大相撲優勝力士一覧
大相撲優勝力士一覧(おおずもうゆうしょうりきしいちらん)とは現在成績と番付がたどれる江戸時代からの江戸相撲本場所の幕内最高成績力士の一覧である。
Contents
- 1 総説
- 2 優勝制度導入以前
- 2.1 宝暦年間(1757年 - 1764年)
- 2.2 明和年間(1764年 - 1772年)
- 2.3 安永年間(1772年 - 1781年)
- 2.4 天明年間(1781年 - 1789年)
- 2.5 寛政年間(1789年 - 1801年)
- 2.6 享和年間(1801年 - 1804年)
- 2.7 文化年間(1804年 - 1818年)
- 2.8 文政年間(1818年 - 1830年)
- 2.9 天保年間(1830年 - 1844年)
- 2.10 弘化年間(1844年 - 1848年)
- 2.11 嘉永年間(1848年 - 1854年)
- 2.12 安政年間(1855年 - 1860年)
- 2.13 万延年間(1860年 - 1861年)
- 2.14 文久年間(1861年 - 1864年)
- 2.15 元治年間(1864年 - 1865年)
- 2.16 慶應年間(1865年 - 1868年)
- 2.17 明治年間(1868年以降)
- 3 新聞社による掲額時代
- 4 個人優勝制度の正式導入
- 5 優勝決定戦制度導入
- 6 関連項目
総説
大相撲の幕内最高優勝については、大きく3期に分けることができる。
まず、勧進相撲の中から自然発生的に始まった江戸時代から明治時代に至るまでは、いかなる形でも個人の成績優秀者への顕彰制度はなかった。しかし番付と星取は概ね完全な形で現存しているので、「当時から優勝制度が存在していたら表彰されていたであろう力士」を遡って推定することができる。
第2期は1909年6月場所以降である。この場所から常設の興行場所として両国国技館が開館して、当場所から新聞社による最高成績力士への優勝額の贈呈が始まった。一方で協会による表彰は同場所から始まった東西制によって優勝旗の授与が行われていたが、優勝旗手となるのは東西で勝ち越した片屋に所属しており、なおかつ関脇以下でなければならないため、全体での最優秀力士ではないことが多かった。
幕内最高優勝に対する公的な表彰は1926年1月場所から、天皇賜杯の下賜を機に始まった[1]。東西制はその後廃止されたため、幕内最高優勝の力士が賜杯および優勝旗を授与されることとなり、名実ともに唯一の表彰対象となっている。
優勝力士の決定方法
原則は、勝ち数と負け数の差が一番多い力士を優勝としている。江戸時代においては勝負の他に引分・預り・無勝負が存在し、相手力士が当日休場した場合は自身も休場扱いとなり、また千秋楽は幕内力士は原則全員休場となる慣例もあった。これらの影響が優勝争いに影響を与える可能性があるため、前後して取り直しや不戦勝を取り入れた。今日では休場した当人以外はほぼ勝ちと負けのみになるようになった。
勝敗差が同点の場合は番付上位者を優先していたが(番付上位者優勝制度)、1947年6月場所から優勝決定戦で同点者全員が対戦するようになり、番付下位者でも自力優勝のチャンスが生まれた。
江戸時代へ遡って推定するときには、優勝決定戦は当然行われていないので番付上位者を優勝相当とする。ただし、番付の東を上位とするのは東西制実施にあたっての決定であるので、そこへの配慮をしなければならないという意見[2]もある。
優勝回数
優勝回数は、慣例として優勝額贈呈開始以降を対象としており、本記事もそれに従っている。それ以前の優勝相当回数を含めると常陸山谷右エ門が6回、太刀山峯右エ門が2回分足すことができるが、ここでは含めない。
このセクションの注
優勝制度導入以前
宝暦年間(1757年 - 1764年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1757年(宝暦7年)10月 | 番付が現存するのみで、勝敗記録は現存せず。 | |||
1758年(宝暦8年)3月 | ||||
1758年(宝暦8年)10月 | ||||
1759年(宝暦9年)3月 | ||||
1760年(宝暦10年)10月 | ||||
1761年(宝暦11年)10月 | 西前2 | 戸田川 | 7勝2敗 | |
1762年(宝暦12年)3月 | 東大関 | 荒瀧 | 5勝0敗3休 | |
1762年(宝暦12年)10月 | 番付・勝敗記録共に現存せず。 | |||
1763年(宝暦13年)4月 | 東関脇 | 荒瀧 | 6勝1分1休 | |
1763年(宝暦13年)10月 | 西前2 | 艫綱 | 6勝1敗1分1休 | |
1764年(宝暦14年)3月 | 東小結 | 雪見山(艫綱) | 5勝0敗1無勝負1預1休 | ()は同成績者。艫綱は西小結で6勝1敗。 後年の様に東方上位の考え方はまだなかったとして、両者優勝相当とする場合もある。 |
明和年間(1764年 - 1772年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1764年(明和元年)10月 | 東前4 | 押尾川 | 6勝1敗1休 | |
1765年(明和2年)3月 | 東小結 | 出水川 | 7勝0敗1分 | |
1765年(明和2年)10月 | 西前3 | 関ノ戸 | 6勝0敗2無勝負 | |
1766年(明和3年)3月 | 東小結 | 出水川 | 5勝0敗1分1預1無勝負 | |
1766年(明和3年)10月 | 西前1 | 越ノ海 | 6勝0敗1分1預 | |
1767年(明和4年)3月 | 東関脇 | 岩見形 | 7勝1敗 | |
1767年(明和4年)10月 | 東小結 | 出水川 | 7勝0敗1分1休 | |
1768年(明和5年)9月 | 西関脇 | 関ノ戸 | 5勝0敗1無勝負2休 | |
1768年(明和5年)11月 | 西関脇? | 友綱(雪見山) | 6勝0敗1分1無勝負 | 番付は現存せず。 |
1769年(明和6年)4月 | 西前2 | 越ノ海 | 6勝0敗1休 | 7日目の星取りに欠。西大関伊達ヶ関、西小結関ノ戸に同点の可能性あり。 |
1769年(明和6年)10月 | 西前1 | 越ノ海(稲川) | 7勝1敗 | |
1770年(明和7年)3月 | 西関脇 | 関ノ戸 | 7勝0敗1分 | |
1770年(明和7年)11月 | 東大関 | 釋迦ヶ嶽(関ノ戸、達ヶ関) | 6勝0敗1預1休 | 達ヶ関はもと伊達ヶ関、のちの谷風。 |
1771年(明和8年)3月 | 西大関 | 釋迦ヶ嶽(関ノ戸) | 6勝1敗1休 | |
1771年(明和8年)10月 | 西前4 | 戸田川 | 7勝1敗 | |
1772年(明和9年)春 | 開催されず。 |
安永年間(1772年 - 1781年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1772年(安永元年)11月 | 西小結 | 達ヶ関 | 6勝0敗2休 | |
1773年(安永2年)3月 | 東関脇 | 釋迦ヶ嶽 | 6勝0敗1分1休 | |
1773年(安永2年)10月 | 東小結 | 雲井川(関ノ戸) | 3勝0敗1無勝負4休 | 関ノ戸は西小結で3勝0敗1預4休。両者優勝相当とする場合もある。 |
1774年(安永3年)4月 | 西前1 | 達ヶ関 | 6勝0敗2休 | |
1774年(安永3年)10月 | 西前3 | 稲川 | 6勝0敗1預1休 | |
1775年(安永4年)3月 | 西小結 | 達ヶ関 | 4戦全勝 | |
1775年(安永4年)10月 | 西前3 | 稲川 | 6勝1敗1無勝負1休 | |
1776年(安永5年)3月 | 虫害による飢饉のため中止。 | |||
1776年(安永5年)10月 | 西小結 | 谷風 | 7勝0敗1無勝負 | この場所から達ヶ関より改め。 |
1777年(安永6年)4月 | 西前3 | 稲川 | 6勝0敗1無勝負1休 | |
1777年(安永6年)10月 | 西小結 | 谷風 | 5勝1敗1分1預 | |
1778年(安永7年)3月 | 西関脇 | 谷風 | 9勝0敗1休 | 初日から63連勝始まる。 |
1778年(安永7年)11月 | 東前3 | 笘ヶ嶋 | 8勝0敗1無勝負1休 | |
1779年(安永8年)3月 | 西関脇 | 谷風 | 9勝0敗1休 | 18連勝(前場所は全休)。 |
1779年(安永8年)10月 | 西関脇 | 谷風 | 9勝0敗1分 | 27連勝、また千秋楽は五人掛けで白星。 |
1780年(安永9年)3月 | 西関脇 | 谷風 | 6戦全勝 | 33連勝。 |
1780年(安永9年)10月 | 東関脇 | 鷲ヶ濱(谷風) | 9勝1敗 | 谷風は西関脇で8勝0敗2預、41連勝。 両者優勝相当とする場合や谷風単独で優勝相当と見る場合もある。 谷風の千秋楽は五人掛けで白星。 |
1781年(安永10年)3月 | 西大関 | 谷風 | 9勝0敗1休 | 50連勝。 |
天明年間(1781年 - 1789年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1781年(天明元年)10月 | 西関脇 | 谷風 | 9勝0敗1休 | 59連勝。 |
1782年(天明2年)2月 | 東関脇 | 虹ヶ嶽 | 6勝0敗1分1預2休 | 7日目に谷風の63連勝止まる。 |
1782年(天明2年)10月 | 西大関 | 谷風 | 7勝0敗1無勝負1休 | |
1783年(天明3年)3月 | 西大関 | 谷風 | 5勝0敗1無勝負4休 | |
1783年(天明3年)11月 | 西大関 | 谷風 | 8勝0敗1分1休 | |
1784年(天明4年)3月 | 西大関 | 谷風 | 6勝0敗2預2休 | |
1784年(天明4年)11月 | 東関脇 | 小野川 | 9勝0敗1無勝負 | |
1785年(天明5年) | 不景気のため本場所開催なし。 | |||
1786年(天明6年)3月 | 西大関 | 谷風 | 10戦全勝 | |
1786年(天明6年)11月 | 東関脇 | 小野川 | 7勝0敗3休 | |
1787年(天明7年)5月 | 番付発表のみして中止。 | |||
1787年(天明7年)11月 | 東大関 | 鷲ヶ濱 | 7勝0敗1分2休 | |
1788年(天明8年)4月 | 西関脇 | 谷風 | 7勝0敗1分1預1休 | |
1788年(天明8年)11月 | 西小結 | 柏戸 | 8勝0敗1分1無勝負 |
寛政年間(1789年 - 1801年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1789年(寛政元年)3月 | 東関脇 | 小野川 | 10戦全勝 | |
1789年(寛政元年)11月 | 東関脇(横綱) | 小野川 | 8勝0敗1分1預 | 7日目に谷風とともに横綱免許。 |
1790年(寛政2年)3月 | 東大関(横綱) | 小野川 | 8勝0敗1無勝負 | |
1790年(寛政2年)11月 | 西関脇 | 雷電 | 8勝0敗2預 | |
1791年(寛政3年)4月 | 東大関(横綱) | 小野川 | 8勝0敗1無勝負1休 | |
1791年(寛政3年)11月 | 東大関(横綱) | 小野川 | 8勝0敗1預1休 | |
1792年(寛政4年)3月 | 西大関(横綱) | 谷風 | 8勝0敗2休 | |
1792年(寛政4年)11月 | 西大関(横綱) | 谷風 | 3戦全勝 | 悪天候のため3日で打ち上げ。 |
1793年(寛政5年)3月 | 西大関(横綱) | 谷風(雷電) | 7勝0敗2休 | 雷電は西関脇で8勝1敗。 |
1793年(寛政5年)11月 | 西関脇 | 雷電 | 8勝0敗1預1休 | 前場所千秋楽から9連勝、43連勝のはじまり。 |
1794年(寛政6年)3月 | 西小結 | 雷電 | 6勝0敗1分1預2休 | 15連勝。 |
1794年(寛政6年)11月 | 西関脇 | 雷電 | 8勝0敗1預1休 | 23連勝。 |
1795年(寛政7年)3月 | 西大関 | 雷電 | 5戦全勝 | 悪天候のため5日で打ち上げ、雷電28連勝。 |
1795年(寛政7年)11月 | 西前2 | 柏戸 | 8勝1敗1休 | |
1796年(寛政8年)3月 | 西小結 | 花頂山(柏戸) | 5勝0敗1分4休 | のちの大関市野上、柏戸は西前頭2枚目で6勝1敗1分2休。 |
1796年(寛政8年)10月 | 西大関 | 雷電 | 9勝0敗1休 | 前2場所は番付に出ず、37連勝。 |
1797年(寛政9年)3月 | 西大関 | 雷電(磐石) | 8勝1敗1休 | 7日目で43連勝止まる、翌日から44連勝開始、磐石は東関脇で8勝1敗1休。 |
1797年(寛政9年)10月 | 西大関 | 雷電 | 10戦全勝 | 12連勝、また千秋楽は五人掛け。 |
1798年(寛政10年)3月 | 西大関 | 雷電 | 8勝0敗1無勝負1休 | 20連勝。 |
1798年(寛政10年)10月 | 西大関 | 雷電 | 9勝0敗1休 | 29連勝。 |
1799年(寛政11年)2月 | 西大関 | 雷電 | 6勝0敗1休 | 悪天候のため7日で打ち上げ、雷電35連勝。 |
1799年(寛政11年)11月 | 西大関 | 雷電 | 9勝0敗1休 | 44連勝。 |
1800年(寛政12年)4月 | 西関脇 | 花頂山(柏戸) | 3勝0敗1無勝負1休 | 不景気のため5日間で打ち上げ、柏戸は西小結で3勝0敗2休。 |
1800年(寛政12年)11月 | 西関脇 | 千田川 | 6勝0敗1無勝負3休 | 初日に雷電の連勝止まる。 |
享和年間(1801年 - 1804年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1801年(享和元年)3月 | 西大関 | 雷電(鬼面山) | 6勝0敗1預3休 | 鬼面山は東小結で6勝0敗2分2休。 |
1801年(享和元年)11月 | 西前2 | 大綱 | 6戦全勝 | 不入りのため6日間で打ち上げ。 |
1802年(享和2年)2月 | 西前4 | 荒岩 | 8勝1敗1休 | |
1802年(享和2年)11月 | 西大関 | 雷電 | 8勝0敗2休 | |
1803年(享和3年)4月 | 西大関 | 雷電(千田川、梁、佐渡ヶ、山颪) | 5勝0敗2預 | 千田川は西関脇6勝1敗、梁は東小結5勝0敗2休、 佐渡ヶ嶽は西前頭2枚目で6勝1敗、山颪は番付外で5勝0敗2預。 はしかの流行のため7日間で打ち上げ。 |
1803年(享和3年)10月 | 西大関 | 雷電 | 9勝0敗1休 |
文化年間(1804年 - 1818年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1804年(文化元年)3月 | 西関脇 | 山颪(大綱) | 6勝1敗1分1預 | 9日間で終了。 大綱は東小結で6勝1敗1分1無勝負、直接の取組では山颪をくだしている。 |
1804年(文化元年)11月 | 西大関 | 雷電 | 8勝1敗1休 | |
1805年(文化2年)2月 | 西大関 | 雷電 | 10戦全勝 | |
1805年(文化2年)10月 | 西大関 | 雷電 | 9勝1敗 | |
1806年(文化3年)2月 | 東大関 | 大木戸 | 5戦全勝 | 江戸大火(文化の大火)のため、5日間で打ち上げ。 |
1806年(文化3年)11月 | 西大関 | 雷電 | 9勝0敗1預 | |
1807年(文化4年)2月 | 西大関 | 雷電 | 8勝0敗1預1休 | |
1807年(文化4年)11月 | 西大関 | 雷電 | 8勝0敗1預1無勝負 | |
1808年(文化5年)4月 | 東大関 | 柏戸(雷電) | 7勝0敗1分1無勝負1休 | 雷電は西大関で7勝0敗1無勝負2休、直接の取組は無勝負。 両者優勝相当と扱われる場合もある。 |
1808年(文化5年)10月 | 東大関 | 柏戸(雷電) | 9勝1敗 | 雷電西大関で9勝1敗、直接の取組では柏戸に勝つ。 |
1809年(文化6年)2月 | 西大関 | 雷電 | 8勝0敗1預1休 | |
1809年(文化6年)10月 | 東大関 | 柏戸(雷電) | 7勝1敗2休 | 雷電は西大関で7勝1敗2休。 |
1810年(文化7年)2月 | 西大関 | 雷電 | 9勝0敗1無勝負 | |
1810年(文化7年)10月 | 西大関 | 雷電 | 7勝1敗1分1休 | |
1811年(文化8年)2月 | 西関脇 | 玉垣 | 7勝1敗2休 | |
1811年(文化8年)11月 | 東前1 | 江戸ヶ崎 | 7勝1敗1分1無勝負 | |
1812年(文化9年)4月 | 西前5 | 越ノ海(頂) | 4勝0敗1分 | のちの大関玉垣、頂は東前頭6で4勝0敗1分、直接対戦は引き分け。 この場所は5日で打ち上げ。 |
1812年(文化9年)11月 | 東前4 | 頂 | 7勝2敗1分 | |
1813年(文化10年)2月 | 東前1 | 柏戸 | 7勝1敗1分1無勝負 | この場所から頂より改め。鳴滝は西前頭4枚目で7勝1敗2休。 |
