大化の改新
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大化の改新(たいかのかいしん)
皇極4(645)年6月12~13日に中大兄皇子(天智天皇),中臣鎌足(藤原鎌足)らが蘇我入鹿,蘇我蝦夷を倒して権力を握ったクーデター(乙巳の変),およびそれに続いて行なわれた政治上の大改革。翌 6月14日には孝徳天皇が即位し,阿倍内麻呂,蘇我倉山田石川麻呂が左右大臣に,中臣鎌足が内臣(うちつおみ)に,僧旻,高向玄理が国博士に任ぜられ,中大兄皇子が皇太子として実権を握った。6月19日初の元号「大化」が定められ,12月には難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや。難波京)に遷都。翌大化2(646)年改新の詔が出され,後年まとめられた『日本書紀』よると,私地私民の廃止,地方行政組織の整備,戸籍・計帳の作成と班田収授の実施,租・庸・調の導入という 4ヵ条の大綱が示されるなど,中国を模した中央集権的官僚支配体制の基礎が築かれた。