大阪国際女子マラソン
大阪国際女子マラソン | |
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300px 2013年大会 (淀屋橋) | |
開催時期 | 1月最終日曜日 |
開催地 | 大阪府大阪市 |
コース | 公道コース |
距離 | マラソン |
主要スポンサー | 奥村組 |
創立 | 1982年 |
最高記録 | 2:21:18 野口みずき (2003) |
公式サイト | www.osaka-marathon.jp/ |
大阪国際女子マラソン(おおさかこくさいじょしマラソン、英語: OSAKA Women's Marathon)は、新春の大阪・なにわ路を舞台に繰り広げる国際マラソンである。1982年から開催。ただし、第1回〜第3回は「大阪女子マラソン」の名称で実施され、「大阪国際女子マラソン」となったのは1985年の第4回大会からである。本項目では、同日に開催される「大阪ハーフマラソン(おおさかハーフマラソン)」についても記述する。
Contents
概要
開催日は第1回大会を除いて、第2回大会以降は1月の最終日曜日に設定されている。レースは長居公園内にあるヤンマースタジアム長居をスタートして、3つのクライマックスとも言われる中之島、御堂筋、大阪城公園を抜けて、ヤンマースタジアム長居に戻る42.195kmで争われる。北海道マラソン、さいたま国際マラソン、東京マラソン、名古屋ウィメンズマラソンとともに、夏季オリンピック、世界陸上競技選手権大会、アジア競技大会の代表選考会女子の部第3戦として位置づけられており、毎年激しいレースが繰り広げられている。また、本大会とさいたま国際マラソン、名古屋ウィメンズマラソンの3大会で3年おきに持ち回りで女子マラソンの日本選手権を兼ねて行われる[1]。 2018年・2019年(2017年度・2018年度)の大会は、2020年東京五輪のマラソン日本代表候補を決める「マラソングランドチャンピオンシップ」(通称:MGC)シリーズの対象レースに指定される[2]。
- 主催
- 主管
- 後援
- 大阪府
- 大阪府教育委員会
- 大阪市教育委員会
- 大阪市体育協会
- 大阪商工会議所
- 大阪21世紀協会
- OBCラジオ大阪(2014年までは主催)
- 夕刊フジ
- フジサンケイ ビジネスアイ
- サンケイエクスプレス
- サンケイリビング新聞社
- 扶桑社
- FM802
- 協賛
- 協力
- ダイハツ工業: 第24回(2005年)〜現在
- シチズンホールディングス[† 1]: 第1回大会(1982年)〜現在
- ファイテン: 第37回(2018年)
- 大塚製薬: 第23回(2004年)〜第26回(2007年)、第36回(2017年)〜
- 過去の協賛・協力
- 日東電工: 第24回(2005年)〜第36回(2017年)
- 三菱自動車工業: 第22回(2003年)〜第23回(2004年) - 第1回〜第23回までは車両協力
- ローソン: 第21回大会(2002年)
- ダイエー: 第1回(1982年)〜第20回(2001年)
- ミズノ: 第1回(1982年)~第31回(2012年)
- デサント: 第32回(2013年)
- ゼビオ: 第36回(2017年)
参加資格
- 一般選手の場合
- 日本陸上競技連盟の登記・登録者
- 開催日現在で満19歳以上の女性
- 下記いずれかの記録保持者、又はこれ相当の実力と日本陸上競技連盟が認めた者。
- マラソン:3時間13分以内
- 30km走:2時間13分以内
- ハーフマラソン:1時間30分以内
- 20km走:1時間25分以内
- 10,000m走:37分以内
- ここに掲げた記録は開催日の2年前の1月1日以降のもので、日本陸上競技連盟の公認競技会の記録に限る。なお、世界記録の動向により随時見直される。
- 招待選手の場合
- 外国招待選手(約15名) - 日本陸上競技連盟が推薦する者
- 国内招待選手(約20名) - 日本陸上競技連盟が推薦する者
なお、参加料は7,500円である。
競技コース
2011年大会からは20年ぶりにコースが変更された[† 2][† 3]。これにより高低差が23mから9mと少なくなり、より高速なコース設定になった(コース図、Google Map)。
- 長居公園内の長距離走路 - 旧コースでは往路が時計回り・復路が反時計回りだったが、新コースでは往路復路とも時計回りに変更。
- 長居公園の出入口 - 旧コースでは南駐車場付近だったが、新コースでは南西入口に変更。
- 幹線道路 - 旧コースから新コースへの変更によって、長居公園通・本町通・上町筋が除外され、今里筋・中央大通の区間を短縮、玉造筋・土佐堀通・御堂筋の区間を延長し、あびこ筋・松虫通・城見通を新たに通るようになった(勝山通・堺筋・中之島通の区間は変更なし)。
- 折り返し地点 - 旧コースでは長堀川(埋立)の新橋跡だったが、新コースでは道頓堀川の道頓堀橋に変更。これにより道頓堀グリコサインを望むロケーションを獲得した。
- 大阪城公園付近 - 旧コースでは大坂城の南外濠・西外濠沿いの本町通・上町筋を往復し、玉造口 → 雁木坂 → 京橋口と二の丸を通り、筋鉄門跡から北外曲輪を経由して杉山地区を通っていたが、新コースでは杉山地区を通るだけとなり、代わって大阪ビジネスパーク(弁天島)を通るコースに変更。これにより高低差約12mの雁木坂が除外され、第二寝屋川の弁天橋・新鴫野橋、寝屋川の片町橋・寝屋川橋を渡るフラットなコースになった。
直近の成績
- 2018年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | 松田瑞生 | ダイハツ | 2時間22分44秒 |
2 | 前田穂南 | 天満屋 | 2時間23分48秒 |
3 | 安藤友香 | スズキ浜松AC | 2時間27分37秒 |
4 | アニャ・シェール | ドイツ | 2時間29分29秒 |
5 | 吉田香織 | TEAM R×L | 2時間29分53秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:16 | 14:23 |
天候 | 曇り | 曇り | 曇り |
気温 | 5.0 ℃ | 4.5 ℃ | 4.4 ℃ |
湿度 | 49 % | 46 % | 53 % |
風向風速 | 北西 1.2 ㎧ | 東 1.9 ㎧ | 東 2.1 ㎧ |
マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)シリーズ対象レースへの指定後初めて開催されたことから、「日本人選手内の1 - 3位で完走した場合にはゴールタイムが2時間28分0秒以内、4 - 6位で完走した場合には2時間27分0秒以内」という条件を満たした日本人選手に、MGCへの出場資格を与えることが定められていた。レースでは、前年(2017年)に名古屋ウィメンズマラソンでの優勝を経てロンドン世界陸上の女子マラソンへ出場した安藤友香、前年の北海道マラソン優勝によって女子選手で最初にMGCへの出場権を得ていた前田穂南、ヤンマースタジアム長居に近い大阪市住吉区の出身でフルマラソン初挑戦の松田瑞生が、前半からペースメーカーを振り切る勢いで先頭争いを展開。25km過ぎから前田がいち早く先頭集団を抜け出したものの、31kmの手前で松田がトップに浮上した。松田はそのまま快走を続けると、日本歴代9位(女子フルマラソンへのデビュー戦としては日本歴代3位)の2時間22分44秒というゴールタイムで、初マラソン・初優勝という快挙を達成。27km付近で先頭争いから後退した安藤も、2時間27分37秒というゴールタイムで3位に入ったことから、優勝者の松田と共にMGCへの出場権を与えられた。
- 2017年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | 重友梨佐 | 天満屋 | 2時間24分22秒 |
2 | 堀江美里 | ノーリツ | 2時間25分44秒 |
3 | 田中華絵 | 第一生命 | 2時間26分19秒 |
4 | セレナ・ブルラ | アメリカ合衆国 | 2時間26分53秒 |
5 | シタヤ・ハルテゲブレル | バーレーン | 2時間28分36秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:19 | 14:34 |
天候 | 曇り | 曇り | 曇り |
気温 | 10.2 ℃ | 12.9 ℃ | 11.1 ℃ |
湿度 | 41 % | 36 % | 44 % |
風向風速 | 南西 0.5 ㎧ | 北 0.2 ㎧ | 西 0.1 ㎧ |
- 2016年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | 福士加代子 | ワコール | 2時間22分17秒 |
2 | 堀江美里 | ノーリツ | 2時間28分20秒 |
3 | 竹中理沙 | 資生堂 | 2時間29分14秒 |
4 | ディアナ・ロバチェブスケ | リトアニア | 2時間30分09秒 |
5 | 重友梨佐 | 天満屋 | 2時間30分40秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:21 | 14:33 |
天候 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
気温 | 9.0 ℃ | 12.0 ℃ | 11.7 ℃ |
湿度 | 42 % | 33 % | 40 % |
風向風速 | 南 1.1 ㎧ | 南東 2.5 ㎧ | 南東 1.6 ㎧ |
リオデジャネイロオリンピック・女子マラソン選考会を兼ねたレースとなり、4年前のロンドン五輪選考会と同様、重友梨佐と福士加代子らの一騎打ちが注目される。10km地点ではペースメーカーが3分23秒のハイペースで突っ走ると、先頭争いは福士、重友、竹中理沙、チェピエゴの4人だけに。15km過ぎで、前回ロンドン五輪女子マラソン代表だった重友が先頭集団から脱落、中間点の先頭集団は福士、竹中、チェピエゴが1時間10分27秒で通過。24km過ぎ、依然高速のペースメーカーについたのは福士のみとなり、チェピエゴと竹中が徐々に遅れ始める。30km地点でペースメーカーが外れてからは、福士の完全独走となる。その後も福士は大きくペースダウンする事無く、日本陸連の五輪女子マラソン設定記録(2時間22分30秒)を13秒上回り、3年ぶり2回目の優勝を達成、福士はリオ五輪女子マラソン日本代表入りをほぼ確定的にした(その後同年3月17日に、福士はリオ五輪女子マラソン日本代表選手に正式選出された)。
- 2015年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
取消 | |||
1 | エレナ・プロコプツカ | ラトビア | 2時間24分07秒 |
2 | 重友梨佐 | 天満屋 | 2時間26分39秒 |
3 | 渡邊裕子 | エディオン | 2時間28分36秒 |
4 | 城戸智恵子 | キヤノンAC九州 | 2時間29分08秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:18 | 14:32 |
天候 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
気温 | 10.0 ℃ | 12.0 ℃ | 10.5 ℃ |
湿度 | 50 % | 40 % | 51 % |
風向風速 | 北東 1.2 ㎧ | 北 1.0 ㎧ | 北 0.7 ㎧ |
- 2014年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
取消 | |||
1 | 赤羽有紀子 | ホクレン | 2時間26分00秒 |
2 | カロリナ・ヤジンスカ | ポーランド | 2時間26分31秒 |
3 | 前田彩里 | 佛教大学 | 2時間26分46秒 |
4 | マルタ・レマ | エチオピア | 2時間28分06秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:17 | 14:35 |
天候 | 曇り | 曇り | 晴れ |
気温 | 9.6 ℃ | 10.5 ℃ | 9.5 ℃ |
湿度 | 61 % | 45 % | 49 % |
風向風速 | 東 1.9 ㎧ | 北 2.8 ㎧ | 南東 2.0 ㎧ |