1813年(文化10年)11月 | 西前1 | 柏戸 | 7勝1敗1無勝負 | |
1814年(文化11年)4月 | 東前2 | 揚羽(柏戸) | 7勝1敗1分1休 | 柏戸は西2枚目で7勝1敗2休、両者優勝相当とされる場合も。 |
1814年(文化11年)11月 | 西大関 | 玉垣(柏戸) | 7勝1敗1預1休 | 柏戸は東関脇で7勝1敗1分1預、直接の対戦は預り。 |
1815年(文化12年)3月 | 東大関 | 柏戸 | 7勝1敗1無勝負1休 | |
1815年(文化12年)11月 | 東大関 | 柏戸(雲早山) | 6勝1敗3休 | 雲早山は東前頭4で、7勝2敗1無勝負。 |
1816年(文化13年)3月 | 東大関 | 柏戸 | 7勝1敗 | 8日間で打ち上げ。 |
1816年(文化13年)10月 | 東大関 | 柏戸 | 9勝0敗1無勝負 | |
1817年(文化14年)正月 | 西関脇 | 鳴滝 | 6勝1敗1分1無勝負 | |
1817年(文化14年)10月 | 東大関 | 柏戸 | 6勝1敗1預2休 | 鳴滝は西関脇で、6勝1敗1分2休。 |
1818年(文化15年)2月 | 西大関 | 玉垣 | 7勝0敗1無勝負2休 |
文政年間(1818年 - 1830年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1818年(文政元年)10月 | 東大関 | 柏戸 | 7勝1敗1無勝負1休 | |
1819年(文政2年)4月 | 東大関 | 柏戸(玉垣) | 5勝1敗2無勝負2休 | 玉垣西大関で5勝1敗1無勝負3休、両者の取組は無勝負。 |
1819年(文政2年)11月 | 東大関 | 柏戸 | 7勝1敗2休 | |
1820年(文政3年)3月 | 東大関 | 柏戸(玉垣) | 4勝0敗1分1無勝負 | 玉垣西大関で5勝1敗、6日間で打ち切り。 |
1820年(文政3年)10月 | 西大関 | 玉垣 | 7勝1敗1無勝負1休 | |
1821年(文政4年)2月 | 前2 | 四賀峰 | 7勝1敗1分1無勝負 | |
1821年(文政4年)10月 | 東大関 | 柏戸 | 8勝2敗 | |
1822年(文政5年)正月 | 東大関 | 柏戸(有馬山) | 7勝2敗1休 | 有馬山西大関で7勝2敗1無勝負。 |
1822年(文政5年)10月 | 東大関 | 柏戸(玉垣) | 6勝2敗1無勝負1休 | 玉垣西大関で6勝2敗1無勝負1休、直接の取組は無勝負。 |
1823年(文政6年)2月 | 東関脇 | 源氏山(岩見潟) | 6勝1敗 | 岩見潟は西関脇で6勝1敗、7日間で打ち切り。 |
1823年(文政6年)10月 | 西小結 | 四賀峰 | 7勝2敗1休 | |
1824年(文政7年)正月 | 東前2 | 小柳(桟) | 8勝1敗1休 | 桟は西前頭6枚目で8勝1敗1休。 |
1824年(文政7年)10月 | 西前5 | 稲妻 | 7勝0敗1預2休 | 新入幕。 |
1825年(文政8年)正月 | 東小結 | 小柳 | 8勝2敗 | |
1825年(文政8年)10月 | 西小結 | 稲妻 | 8勝1敗1休 | |
1826年(文政9年)正月 | 西前6 | 黒柳 | 7勝1敗2休 | |
1826年(文政9年)10月 | 東大関 | 小柳 | 8勝0敗1分2休 | |
1827年(文政10年)3月 | 西関脇 | 稲妻 | 5勝0敗2休 | 雨天続きのため7日間で打ち切り。 |
1827年(文政10年)11月 | 東大関 | 阿武松(越ヶ濱) | 6戦全勝 | 先場所で小柳より改め、越ヶ浜は東前頭筆頭で6戦全勝、6日間で打ち切り。 |
1828年(文政11年)3月 | 西前2 | 緋縅 | 7勝1敗2休 | |
1828年(文政11年)10月 | 西関脇 | 緋縅 | 8勝0敗2休 | |
1829年(文政12年)2月 | 西大関 | 稲妻 | 6勝0敗1休 | 江戸大火のため7日間で打ち切り。 |
1829年(文政12年)10月 | 西大関(横綱) | 稲妻 | 8勝0敗1分1休 | |
1830年(文政13年)3月 | 西大関(横綱) | 稲妻 | 8勝0敗2休 | |
1830年(文政13年)11月 | 西前2 | 渦ヶ渕(小柳) | 6勝0敗1分1預2休 | 小柳は東前頭6で6勝0敗1分1預2休、両者の取組は預り。 |
天保年間(1830年 - 1844年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1831年(天保2年)2月 | 東前2 | 鷲ヶ濱 | 6勝0敗1預3休 | |
1831年(天保2年)11月 | 西大関(横綱) | 稲妻 | 8戦全勝 | 勧進能開催との兼ね合いにより8日間で打ち切り。 |
1832年(天保3年)春 | 開催されず。 | |||
1832年(天保3年)11月 | 西大関(横綱) | 稲妻(頂) | 8勝0敗1分1休 | 頂は西前頭6で9勝1敗。 |
1833年(天保4年)2月 | 西大関(横綱) | 稲妻 | 9勝0敗1分 | |
1833年(天保4年)11月 | 東前3 | 黒岩 | 5勝0敗1分1預1休 | 8日目で打ち切り。 |
1834年(天保5年)正月 | 東前2 | 小柳 | 8勝0敗1分1休 | |
1834年(天保5年)11月 | 東小結 | 黒岩 | 7勝0敗1分2休 | |
1835年(天保6年)正月 | 東大関(横綱) | 阿武松 | 7勝0敗2分1休 | |
1835年(天保6年)10月 | 東小結 | 黒岩(鰐石) | 6勝0敗2分2休 | 鰐石は東前頭3、7勝1敗1分1休、のちの劔山。 |
1836年(天保7年)2月 | 東前1 | 鰐石 | 5勝0敗1休 | 6日目で打ち切り。 |
1836年(天保7年)11月 | 東小結 | 鰐石 | 7勝0敗1分2休 | |
1837年(天保8年)正月 | 西大関(横綱) | 稲妻 | 5勝0敗1分4休 | |
1837年(天保8年)10月 | 東前1 | 鰐石 | 6勝0敗1分1無勝負2休 | |
1838年(天保9年)2月 | 東前6 | 鏡岩 | 5勝1敗 | 6日目で打ち切り。 |
1838年(天保9年)10月 | 西前4 | 天津風 | 8勝0敗1預1休 | 後の岩見潟・秀の山。 |
1839年(天保10年)3月 | 西前1 | 天津風 | 7勝0敗1分2休 | |
1839年(天保10年)11月 | 西小結 | 天津風 | 6勝0敗2分2休 | |
1840年(天保11年)2月 | 西大関 | 不知火 | 8勝0敗2休 | |
1840年(天保11年)10月 | 東関脇 | 稲川 | 7勝1敗2休 | |
1841年(天保12年)正月 | 西関脇 | 鰐石 | 6勝0敗1預3休 | |
1841年(天保12年)11月 | 西関脇 | 鰐石 | 8戦全勝 | 大雪のため8日で打ち切り。 |
1842年(天保13年)2月 | 東関脇 | 湖東山 | 7勝0敗1分2休 | |
1842年(天保13年)10月 | 東大関 | 鰐石 | 5勝1敗2分3休 | |
1843年(天保14年)正月 | 西関脇 | 岩見潟(鏡岩、小柳) | 5勝0敗1分4休 | 前場所で天津風より改名。 鏡岩は東小結7勝2敗1休、小柳東前頭2で6勝1敗1分2休。 |
1843年(天保14年)10月 | 東前2 | 小柳 | 7勝0敗1分2休 | |
1844年(天保15年)正月 | 西前2 | 荒馬 | 6勝1敗3休 | |
1844年(天保15年)10月 | 西大関 | 秀の山 | 8勝0敗2休 | 3日目から岩見潟より改名。 |
弘化年間(1844年 - 1848年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1845年(弘化2年)2月 | 西大関 | 秀の山(関の戸) | 6勝0敗2分2休 | 関の戸は東前頭4、6勝0敗1分1無勝負2休。 |
1845年(弘化2年)10月 | 東前1 | 友綱 | 6勝0敗1預3休 | |
1846年(弘化3年)3月 | 西小結 | 荒馬(猪名川) | 4勝0敗6休 | 猪名川は東前頭筆頭、4勝0敗1預5休。 |
1846年(弘化3年)11月 | 東前8 | 紅葉川 | 6勝1敗1分2休 | |
1847年(弘化4年)2月 | 東小結 | 小柳(稲川) | 6勝1敗1分2休 | 稲川は東前頭筆頭、6勝1敗2休。 |
1847年(弘化4年)11月 | 東小結 | 小柳 | 8勝1敗1休 | |
1848年(弘化5年)正月 | 西前5 | 荒熊 | 7勝1敗1分1休 |
嘉永年間(1848年 - 1854年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1848年(嘉永元年)11月 | 東小結 | 小柳 | 7勝1敗1分1休 | |
1849年(嘉永2年)3月 | 西前8 | 階ヶ嶽 | 7勝1敗2休 | |
1849年(嘉永2年)11月 | 西前5 | 階ヶ嶽 | 7勝0敗1無勝負2休 | |
1850年(嘉永3年)3月 | 東関脇 | 小柳 | 6勝0敗2分2休 | |
1850年(嘉永3年)11月 | 東小結 | 猪王山 | 7勝0敗2分1休 | |
1851年(嘉永4年)2月 | 東前5 | 雲早山 | 4勝0敗1分 | 雨天続きのため5日間で打ち切り。 |
1851年(嘉永4年)11月 | 西前6 | 六ッヶ峰 | 7勝1敗1分1休 | |
1852年(嘉永5年)2月 | 東前7 | 雲竜 | 8勝0敗1分1休 | |
1852年(嘉永5年)11月 | 東前3 | 雲龍 | 7勝1敗1分1休 | |
1853年(嘉永6年)2月 | 東前2 | 雲龍 | 6勝0敗1分1預2休 | |
1853年(嘉永6年)11月 | 東前1 | 雲龍 | 8勝0敗2休 | |
1854年(嘉永7年)2月 | 西前4 | 象ヶ鼻 | 8勝0敗2休 | |
1854年(嘉永7年)11月 | 西前7 | 沖ノ濱 | 8勝0敗2休 |
安政年間(1855年 - 1860年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1855年(安政2年)2月 | 回向院火災のため番付発表のみで中止。 | |||
1855年(安政2年)冬 | 開催されず。 | |||
1856年(安政3年)正月 | 西小結 | 境川 | 8勝0敗1分1休 | もと六ツヶ峰。 |
1856年(安政3年)11月 | 東関脇 | 雲龍 | 9勝0敗1休 | |
1857年(安政4年)正月 | 東大関 | 猪王山(雲龍) | 6勝0敗1分1預 | 雲龍は東関脇で7勝1敗、回向院で仁王尊開帳があり8日間までで終了。 |
1857年(安政4年)11月 | 東関脇 | 雲龍 | 7勝1敗1預1休 | |
1858年(安政5年)正月 | 東前2 | 鬼面山 | 8勝0敗2休 | |
1858年(安政5年)冬 | 江戸大火のため番付発表のみで中止。 | |||
1859年(安政6年)正月 | 東小結 | 鬼面山 | 8勝0敗1預1休 | |
1859年(安政6年)11月 | 東関脇 | 響灘 | 6勝0敗3分1休 | |
1860年(安政7年)3月 | 西小結 | 不知火 | 8勝0敗1分1休 |
万延年間(1860年 - 1861年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1860年(万延元年)10月 | 東小結 | 鬼面山 | 6勝0敗1休 | 7日間で打ち切り。 |
1861年(万延2年)2月 | 東前頭 | 陣幕 | 9勝0敗1休 |
文久年間(1861年 - 1864年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1861年(文久元年)10月 | 東前1 | 大鳴門 | 7勝1敗2休 | |
1862年(文久2年)3月 | 東前1 | 大鳴門 | 7勝0敗1預2休 | |
1862年(文久2年)11月 | 東大関(横綱) | 雲龍(陣幕) | 6勝1敗1分2休 | 陣幕は東前頭2、5勝0敗2分3休。 |
1863年(文久3年)7月 | 東関脇 | 鬼面山(陣幕) | 7勝0敗1分1預1休 | 陣幕は東張出関脇で7勝0敗1分2休。 |
1863年(文久3年)11月 | 東関脇 | 鬼面山(鷲ヶ濱) | 7勝0敗2分 | 鷲ヶ濱は西小結で7勝0敗2分、鬼面山とは引き分け、9日間で打ち切り。 |
元治年間(1864年 - 1865年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1864年(元治元年)4月 | 西大関(横綱) | 不知火(鷲ヶ濱) | 7勝1敗2休 | 鷲ヶ濱は西関脇で7勝1敗1預1休。 |
1864年(元治元年)10月 | 西大関(横綱) | 不知火 | 7勝0敗1分1預1休 | |
1865年(元治2年)2月 | 西関脇 | 鷲ヶ濱 | 6勝0敗1分1預2休 |
慶應年間(1865年 - 1868年)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1865年(慶応元年)11月 | 東関脇 | 陣幕(出釋迦山、両國) | 6勝0敗1分1預2休 | 出釋迦山は西前頭1で6勝0敗1分1預、両國は西前頭6で6勝0敗2分1預。 |
1866年(慶応2年)3月 | 東大関 | 鬼面山 | 7勝0敗1分1預2休 | |
1866年(慶応2年)11月 | 西大関 | 陣幕 | 8勝0敗1分1休 | |
1867年(慶応3年)4月 | 西大関 | 陣幕 | 7勝0敗2分1休 | |
1867年(慶応3年)11月 | 西大関(横綱) | 陣幕 | 7勝0敗3休 | 戊辰戦争が原因で陣幕はこの場所で江戸での取り収めとなった。その結果、横綱勝率10割。 |
1868年(慶応4年)6月 | 東前2 | 増位山 | 8勝0敗1分1休 |
明治年間(1868年以降)
場所 | 地位 | 四股名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1868年(明治元年)11月 | 西大関 | 鬼面山 | 9勝0敗1休 | |
1869年(明治2年)4月 | 東関脇 | 増位山 | 8勝0敗1分1休 | |
1869年(明治2年)11月 | 東関脇 | 増位山 | 7勝0敗2分1休 | |
1870年(明治3年)4月 | 東大関 | 境川(大纏) | 6勝0敗2分2休 | 境川はこの場所で増位山より改名、大纏は東小結で7勝1敗2休。 |
1870年(明治3年)11月 | 東前頭5 | 兜山 | 6勝0敗1分3休 | |
1871年(明治4年)3月 | 東小結 | 綾瀬川 | 8勝0敗1分1休 | |
1871年(明治4年)11月 | 東大関 | 境川 | 6勝0敗1分1預2休 | |
1872年(明治5年)4月 | 西前頭2 | 兜山 | 6勝0敗2分1預1休 | |
1872年(明治5年)11月 | 東小結 | 兜山 | 8勝0敗2休 | |
1873年(明治6年)4月 | 東関脇 | 雷電 | 7勝0敗2預1休 | この場所から兜山より改め |
1873年(明治6年)12月 | 西前1 | 鯱の海(佐野山) | 7勝2敗1休 | 佐野山は東前頭2、5勝0敗2分1預1休。 |
1874年(明治7年)3月 | 東関脇 | 雷電 | 7勝0敗2分1休 | |
1874年(明治7年)12月 | 西前6 | 梅ヶ谷 | 8勝0敗1分1休 | |
1875年(明治8年)4月 | 西前4 | 武藏潟 | 7勝1敗1分 | |
1876年(明治9年)1月 | 東前3 | 若島 | 8勝1敗1休 | |
1876年(明治9年)4月 | 東前1 | 浦風 | 7勝0敗2預1休 | |
1877年(明治10年)1月 | 西前1 | 梅ヶ谷 | 8勝0敗2休 | 前場所初日から58連勝始まる。 |
1877年(明治10年)12月 | 西小結 | 梅ヶ谷(鯱ノ海) | 7勝0敗1分2休 | 18連勝、鯱ノ海は西前頭筆頭、8勝1敗1休 |
1878年(明治11年)1月 | 西関脇 | 梅ヶ谷 | 9勝0敗1休 | 27連勝、開催は前年暮から。 |
1878年(明治11年)6月 | 西幕内格別席 | 響矢 | 6勝1敗1分2休 | 梅ヶ谷31連勝。 |
1879年(明治12年)1月 | 西関脇 | 武藏潟 | 7勝0敗2分1休 | 梅ヶ谷37連勝。 |
1879年(明治12年)6月 | 西関脇 | 若嶋 | 6勝0敗2分1預1休 | 梅ヶ谷42連勝。 |
1880年(明治13年)1月 | 東関脇 | 阿武松(藤田川) | 6勝2敗1分1休 | もと雷電、藤田川は東前頭5、6勝2敗1分1休。 |
1880年(明治13年)5月 | 西大関 | 梅ヶ谷 | 9勝0敗1休 | 51連勝。 |
1881年(明治14年)1月 | 西大関 | 梅ヶ谷 | 7勝1敗1分1休 | 9日目、58連勝とまる。 |
1881年(明治14年)5月 | 西大関 | 梅ヶ谷 | 8勝0敗2休 | |
