壬生寺
壬生寺 | |
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所在地 | 京都府京都市中京区坊城通仏光寺上ル壬生梛ノ宮町31 |
位置 | 東経135度44分36.02秒北緯35.0016度 東経135.7433389度 |
宗派 | 律宗 |
寺格 | 大本山 |
本尊 | 地蔵菩薩(重要文化財) |
創建年 | 991年(正暦2年) |
開基 | 快賢 |
別称 | 地蔵院、宝幢三昧寺 |
札所等 |
洛陽三十三所観音霊場28番(中院) 京都十二薬師霊場4番 |
文化財 |
木造地蔵菩薩立像、錫杖、列仙図屏風、大念仏堂(重要文化財) 壬生狂言(重要無形民俗文化財)、壬生六斎念仏踊り(重要無形民俗文化財) |
地図 |
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壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生にある律宗大本山の仏教寺院である。本尊は地蔵菩薩、開基は園城寺(三井寺)の僧快賢である。中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。古くは地蔵院、宝幢三昧寺[1]、心浄光院と号した。
歴史
園城寺(三井寺)の僧快賢が、991年(正暦2年)に自身の母のために建立したとされる。1005年(寛弘2年)には堂供養が行われ、この時小三井寺と名付けられた。[2]白河天皇の行幸の際には、地蔵院の寺号を賜ったといわれている。[3]京都では珍しい律宗(総本山は奈良・唐招提寺)寺院である。
中世に融通念仏の円覚上人が中興。大念仏会の際に上演される重要無形民俗文化財の「壬生大念仏狂言」(壬生狂言)は円覚上人が始めたものと伝えられる[4]。
江戸時代後期の幕末には京都の治安維持を目的に活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠が壬生村の八木家に置かれた。当寺境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われたという。その縁で境内には局長近藤勇の銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある(近藤勇の墓とされるものは、当所以外にも会津若松市、三鷹市などに存在する)。
当寺旧本尊の地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代後期の作)は、「壬生地蔵」と呼ばれ信仰を集めていたが、1962年(昭和37年)7月25日、放火により本堂とともに焼失した。現在の本尊・地蔵菩薩立像は、火災後に本山の唐招提寺から移されたものである。
境内
現在の本堂は1967年(昭和42年)の再建である[5]。 境内には以下の施設が現存する。
- 大念仏堂(狂言舞台、重要文化財)
- 一夜天神堂(東門内北側)[6]
- 石像宝篋印塔(一夜天神堂左隣)[7]
- 阿弥陀堂(一夜天神堂西。一部有料[8])[9]
- 弁天堂(阿弥陀堂西)[10]
- 六角堂(弁天堂西)[11]
- 千体仏塔(パゴダ様式の仏塔に1000体の石仏を円錐形に安置したもの。本堂の南)[12]
- 近藤勇銅像
- 壬生塚
- 『あゝ新撰組』の歌碑(平成11年に有志が建立した。歌碑横にあるボタンを押すと3番までフルで聴くことが可能)
- Mibu-dera Kyoto IchiyaTenjin.jpg
壬生寺の一夜天神。
- Mibu-dera Kyoto Benzaiten.jpg
壬生寺の弁財天。
- Mibu-dera Kyoto Mizukakejizou.jpg
壬生寺の水掛地蔵
文化財
重要文化財
- 木造地蔵菩薩立像(唐招提寺旧蔵、平安時代)
- 錫杖(しゃくじょう)
- 紙本墨画淡彩列仙図 長谷川等伯筆 六曲一双(左隻の一扇を欠く)
- 壬生寺大念仏堂(狂言舞台)(附 道具蔵、脇門、土塀2棟、棟札2枚)
典拠:2000年(平成12年)までに指定の国宝・重要文化財については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
焼失した重要文化財
- 木造地蔵菩薩半跏像 旧本尊、鎌倉時代
- 木造四天王立像 鎌倉時代
- 金鼓 正嘉元年(1257年)銘 - 「金鼓」は仏堂の軒先に吊るす「鰐口」のこと
以上3件は1962年の火災で焼失した。[13]
重要無形民俗文化財
- 壬生狂言
- 壬生六斎念仏踊り(指定名称は「京都の六斎念仏」)
行事
- 節分会
- 2月2日〜4日[14]
- 壬生狂言
- 毎年節分と春秋に演じられる無言劇。大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)とも呼ばれる。重要無形民俗文化財に指定されている。公開は2月の節分の当日と前日、4月29日から5月5日まで、及び10月の体育の日を含む3日間(年間12日間)[15]。詳細は「壬生狂言」を参照
- 新撰組隊士等慰霊供養祭
- 7月16日[16]
- 壬生六斎念仏踊り
- 年中行事として、かつては毎年8月9日の精霊迎え火、16日の精霊送り火、23日の地蔵盆に壬生寺で上演されていたが、現在は9日にのみ実施されている。重要無形民俗文化財。詳細は「壬生六斎念仏踊り」を参照
- 地蔵盆時の出開帳
- 壬生寺は、地蔵菩薩を本尊とする寺として、地蔵盆の際に地蔵の石仏を貸し出す、俗称「レンタル地蔵」を行っていることでも知られる。
- 京都でも新興住宅地などでは地域の地蔵がなく、地蔵盆が行えないことがある。この場合は宗教色を薄めた「夏祭り」とする所もあるが、地蔵を借りてきて地蔵盆を行うところもある。壬生寺の場合は、明治時代から京都各地の区画整理などに伴って祀れなくなった石仏が多数引き取られており、これを出開帳の形式をとって希望する各町に貸し出しているのである。
札所
関連項目
アクセス
脚注
- ↑ 壬生寺サイト(壬生寺の歴史)(2016年10月8日閲覧)
- ↑ 壬生寺展 京都文化博物館 1992年 p.7
- ↑ 壬生寺 松浦俊海 2010年 p.6
- ↑ 壬生大念仏狂言(壬生寺サイト)(2016年10月8日閲覧)
- ↑ 歴史散歩26京都府の歴史散歩上 京都府歴史遺産研究会 2011年 p88
- ↑ 壬生寺 松浦俊海 2010年 P34
- ↑ 壬生寺 松浦俊海 2010年 P34
- ↑ JTBのMOOK 新撰組&龍馬 京都幕末案内 内山弘美 2010年 P44
- ↑ 壬生寺 松浦俊海 2010年 P34
- ↑ 壬生寺 松浦俊海 2010年 P34
- ↑ 壬生寺 松浦俊海 2010年 P34
- ↑ 壬生寺 松浦俊海 2010年 P34
- ↑ 文化庁編『新版 戦災等による焼失文化財 20世紀の文化財過去帳』、戎光祥出版、2003
- ↑ 前川久夫(2007)「【古寺巡礼6】京都の古寺I 洛中・東山」JTBパブリッシング,pp.30
- ↑ 壬生大念仏狂言(壬生寺サイト)(2016年10月8日閲覧)
- ↑ 前川久夫(2007)「【古寺巡礼6】京都の古寺I 洛中・東山」JTBパブリッシング,pp.30