4年振りにペースメーカー抜きでレースを開催。当初は野口みずきも出場を予定していたが、大会直前に右大腿部の疲労骨折が判明したため、3年連続で大会を欠場した。レースでは、この大会を最後に第一線から退くことを表明していた赤羽有紀子が、19km手前から37kmまでタチアナ・ガメラシュミルコと一進一退の先頭争いを展開。37km過ぎでガメラシュミルコに振り切られたものの、日本人トップの2位(当初・のち優勝に繰り上げ)で引退レースを締めくくった。また、仏教大学4年生の前田彩里が、一般参加選手でトップの3位に入賞。従来の日本学生記録を5分縮めるゴールタイムで、マラソンデビューを果たした。さらに、前田の母・淳子も、一般参加ながら2時間55分24秒という好タイムで完走。前田親子の合計タイムは5時間22分10秒で、ギネスブックに登録されている「親子による同一マラソンでの合計ゴールタイムの世界記録」(5時間30分21秒)を更新した[5]。国内招待選手の1人として出場した2012年大会優勝者の重友梨佐は、序盤こそ先頭集団の中で快走していたが、15km過ぎから急激に失速。結局、自己ワースト記録の2時間58分45秒で63位に終わった。
- 2013年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
取消 | |||
1 | 福士加代子 | ワコール | 2時間24分21秒 |
2 | 渡邊裕子 | エディオン | 2時間25分56秒 |
3 | 小﨑まり | ノーリツ | 2時間26分41秒 |
4 | リサ・ウェイトマン | オーストラリア | 2時間29分09秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:18 | 14:34 |
天候 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
気温 | 6.4 ℃ | 5.4 ℃ | 7.2 ℃ |
湿度 | 50 % | 50 % | 53 % |
風向風速 | 南西 1.5 ㎧ | 南南西 1.0 ㎧ | 南東 1.5 ㎧ |
前年同様に野口みずきがエントリーするも、急性胃腸炎により2年連続の欠場に。本番でのペースメーカーは17分/5km前後で推移、それに付いた先頭集団は5人に絞られる。30km地点でペースメーカー離脱後は福士加代子の独走態勢となり、35kmではタチアナ・ガメラシュミルコに30秒差をつけたが、福士は徐々にペースダウンし40km地点では19秒差に。結果ガメラシュミルコの猛迫に逃げ切れず、ゴール迄残り1km過ぎで福士は逆転されてしまうが、日本人トップの2位(当初・のち優勝に繰り上げ)に入る。世界陸上モスクワ大会女子マラソンで即内定条件の、日本陸連の派遣設定記録の2時間23分59秒以内に届かずも、4月25日に福士は世界陸上で初の女子マラソン日本代表に選出された。
- 2012年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | 重友梨佐 | 天満屋 | 2時間23分23秒 |
取消 | |||
2 | 野尻あずさ | 第一生命 | 2時間24分57秒 |
3 | 堀江知佳 | ユニバーサル | 2時間28分35秒 |
4 | 嶋原清子 | セカンドウィンドAC | 2時間29分51秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:16 | 14:33 |
天候 | 曇り | 曇り | 曇り |
気温 | 5.5 ℃ | 6.6 ℃ | 6.5 ℃ |
湿度 | 56 % | 46 % | 50 % |
風向風速 | 西北西 1.3 ㎧ | 北 0.8 ㎧ | 東 0.5 ㎧ |
当初は「アテネ五輪女子マラソン金メダリスト」野口みずきと「長距離トラックの女王」福士加代子との対決で注目されたが、本番4日前に野口が故障欠場すると大会事務局が発表した[6]。レース当日は過去数年間で比較的天候が良好で、好記録が期待された。序盤から4人のペースメーカーの内3人もいなくなるほどのハイペースで進み、22km過ぎの折返し地点では重友梨佐と福士の一騎討ちとなった。しかし27km手前で福士が脱落し、重友の独走状態になる。結果重友が日本女子歴代9位の好タイムで優勝を果たし、ロンドン五輪代表最有力候補となり、3月12日の理事会で正式に五輪日本代表へ選出された。福士は4年前の大阪国際と同様に、再び後半で失速してしまい9位(当初・のち8位)に終わる[7]。なお5位(当初・のち4位に繰り上げ)に入った嶋原清子は、この大阪国際を最後に第一線から引退となった[8]。
- 2011年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | 赤羽有紀子 | ホクレン | 2時間26分29秒 |
2 | 伊藤舞 | 大塚製薬 | 2時間26分55秒 |
3 | 堀江知佳 | ユニバーサル | 2時間27分26秒 |
4 | アンナ・インチェルティ | イタリア | 2時間27分33秒 |
5 | 木﨑良子 | ダイハツ | 2時間29分35秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:15 | 14:36 |
天候 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
気温 | 3.0 ℃ | 4.0 ℃ | 4.3 ℃ |
湿度 | 49 % | 51 % | 44 % |
風向風速 | 東 2.4 ㎧ | 南 1.5 ㎧ | 北東 2.3 ㎧ |
第30回大会記念として、コースの一部が新しく変更された(前述参照)。しかし前回第29回大会より低い気温と、冷たい強風が吹く悪条件となった。前年の同大会では途中棄権の赤羽有紀子が、終始先頭集団につく積極的な走りを見せる。34km付近から赤羽と伊藤舞とのマッチレースとなるが、残り3km辺りで赤羽がスパートして伊藤を引き離し、赤羽がマラソン初優勝を果たした。なお世界陸上大邱大会女子マラソン代表の内定条件である、2時間26分以内でのゴールは出来なかったが、同世界陸上女子マラソン代表は2011年4月21日に、優勝の赤羽と2位の伊藤が二人揃って選出された。
- 2010年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | アマネ・ゴベナ | エチオピア | 2時間25分14秒 |
2 | マリサ・バロス | ポルトガル | 2時間25分44秒 |
3 | 小﨑まり | ノーリツ | 2時間26分27秒 |
4 | リディア・シモン | ルーマニア | 2時間27分11秒 |
5 | 小幡佳代子 | アコム | 2時間27分19秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:18 | 14:35 |
天候 | 雨 | 雨 | 雨 |
気温 | 5.8 ℃ | 5.0 ℃ | 6.2 ℃ |
湿度 | 70 % | 75 % | 83 % |
風向風速 | 西 0.5 ㎧ | 北東 0.2 ㎧ | 北北西 1.5 ㎧ |
降雨による低温が選手達を苦しめ、記録的には平凡な結果に終わった。途中まで先頭を引っ張った赤羽有紀子は、大会直前に足を痛めていたこともあり、25km地点を過ぎてペースダウン、結局39km付近で途中棄権となる。日本人1位は小﨑まりだったが、2010年11月の広州アジア競技大会代表は、駅伝シーズンと重なる事も有り辞退した[† 4]。また小幡佳代子は、所属先の陸上部が廃部による引退レースとなったが、出走した全てのフルマラソンを完走という名誉で締め括った。
- 2009年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | 渋井陽子 | 三井住友海上 | 2時間23分42秒 |
2 | 赤羽有紀子 | ホクレン | 2時間25分40秒 |
3 | 原裕美子 | 京セラ | 2時間26分57秒 |
4 | 大平美樹 | 三井住友海上 | 2時間27分08秒 |
5 | リディア・シモン | ルーマニア | 2時間27分14秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:19 | 14:34 |
天候 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
気温 | 6.7 ℃ | 9.2 ℃ | 6.0 ℃ |
湿度 | 73 % | 52 % | 70 % |
風向風速 | 東南東 1.5 ㎧ | 北東 0.8 ㎧ | 東 2.1 ㎧ |
2008年11月の東京国際女子マラソンで独走しながら30km過ぎに失速して4位に終わった渋井陽子が、2か月という短期間で強行出場。30km地点で自らロングスパートを仕掛け、その後も先頭を争っていた赤羽有紀子を31km過ぎで振り切って優勝、雪辱を果たした。渋井自身、マラソンでは2004年9月のベルリンマラソン以来4年4か月ぶり、大阪国際女子では8年ぶりの優勝を果たし、これにより世界陸上ベルリン大会の日本代表に内定した[† 5]。また2位の赤羽も、世界陸上ベルリン大会の代表入りを果たしている。
- 2008年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | マーラ・ヤマウチ | イギリス | 2時間25分10秒 |
2 | 森本友 | 天満屋 | 2時間25分34秒 |
3 | ジュリア・モンピ | ケニア・アルゼ | 2時間26分00秒 |
4 | 大平美樹 | 三井住友海上 | 2時間26分09秒 |
5 | 扇まどか | 十八銀行 | 2時間26分55秒 |
場所 | 競技場 スタート |
---|---|
時刻 | 12:10 |
天候 | 曇り |
気温 | 6.3 ℃ |
湿度 | 61 % |
風向風速 | 南南西 1.9 ㎧ |
マラソン転向が注目された福士加代子が、自身の初マラソンとして出場。スタートの長居陸上競技場を飛び出してからは福士一人だけ抜け出て先頭に立ち、序盤から独走に。大会記録が期待される程のハイペースで突っ走ったが、30kmを過ぎて急激に失速し、レース終盤に入ると次々後続選手に抜かれていった。40km以降の福士はフラフラの状態で走り続けるも、ゴール直前で4度も転倒してしまう。その度に福士は立ち上がり何とかゴール地点には辿り着いたが、結局19位と惨敗に終わる。尚、優勝は35km手前で福士を捕らえて逆転したマーラ・ヤマウチ、2位に森本友が入った。
日本陸連強化本部長の澤木啓祐は、他選手らが福士を警戒し過ぎてややスローペースな展開となった点を指摘、日本人トップの森本も優勝を逃した事で「北京五輪代表選出は厳しい」との見解を示した。その後3月9日の名古屋国際女子マラソンが事実上3枚目の五輪切符をかけたレースとなり、優勝した中村友梨香が北京五輪女子マラソンに代表選出され、森本は補欠に廻された。
- 2007年成績
順位 | 氏名 | 国名・所属 | タイム |
---|---|---|---|
1 | 原裕美子 | 京セラ | 2時間23分48秒 |
2 | 小﨑まり | ノーリツ | 2時間24分39秒 |
3 | 加納由理 | 資生堂 | 2時間24分43秒 |
4 | 大越一恵 | ダイハツ | 2時間31分04秒 |
5 | 江崎由佳 | 九電工 | 2時間31分35秒 |
場所 | 競技場 スタート |
中間点 | 競技場 フィニッシュ |
---|---|---|---|
時刻 | 12:10 | 13:17 | 14:34 |
天候 | 晴れ | 晴れ | 晴れ |
気温 | 9.9 ℃ | 13.5 ℃ | 9.6 ℃ |
湿度 | 50 % | 45 % | 48 % |
風向風速 | 北東 1.5 ㎧ | 北東 0.5 ㎧ | 東南東 1.7 ㎧ |
29km過ぎまで原裕美子と渋井陽子の二人が先頭を激しく争っていたが、その後原が渋井を突き放してからは独走して優勝。同一コースで行われる世界陸上大阪大会の、女子マラソン代表第1号に原が即内定となる。なお2位に入った小﨑まりも、原と同じく世界陸上大阪大会代表に選出された。3位の加納由理は、ゴールタイムでは選考基準をクリアし、前年11月の東京国際女子マラソン覇者・土佐礼子の優勝記録を上回ったが、惜しくも補欠に留まった。渋井は30km以降完全にスローダウンとなり、数人の選手にかわされて10位に終わった。
タチアナ・ガメラによるドーピング違反
第32回大会(2013年)から第34回大会(2015年)までは、タチアナ・ガメラ(ウクライナ、以下ガメラと表記)が、3大会続けてトップでゴール。第31回(2012年)では2位に入っていた。
しかし、ガメラの生体パスポート検査で異常値を示したことをきっかけに、ガメラがドーピング防止規則違反を犯していたことが第34回大会後に判明。2015年11月24日には、ウクライナ陸上競技連盟が本人に対して、2019年9月までに開催される全ての大会への出場を停止する処分を科した。さらに、ガメラが2011年8月以降に出場した大会での記録を、すべて取り消すことを発表した[9]。
日本陸上競技連盟では、上記の期間にガメラが出場した国内大会の主催者に対して、記録取り消しなどの措置を講じることを2015年12月22日付で通達。当大会の事務局でも、同選手の競技成績を記録から削除した上で、同選手よりも下位で完走した選手の各順位を1つずつ繰り上げた。その結果、第32回で当初2位の福士加代子、第33回で当初2位の赤羽有紀子、第34回で当初2位のエレナ・プロコプツカを、優勝者として正式に認定した[10]。