1882年(明治15年)1月 | 西前1 | 鞆ノ平 | 8勝0敗1分1休 | |
1882年(明治15年)6月 | 西大関 | 梅ヶ谷 | 5勝0敗1分4休 | 3休は相手力士休場。 |
1883年(明治16年)1月 | 東前6 | 高千穗 | 7勝0敗1分1預1休 | |
1883年(明治16年)5月 | 西前10 | 一ノ矢 | 7勝2敗1休 | |
1884年(明治17年)1月 | 東大関 | 梅ヶ谷 | 7勝0敗1分2休 | 1休は相手力士休場。 |
1884年(明治17年)5月 | 西小結 | 大達 | 8勝0敗1分1休 | |
1885年(明治18年)1月 | 西三役格張出 | 大達 | 7勝1敗1分1休 | |
1885年(明治18年)5月 | 西関脇 | 大達 | 8勝1敗1休 | |
1886年(明治19年)1月 | 西前9 | 鶴ヶ濱 | 7勝0敗2分1休 | |
1886年(明治19年)5月 | 東大関 | 劔山(大達) | 7勝1敗1預1休 | 大達は西大関で6勝0敗1分3休。 |
1887年(明治20年)1月 | 西小結 | 一ノ矢 | 8勝1敗1休 | |
1887年(明治20年)5月 | 西大関 | 大達 | 7勝0敗1分2休 | 1休は相手力士休場。 |
1888年(明治21年)1月 | 東前8 | 若湊 | 5勝1敗1分1預2休 | 1休は相手力士休場。 |
1888年(明治21年)5月 | 西前9 | 小錦 | 8勝0敗1預1休 | |
1889年(明治22年)1月 | 西前1 | 小錦 | 7勝0敗1分1預1休 | |
1889年(明治22年)5月 | 西関脇 | 西ノ海 | 9勝0敗1休 | |
1890年(明治23年)1月 | 西小結 | 小錦 | 8勝0敗2休 | 1休は相手力士休場。 |
1890年(明治23年)5月 | 西小結 | 八幡山 | 6勝1敗1分1預 | 雨天続きのため9日間で打ち切り。 |
1891年(明治24年)1月 | 東大関 | 小錦 | 8勝0敗1分1休 | |
1891年(明治24年)5月 | 西大関 | 八幡山 | 6勝1敗2分1休 | |
1892年(明治25年)1月 | 西前頭4 | 大戸平 | 7勝1敗2休 | 1休は相手力士休場。 |
1892年(明治25年)6月 | 東大関 | 小錦 | 8勝0敗1預1休 | |
1893年(明治26年)1月 | 西大関 | 大戸平 | 8勝0敗1預1休 | |
1893年(明治26年)5月 | 東大関 | 小錦(今泉) | 7勝0敗3休 | 今泉は東前頭5、7勝0敗1預2休(1休は相手力士休場)。 |
1894年(明治27年)1月 | 東横綱 | 西ノ海 | 7勝0敗3休 | 1休は相手力士休場。 |
1894年(明治27年)5月 | 東関脇 | 朝汐 | 8勝1敗1休 | |
1895年(明治28年)1月 | 東大関 | 小錦 | 8勝1敗1休 | |
1895年(明治28年)6月 | 西小結 | 大砲 | 7勝0敗1分2休 | 1休は相手力士休場。 |
1896年(明治29年)1月 | 西前1 | 鳳凰 | 8勝1敗1休 | |
1896年(明治29年)5月 | 東関脇 | 鳳凰 | 8勝0敗1預1休 | |
1897年(明治30年)1月 | 西前8 | 荒岩 | 7勝1敗1分1休 | |
1897年(明治30年)5月 | 西前頭 | 荒岩 | 6勝1敗2分1休 | |
1898年(明治31年)1月 | 西大関 | 鳳凰 | 7勝0敗2分1休 | |
1898年(明治31年)5月 | 東大関 | 朝汐(大砲、梅ノ谷) | 7勝1敗1分1休 | 大砲は西張出関脇で6勝0敗2分、梅ノ谷は西前頭2で7勝1敗1分。 |
1899年(明治32年)1月 | 東前4 | 常陸山 | 8勝0敗1分1休 | |
1899年(明治32年)5月 | 西小結 | 荒岩 | 8勝1敗1休 | |
1900年(明治33年)1月 | 東前5 | 稲川 | 8勝1敗1休 | |
1900年(明治33年)5月 | 西関脇 | 荒岩 | 9勝0敗1休 | |
1901年(明治34年)1月 | 東関脇 | 常陸山 | 8勝0敗1分1休 | |
1901年(明治34年)5月 | 東小結 | 荒岩 | 8勝1敗1休み | |
1902年(明治35年)1月 | 東大関 | 梅ヶ谷 | 8勝0敗1分1休 | 梅ヶ谷はこの場所で梅ノ谷より改名。 |
1902年(明治35年)5月 | 東横綱 | 大砲 | 8勝0敗1分1休 | |
1903年(明治36年)1月 | 西大関 | 常陸山 | 8勝0敗1分1休 | |
1903年(明治36年)5月 | 西大関 | 常陸山 | 9勝0敗1休 | 9日目(事実上の千秋楽)に全勝同士で梅ヶ谷と対戦し勝利。 常陸山は場所後横綱に推挙されるが、本人は梅ヶ谷も推薦し許可された。 |
1904年(明治37年)1月 | 東横綱大関 | 梅ヶ谷(常陸山) | 7勝1敗1預1休 | 常陸山は西横綱大関で7勝1敗2休、直接の取組では梅ヶ谷に勝つ。 |
1904年(明治37年)5月 | 東前1 | 太刀山 | 8勝1敗1休 | |
1905年(明治38年)1月 | 東関脇 | 國見山 | 9勝0敗1休 | |
1905年(明治38年)5月 | 西大関 | 荒岩 | 9勝0敗1休 | |
1906年(明治39年)1月 | 西横綱 | 常陸山 | 9勝0敗1休 | |
1906年(明治39年)5月 | 西横綱 | 常陸山 | 8勝0敗2休 | 1休は相手力士休場。 |
1907年(明治40年)1月 | 東大関 | 國見山 | 6勝1敗3休 | |
1907年(明治40年)5月 | 東関脇 | 太刀山 | 8勝1敗1休 | |
1908年(明治41年)1月 | 東横綱 | 梅ヶ谷 | 8勝0敗1分1休 | |
1908年(明治41年)5月 | 西前9 | 紫雲竜 | 7勝0敗2預1休 | |
1909年(明治42年)1月 | 西横綱 | 梅ヶ谷 | 7勝0敗1分2休 |
新聞社による掲額時代
1910年代まで
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1909年(明治42年)6月 | 東前7 | 高見山酉之助 | 高砂 | 7勝3分 | 初優勝 | 両国国技館開館。西大関太刀山が8勝2敗だが、勝ちこし点の関係で掲額は高見山となる。 |
1910年(明治43年)1月 | 東横綱 | 常陸山谷右エ門 | 出羽海 | 7勝2分1休 | 初優勝 | これ以前に優勝相当成績6回、優勝同点1回。 |
1910年(明治43年)6月 | 西大関 | 太刀山峯右エ門 | 友綱 | 9勝1分 | 初優勝 | これ以前に優勝相当成績2回。 |
1911年(明治44年)2月 | 西大関 | 太刀山峯右エ門 | 友綱 | 8勝1分1預 | 2場所連続 2度目 | |
1911年(明治44年)6月 | 西横綱 | 太刀山峯右エ門 | 友綱 | 10勝 | 3場所連続 3度目 | |
1912年(明治45年)1月 | 東横綱 | 太刀山峯右エ門 | 友綱 | 8勝1敗1分 | 4場所連続 4度目 | |
1912年(明治45年)5月 | 西横綱 | 太刀山峯右エ門 | 友綱 | 10勝 | 5場所連続 5度目 | |
1913年(大正2年)1月 | 西大関 | 鳳谷五郎 | 宮城野 | 7勝1分1預1休 | 初優勝 | |
1913年(大正2年)5月 | 東横綱 | 太刀山峯右エ門 | 友綱 | 10勝 | 2場所ぶり 6度目 | |
1914年(大正3年)1月 | 東横綱 | 太刀山峯右エ門 | 友綱 | 10勝 | 2場所連続 7度目 | |
1914年(大正3年)5月 | 東前14 | 両國勇治郎 | 出羽海 | 9勝1休 | 初優勝 | 史上初の新入幕での優勝。 |
1915年(大正4年)1月 | 西大関 | 鳳谷五郎 | 宮城野 | 10勝 | 4場所ぶり 2度目 | |
1915年(大正4年)6月 | 西横綱 | 太刀山峯右エ門 | 友綱 | 10勝 | 3場所ぶり 8度目 | |
1916年(大正5年)1月 | 東大関 | 西ノ海嘉治郎 | 井筒 | 8勝1分1休 | 初優勝 | 源氏山(東前13)が9勝1敗。直接対決はなし。 |
1916年(大正5年)5月 | 西横綱 | 太刀山峯右エ門 | 友綱 | 9勝1敗 | 2場所ぶり 9度目 | 史上最年長優勝(38歳9か月)。56連勝で止まる。 |
1917年(大正6年)1月 | 西大関 | 大錦卯一郎 | 出羽海 | 10勝 | 初優勝 | |
1917年(大正6年)5月 | 西大関 | 栃木山守也 | 出羽海 | 9勝1預 | 初優勝 | 大潮(西前13)が同点。直接対決はなし。 |
1918年(大正7年)1月 | 東大関 | 栃木山守也 | 出羽海 | 10勝 | 2場所連続 2度目 | |
1918年(大正7年)5月 | 東張横 | 栃木山守也 | 出羽海 | 9勝1敗 | 3場所連続 3度目 | |
1919年(大正8年)1月 | 東横綱 | 栃木山守也 | 出羽海 | 9勝1休 | 4場所連続 4度目 | |
1919年(大正8年)5月 | 東横綱 | 栃木山守也 | 出羽海 | 10勝 | 5場所連続 5度目 |
1920年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1920年(大正9年)1月 | 東張横 | 大錦卯一郎 | 出羽海 | 8勝1敗1分 | 6場所ぶり 2度目 | |
1920年(大正9年)5月 | 西横綱 | 大錦卯一郎 | 出羽海 | 9勝1敗 | 2場所連続 3度目 | |
1921年(大正10年)1月 | 西横綱 | 大錦卯一郎 | 出羽海 | 10勝 | 3場所連続 4度目 | |
1921年(大正10年)5月 | 東大関 | 常ノ花寛市 | 出羽海 | 10勝 | 初優勝 | |
1922年(大正11年)1月 | 東前4 | 鶴ヶ濱増太郎 | 荒磯 | 9勝1敗 | 初優勝 | |
1922年(大正11年)5月 | 西張横 | 大錦卯一郎 | 出羽海 | 8勝1敗1分 | 3場所ぶり 5度目 | |
1923年(大正12年)1月 | 東張横 | 栃木山守也 | 出羽海 | 8勝1敗1分 | 7場所ぶり 6度目 | 源氏山(西大関)が同点。直接対決は引き分け。 |
1923年(大正12年)5月 | 西大関 | 常ノ花寛市 | 出羽海 | 9勝1分1預 | 4場所ぶり 2度目 | |
1924年(大正13年)1月 | 西横綱 | 栃木山守也 | 出羽海 | 9勝1分 | 2場所ぶり 7度目 | |
1924年(大正13年)5月 | 東張横 | 栃木山守也 | 出羽海 | 10勝1敗 | 2場所連続 8度目 | |
1925年(大正14年)1月 | 東張横 | 栃木山守也 | 出羽海 | 10勝1敗 | 3場所連続 9度目 | |
1925年(大正14年)5月 | 東横綱 | 西ノ海嘉治郎 | 井筒 | 9勝2敗 | 初優勝 | 出羽ヶ嶽(西前2)が同点。直接対決は西ノ海の勝ち。 |
個人優勝制度の正式導入
東西制時代
1920年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1926年(大正15年)1月 | 西横綱 | 常ノ花寛市 | 出羽海 | 11勝 | 5場所ぶり 3度目 | 摂政宮賜杯(現在の天皇賜杯)下賜により優勝制度を創設。 不戦勝の試験的適用開始。 |
1926年(大正15年)5月 | 西前8 | 大蛇山酉之助 | 錦島 | 10勝1敗 | 初優勝 | 錦洋(西前12)が同点。対戦なし。 |
1927年(昭和2年)1月 | 東張横 | 宮城山福松 | 高田川 | 10勝1敗 | 初優勝 | |
1927年(昭和2年)3月 | 西横綱 | 常ノ花寛市 | 出羽海 | 10勝1敗 | 3場所ぶり 4度目 | |
1927年(昭和2年)5月 | 西横綱 | 常ノ花寛市 | 出羽海 | 10勝1敗 | 2場所連続 5度目 | |
1927年(昭和2年)10月 | 東横綱 | 常ノ花寛市 | 出羽海 | 10勝1敗 | 3場所連続 6度目 | 能代潟と同点。直接対決は能代潟の勝ち。しかも常ノ花には不戦勝があったが、なぜか問題とされなかった。 |
1928年(昭和3年)1月 | 東大関 | 常陸岩英太郎 | 出羽海 | 10勝1敗 | 初優勝 | 三杉磯と同点。不戦勝の扱いを巡ってもめる(三杉磯の項目参照)。 |
1928年(昭和3年)3月 | 東大関 | 能代潟錦作 | 錦島 | 10勝1分 | 初優勝 | 不戦勝制度を正式に導入。 |
1928年(昭和3年)5月 | 西横綱 | 常ノ花寛市 | 出羽海 | 11勝 | 3場所ぶり 7度目 | |
1928年(昭和3年)10月 | 東横綱 | 宮城山福松 | 高田川 | 9勝2敗 | 7場所ぶり 2度目 | 西横綱の常ノ花、東張出大関の能代潟が同点。宮城山と常ノ花との対戦は常ノ花の勝ち。 |
1929年(昭和4年)1月 | 東関脇 | 玉錦三右エ門 | 二所ノ関 | 10勝1敗 | 初優勝 | |
1929年(昭和4年)3月 | 西大関 | 豊國福馬 | 井筒 | 9勝2敗 | 初優勝 | 東関脇の玉錦、西前4の男女ノ川が同点。玉錦は、豊國・男女ノ川両者に勝っている。 |
1929年(昭和4年)5月 | 東横綱 | 常ノ花寛市 | 出羽海 | 10勝1敗 | 4場所ぶり 8度目 | |
1929年(昭和4年)9月 | 東横綱 | 常ノ花寛市 | 出羽海 | 8勝3敗 | 2場所連続 9度目 | 西横綱の宮城山、西大関の豊國、西前2の朝潮(男女ノ川の一時期の四股名)が同点。 常ノ花は宮城山・豊國に負けているが、いずれも優勝決定後の対戦である。 勝ち越し5点は、個人優勝制度施行以後の最低成績の優勝。 |
1930年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1930年(昭和5年)1月 | 西大関 | 豊國福馬 | 井筒 | 9勝2敗 | 3場所ぶり 2度目 | 東関脇の玉錦、東前2の武蔵山が同点。豊國は玉錦に負けている。 |
1930年(昭和5年)3月 | 東横綱 | 常ノ花寛市 | 出羽海 | 10勝1敗 | 2場所ぶり10度目 | 東前1の天竜が同点。同部屋で対戦なし。 |
1930年(昭和5年)5月 | 東前5 | 山錦善治郎 | 出羽海 | 11勝 | 初優勝 | 平幕力士初の全勝優勝。学生相撲出身力士初の優勝。 |
1930年(昭和5年)10月 | 西張大 | 玉錦三右エ門 | 二所ノ関 | 9勝2敗 | 7場所ぶり 2度目 | 東小結の武蔵山、西前1の朝潮(男女ノ川)、西前3の清水川が同点。武蔵山は玉錦に負けている。 |
1931年(昭和6年)1月 | 東大関 | 玉錦三右エ門 | 二所ノ関 | 9勝2敗 | 2場所連続 3度目 | 東関脇の朝潮(男女ノ川)、東前14の鏡岩が同点。対戦なし。 |
1931年(昭和6年)3月 | 東大関 | 玉錦三右エ門 | 二所ノ関 | 10勝1敗 | 3場所連続 4度目 | 西小結の武蔵山が同点。直接対決は玉錦の勝ち。 |
1931年(昭和6年)5月 | 東小結 | 武藏山武 | 出羽海 | 10勝1敗 | 初優勝 | 西前3の清水川が同点。両者の対戦は清水川の勝ち。 |
1931年(昭和6年)10月 | 東前4 | 綾櫻由太郎 | 出羽海 | 10勝1敗 | 初優勝 | |
1932年(昭和7年)1月 | - | 春秋園事件のために本場所中止。 |
系統別総当たり時代
1930年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1932年(昭和7年)2月 | 西関脇 | 清水川元吉 | 二十山 | 8勝 | 初優勝 | 系統別総当たり制に移行。 |
1932年(昭和7年)3月 | 西小結 | 沖ツ海福雄 | 若藤 | 9勝1敗 | 初優勝 | |
1932年(昭和7年)5月 | 東大関 | 玉錦三右エ門 | 粂川 | 10勝1敗 | 5場所ぶり 5度目 | 東張出大関の清水川が同点。直接対決は清水川の勝ち。 |
1932年(昭和7年)10月 | 東張大 | 清水川元吉 | 二十山 | 9勝2敗 | 3場所ぶり 2度目 | 西関脇の沖ツ海、西前1の高登、西前6の瓊ノ浦が同点。優勝した清水川は沖ツ海に敗れている。 |
1933年(昭和8年)1月 | 別席 | 男女ノ川登三 | 佐渡ヶ嶽 | 11勝 | 初優勝 | 男女ノ川は春秋園事件からの復帰別席、 番付では朝潮供次郎と表示。 |
1933年(昭和8年)5月 | 東横綱 | 玉錦三右エ門 | 粂川 | 10勝1敗 | 3場所ぶり 6度目 | 西前14の宝川が同点。直接対決はなし。 |
1934年(昭和9年)1月 | 西関脇 | 男女ノ川登三 | 佐渡ヶ嶽 | 9勝2敗 | 2場所ぶり 2度目 | |
1934年(昭和9年)5月 | 西大関 | 清水川元吉 | 二十山 | 11勝 | 2場所ぶり 3度目 | |
1935年(昭和10年)1月 | 東横綱 | 玉錦三右エ門 | 二所ノ関 | 10勝1敗 | 3場所ぶり 7度目 | 東前8の鏡岩が同点。直接対決はなし。 |
1935年(昭和10年)5月 | 東横綱 | 玉錦三右エ門 | 二所ノ関 | 10勝1敗 | 2場所連続 8度目 | |
1936年(昭和11年)1月 | 東横綱 | 玉錦三右エ門 | 二所ノ関 | 11勝 | 3場所連続 9度目 | |
1936年(昭和11年)5月 | 西関脇 | 双葉山定兵衛 | 立浪 | 11勝 | 初優勝 | |
1937年(昭和12年)1月 | 東大関 | 双葉山定次 | 立浪 | 11勝 | 2場所連続 2度目 | |
1937年(昭和12年)5月 | 東大関 | 双葉山定次 | 立浪 | 11勝 | 3場所連続 3度目 | |
1938年(昭和13年)1月 | 西横綱 | 双葉山定次 | 立浪 | 13勝 | 4場所連続 4度目 | |
1938年(昭和13年)5月 | 東横綱 | 双葉山定次 | 立浪 | 13勝 | 5場所連続 5度目 | |
1939年(昭和14年)1月 | 西前17 | 出羽湊利吉 | 出羽海 | 13勝 | 初優勝 | 双葉山69連勝でとまる。 |
1939年(昭和14年)5月 | 東横綱 | 双葉山定次 | 立浪 | 15勝 | 2場所ぶり 6度目 | 12日目に優勝決定。 |
ふたたび東西制
1940年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1940年(昭和15年)1月 | 東横綱 | 双葉山定次 | 立浪 | 14勝1敗 | 2場所連続 7度目 | 東西制復活 |
1940年(昭和15年)5月 | 西関脇 | 安藝ノ海節男 | 出羽海 | 14勝1敗 | 初優勝 | |
1941年(昭和16年)1月 | 西横綱 | 双葉山定次 | 立浪 | 14勝1敗 | 2場所ぶり 8度目 | 西大関の羽黒山が同点。対戦なし。 |
1941年(昭和16年)5月 | 西大関 | 羽黒山政司 | 立浪 | 14勝1敗 | 初優勝 | |
1942年(昭和17年)1月 | 東横綱 | 双葉山定次 | 双葉山 | 14勝1敗 | 2場所ぶり 9度目 | |
1942年(昭和17年)5月 | 東横綱 | 双葉山定次 | 双葉山 | 13勝2敗 | 2場所連続10度目 | 西大関の安藝ノ海、西張出大関の照國が同点。双葉山は安藝ノ海に勝っている。 |
1943年(昭和18年)1月 | 西横綱 | 双葉山定次 | 双葉山 | 15勝 | 3場所連続11度目 | |
1943年(昭和18年)5月 | 東横綱 | 双葉山定次 | 双葉山 | 15勝 | 4場所連続12度目 | |
1944年(昭和19年)1月 | 西小結 | 佐賀ノ花勝巳 | 二所ノ関 | 13勝2敗 | 初優勝 | |
1944年(昭和19年)5月 | 東横綱 | 羽黒山政司 | 立浪 | 10勝 | 6場所ぶり 2度目 | 優勝額贈呈が中断。 |
1944年(昭和19年)11月 | 西大関 | 前田山英五郎 | 高砂 | 9勝1敗 | 初優勝 | 西関脇の東冨士、西前14の若瀬川が同点。対戦なし。 |
1945年(昭和20年)6月 | 東前1 | 備州山大八郎 | 伊勢ヶ濱 | 7勝 | 初優勝 | 傷痍将兵のみ招待して非公開で開催。 |
1945年(昭和20年)11月 | 西横綱 | 羽黒山政司 | 立浪 | 10勝 | 3場所ぶり 3度目 | 東前10の千代ノ山が同点。対戦なし。 |
1946年(昭和21年)11月 | 西横綱 | 羽黒山政司 | 立浪 | 13勝 | 2場所連続 4度目 | 旧両国国技館最後の場所。 |
優勝決定戦制度導入
東西制
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1947年(昭和22年)6月 | 東横綱 | 羽黒山政司 | 立浪 | 9勝1敗 | 3場所連続 5度目 | 東横綱の羽黒山・西大関の前田山・西張出大関の東冨士・東前8の力道山の4者による史上初の優勝決定戦。 前田山が東冨士を下手捻りで下し、羽黒山が力道山をうっちゃりで下し、羽黒山が前田山を寄り切りで下して優勝した。 |
系統別総当たり制
1940年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1947年(昭和22年)11月 | 東横綱 | 羽黒山政司 | 立浪 | 10勝1敗 | 4場所連続 6度目 | 系統別総当たり制に戻る。三賞制定。 |
1948年(昭和23年)5月 | 西大関 | 東富士欽壹 | 高砂 | 10勝1敗 | 初優勝 | |
1948年(昭和23年)10月 | 西関脇 | 増位山大志郎 | 出羽海 | 10勝1敗 | 初優勝 | 西大関の東冨士との優勝決定戦。下位力士が優勝決定戦で初めて勝つ。 |
1949年(昭和24年)1月 | 西張横 | 東富士欽壹 | 高砂 | 10勝2敗1分 | 2場所ぶり 2度目 | |
1949年(昭和24年)5月 | 西大関 | 増位山大志郎 | 出羽海 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 2度目 | 羽島山と優勝決定戦を制す。 |
1949年(昭和24年)10月 | 西大関 | 千代ノ山雅信 | 出羽海 | 13勝2敗 | 初優勝 | 新大関優勝。 |
1950年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1950年(昭和25年)1月 | 東大関 | 千代ノ山雅信 | 出羽海 | 12勝3敗 | 2場所連続 2度目 | |
1950年(昭和25年)5月 | 西横綱 | 東富士欽壹 | 高砂 | 14勝1敗 | 4場所ぶり 3度目 | |
1950年(昭和25年)9月 | 東張横 | 照國萬藏 | 伊勢ヶ濱 | 13勝2敗 | 初優勝 | 吉葉山と優勝決定戦を制す。 |
1951年(昭和26年)1月 | 東横綱 | 照國萬藏 | 伊勢ヶ濱 | 15勝 | 2場所連続 2度目 | 戦時中から中断していた優勝額贈呈が復活。 |
1951年(昭和26年)5月 | 東大関 | 千代ノ山雅信 | 出羽海 | 14勝1敗 | 4場所ぶり 3度目 | |
1951年(昭和26年)9月 | 東横綱 | 東富士欽壹 | 高砂 | 13勝1敗1預 | 4場所ぶり 4度目 | 場所中、急性肺炎となったが強行出場し優勝。 「1預」は12日目の吉葉山戦が二度同体となり続行不能、引き分け扱いと判断されたもの。 |
1952年(昭和27年)1月 | 東張横 | 羽黒山政司 | 立浪 | 15勝 | 12場所ぶり | 7度目オープンカーによる優勝パレードの開始。 |
1952年(昭和27年)5月 | 西張横 | 東富士欽壹 | 高砂 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 5度目 | |
1952年(昭和27年)9月 | 西関脇 | 栃錦清隆 | 春日野 | 14勝1敗 | 初優勝 | 四本柱を撤廃し吊天井とする。 |
1953年(昭和28年)1月 | 東大関 | 鏡里喜代治 | 時津風 | 14勝1敗 | 初優勝 | |
1953年(昭和28年)3月 | 東大関 | 栃錦清隆 | 春日野 | 14勝1敗 | 2場所ぶり 2度目 | 大阪場所(春場所)の定期開催開始。 |
1953年(昭和28年)5月 | 東前6 | 時津山仁一 | 立浪 | 15勝 | 初優勝 | 15日制初の平幕優勝だが上位との対戦がなく問題となる。 |
1953年(昭和28年)9月 | 西横綱 | 東富士欽壹 | 高砂 | 14勝1敗 | 5場所ぶり 6度目 | |
1954年(昭和29年)1月 | 東大関 | 吉葉山潤之輔 | 高島 | 15勝 | 初優勝 | 場所後に横綱昇進。 |
1954年(昭和29年)3月 | 東大関 | 三根山隆司 | 高島 | 12勝3敗 | 初優勝 | |
1954年(昭和29年)5月 | 西大関 | 栃錦清隆 | 春日野 | 14勝1敗 | 5場所ぶり 3度目 | |
1954年(昭和29年)9月 | 東大関 | 栃錦清隆 | 春日野 | 14勝1敗 | 2場所連続 4度目 | 蔵前国技館が正式に開館。 |
1955年(昭和30年)1月 | 東横綱 | 千代の山雅信 | 出羽海 | 12勝3敗 | 13場所ぶり | 4度目時津山と優勝決定戦を制す。 |
1955年(昭和30年)3月 | 東横綱 | 千代の山雅信 | 出羽海 | 13勝2敗 | 2場所連続 5度目 | 大内山との優勝決定戦を制す。 |
1955年(昭和30年)5月 | 西横綱 | 栃錦清隆 | 春日野 | 14勝1敗 | 3場所ぶり 5度目 | |
1955年(昭和30年)9月 | 西横綱 | 鏡里喜代治 | 時津風 | 14勝1敗 | 11場所ぶり | 2度目|
1956年(昭和31年)1月 | 東横綱 | 鏡里喜代治 | 時津風 | 14勝1敗 | 2場所連続 3度目 | 鶴ヶ嶺との優勝決定戦を制す。 |
1956年(昭和31年)3月 | 東関脇 | 朝汐太郎 | 高砂 | 12勝3敗 | 初優勝 | 若ノ花(初代)、若羽黒との優勝決定戦を制す。 |
1956年(昭和31年)5月 | 東大関 | 若ノ花勝治 | 花籠 | 12勝3敗 | 初優勝 | 大晃との優勝決定戦を制す。 |
1956年(昭和31年)9月 | 西横綱 | 鏡里喜代治 | 時津風 | 14勝1敗 | 3場所ぶり 4度目 | |
1957年(昭和32年)1月 | 西張横 | 千代の山雅信 | 出羽海 | 15勝 | 7場所ぶり 6度目 | |
1957年(昭和32年)3月 | 西関脇 | 朝汐太郎 | 高砂 | 13勝2敗 | 4場所ぶり 2度目 | |
1957年(昭和32年)5月 | 西小結 | 安念山治 | 立浪 | 13勝2敗 | 初優勝 | 新小結優勝。 |
1957年(昭和32年)9月 | 東横綱 | 栃錦清隆 | 春日野 | 13勝2敗 | 9場所ぶり 6度目 | |
1957年(昭和32年)11月 | 東前14 | 玉乃海太三郎 | 二所ノ関 | 15勝 | 初優勝 | 九州場所の定期開催開始。 |
1958年(昭和33年)1月 | 東大関 | 若乃花勝治 | 花籠 | 13勝2敗 | 7場所ぶり 2度目 | |
1958年(昭和33年)3月 | 東大関 | 朝汐太郎 | 高砂 | 13勝2敗 | 5場所ぶり 3度目 | 琴ヶ濱との優勝決定戦を制す。 |
1958年(昭和33年)5月 | 東張横 | 栃錦清隆 | 春日野 | 14勝1敗 | 4場所ぶり 7度目 | |
1958年(昭和33年)7月 | 東張横 | 若乃花幹士 | 花籠 | 13勝2敗 | 3場所ぶり 3度目 | 栃錦との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。名古屋場所の定期開催開始。 |
1958年(昭和33年)9月 | 東横綱 | 若乃花幹士 | 花籠 | 14勝1敗 | 2場所連続 4度目 | |
1958年(昭和33年)11月 | 西大関 | 朝汐太郎 | 高砂 | 14勝1敗 | 4場所ぶり 4度目 | 千秋楽結びの一番で朝汐1敗、若乃花1敗1分で対戦して勝利、若乃花の3連覇をはばむ。 朝汐は引き分けでも優勝だったが、このように引き分けの絡んだ千秋楽決戦の最後の例になっている。 |
1959年(昭和34年)1月 | 東横綱 | 若乃花幹士 | 花籠 | 14勝1敗 | 3場所ぶり 5度目 | |
1959年(昭和34年)3月 | 西横綱 | 栃錦清隆 | 春日野 | 14勝1敗 | 5場所ぶり 8度目 | |
1959年(昭和34年)5月 | 東張横 | 若乃花幹士 | 花籠 | 14勝1敗 | 2場所ぶり 6度目 | 栃錦との優勝決定戦を制す。逆転優勝。 |
1959年(昭和34年)7月 | 東横綱 | 栃錦清隆 | 春日野 | 15勝 | 2場所ぶり 9度目 | |
1959年(昭和34年)9月 | 西横綱 | 若乃花幹士 | 花籠 | 14勝1敗 | 2場所ぶり 7度目 | |
1959年(昭和34年)11月 | 東大関 | 若羽黒朋明 | 立浪 | 13勝2敗 | 初優勝 | 新大関優勝。 |
1960年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1960年(昭和35年)1月 | 東横綱 | 栃錦清隆 | 春日野 | 14勝1敗 | 3場所ぶり10度目 | |
1960年(昭和35年)3月 | 東張横 | 若乃花幹士 | 花籠 | 15勝 | 3場所ぶり 8度目 | 栃錦との千秋楽結びの一番全勝同士の相星決戦を制す。 |
1960年(昭和35年)5月 | 西前4 | 若三杉彰晃 | 花籠 | 14勝1敗 | 初優勝 | |
1960年(昭和35年)7月 | 東横綱 | 若乃花幹士 | 花籠 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 9度目 | |
1960年(昭和35年)9月 | 東横綱 | 若乃花幹士 | 花籠 | 13勝2敗 | 2場所連続10度目 | |
1960年(昭和35年)11月 | 東関脇 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 13勝2敗 | 初優勝 | |
1961年(昭和36年)1月 | 西大関 | 柏戸剛 | 伊勢ノ海 | 13勝2敗 | 初優勝 | |
1961年(昭和36年)3月 | 西横綱 | 朝潮太郎 | 高砂 | 13勝2敗 | 14場所ぶり | 5度目改名前は朝汐。 |
1961年(昭和36年)5月 | 西前13 | 佐田の山晋松 | 出羽海 | 12勝3敗 | 初優勝 | 十両優勝の清ノ森に敗れる。 |
1961年(昭和36年)7月 | 東大関 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 13勝2敗 | 4場所ぶり 2度目 | |
1961年(昭和36年)9月 | 東大関 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 12勝3敗 | 2場所連続 3度目 | 柏戸・明武谷との優勝決定戦を制す。大鵬と柏戸は共に場所後に横綱昇進。 |
1961年(昭和36年)11月 | 西横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 13勝2敗 | 3場所連続 4度目 | 新横綱優勝。 |
1962年(昭和37年)1月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 13勝2敗 | 4場所連続 5度目 | |
1962年(昭和37年)3月 | 東張関 | 佐田の山晋松 | 出羽海 | 13勝2敗 | 5場所ぶり 2度目 | 大鵬との優勝決定戦を制す。場所後に大関昇進。 |
1962年(昭和37年)5月 | 西関脇 | 栃ノ海晃嘉 | 春日野 | 14勝1敗 | 初優勝 | |
1962年(昭和37年)7月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 14勝1敗 | 3場所ぶり 6度目 | |
1962年(昭和37年)9月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 13勝2敗 | 2場所連続 7度目 | 佐田の山との優勝決定戦を制す。 |
1962年(昭和37年)11月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 13勝2敗 | 3場所連続 8度目 | |
1963年(昭和38年)1月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 14勝1敗 | 4場所連続 9度目 | |
1963年(昭和38年)3月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 14勝1敗 | 5場所連続10度目 | |
1963年(昭和38年)5月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 15勝 | 6場所連続11度目 | 6連覇を達成。 |
1963年(昭和38年)7月 | 東張大 | 北葉山英俊 | 時津風 | 13勝2敗 | 初優勝 | 佐田乃山との優勝決定戦を制す。 |
1963年(昭和38年)9月 | 西横綱 | 柏戸剛 | 伊勢ノ海 | 15勝 | 16場所ぶり | 2度目大鵬との千秋楽結びの一番全勝同士の相星決戦を制す。 |
1963年(昭和38年)11月 | 西大関 | 栃ノ海晃嘉 | 春日野 | 14勝1敗 | 9場所ぶり 2度目 | |
1964年(昭和39年)1月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 15勝 | 4場所ぶり12度目 | 優勝回数が双葉山と並ぶ。 |
1964年(昭和39年)3月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 15勝 | 2場所連続13度目 | 柏戸との千秋楽結びの一番全勝同士の相星決戦を制す。 |
1964年(昭和39年)5月 | 東張横 | 栃ノ海晃嘉 | 春日野 | 13勝2敗 | 3場所ぶり 3度目 | |
1964年(昭和39年)7月 | 西前9 | 富士錦猛光 | 高砂 | 14勝1敗 | 初優勝 | |
1964年(昭和39年)9月 | 西横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 14勝1敗 | 3場所ぶり14度目 | |
1964年(昭和39年)11月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 14勝1敗 | 2場所連続15度目 | 佐田の山との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 |
部屋別総当たり制
1960年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1965年(昭和40年)1月 | 東大関 | 佐田の山晋松 | 出羽海 | 13勝2敗 | 17場所ぶり | 3度目場所後に横綱昇進。 |
1965年(昭和40年)3月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 14勝1敗 | 2場所ぶり16度目 | |
1965年(昭和40年)5月 | 西横綱 | 佐田の山晋松 | 出羽海 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 4度目 | |
1965年(昭和40年)7月 | 西横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 13勝2敗 | 2場所ぶり17度目 | 佐田の山との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 |
1965年(昭和40年)9月 | 東張横 | 柏戸剛 | 伊勢ノ海 | 12勝3敗 | 12場所ぶり | 3度目佐田の山・明武谷との優勝決定戦を制す。 |
1965年(昭和40年)11月 | 東張横 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 13勝2敗 | 2場所ぶり18度目 | |
1966年(昭和41年)1月 | 西張横 | 柏戸剛 | 伊勢ノ海 | 14勝1敗 | 2場所ぶり 4度目 | |
1966年(昭和41年)3月 | 東張横 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 13勝2敗 | 2場所ぶり19度目 | |
1966年(昭和41年)5月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 14勝1敗 | 2場所連続20度目 | |
1966年(昭和41年)7月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 14勝1敗 | 3場所連続21度目 | |
1966年(昭和41年)9月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 13勝2敗 | 4場所連続22度目 | 柏戸との優勝決定戦を制す。 |
1966年(昭和41年)11月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 15勝 | 5場所連続23度目 | |
1967年(昭和42年)1月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 15勝 | 6場所連続24度目 | 2度目の6連覇達成。 |
1967年(昭和42年)3月 | 東大関 | 北の冨士勝昭 | 九重 | 14勝1敗 | 初優勝 | |
1967年(昭和42年)5月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 14勝1敗 | 2場所ぶり25度目 | |
1967年(昭和42年)7月 | 西横綱 | 柏戸剛 | 伊勢ノ海 | 14勝1敗 | 9場所ぶり 5度目 | |
1967年(昭和42年)9月 | 東張横 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 15勝 | 2場所ぶり26度目 | |
1967年(昭和42年)11月 | 西横綱 | 佐田の山晋松 | 出羽海 | 12勝3敗 | 15場所ぶり | 5度目|
1968年(昭和43年)1月 | 東横綱 | 佐田の山晋松 | 出羽海 | 13勝2敗 | 2場所連続 6度目 | |
1968年(昭和43年)3月 | 東前8 | 若浪順 | 立浪 | 13勝2敗 | 初優勝 | |
1968年(昭和43年)5月 | 東大関 | 玉乃島正夫 | 片男波 | 13勝2敗 | 初優勝 | のちの玉の海。 |
1968年(昭和43年)7月 | 西張大 | 琴櫻傑將 | 佐渡ヶ嶽 | 13勝2敗 | 初優勝 | |
1968年(昭和43年)9月 | 西横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 14勝1敗 | 6場所ぶり27度目 | |
1968年(昭和43年)11月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 15勝 | 2場所連続28度目 | |
1969年(昭和44年)1月 | 東横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 15勝 | 3場所連続29度目 | |
1969年(昭和44年)3月 | 東張大 | 琴櫻傑將 | 佐渡ヶ嶽 | 13勝2敗 | 4場所ぶり 2度目 | 大鵬の連勝記録が45連勝で止まる。 |
1969年(昭和44年)5月 | 西横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 13勝2敗 | 2場所ぶり30度目 | ビデオ判定の導入。 |
1969年(昭和44年)7月 | 東大関 | 清國勝雄 | 伊勢ケ浜 | 12勝3敗 | 初優勝 | 藤ノ川との優勝決定戦を制す。 |
1969年(昭和44年)9月 | 西張大 | 玉乃島正夫 | 片男波 | 13勝2敗 | 8場所ぶり 2度目 | |
1969年(昭和44年)11月 | 西大関 | 北の富士勝昭 | 九重 | 13勝2敗 | 16場所ぶり | 2度目
1970年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1970年(昭和45年)1月 | 東大関 | 北の富士勝昭 | 九重 | 13勝2敗 | 2場所連続 3度目 | 玉乃島との優勝決定戦を制す。北の富士と玉乃島は場所後に共に横綱昇進。 |
1970年(昭和45年)3月 | 東張横 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 14勝1敗 | 5場所ぶり31度目 | |
1970年(昭和45年)5月 | 西横綱 | 北の富士勝昭 | 九重 | 14勝1敗 | 2場所ぶり 4度目 | |
1970年(昭和45年)7月 | 東横綱 | 北の富士勝昭 | 九重 | 13勝2敗 | 2場所連続 5度目 | 前乃山との優勝決定戦を制す。 |
1970年(昭和45年)9月 | 西横綱 | 玉の海正洋 | 片男波 | 14勝1敗 | 6場所ぶり 3度目 | |
1970年(昭和45年)11月 | 東横綱 | 玉の海正洋 | 片男波 | 14勝1敗 | 2場所連続 4度目 | 大鵬との優勝決定戦を制す。 |
1971年(昭和46年)1月 | 西横綱 | 大鵬幸喜 | 二所ノ関 | 14勝1敗 | 5場所ぶり32度目 | 玉の海との優勝決定戦を制す。 |
1971年(昭和46年)3月 | 東横綱 | 玉の海正洋 | 片男波 | 14勝1敗 | 2場所ぶり 5度目 | |
1971年(昭和46年)5月 | 東張横 | 北の富士勝昭 | 九重 | 15勝 | 5場所ぶり 6度目 | |
1971年(昭和46年)7月 | 西横綱 | 玉の海正洋 | 片男波 | 15勝 | 2場所ぶり 6度目 | |
1971年(昭和46年)9月 | 西横綱 | 北の富士勝昭 | 九重 | 15勝 | 2場所ぶり 7度目 | |
1971年(昭和46年)11月 | 東横綱 | 北の富士勝昭 | 九重 | 13勝2敗 | 2場所連続 8度目 | |
1972年(昭和47年)1月 | 西前5 | 栃東知頼 | 春日野 | 11勝4敗 | 初優勝 | 4敗の優勝ははじめて。 |
1972年(昭和47年)3月 | 東関脇 | 長谷川勝敏 | 佐渡ヶ嶽 | 12勝3敗 | 初優勝 | 魁傑との優勝決定戦を制す。横綱・大関の絡まない決定戦は初めて。 |
1972年(昭和47年)5月 | 西関脇 | 輪島博 | 花籠 | 12勝3敗 | 初優勝 | |
1972年(昭和47年)7月 | 東前4 | 高見山大五郎 | 高砂 | 13勝2敗 | 初優勝 | 外国出身力士初の優勝。 |
1972年(昭和47年)9月 | 東横綱 | 北の富士勝昭 | 九重 | 15勝 | 5場所ぶり 9度目 | |
1972年(昭和47年)11月 | 西張大 | 琴櫻傑將 | 佐渡ヶ嶽 | 14勝1敗 | 22場所ぶり | 3度目|
1973年(昭和48年)1月 | 東大関 | 琴櫻傑將 | 佐渡ヶ嶽 | 14勝1敗 | 2場所連続 4度目 | 場所後に横綱昇進。 |
1973年(昭和48年)3月 | 西横綱 | 北の富士勝昭 | 九重 | 14勝1敗 | 3場所ぶり10度目 | |
1973年(昭和48年)5月 | 東大関 | 輪島大士 | 花籠 | 15勝 | 6場所ぶり 2度目 | 場所後に横綱昇進。 |
1973年(昭和48年)7月 | 西横綱 | 琴櫻傑將 | 佐渡ヶ嶽 | 14勝1敗 | 3場所ぶり 5度目 | 北の富士との優勝決定戦を制す。 |
1973年(昭和48年)9月 | 東張横 | 輪島大士 | 花籠 | 15勝 | 2場所ぶり 3度目 | |
1973年(昭和48年)11月 | 東横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 12勝2敗1休 | 2場所連続 4度目 | 優勝決定後14日目から休場。 |
1974年(昭和49年)1月 | 東関脇 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 14勝1敗 | 初優勝 | |
1974年(昭和49年)3月 | 東横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 12勝3敗 | 2場所ぶり 5度目 | |
1974年(昭和49年)5月 | 東大関 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 2度目 | |
1974年(昭和49年)7月 | 東横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 6度目 | 北の湖との優勝決定戦を制す。北の湖は場所後に横綱昇進。 |
1974年(昭和49年)9月 | 東横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 14勝1敗 | 2場所連続 7度目 | |
1974年(昭和49年)11月 | 西張小 | 魁傑將晃 | 花籠 | 12勝3敗 | 初優勝 | 北の湖との優勝決定戦を制す。 |
1975年(昭和50年)1月 | 東横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 12勝3敗 | 4場所ぶり 3度目 | |
1975年(昭和50年)3月 | 東大関 | 貴ノ花健士 | 二子山 | 13勝2敗 | 初優勝 | 北の湖との優勝決定戦を制す。 |
1975年(昭和50年)5月 | 東横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 4度目 | |
1975年(昭和50年)7月 | 西前1 | 金剛正裕 | 二所ノ関 | 13勝2敗 | 初優勝 | |
1975年(昭和50年)9月 | 西大関 | 貴ノ花健士 | 二子山 | 12勝3敗 | 3場所ぶり 2度目 | 北の湖との優勝決定戦を制す。 |
1975年(昭和50年)11月 | 東関脇 | 三重ノ海五郎 | 出羽海 | 13勝2敗 | 初優勝 | 場所後に大関昇進。 |
1976年(昭和51年)1月 | 東横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 13勝2敗 | 4場所ぶり 5度目 | 輪島との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 |
1976年(昭和51年)3月 | 西横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 13勝2敗 | 9場所ぶり 8度目 | 旭國(場所後に大関昇進)との優勝決定戦を制す。 |
1976年(昭和51年)5月 | 西横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 6度目 | 輪島との優勝決定戦を制す。 |
1976年(昭和51年)7月 | 東横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 14勝1敗 | 2場所ぶり 9度目 | |
1976年(昭和51年)9月 | 西前4 | 魁傑將晃 | 花籠 | 14勝1敗 | 11場所ぶり | 2度目|
1976年(昭和51年)11月 | 西横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 14勝1敗 | 3場所ぶり 7度目 | 輪島との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 |
1977年(昭和52年)1月 | 西横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 13勝2敗 | 3場所ぶり10度目 | 北の湖との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 2場所連続の千秋楽横綱相星決戦は1場所15日制となって以降、初めて。 |
1977年(昭和52年)3月 | 西横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 15勝 | 2場所ぶり 8度目 | |
1977年(昭和52年)5月 | 西大関 | 若三杉壽人 | 二子山 | 13勝2敗 | 初優勝 | 2代目若三杉(のちの2代目若乃花)。 |
1977年(昭和52年)7月 | 西横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 15勝 | 3場所ぶり11度目 | |
1977年(昭和52年)9月 | 西横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 15勝 | 3場所ぶり 9度目 | |
1977年(昭和52年)11月 | 西横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 14勝1敗 | 2場所ぶり12度目 | 北の湖との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 |
1978年(昭和53年)1月 | 西横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 15勝 | 2場所ぶり10度目 | 史上初めて二けた優勝の現役力士が複数となる。 |
1978年(昭和53年)3月 | 東横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 13勝2敗 | 2場所連続11度目 | 若三杉との優勝決定戦を制す。 |
1978年(昭和53年)5月 | 東横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 14勝1敗 | 3場所連続12度目 | 若三杉との優勝決定戦を制す。若三杉は場所後に横綱に昇進し若乃花と改名。 |
