大内義隆
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大内義隆 | |
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 永正4年11月15日(1507年12月18日) |
死没 | 天文20年9月1日[1](1551年9月30日) |
幕府 | 室町幕府 周防・長門・石見・豊前・筑前守護[1] |
氏族 | 大内氏 |
大内 義隆(おおうち よしたか)
室町時代末期の大名。義興の長子。享禄1 (1528) 年家督を継ぎ,周防,長門,安芸,石見,備後,豊前,筑前の7ヵ国の守護を兼任。少弐,大友,尼子氏らと戦って勢力を張り,天文5 (36) 年には彼の献資によって後奈良天皇は即位式をあげえた。功によって大宰大弐。また対明,対鮮交易に努め貿易の利を得る一方,『一切経』『朱氏新註』などの書物や文化財を求め,大内版を開版した。京都の難を避けた公家,僧侶を保護厚遇し,同 19~20年,ザビエルにキリスト教の布教を許し,西洋文化の輸入に努めるなど,文化の発展にも大いに貢献した。しかし家臣陶晴賢 (すえはるかた) の反乱により,長門深川の大寧寺で自殺。
関連項目
- ↑ 1.0 1.1 御薗生翁甫 1980, p. 21.