歴代優勝者一覧
優勝者の氏名・国名・所属は当時、 優勝タイム は(当時の)大会記録、 -数字- は優勝回数。
- ↑ 大会直前の1月17日に兵庫県南部地震が発生したため、災害復旧の目的を最優先しなければならない事情により、実行するための各方面からの協力を得られる目途が立たなくなったことによる。大会中止の告知は、当時メインスポンサーだったダイエーの各店頭にも貼り出された。出場予定だった代表選手候補は3月の名古屋国際女子マラソンに振り替えで出場した。
- ↑ 2017年名古屋ウィメンズマラソンで更新する。
- ↑ Microsoft Word - 2012大会要項(B.doc - outline.pdf
- ↑ JAAF主催大会放送予定を公開しています | 公益財団法人日本陸上競技連盟
- ↑ 指定された記録を上回るゴールタイムで完走した優勝者の松田と、3位の安藤友香(スズキ浜松AC)が出場権を獲得。
放送
テレビ
テレビ中継は関西テレビをキーステーションとしてFNS系列28局で放映される。
- かつては、スポンサーからの要請でTBS系列の青森テレビでも2004年まで放送されたが、放送開始の12時の時点では同局がTBS系列である関係などから同時ネットが不可能であるため、時期によってはレース途中飛び乗り、又は1時間遅れ時差ネットが繰り返された。放映されなくなった2005年以降は隣県のFNS系列の放送局(北海道文化放送・岩手めんこいテレビ・秋田テレビ)が受信可能な地域(ケーブルテレビでの再送信も含む)を除き地上波では見られなくなった。ちなみに、スタート直後に流れるネット局名が書かれたロールには青森テレビは含まれていなかった。
- また、岩手県では岩手めんこいテレビが開局する以前、TBS系の岩手放送(現・IBC岩手放送)でも1991年まで2時間遅れの時差ネットをしていたこともある。同局はFNSに加盟こそしていなかったものの、FNS系列の番組を数多くネットしていた局であった[† 6]。
- 山形県では山形テレビで1993年大会まで放送していたが、その年の4月にテレビ朝日系列へネットチェンジしたため、現在のさくらんぼテレビでのネットが開始された1998年大会まで同県での放送はなかった(ただし近隣系列局の直接受信又はケーブルテレビの再送信で視聴は可能であった)。
- 第25回大会(2006年)から第27回大会(2008年)までは地上波放送の他にBSデジタル放送のBSフジ、関西テレビが運営するCS放送京都チャンネルで放送日当日に録画放送されていた[† 7]が、2009年の第28回大会についてはBSフジでの放送は行われず、京都チャンネルでの放送もこの年が最後となった(2009年4月30日に放送を終了したため[11])。
- この競技大会の中継には、主に関西テレビのスポーツ担当アナウンサーが関わっている(詳細は後述)。
- 同番組では、2001年頃から出ているフジテレビ系列のスポーツ番組のタイトル「FUJI NETWORK SPORT」はしばらく使用されていなかったが、第29回大会(2010年)で初めて使用された。
- 提供クレジットは2001年からは協賛社および協力社がカラー表記、日東電工が協賛社になった2005年からは白絨毯の上にスポンサー表記、2010年からはそれまでの一部統一から二部制に分けている(提供表記は従来通りであるが、協賛社・協力社およびアサヒビールはカラー表記)。
放送事故
- 第17回大会(1998年)で、フジテレビのみ、この当時は二か国語放送で、CM時の音声も二か国語のままだったり、あまり無関係なテロップが出ていたが、数十分後にCM時の音声がステレオ音声に修正された。
- 第20回大会(2001年)の提供クレジットでは初めて協賛社部分がカラーテロップになったが、冒頭において「ダイエーグループ」部分のまま切り替えができなくなり、そのままCMへと入ってしまった[† 8]。それから数十分後に改めて全スポンサーを紹介した。
エピソード
- この中継を担当する関西テレビのアナウンサーは、2018年時点では後続番組の競馬中継(現在は『KEIBA BEAT』)の出演者(2018年の第37回では石田一洋、吉原功兼、岡安譲、服部優陽)と、他の番組の担当者(第37回では若田部克彦、坂元龍斗、中島めぐみ、新実彰平)が中継に当たっている。かつては大橋雄介が実況やリポート、高橋真理恵が優勝者へのインタビュアーを担当していたが、第37回大会の中継ではいずれも副音声の進行役に回っている。また、『KEIBA BEAT』の競馬中継およびプロ野球での実況を担当している川島壮雄は、大会当日にも『KEIBA BEAT』へ専念するため、この中継には参加していない。
- 関西テレビのアナウンサーとして長年スポーツ実況を担当してきた馬場鉄志は、第11回大会(1992年)から第29回大会(2010年)まで毎年第1移動車に乗り込み、優勝争いを伝えていた。第19回大会(2000年)では、優勝したリディア・シモン(ルーマニア)と2位の弘山晴美との壮絶な争いを、ぎりぎりまで絶叫しながら実況した(この時の詳しいエピソードについては、馬場鉄志#大阪国際女子マラソン実況を参照)。
- 近年の放送では、「とくダネ!」司会で、FNSのマラソン中継コメンテーターでもある小倉智昭が出演し、直前番組やレースを終えたばかりの優勝選手や注目選手に話を聞いていた。2010年の第29回大会から2014年の第33回まではTOKIOの国分太一[† 9]がスペシャルサポーターに就任し、直前番組の他、レースを終えたばかりの優勝選手や注目選手に話を聞いていた。2015年の第34回と2016年の第35回は、タレントで元陸上選手の武井壮が、スペシャルサポーターを継承。上記の役割に加えて、レース中には、日本人の有力選手を沿道で応援する関係者へのインタビューも随時担当した。2018年の第37回大会では、『スポーツLIFE HERO'S』(フジテレビ制作)日曜版のメインキャスターである加藤綾子(同局出身のフリーアナウンサー)が、中継のMCを初めて務めている。
- 移動中継車は毎年2台使われるが、第1移動車は第12回大会(1993年)と第13回大会(1994年)はフジテレビの中継車が、第15回大会(1996年)から第23回大会(2004年)まで東海テレビの中継車が使われ、第2移動車は関西テレビの中継車が使われていた。第24回大会(2005年)からは関西テレビの移動中継車がハイビジョン対応に更新されたのに伴い第1移動車として使用、第2移動車は東海テレビの中継車が使われた。第25回大会(2006年)は全編ハイビジョンで放送するためにフジテレビの移動中継車が第2移動車として使われた。第26回大会(2007年)以降は東海テレビも2006年秋にハイビジョン対応の移動中継車に更新したため、第2移動車として使用されている。一時期は移動中継車が3台使われていた事があり、第19回大会(2000年)では、第1移動車は東海テレビ、第2移動車は関西テレビ、第3移動車は岡山放送の中継車が使われたが、第28回大会(2009年)と第29回大会(2010年)では第3移動車も使われ、第29回大会では岡山放送の小型中継車が使われた。第31回大会(2012年)では、第1移動車は関西テレビ、第2移動車はフジテレビ、第3移動車は東海テレビの中継車がそれぞれ使われた。
- 近年の中継では、上記の中継車に加えて、複数のバイクが走行。関西テレビのスポーツアナウンサー(主に吉原→新実→岡安)や、現役時代に当大会で2位に入った解説者の千葉真子が、バイクに搭乗しながらリポートを担当する。
- 前述の通り、第14回(1995年)は阪神・淡路大震災の影響で中止となったため、放送枠を設けていたところには1994年10月に放送された「オールスターものまね王座決定戦」の再放送が行われた。
- 現在、この大会を協賛している日東電工のCMでは関西テレビをはじめFNS系列局でこの大会を応援するCMが大会の直前から流れている。ほぼ同じものがJR西日本の321系電車及び225系電車車内のWESTビジョンでも流れる。
- 第24回(2005年)から第36回(2017年)までメインスポンサーに就いていた日東電工では、第29回(2010年)から第31回(2012年)まで大半のCM枠で「日東電工社員マラソン」を放送。実際のスタート・ゴール地点である長居陸上競技場などで、役員や社員がマラソン風のロケを実施していた。
イメージソング
第6回大会(1987年)から第37回大会(2018年)までのテレビ中継では、THE ALFEEが大会ごとに異なるイメージソングを提供していた。いずれの楽曲も、THE ALFEEの高見沢俊彦が、作曲と作詞を担当。大半の大会では、先頭集団が大阪城公園に差し掛かったタイミングで、中継映像から一時的に音声・テロップを消すとともに、映像と重ねながらイメージソングを流していた。
テーマ曲の推移 | ||
---|---|---|
大会年 | 曲名 | 備考 |
1987年 | 夢よ急げ | アルバム“ALFEE”収録曲 |
1988年 | It's Alright | シングル“My Truth”のカップリング曲 |
1989年 | High-Heel Resistance | アルバム“DNA Communication”収録曲 |
1990年 | FLOWER REVOLUTION | 1990年発売のシングルタイトル曲 |
1991年 | Arcadia | 同名アルバム収録曲 |
1992年 | Someday | シングル“Promised Love”のカップリング。初めてマラソンのイメージソングとして書き下ろされた作品 |
1993年 | Running Wild | シングル“BELIEVE”のカップリング曲 |
1994年 | 風を追いかけて | シングル“もう一度君に逢いたい”のカップリング曲。イメージソングとしては珍しくバラードソング |
1995年 | (直前に発生した阪神淡路大震災の影響で大会中止) | |
1996年 | Glory Days | シングル“LOVE NEVER DIES”のカップリング曲 |
1997年 | LIBERTY BELL | アルバム“夢幻の果てに”収録曲で1995年大会で使用予定だった。CM前のアイキャッチで使われたバージョンは“THE ALFEE CLASSICS II”に収録。 |
1998年 | Beyond the Win | シングル“Brave Love 〜Galaxy Express 999”収録曲 |
1999年 | Beginning of the Time | シングル“希望の鐘が鳴る朝に”カップリング曲 |
2000年 | 自由になるために | シングル“NEVER FADE”カップリング曲 |
2001年 | Change the wind | シングル“Juliet”カップリング曲 |
2002年 | Chaos(カオス)の世界 | シングル“太陽は沈まない”カップリング曲 |
2003年 | 孤独な世代 | アルバム“THE BEST 1997-2002 〜aprés Nouvelle Vague〜”のボーナストラック |
2004年 | 夜明けの星を目指して | シングル“希望の橋”カップリング曲 |
2005年 | ZeRoになれ! | シングル“100億のLove Story”カップリング曲 |
2006年 | ONE | シングル“Innocent Love”カップリング曲 |
2007年 | Dear My Life | 2007年発売のシングルタイトル曲 |
2008年 | Wonderful Days | シングル“Lifetime Love”カップリング曲 |
2009年 | Shining Run〜輝く道に向かって〜 | シングル“この愛を捧げて”カップリング曲 |
2010年 | GET YOUR CHANCE | アルバム“新世界 -Neo Universe-”収録 |
2011年 | Let It Go | 2011年発売のシングルタイトル曲 |
2012年 | 生きよう | 2012年発売のシングルタイトル曲 |
2013年 | もう一度ここから始めよう | 2013年発売のシングルタイトル曲のうちの1曲 |
2014年 | LOVES FOR ONE | シングル“英雄の詩”カップリング曲 |
2015年 | One Step ~再始動~ | アルバム“三位一体”収録 |
2016年 | 風の翼 | シングル“今日の続きが未来になる”カップリング曲 |
2017年 | 創造への楔 | シングル“あなたに贈る愛の歌”カップリング曲(通常盤にのみ収録) |
2018年 | 勇気凛々 | 詳細不明(2018.1.10現在) |
- 補足
- 高見沢・坂崎幸之助・桜井賢の3名で構成されるTHE ALFEEが1987年からイメージソングを提供した背景には、当時のテレビ中継技術などの制約によって、走者がルートの複雑な大阪城公園に入ると中継の電波などが途切れやすかったことが挙げられる。関西テレビでは、このような事情を背景に、同公園内からの中継でイメージソングを流すことを考案[12]。THE ALFEEが当時ライブで披露していた『夢よ急げ』を、最初のイメージソングに採用した。高見沢によれば、「(『夢よ急げ』の歌詞の一節である)”シナリオのないドラマ”がマラソンのイメージによく合うのではないか」という同局からの提案を受けて、楽曲の使用を快諾したという。以上の経緯で迎えた同年の第6回大会では、小雪が舞う大阪城公園の中継映像に合わせて『夢よ急げ』を流した。
- 1990年の『Flower Revolution』は、この年に大阪で開催された国際花と緑の博覧会(花の万博)のテーマソングでもある。この年の第9回大会には、THE ALFEEのメンバーから初めて、高見沢がテレビ中継にゲストで出演。1992年の第11回大会には、坂崎もテレビ中継のゲストに招かれた。
- 1995年には、大会の直前に阪神・淡路大震災が発生した影響で、大会自体を中止。この年のイメージソングに決まっていた『LIBERTY BELL』は2年後の1997年大会に使われた。なお、1997年大会ではCM前のアイキャッチで同曲のクラシックバージョンを使用していた。
- 1998年の第17回大会では、桜井と女声合唱団が、この年のイメージソングである『Beyond The Win』を長居スタジアムのスタンドからマラソンのスタート直前(テレビ中継のオープニング)にアカペラで披露するという演出が施された。2006年の第25回大会テレビ中継のオープニングでは、長居スタジアムのフィールドに設営されたステージから、THE ALFEEがこの年のイメージソング『ONE』を熱唱した。
- 1996年1月19日には、この年までのイメージソングと過去の名場面を収録したビデオ「大阪国際女子マラソン 1982〜1994」を発売。2004年3月10日には大阪国際女子マラソンの歴代イメージソングを集めたアルバム『夢よ急げ -大阪国際女子マラソンイメージソング・アルバム-』が発売された。
- 大会のテレビ中継を担当するカンテレ(関西テレビ)では、第37回大会の開催9日前(2018年1月19日)に、同大会限りでイメージソングの制作・放送を終了することを社長の福井澄郎が発表した。制作畑出身の福井は、通算で31曲ものイメージソングを制作したTHE ALFEEに対して最大限の謝意を示す一方で、「マラソンも、2020年東京オリンピックに向けて(日本代表選手の)選考方法が変わるなど、次の世代をにらんだ段階に入ってきた。(中継)番組の方も、少しずつ作りを替えて、新しい中継の仕方を模索していきたい。次のステップに進むために、第37回大会で一つの区切りを付けさせていただいた。翌(2019)年以降の大会で、別の歌手に中継のイメージソングを作っていただくことまでは考えていない」と説明している[13][14]。
- カンテレでは、THE ALFEEによるイメージソングの製作秘話に焦点を当てた特別番組『THE ALFEEが奏でた42.195kmの旋律』を、2018年1月23日の1:28 - 1:58(22日の25:28 - 25:58)に関西ローカルで放送[15]。過去のイメージソング全曲および最後のイメージソング『勇気凜々』のサビを流すとともに、THE ALFEE・増田・有森や第37回大会にエントリー済みの有力選手へのインタビュー映像や、過去の中継からイメージソングを使用したシーンのダイジェスト映像を織り込みながら大会の歴史を振り返った。THE ALFEEへのインタビューでは、高見沢が、「イメージソングはいずれも『勝者より圧倒的に多い敗者のための曲』で、『負けたからこそ次に向かえる』という想いで作ってきた」と述べる一幕もあった。
- 第37回大会の中継では、『勇気凜々』をエンディングで放送。放送の直前には、ヤンマースタジアム長居でスタートとゴールの実況を担当した若田部が、「この楽曲が、ランナーに贈る最後の応援歌となりました。優勝した松田選手には、THE ALFEEからのエールを胸に、オリンピックへ歩みを進めて欲しいと思います」というメッセージを添えた[14]。
ラジオ
2014年までラジオ大阪(制作局、以下「OBC」と略記)が実況生中継を実施。OBC所属のアナウンサーがほぼ全員出演したほか、スポーツアナウンサーの中井雅之(同局出身のフリーアナウンサー)や深山計(ニッポン放送出身のフリーアナウンサー)が実況やインタビューを担当していた。通常は日曜日の10:00 - 16:30に関西ローカルで放送する競馬中継『OBCドラマティック競馬』については、当マラソンの中継をはさむ格好で、第1部(10:00 - 12:00)と第2部(15:00 - 16:30)に分割。マラソン中継の時間帯に実施されたレースの結果を、第2部でまとめて伝えていた。
第1回大会から2009年大会までは、ニッポン放送でも同時ネット。当マラソンがオリンピックの女子マラソン日本代表予選を兼ねていた2008年大会では、東海ラジオや福井放送も同時ネットで放送した。しかし、ニッポン放送では、2009年から日曜午後枠のレギュラー番組の放送を優先[† 10]。このため、2009年以降の大会では、OBCが関西ローカル向けに中継を実施した。2015年からは、『OBCドラマティック競馬』の通常編成に変更する一方で、大会の直前には従来どおり告知CMを放送している。
大阪ハーフマラソン
大阪ハーフマラソン | |
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開催時期 | 1月最終日曜日 |
開催地 | 大阪府大阪市 |
コース | 公道コース |
距離 | ハーフマラソン |
主要スポンサー | 奥村組 |
最高記録 |
男子: 伊藤和麻 1時間02分10秒(2018) 女子: カプッチ・セリー・チェピエゴ 1時間09分43秒(2015) |
公式サイト | http://half.osaka-marathon.jp/ |
大阪国際女子マラソンと同時開催されるハーフマラソン大会。 2009年から、大阪国際女子マラソンとほぼ同一の主催・後援・協賛・協力[† 11]で開催されている。男子選手も参加可能である。 コースは、「スタート地点が大阪城公園東側(玉造筋)」「玉造筋で2回折り返し(舟橋町交差点南・玉造筋北端)」「長居公園内の長距離走路は反時計回り」である以外は、森ノ宮駅前交差点以南において大阪国際女子マラソンの復路と同じである。勝山通の区間で大阪国際女子マラソンの選手とすれ違う。
歴代優勝者
優勝者の氏名・所属は当時、 優勝タイム は(当時の)大会記録。2009年以降、JAAF登録の部(男子・女子)のみ掲載。
開催日 | JAAF登録の部 男子 | 優勝タイム | JAAF登録の部 女子 | 優勝タイム |
---|---|---|---|---|
2009年1月25日 | 宮里康和(信太山自衛隊) | 1時間09分44秒 | 嶋原清子( セカンドウィンドAC) | 1時間13分15秒 |
2010年1月31日 | 山岡雅義(大塚製薬) | 1時間04分04秒 | 田中千洋(大通) | 1時間17分39秒 |
2011年1月30日 | 森本直人(山陽特殊製鋼) | 1時間04分39秒 | 林田詩緒里(大阪芸術大学) | 1時間15分18秒 |
2012年1月29日 | 幸田高明(旭化成) | 1時間03分54秒 | 村山麻衣子(ヤマダ電機新潟) | 1時間12分46秒 |
2013年1月27日 | 足立知弥(旭化成) | 1時間04分54秒 | 田端沙紀(大塚製薬) | 1時間13分01秒 |
2014年1月26日 | 鍋谷紀之(大阪府警察) | 1時間03分55秒 | 樋口紀子(ワコール) | 1時間12分44秒 |
2015年1月25日 | 幸田高明(旭化成) | 1時間04分02秒 | カプッチ・セリー・チェピエゴ(九電工) | 1時間09分43秒 |
2016年1月31日 | 松尾良一(旭化成) | 1時間04分13秒 | 伊藤舞(大塚製薬) | 1時間10分27秒 |
2017年1月29日 | 芝田俊作(大阪府警察) | 1時間03分05秒 | 小原怜(天満屋) | 1時間10分02秒 |
2018年1月28日 | 伊藤和麻(住友電工) | 1時間02分10秒 | 芦麻生(九電工) | 1時間11分26秒 |
脚注
- 注釈
- ↑ 第1回〜第27回までの社名はシチズン時計。
- ↑ 2007年世界陸上大阪大会でも変更前のコースで男子マラソンも行われた。
- ↑ 1991年から2010年のコース(Google Map)
- ↑ 今回の代表は共にセカンドウィンドAC所属の加納由理・嶋原清子の2人が選出。
- ↑ しかし渋井は世界陸上ベルリン大会本番前、右足甲骨の疲労骨折により欠場を表明。
- ↑ 青森テレビとは対照的にネット局名が書かれたロールにもなぜかクレジットされていた。
- ↑ 日東電工などのスポンサーCMは一切なく、BSフジではCM入り・CM明けの時に黒画面によるフェードイン・アウトが行われていた。
- ↑ シンボルマーク部分はオレンジ色でマーク下の「Daiei」ロゴ、キャッチコピー及びダイエーグループ部分は黒色だった。
- ↑ 国分は2009年4月から2014年12月末まで『すぽると!』土曜版のメインキャスターを担当していた。
- ↑ 2009年からは、名古屋国際女子マラソン中継の同時ネット中継も打ち切っている。
- ↑ 大阪国際女子マラソンとの違いは、「大阪陸上競技協会が主催」「日本陸連が後援」であること。
- 出典
- ↑ 『日本陸上競技選手権 100回記念 MEMORIAL BOOK』 日本陸上競技連盟、2016年、110頁。
- ↑ マラソン代表の選考方法、MGCレースとは?これまでとの違い
- ↑ “奥村組は「大阪国際女子マラソン」に協賛します” (プレスリリース), 奥村組, (2017年7月12日) . 2017閲覧.
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 “【ドーピング】ガメラ、4年間出場停止 大阪国際女子マラソンで3連覇など抹消へ”. 産経新聞. (2015年11月25日) . 2015閲覧.
- ↑ “大阪国際女子マラソン、前田親子がギネス記録超え”. J-CASTニュース (2014年1月27日). . 2014閲覧.
- ↑ 共同通信社 (2012年1月25日). “女子マラソン野口が大阪国際欠場 3月名古屋でロンドン挑戦”. 47NEWS. 全国新聞ネット. 2012年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2012閲覧.
- ↑ 共同通信社 (2012年1月29日). “重友がマラソン初優勝、大阪国際 初の五輪代表確実に”. 47NEWS. 全国新聞ネット. 2012年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2012閲覧.
- ↑ 共同通信社 (2011年12月16日). “マラソンの嶋原、大阪国際で引退 出産準備などを理由に”. 47NEWS. 全国新聞ネット. 2014年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2012閲覧.
- ↑ “大阪国際3連覇ガメラ ドーピング違反で4年間の出場停止”. スポニチアネックス. (2015年11月26日) . 2016閲覧.
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 “ドーピング違反のガメラ、大阪国際3連覇の成績削除 下位選手の順位を繰り上げ”. 産経WEST. (2015年12月22日) . 2015閲覧.
- ↑ 「関西テレビ☆京都チャンネル」放送終了の件について
- ↑ 阪神に重友の粘り腰があれば…,サンケイスポーツ,2017年1月30日
- ↑ ALFEE、今年が最後…30年以上続いた大阪国際女子マラソン」テーマ曲,デイリースポーツ,2018年1月19日
- ↑ 14.0 14.1 32年31曲 大阪国際女子マラソン“ラストラン”アルフィーに労いの声,スポーツニッポン,2018年1月28日
- ↑ カンテレ社長、大会ソング“卒業”ALFEEに感謝,日刊スポーツ,2018年1月19日
関連項目
- さいたま国際マラソン
- 名古屋ウィメンズマラソン
- 全日本大学女子駅伝対校選手権大会 - 2004年まで大阪を舞台に開催されていた(コースは大阪国際女子マラソンより少し短い)。
- びわ湖毎日マラソン - 1961年まで大阪を舞台に開催されていた(大阪国際女子マラソンとはコースが異なる)。
- 2007年世界陸上競技選手権大会 - 大阪国際女子マラソンと同じコースでマラソン競技が行われた。
- 大阪マラソン - 2011年から大阪を舞台に開催(大阪国際女子マラソンとはコースが異なる)。当大会3度優勝のリディア・シモンが初代女王(翌年も連覇)。
外部リンク