1978年(昭和53年)7月 | 東横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 15勝 | 4場所連続13度目 | |
1978年(昭和53年)9月 | 東横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 14勝1敗 | 5場所連続14度目 | |
1978年(昭和53年)11月 | 西横綱 | 若乃花幹士 | 二子山 | 15勝 | 9場所ぶり 2度目 | |
1979年(昭和54年)1月 | 東張横 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 14勝1敗 | 2場所ぶり15度目 | |
1979年(昭和54年)3月 | 東横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 15勝 | 2場所連続16度目 | |
1979年(昭和54年)5月 | 西横綱 | 若乃花幹士 | 二子山 | 14勝1敗 | 3場所ぶり 3度目 | |
1979年(昭和54年)7月 | 東張横 | 輪島大士 | 花籠 | 14勝1敗 | 10場所ぶり13度目 | 三重ノ海との優勝決定戦を制す。 |
1979年(昭和54年)9月 | 西横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 13勝2敗 | 3場所ぶり17度目 | |
1979年(昭和54年)11月 | 西横綱 | 三重ノ海剛司 | 出羽海 | 14勝1敗 | 24場所ぶり | 2度目
1980年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1980年(昭和55年)1月 | 東横綱 | 三重ノ海剛司 | 出羽海 | 15勝 | 2場所連続 3度目 | |
1980年(昭和55年)3月 | 西横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 13勝2敗 | 3場所ぶり18度目 | |
1980年(昭和55年)5月 | 東横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 14勝1敗 | 2場所連続19度目 | |
1980年(昭和55年)7月 | 東横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 15勝 | 3場所連続20度目 | |
1980年(昭和55年)9月 | 西横綱 | 若乃花幹士 | 二子山 | 14勝1敗 | 8場所ぶり 4度目 | |
1980年(昭和55年)11月 | 東張横 | 輪島大士 | 花籠 | 14勝1敗 | 8場所ぶり14度目 | |
1981年(昭和56年)1月 | 東関脇 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 初優勝 | 北の湖との優勝決定戦を制す。横綱の連続優勝が史上最長の21場所で途切れる。 大相撲中継での瞬間最高視聴率歴代1位(65.3%)。貴ノ花が引退(2勝5敗)。 |
1981年(昭和56年)3月 | 東横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 13勝2敗 | 4場所ぶり21度目 | |
1981年(昭和56年)5月 | 東横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 14勝1敗 | 2場所連続22度目 | 大関千代の富士との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 |
1981年(昭和56年)7月 | 東大関 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 3場所ぶり 2度目 | 北の湖との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 千代の富士は場所後横綱昇進し大関不在となる。 |
1981年(昭和56年)9月 | 東関脇 | 琴風豪規 | 佐渡ヶ嶽 | 12勝3敗 | 初優勝 | 琴風が場所後大関に昇進し、大関不在が解消。 |
1981年(昭和56年)11月 | 東張横 | 千代の富士貢 | 九重 | 12勝3敗 | 2場所ぶり 3度目 | 朝汐との優勝決定戦を制す。 |
1982年(昭和57年)1月 | 西横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 13勝2敗 | 4場所ぶり23度目 | 千代の富士との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 |
1982年(昭和57年)3月 | 西横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 4度目 | |
1982年(昭和57年)5月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 13勝2敗 | 2場所連続 5度目 | 朝汐との優勝決定戦を制す。 |
1982年(昭和57年)7月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 12勝3敗 | 3場所連続 6度目 | |
1982年(昭和57年)9月 | 西大関 | 隆の里俊英 | 二子山 | 15勝 | 初優勝 | |
1982年(昭和57年)11月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 2場所ぶり 7度目 | |
1983年(昭和58年)1月 | 西大関 | 琴風豪規 | 佐渡ヶ嶽 | 14勝1敗 | 8場所ぶり 2度目 | 朝潮との優勝決定戦を制す。 |
1983年(昭和58年)3月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 15勝 | 2場所ぶり 8度目 | |
1983年(昭和58年)5月 | 東関脇 | 北天佑勝彦 | 三保ヶ関 | 14勝1敗 | 初優勝 | |
1983年(昭和58年)7月 | 東大関 | 隆の里俊英 | 二子山 | 14勝1敗 | 5場所ぶり 2度目 | 千代の富士との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。場所後に横綱昇進。 |
1983年(昭和58年)9月 | 西横綱 | 隆の里俊英 | 二子山 | 15勝 | 2場所連続 3度目 | 千代の富士との千秋楽結びの一番全勝同士の相星決戦を制す。 |
1983年(昭和58年)11月 | 西横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 4場所ぶり 9度目 | 隆の里との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 2場所連続の千秋楽横綱相星決戦は15日制となってから2回目。 |
1984年(昭和59年)1月 | 西横綱 | 隆の里俊英 | 二子山 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 4度目 | 千代の富士との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。3場所連続の千秋楽横綱相星決戦は史上唯一。 1983年7月場所(この場所は隆の里は大関)を含めれば4場所連続で、これも史上唯一。 |
1984年(昭和59年)3月 | 東大関 | 若嶋津六夫 | 二子山 | 14勝1敗 | 初優勝 | |
1984年(昭和59年)5月 | 西横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 15勝 | 14場所ぶり24度目 | |
1984年(昭和59年)7月 | 東張大 | 若嶋津六夫 | 二子山 | 15勝 | 2場所ぶり 2度目 | |
1984年(昭和59年)9月 | 西前12 | 多賀竜昇司 | 鏡山 | 13勝2敗 | 初優勝 | 蔵前国技館最後の場所。 |
1984年(昭和59年)11月 | 西横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 6場所ぶり10度目 | |
1985年(昭和60年)1月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 15勝 | 2場所連続11度目 | 新両国国技館杮落とし場所。 |
1985年(昭和60年)3月 | 東張大 | 朝潮太郎 | 高砂 | 13勝2敗 | 初優勝 | 若嶋津との千秋楽2敗同士の相星決戦を制す。 |
1985年(昭和60年)5月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 2場所ぶり12度目 | |
1985年(昭和60年)7月 | 東張大 | 北天佑勝彦 | 三保ヶ関 | 13勝2敗 | 13場所ぶり | 2度目|
1985年(昭和60年)9月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 15勝 | 2場所ぶり13度目 | |
1985年(昭和60年)11月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 2場所連続14度目 | |
1986年(昭和61年)1月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 13勝2敗 | 3場所連続15度目 | |
1986年(昭和61年)3月 | 西関脇 | 保志信芳 | 九重 | 13勝2敗 | 初優勝 | のちの北勝海。 |
1986年(昭和61年)5月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 13勝2敗 | 2場所ぶり16度目 | 北尾との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 |
1986年(昭和61年)7月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 2場所連続17度目 | 北尾との優勝決定戦を制す。北尾は場所後に横綱に昇進し双羽黒と改名。 |
1986年(昭和61年)9月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 3場所連続18度目 | |
1986年(昭和61年)11月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 13勝2敗 | 4場所連続19度目 | 双羽黒との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 |
1987年(昭和62年)1月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 12勝3敗 | 5場所連続20度目 | 双羽黒との優勝決定戦を制す。 |
1987年(昭和62年)3月 | 西大関 | 保志信芳 | 九重 | 12勝3敗 | 6場所ぶり 2度目 | |
1987年(昭和62年)5月 | 西大関 | 大乃国康 | 放駒 | 15勝 | 初優勝 | 次点の北勝海(13勝2敗)は、場所後に横綱昇進。 |
1987年(昭和62年)7月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 3場所ぶり21度目 | |
1987年(昭和62年)9月 | 西横綱 | 北勝海信芳 | 九重 | 14勝1敗 | 3場所ぶり 3度目 | 次点の大乃国(13勝2敗)は、場所後に横綱昇進。 |
1987年(昭和62年)11月 | 東張横 | 千代の富士貢 | 九重 | 15勝 | 2場所ぶり22度目 | |
1988年(昭和63年)1月 | 東大関 | 旭富士正也 | 大島 | 14勝1敗 | 初優勝 | 双羽黒が場所前に廃業。 |
1988年(昭和63年)3月 | 東張横 | 大乃国康 | 放駒 | 13勝2敗 | 5場所ぶり 2度目 | 北勝海との優勝決定戦を制す。 |
1988年(昭和63年)5月 | 東張横 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 3場所ぶり23度目 | |
1988年(昭和63年)7月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 15勝 | 2場所連続24度目 | |
1988年(昭和63年)9月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 15勝 | 3場所連続25度目 | |
1988年(昭和63年)11月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 4場所連続26度目 | 千秋楽に千代の富士の連勝記録が53連勝で止まった一番が昭和最後の取組。 |
1989年(平成元年)1月 | 東張横 | 北勝海信芳 | 九重 | 14勝1敗 | 8場所ぶり 4度目 | 旭富士との優勝決定戦を制す。 この場所直前の昭和天皇崩御に伴い開催が1日順延され、優勝パレードなども自粛された |
1989年(平成元年)3月 | 西横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 2場所ぶり27度目 | 優勝決定後休場、1敗は不戦敗。 |
1989年(平成元年)5月 | 東張横 | 北勝海信芳 | 九重 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 5度目 | 旭富士との優勝決定戦を制す。 |
1989年(平成元年)7月 | 東張横 | 千代の富士貢 | 九重 | 12勝3敗 | 2場所ぶり28度目 | 北勝海との優勝決定戦を制す。初の同部屋横綱対決。 |
1989年(平成元年)9月 | 西横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 15勝 | 2場所連続29度目 | |
1989年(平成元年)11月 | 西張大 | 小錦八十吉 | 高砂 | 14勝1敗 | 初優勝 | 1972年7月の高見山以来、2人目の外国出身力士の優勝。 |
1990年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1990年(平成2年)1月 | 東横綱 | 千代の富士貢 | 九重 | 14勝1敗 | 2場所ぶり30度目 | |
1990年(平成2年)3月 | 西横綱 | 北勝海信芳 | 九重 | 13勝2敗 | 5場所ぶり 6度目 | 小錦・霧島(場所後に大関昇進)との優勝決定戦を制す。 |
1990年(平成2年)5月 | 西張大 | 旭富士正也 | 大島 | 14勝1敗 | 14場所ぶり | 2度目|
1990年(平成2年)7月 | 東大関 | 旭富士正也 | 大島 | 14勝1敗 | 2場所連続 3度目 | 場所後に横綱昇進。 |
1990年(平成2年)9月 | 東張横 | 北勝海信芳 | 九重 | 14勝1敗 | 3場所ぶり 7度目 | 新横綱旭富士との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 |
1990年(平成2年)11月 | 東張横 | 千代の富士貢 | 九重 | 13勝2敗 | 5場所ぶり31度目 | この年が日本出身力士が年6場所全てで優勝を占めた最後となる。 |
1991年(平成3年)1月 | 東大関 | 霧島一博 | 井筒 | 14勝1敗 | 初優勝 | |
1991年(平成3年)3月 | 東横綱 | 北勝海信芳 | 九重 | 13勝2敗 | 3場所ぶり 8度目 | |
1991年(平成3年)5月 | 東張横 | 旭富士正也 | 大島 | 14勝1敗 | 5場所ぶり 4度目 | 小錦との優勝決定戦を制す。千代の富士が引退(1勝3敗)。 |
1991年(平成3年)7月 | 東前13 | 琴富士孝也 | 佐渡ヶ嶽 | 14勝1敗 | 初優勝 | |
1991年(平成3年)9月 | 東前5 | 琴錦功宗 | 佐渡ヶ嶽 | 13勝2敗 | 初優勝 | 1909年以降初の2場所連続平幕力士による優勝。 |
1991年(平成3年)11月 | 西大関 | 小錦八十吉 | 高砂 | 13勝2敗 | 12場所ぶり | 2度目|
1992年(平成4年)1月 | 東前2 | 貴花田光司 | 二子山 | 14勝1敗 | 初優勝 | 貴花田(のちの貴乃花)の初優勝。現在までの最年少優勝記録。 |
