスケットボール大会が市内で開催される。
- 2001年(平成13年)3月 - 大阪府立狭山池博物館が開館する[4]。
- 2001年(平成13年)6月1日 - 市内循環バスの運行が開始する[5]。
行政
歴代市長
代 | 氏名 | 就任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
初 | 吉川悦次[6] | 1987年(昭和62年)10月 - 1992年(平成4年)10月 | 町長時代を含めると1962年9月から8期30年にわたり首長を務めた[6]。 |
2 | 酒谷忠生[7] | 1992年(平成4年)11月 - 1999年(平成11年)2月 | 2期目の任期途中に死去[8]。 |
3 | 井上武[8] | 1999年(平成11年)4月 - 2003年(平成15年)4月 | |
4 | 吉田友好[注 1][9] | 2003年(平成15年)4月 - 2015年(平成27年)4月 | |
5 | 古川照人 | 2015年(平成27年)4月 - |
市議会
- 市議会定数:15人
会派名 | 議席数 | 所属党派 |
---|---|---|
公明党 | 3 | 公明党 |
政風クラブ | 3 | |
日本共産党議員団 | 3 | 日本共産党 |
大阪狭山維新の会 | 2 | |
リベラルさやま | 2 | |
大阪維新の会 | 1 | 大阪維新の会 |
みらい創新 | 1 |
経済
産業・特産品
- ブドウ 大野地区で多く栽培されており大野地区のものは大野ぶどうとも言う。
- 狭山池名菓「池もろこ」という最中(もなか)があり大阪狭山市駅近隣にて販売されている。
- 条例により、市内にパチンコ店が一軒もない。
姉妹都市・友好都市
国内
海外
交通
鉄道
- 中心となる駅:金剛駅
バス
- 南海バス
- 市内の路線としては、金剛駅と狭山ニュータウンを結ぶ路線が中心。(→「金剛駅」の路線バスの項を参照)
- 金剛駅と関西国際空港を結ぶリムジンバス「Sorae」が運行されている。
- 狭山駅と大阪狭山市駅にはバスターミナルや停留所がない。
- 市内循環バス
- 2001年(平成13年)6月1日に運行開始。市が南海バスに運行業務を委託[5]。
- 循環運転による、南回り、ニュータウン回り、西・北回りの3ルート(全ルートで、Aコース(右回り)と、Bコース(左回り)の設定あり)があり、市内のほぼ全域をカバーしている。
- 市内各地から、市内の各種公共施設へ、公共交通によるアクセスを確保する目的があり、公共施設が集まる市役所停留所(市役所、SAYAKAホール最寄)、および、福祉センター停留所(市立図書館、公民館、郷土資料館、保健センター、福祉センター最寄)には、3ルートのすべてが経由する。
- 全ルート・全コースで、毎日8時台~17時台に、1時間あたり1本の運行(ただし、12/30~1/4は運休)をしている。
- 運賃は大人100円、子供50円である(障害者割引あり)。
- 子供連れ客や高齢者、障害者の利用がしやすいように、バス車両は、三菱小型ノンステップバスの市内循環バス専用車両(三菱ふそう・エアロミディ、いずれも緑色基調の独自塗装車)が充当されていた。2015年10月1日より全8車両が 日野・ポンチョに置き換えられた。
道路
国道
府道
道路の愛称
平成6年に市が公募の中から命名。
- さやか通り - 大阪府道198号河内長野美原線のうち、狭山半田郵便局から狭山池通りと交差する浦之庄交差点までの区間。沿道にSAYAKAホール(下記)や市役所がある。
- 狭山池通り - 大阪府道34号堺狭山線と大阪府道202号森屋狭山線の大阪狭山市通過部分の区間。狭山池の南側を通る。