1992年(平成4年)3月 | 東大関 | 小錦八十吉 | 高砂 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 3度目 | 霧島との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 |
1992年(平成4年)5月 | 西関脇 | 曙太郎 | 東関 | 13勝2敗 | 初優勝 | 場所後に大関昇進。北勝海が場所前に引退し、横綱不在となる。 |
1992年(平成4年)7月 | 西前1 | 水戸泉政人 | 高砂 | 13勝2敗 | 初優勝 | |
1992年(平成4年)9月 | 西小結 | 貴花田光司 | 二子山 | 14勝1敗 | 4場所ぶり 2度目 | |
1992年(平成4年)11月 | 西大関 | 曙太郎 | 東関 | 14勝1敗 | 3場所ぶり 2度目 | |
1993年(平成5年)1月 | 東大関 | 曙太郎 | 東関 | 13勝2敗 | 2場所連続 3度目 | 曙が場所後に横綱に昇進し、横綱不在が解消。 |
1993年(平成5年)3月 | 東小結 | 若花田勝 | 二子山 | 14勝1敗 | 初優勝 | のちの3代目若乃花。 |
1993年(平成5年)5月 | 東大関 | 貴ノ花光司 | 二子山 | 14勝1敗 | 4場所ぶり 3度目 | 曙との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 |
1993年(平成5年)7月 | 東横綱 | 曙太郎 | 東関 | 13勝2敗 | 3場所ぶり 4度目 | 貴ノ花・若ノ花との優勝決定戦を制す。曙が連勝したため若貴兄弟の対決はなかった。 史上最長となる13場所ぶりの横綱の優勝。若ノ花は場所後に大関に昇進。 |
1993年(平成5年)9月 | 東横綱 | 曙太郎 | 東関 | 14勝1敗 | 2場所連続 5度目 | |
1993年(平成5年)11月 | 東横綱 | 曙太郎 | 東関 | 13勝2敗 | 3場所連続 6度目 | 武蔵丸との優勝決定戦を制す。 |
1994年(平成6年)1月 | 西大関 | 貴ノ花光司 | 二子山 | 14勝1敗 | 4場所ぶり 4度目 | 先場所7勝8敗で角番の貴ノ花が千秋楽の武蔵丸戦で武蔵丸の「勇み足」により優勝を決める。 次点の貴ノ浪(13勝2敗)は、武蔵丸と共に場所後に大関昇進。 |
1994年(平成6年)3月 | 東横綱 | 曙太郎 | 東関 | 12勝3敗 | 2場所ぶり 7度目 | 貴ノ浪・貴闘力との優勝決定戦を制す。 |
1994年(平成6年)5月 | 西大関 | 貴ノ花光司 | 二子山 | 14勝1敗 | 2場所ぶり 5度目 | |
1994年(平成6年)7月 | 西大関 | 武蔵丸光洋 | 武蔵川 | 15勝 | 初優勝 | 外国出身力士初の全勝優勝。番付の張出制度廃止。 |
1994年(平成6年)9月 | 西大2 | 貴ノ花光司 | 二子山 | 15勝 | 2場所ぶり 6度目 | |
1994年(平成6年)11月 | 東大関 | 貴乃花光司 | 二子山 | 15勝 | 2場所連続 7度目 | 場所後に横綱昇進。 |
1995年(平成7年)1月 | 東横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 13勝2敗 | 3場所連続 8度目 | 武蔵丸との優勝決定戦を制す。 |
1995年(平成7年)3月 | 西横綱 | 曙太郎 | 東関 | 14勝1敗 | 6場所ぶり 8度目 | 貴乃花が同点。 |
1995年(平成7年)5月 | 西横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 14勝1敗 | 2場所ぶり 9度目 | 曙との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 |
1995年(平成7年)7月 | 東横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 13勝2敗 | 2場所連続10度目 | 曙との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 2場所連続の千秋楽横綱相星決戦は15日制になってから3回目。 |
1995年(平成7年)9月 | 東横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 15勝 | 3場所連続11度目 | |
1995年(平成7年)11月 | 西大関 | 若乃花勝 | 二子山 | 12勝3敗 | 16場所ぶり | 2度目貴乃花との優勝決定戦を制す。初の兄弟対決。 |
1996年(平成8年)1月 | 東大2 | 貴ノ浪貞博 | 二子山 | 14勝1敗 | 初優勝 | 貴乃花との優勝決定戦を制す。 |
1996年(平成8年)3月 | 東横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 14勝1敗 | 3場所ぶり12度目 | |
1996年(平成8年)5月 | 東横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 14勝1敗 | 2場所連続13度目 | |
1996年(平成8年)7月 | 東横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 13勝2敗 | 3場所連続14度目 | 曙との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 |
1996年(平成8年)9月 | 東横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 15勝 | 4場所連続15度目 | |
1996年(平成8年)11月 | 西大関 | 武蔵丸光洋 | 武蔵川 | 11勝4敗 | 14場所ぶり | 2度目幕内史上最多の曙・若乃花・貴ノ浪・魁皇との5人での優勝決定戦を制す。 1972年1月場所の初代栃東以来史上2度目の11勝4敗での優勝。 |
1997年(平成9年)1月 | 東大関 | 若乃花勝 | 二子山 | 14勝1敗 | 7場所ぶり 3度目 | |
1997年(平成9年)3月 | 東横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 12勝3敗 | 3場所ぶり16度目 | 曙・武蔵丸・魁皇との優勝決定戦を制す。 |
1997年(平成9年)5月 | 西横綱 | 曙太郎 | 東関 | 13勝2敗 | 13場所ぶり | 9度目貴乃花との優勝決定戦を制す。 |
1997年(平成9年)7月 | 東横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 13勝2敗 | 2場所ぶり17度目 | 曙との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 |
1997年(平成9年)9月 | 東横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 13勝2敗 | 2場所連続18度目 | 武蔵丸との優勝決定戦を制す。 |
1997年(平成9年)11月 | 西大関 | 貴ノ浪貞博 | 二子山 | 14勝1敗 | 11場所ぶり | 2度目貴乃花との優勝決定戦を制す。 |
1998年(平成10年)1月 | 西大関 | 武蔵丸光洋 | 武蔵川 | 12勝3敗 | 7場所ぶり 3度目 | |
1998年(平成10年)3月 | 東大2 | 若乃花勝 | 二子山 | 14勝1敗 | 7場所ぶり 4度目 | |
1998年(平成10年)5月 | 東大関 | 若乃花勝 | 二子山 | 12勝3敗 | 2場所連続 5度目 | 場所後に横綱昇進。 |
1998年(平成10年)7月 | 西横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 14勝1敗 | 5場所ぶり19度目 | |
1998年(平成10年)9月 | 東横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 13勝2敗 | 2場所連続20度目 | |
1998年(平成10年)11月 | 西前12 | 琴錦功宗 | 佐渡ヶ嶽 | 14勝1敗 | 43場所ぶり | 2度目史上唯一の2度目の平幕優勝。前回優勝から43場所ぶりは、史上最長間隔。 |
1999年(平成11年)1月 | 東関脇 | 千代大海龍二 | 九重 | 13勝2敗 | 初優勝 | 若乃花との優勝決定戦を制す。史上唯一の優勝決定戦取り直し。千代大海は場所後に大関昇進。 |
1999年(平成11年)3月 | 東大関 | 武蔵丸光洋 | 武蔵川 | 13勝2敗 | 7場所ぶり 4度目 | 貴ノ浪との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 |
1999年(平成11年)5月 | 東大関 | 武蔵丸光洋 | 武蔵川 | 13勝2敗 | 2場所連続 5度目 | 場所後に横綱昇進。 |
1999年(平成11年)7月 | 西関脇 | 出島武春 | 武蔵川 | 13勝2敗 | 初優勝 | 曙との優勝決定戦を制し、場所後大関に昇進。 |
1999年(平成11年)9月 | 西横綱 | 武蔵丸光洋 | 武蔵川 | 12勝3敗 | 2場所ぶり 6度目 | |
1999年(平成11年)11月 | 東横綱 | 武蔵丸光洋 | 武蔵川 | 12勝3敗 | 2場所連続 7度目 | 貴乃花との千秋楽結びの一番3敗同士の相星決戦を制す。 |
2000年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
2000年(平成12年)1月 | 東関2 | 武双山正士 | 武蔵川 | 13勝2敗 | 初優勝 | |
2000年(平成12年)3月 | 東前14 | 貴闘力忠茂 | 二子山 | 13勝2敗 | 初優勝 | 史上唯一の幕尻優勝。 |
2000年(平成12年)5月 | 西小結 | 魁皇博之 | 友綱 | 14勝1敗 | 初優勝 | |
2000年(平成12年)7月 | 東横綱 | 曙太郎 | 東関 | 13勝2敗 | 19場所ぶり10度目 | |
2000年(平成12年)9月 | 西横綱 | 武蔵丸光洋 | 武蔵川 | 14勝1敗 | 5場所ぶり 8度目 | |
2000年(平成12年)11月 | 西横綱 | 曙太郎 | 東関 | 14勝1敗 | 2場所ぶり11度目 | |
2001年(平成13年)1月 | 西横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 14勝1敗 | 14場所ぶり21度目 | 武蔵丸との優勝決定戦を制す。 |
2001年(平成13年)3月 | 東大関 | 魁皇博之 | 友綱 | 13勝2敗 | 5場所ぶり 2度目 | |
2001年(平成13年)5月 | 東横綱 | 貴乃花光司 | 二子山 | 13勝2敗 | 2場所ぶり22度目 | 14日目に右膝半月板を損傷する大けがを負ったが、千秋楽に強行出場。武蔵丸との優勝決定戦を制す。 翌場所から7場所連続で全休。 |
2001年(平成13年)7月 | 東大3 | 魁皇博之 | 友綱 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 3度目 | |
2001年(平成13年)9月 | 東前2 | 琴光喜啓司 | 佐渡ヶ嶽 | 13勝2敗 | 初優勝 | |
2001年(平成13年)11月 | 東横綱 | 武蔵丸光洋 | 武蔵川 | 13勝2敗 | 7場所ぶり 9度目 | |
2002年(平成14年)1月 | 西大2 | 栃東大裕 | 玉ノ井 | 13勝2敗 | 初優勝 | 千代大海との優勝決定戦を制す。 |
2002年(平成14年)3月 | 東横綱 | 武蔵丸光洋 | 武蔵川 | 13勝2敗 | 2場所ぶり10度目 | |
2002年(平成14年)5月 | 東横綱 | 武蔵丸光洋 | 武蔵川 | 13勝2敗 | 2場所連続11度目 | |
2002年(平成14年)7月 | 西大関 | 千代大海龍二 | 九重 | 14勝1敗 | 15場所ぶり | 2度目|
2002年(平成14年)9月 | 東横綱 | 武蔵丸光洋 | 武蔵川 | 13勝2敗 | 2場所ぶり12度目 | 貴乃花との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 |
2002年(平成14年)11月 | 東大2 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 14勝1敗 | 初優勝 | モンゴル出身力士初の優勝。 |
2003年(平成15年)1月 | 東大関 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 14勝1敗 | 2場所連続 2度目 | 場所後に横綱昇進。貴乃花が引退(4勝4敗1休)。 |
2003年(平成15年)3月 | 東大2 | 千代大海龍二 | 九重 | 12勝3敗 | 4場所ぶり 3度目 | |
2003年(平成15年)5月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 3度目 | |
2003年(平成15年)7月 | 東大関 | 魁皇博之 | 友綱 | 12勝3敗 | 18場所ぶり | 4度目千代大海との千秋楽結びの一番3敗同士の相星決戦を制す。 |
2003年(平成15年)9月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 4度目 | |
2003年(平成15年)11月 | 西大関 | 栃東大裕 | 玉ノ井 | 13勝2敗 | 11場所ぶり | 2度目朝青龍との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。武蔵丸が引退(3勝5敗)。 |
2004年(平成16年)1月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 15勝 | 2場所ぶり 5度目 | 全勝優勝は1996年9月場所の貴乃花以来で、44場所ぶりは史上最長間隔 |
2004年(平成16年)3月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 15勝 | 2場所連続 6度目 | |
2004年(平成16年)5月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 13勝2敗 | 3場所連続 7度目 | 北勝力との優勝決定戦を制す。 |
2004年(平成16年)7月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 13勝2敗 | 4場所連続 8度目 | |
2004年(平成16年)9月 | 東大関 | 魁皇博之 | 友綱 | 13勝2敗 | 7場所ぶり 5度目 | |
2004年(平成16年)11月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 9度目 | |
2005年(平成17年)1月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 15勝 | 2場所連続10度目 | |
2005年(平成17年)3月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 14勝1敗 | 3場所連続11度目 | |
2005年(平成17年)5月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 15勝 | 4場所連続12度目 | |
2005年(平成17年)7月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 13勝2敗 | 5場所連続13度目 | |
2005年(平成17年)9月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 13勝2敗 | 6場所連続14度目 | 琴欧州との優勝決定戦を制す。 |
2005年(平成17年)11月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 14勝1敗 | 7場所連続15度目 | 史上初となる年間6場所制覇、7連覇を達成。 |
2006年(平成18年)1月 | 東大2 | 栃東大裕 | 玉ノ井 | 14勝1敗 | 13場所ぶり | 3度目今場所から2016年1月場所まで日本出身力士の優勝はない。 |
2006年(平成18年)3月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 13勝2敗 | 2場所ぶり16度目 | 白鵬(場所後大関に昇進)との優勝決定戦を制す。 |
2006年(平成18年)5月 | 西大3 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 初優勝 | 新大関。雅山との優勝決定戦を制す。 |
2006年(平成18年)7月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 14勝1敗 | 2場所ぶり17度目 | |
2006年(平成18年)9月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 13勝2敗 | 2場所連続18度目 | |
2006年(平成18年)11月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 15勝 | 3場所連続19度目 | |
2007年(平成19年)1月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 14勝1敗 | 4場所連続20度目 | |
2007年(平成19年)3月 | 西大関 | 白鵬翔 | 宮城野 | 13勝2敗 | 5場所ぶり 2度目 | 朝青龍との優勝決定戦を制す。 |
2007年(平成19年)5月 | 東大関 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 2場所連続 3度目 | 場所後に横綱昇進。 |
2007年(平成19年)7月 | 東横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 14勝1敗 | 3場所ぶり21度目 | |
2007年(平成19年)9月 | 西横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 13勝2敗 | 2場所ぶり 4度目 | |
2007年(平成19年)11月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 12勝3敗 | 2場所連続 5度目 | 14日目に負傷した千代大海が千秋楽に休場し白鵬の優勝決定。 優勝を争う力士の不戦敗で千秋楽取組前に優勝が決定したのは初めて。白鵬は千秋楽に敗れる。 |
2008年(平成20年)1月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 3場所連続 6度目 | 朝青龍との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 |
2008年(平成20年)3月 | 西横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 13勝2敗 | 4場所ぶり22度目 | 白鵬との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 2場所連続の千秋楽横綱相星決戦は15日制になって以来4回目。 |
2008年(平成20年)5月 | 西大2 | 琴欧洲勝紀 | 佐渡ヶ嶽 | 14勝1敗 | 初優勝 | ヨーロッパ出身力士初の優勝。 |
2008年(平成20年)7月 | 西横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 3場所ぶり 7度目 | |
2008年(平成20年)9月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 2場所連続 8度目 | |
2008年(平成20年)11月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 13勝2敗 | 3場所連続 9度目 | 安馬(場所後に大関昇進)との優勝決定戦を制す。 |
2009年(平成21年)1月 | 西横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 14勝1敗 | 5場所ぶり23度目 | 白鵬との優勝決定戦を制す。 |
2009年(平成21年)3月 | 西横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 2場所ぶり10度目 | |
2009年(平成21年)5月 | 西大関 | 日馬富士公平 | 伊勢ケ浜 | 14勝1敗 | 初優勝 | 白鵬との優勝決定戦を制す。 |
2009年(平成21年)7月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 2場所ぶり11度目 | |
2009年(平成21年)9月 | 西横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 14勝1敗 | 4場所ぶり24度目 | 白鵬との優勝決定戦を制す。 |
2009年(平成21年)11月 | 西横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 2場所ぶり12度目 |
2010年代
場所 | 番付 | 四股名 | 部屋 | 成績 | 優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
2010年(平成22年)1月 | 西横綱 | 朝青龍明徳 | 高砂 | 13勝2敗 | 2場所ぶり25度目 | 場所後、暴行問題の責任を取る形で引退。 |
2010年(平成22年)3月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 2場所ぶり13度目 | |
2010年(平成22年)5月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 2場所連続14度目 | |
2010年(平成22年)7月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 3場所連続15度目 | 15日制初の3場所連続全勝優勝。 野球賭博問題の影響で天皇賜杯および外部からの表彰をすべて辞退。 |
2010年(平成22年)9月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 4場所連続16度目 | 15日制初の4場所連続全勝優勝。 |
2010年(平成22年)11月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 5場所連続17度目 | 豊ノ島との優勝決定戦を制す。本割では白鵬と豊ノ島の対戦は無し。 白鵬は2日目に稀勢の里に破れ連勝記録が63で止まる。 |
2011年(平成23年)1月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 6場所連続18度目 | |
2011年(平成23年)3月 | - | 八百長問題のために本場所中止。 | ||||
2011年(平成23年)5月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 13勝2敗 | 7場所連続19度目 | 朝青龍と並ぶ7連覇達成。 八百長問題の影響で5月技量審査場所として開催。 天皇賜杯および外部からの表彰をすべて辞退。 |
2011年(平成23年)7月 | 西大関 | 日馬富士公平 | 伊勢ケ浜 | 14勝1敗 | 12場所ぶり | 2度目朝青龍引退後に優勝を続けてきた白鵬は史上初の8連覇を逃す。 |
2011年(平成23年)9月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 13勝2敗 | 2場所ぶり20度目 | |
2011年(平成23年)11月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 2場所連続21度目 | |
2012年(平成24年)1月 | 東大関 | 把瑠都凱斗 | 尾上 | 14勝1敗 | 初優勝 | エストニア出身力士初の優勝。 |
2012年(平成24年)3月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 13勝2敗 | 2場所ぶり22度目 | 鶴竜(場所後に大関昇進)との優勝決定戦を制す。 |
2012年(平成24年)5月 | 西前7 | 旭天鵬勝 | 友綱 | 12勝3敗 | 初優勝 | 栃煌山との史上初の平幕力士同士の優勝決定戦を制す。平幕優勝は2001年9月の琴光喜以来。 初優勝として「37歳8ヶ月・初土俵から121場所・新入幕から86場所」は、すべて史上1位のスロー記録。 旭天鵬はモンゴル出身だが日本に帰化しているため2006年1月の栃東以来の日本国籍力士の優勝。 |
2012年(平成24年)7月 | 西大2 | 日馬富士公平 | 伊勢ケ浜 | 15勝 | 6場所ぶり 3度目 | 白鵬との千秋楽結びの一番全勝同士の相星決戦を制す。楽日全勝決戦は1983年9月以来。 |
2012年(平成24年)9月 | 東大関 | 日馬富士公平 | 伊勢ケ浜 | 15勝 | 2場所連続 4度目 | 大関では双葉山、貴乃花に次ぐ3人目の2場所連続全勝優勝で、場所後に横綱昇進。 |
2012年(平成24年)11月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 4場所ぶり23度目 | |
2013年(平成25年)1月 | 西横綱 | 日馬富士公平 | 伊勢ケ浜 | 15勝 | 2場所ぶり 5度目 | |
2013年(平成25年)3月 | 西横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 2場所ぶり24度目 | 史上最多となる9回目の全勝優勝。 |
2013年(平成25年)5月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 2場所連続25度目 | 2場所連続かつ最多記録を更新する10回目の全勝優勝。1909年6月以降、通算100回目の全勝優勝。 |
2013年(平成25年)7月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 13勝2敗 | 3場所連続26度目 | 白鵬の13日目優勝決定は史上最多の5回目。翌14日目に稀勢の里に敗れ連勝が43で止まる。 |
2013年(平成25年)9月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 4場所連続27度目 | |
2013年(平成25年)11月 | 西横綱 | 日馬富士公平 | 伊勢ケ浜 | 14勝1敗 | 5場所ぶり 6度目 | 白鵬との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 |
2014年(平成26年)1月 | 西横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 2場所ぶり28度目 | 鶴竜との優勝決定戦を制す。 |
2014年(平成26年)3月 | 東大関 | 鶴竜力三郎 | 井筒 | 14勝1敗 | 初優勝 | 通算100人目の優勝経験力士。場所後に横綱昇進。 |
2014年(平成26年)5月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 2場所ぶり29度目 | |
2014年(平成26年)7月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 13勝2敗 | 2場所連続30度目 | |
2014年(平成26年)9月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 3場所連続31度目 | |
2014年(平成26年)11月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 4場所連続32度目 | |
2015年(平成27年)1月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 5場所連続33度目 | 史上初となる全6場所全勝優勝を達成。優勝回数が大鵬の32回を上回り、歴代単独1位となった。 |
2015年(平成27年)3月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 6場所連続34度目 | |
2015年(平成27年)5月 | 東関脇 | 照ノ富士春雄 | 伊勢ヶ濱 | 12勝3敗 | 初優勝 | 平成生まれ初の優勝。場所後に大関昇進。 |
2015年(平成27年)7月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 2場所ぶり35度目 | |
2015年(平成27年)9月 | 西横綱 | 鶴竜力三郎 | 井筒 | 12勝3敗 | 9場所ぶり 2度目 | 照ノ富士との優勝決定戦を制す。 |
2015年(平成27年)11月 | 東横綱 | 日馬富士公平 | 伊勢ヶ濱 | 13勝2敗 | 12場所ぶり | 7度目1972年7月の高見山以降、通算100回目の外国出身力士の優勝。 |
2016年(平成28年)1月 | 東大2 | 琴奨菊和弘 | 佐渡ヶ嶽 | 14勝1敗 | 初優勝 | 2006年1月の栃東以来の日本出身力士の優勝(59場所ぶり)。 |
2016年(平成28年)3月 | 西横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 4場所ぶり36度目 | |
2016年(平成28年)5月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 2場所連続37度目 | |
2016年(平成28年)7月 | 東横2 | 日馬富士公平 | 伊勢ヶ濱 | 13勝2敗 | 4場所ぶり 8度目 | |
2016年(平成28年)9月 | 東大2 | 豪栄道豪太郎 | 境川 | 15勝 | 初優勝 | 角番からの全勝優勝は史上初。日本出身力士の全勝優勝は1996年9月の貴乃花以来。 |
2016年(平成28年)11月 | 西横綱 | 鶴竜力三郎 | 井筒 | 14勝1敗 | 7場所ぶり 3度目 | |
2017年(平成29年)1月 | 東大関 | 稀勢の里寛 | 田子ノ浦 | 14勝1敗 | 初優勝 | 大関昇進後31場所での初優勝は史上1位のスロー記録。場所後に横綱昇進。 |
2017年(平成29年)3月 | 西横2 | 稀勢の里寛 | 田子ノ浦 | 13勝2敗 | 2場所連続 2度目 | 新横綱。照ノ富士との優勝決定戦を制す。 |
2017年(平成29年)5月 | 西横2 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 6場所ぶり38度目 | |
2017年(平成29年)7月 | 東横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 2場所連続39度目 | |
2017年(平成29年)9月 | 西横綱 | 日馬富士公平 | 伊勢ヶ濱 | 11勝4敗 | 7場所ぶり9度目 | 豪栄道との優勝決定戦を制す。11勝4敗での優勝は1996年11月の武蔵丸以来。 1場所4個の金星を配給した横綱の優勝は史上初。 1場所15日制が定着した1949年5月以降、11日目終了時3差からの逆転優勝も初めて。 |
2017年(平成29年)11月 | 西横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 14勝1敗 | 2場所ぶり40度目 | |
2018年(平成30年)1月 | 西前3 | 栃ノ心剛史 | 春日野 | 14勝1敗 | 初優勝 | 2012年5月の旭天鵬以来となる平幕優勝。ジョージア出身力士初の優勝。 ヨーロッパ出身力士の優勝は、琴欧洲、把瑠都に次いで3人目。 |
2018年(平成30年)3月 | 東横綱 | 鶴竜力三郎 | 井筒 | 13勝2敗 | 8場所ぶり 4度目 | |
2018年(平成30年)5月 | 東横綱 | 鶴竜力三郎 | 井筒 | 14勝1敗 | 2場所連続 5度目 | 自身初の連覇。 |
2018年(平成30年)7月 | 西関脇 | 御嶽海久司 | 出羽海 | 13勝2敗 | 初優勝 | 2015年5月の照ノ富士以来となる関脇優勝および平成生まれの優勝。 長野県出身力士の優勝は優勝制度が制定された1909年(明治42年)6月場所以後初。 |
2018年(平成30年)9月 | 西横綱 | 白鵬翔 | 宮城野 | 15勝 | 5場所ぶり41度目 |