- いちょう通り - 狭山池通り(大阪府道34号堺狭山線)につき当たる岩室東交差点から南に伸び、狭山ニュータウンを縦貫し、大野地区に至る区間。沿道にいちょうの木が並ぶ。
- 陶器山通り - 泉北ニュータウンと狭山ニュータウンをつなぐ陶器山トンネル(昭和61年完成)から、狭山ニュータウンを横断し、国道310号と交差したあと、西除(にしよけ)川にかかる洞ヶ淵橋までの区間。
施設
警察署
消防機関
文化会館
教育機関
- 大学
- 高等学校
- 中学校
特記事項として、大阪府内の公立中学校では、学校給食制度を導入していない市町村が多数派であるが、大阪狭山市では、1973年に市内の全公立中学校に学校給食制度を導入し、2017年現在も継続して実施している。
- 小学校
- その他
- ホンダテクニカルカレッジ関西
- 近畿大学付属看護専門学校
- 大阪サヤマ自動車学院
日本郵政グループ
- 大阪狭山郵便局(岩室) - 集配局。
- 狭山大野台郵便局(大野台)
- 狭山大野台一郵便局(大野台)
- 狭山半田郵便局(狭山)
- 狭山南半田郵便局(半田)
- 狭山駅前郵便局(池尻自由丘 = いけじりじゆうがおか)
- 各郵便局にはゆうちょ銀行のATMが設置されており、大阪狭山郵便局ではホリデーサービスを実施。
大阪狭山市内の郵便番号は「589-00xx」(大阪狭山郵便局の集配担当)となっている。
医療機関
博物館
- 大阪府立狭山池博物館(大阪狭山市立郷土資料館を併設)
祭事
- だんじり祭り
- さやま池まつり
大阪狭山市出身の有名人
- 末永雅雄 - 考古学者。1988年(昭和63年)に文化勲章受章。大阪狭山市名誉市民。
- 大江千里(アーティスト)
- 西浦克拓 (元プロ野球選手、北海道日本ハムファイターズ)
- 田村龍弘(プロ野球選手、千葉ロッテマリーンズ)
- 小谷祐喜(サッカー選手、ロアッソ熊本)
- ジョン・B(ウルフルズ)
- 小池徹平 (WaT)
- 谷口由紀 将棋女流棋士
- 西山静佳 囲碁棋士(関西棋院)
- 西山朋佳 新進棋士奨励会員(三段)
- 儀間太久実 - 世界口笛大会 2007年ティーンの部で日本人初のグランドチャンピオン
- 栂井靖弘 - 2006年ブーメラン世界大会オージーラウンド部門優勝・国際宇宙ステーション米国実験棟デスティニー (ISS) の基地内で行われた実験に使われたブーメランの製作者.
- 臼杵寛 (芸人・ミュージシャン 元dボタン)
- 今谷慶介(アーティスト)
- 伊原六花(ダンサー)
その他
ふれあいが 人をはぐくむ 水の郷
関連項目
参考文献
- 大阪狭山市史編さん委員会(編集); 大阪狭山市教育委員会教育部歴史文化グループ市史編さん担当(編集) 『大阪狭山市史 第1巻 本文編 通史』、2014年3月。
- 大阪狭山市史編さん委員会(編集); 大阪狭山市教育委員会教育部社会教育・スポーツ振興グループ市史編さん担当(編集) 『大阪狭山市史 第4巻 史料編 近現代』、2012年3月。
- 南海電気鉄道 『南海電鉄最近の10年 創業120周年記念』、2005年、100頁。
脚注
注釈
- ↑ 「吉」の字の上部は「士」ではなく「土」。
出典
- ↑ 『大阪狭山市史 第4巻』 572-573頁。
- ↑ 『大阪狭山市史 第1巻』 667頁。
- ↑ 『大阪狭山市史 第1巻』 669頁。
- ↑ 『大阪狭山市史 第1巻』 685頁。
- ↑ 5.0 5.1 『南海120周年記念』100頁。
- ↑ 6.0 6.1 『大阪狭山市史 第1巻』 679頁。
- ↑ 『大阪狭山市史 第1巻』 681頁。
- ↑ 8.0 8.1 『大阪狭山市史 第1巻』 683頁。
- ↑ 『大阪狭山市史 第1巻』 686頁。
- ↑ 『大阪狭山市史 第1巻』 680頁。
外部リンク
- [{{#property:P856}} 公式ウェブサイト] (日本語)
典拠レコード: