塚原直也
テンプレート:Infobox 体操選手 塚原 直也(つかはら なおや、1977年6月25日 - )は、男子体操競技の元選手、指導者。
現在、朝日生命体操クラブ総監督、朝日生命体操教室技術アドバイザーを務めている[1]。
略歴
父親は月面宙返りを編み出したミュンヘンオリンピックおよびモントリオールオリンピック金メダリストの塚原光男。母親の千恵子(旧姓:小田)もメキシコオリンピックの体操女子代表選手。このような環境にあったが、体操開始年齢は11歳と遅めである。
朝日生命体操クラブにて11歳から体操を始め、明星学園小学校、明大中野高校、明治大学卒業。朝日生命所属。インターハイ2連覇、NHK杯3連覇、全日本選手権5連覇(1996-2000年、当時の歴代最多タイ記録)と長きにわたって日本のトップに君臨。1999年(平成11年)には世界選手権個人総合2位に輝く。高校時代より父・光男の現役時代の好敵手だったニコライ・アンドリアノフの指導を受ける。
オリンピックは3大会連続出場し、日本体操の低迷期を支え続けた。ついに2004年(平成16年)、アテネオリンピック団体総合にて金メダルを獲得した。なお、日本のオリンピック史上初の親子金メダリストである。
2008年5月のNHK杯では8位に入賞するが、北京オリンピックの代表には選出されなかった。その後も現役を続行する一方、父・光男が校長を務める「塚原体操センター」で技術アドバイザーを務め、後進の指導にも当たる。2009年よりオーストラリアに体操留学をし、オーストラリア国籍取得を前提に、ロンドンオリンピックへの出場を目指していたが[2][3]、国籍取得手続きが間に合わず2012年1月開催の五輪最終予選の代表を外れた。2012年6月の国籍変更の手続き完了予定の間も、オーストラリアの代表選手として国際大会出場を目指し[4]、翌年2013年4月にオーストラリア国籍取得した[5]。
リオデジャネイロオリンピック出場を目指していたが、2016年2月のオーストラリア代表選考会で3位に終わり五輪出場はならなかった[6]。2016年3月をもって現役を引退した[7]。
年譜
- 1988年、朝日生命体操クラブで体操を始める。
- 1993年4月、明治大学付属中野高校に入学。
- 1994年、インターハイで優勝。
- 1995年、インターハイを2連覇。
- 1996年4月、明治大学に入学。
- 1996年、全日本選手権で優勝。
- 1996年、アトランタオリンピックに出場。
- 1997年、全日本選手権を2連覇。
- 1997年、世界選手権個人総合で3位。
- 1998年、全日本選手権を3連覇。
- 1999年、全日本選手権を4連覇。
- 1999年、世界選手権個人総合で2位。
- 2000年4月、朝日生命に入る。
- 2000年、全日本選手権を5連覇。シドニーオリンピックに出場。
- 2004年8月16日、アテネオリンピックの男子体操団体で優勝。
- 2004年11月3日、紫綬褒章を受章。
- 2013年4月、オーストラリア国籍取得。
- 2014年7月、英連邦大会出場。団体総合・つり輪4位。個人総合・平行棒・鉄棒で5位に終わる。
- 2016年2月、豪州代表選考会で3位。
- 2016年3月、現役引退。
日本のテレビ番組出演(個人)
- 2016年9月7日放送、日本テレビ系「ナカイの窓」「アスリートSP」に瀬古利彦、田中雅美、小椋久美子、清水健、ゲストMC武井壮らと出演する。思い出深い試合で「2004年アテネオリンピック男子団体金メダル」を挙げた。また。オーストラリアに国籍変更した経緯を語る。
脚注
- ↑ “東京都世田谷区の朝日生命体操教室・朝日生命体操クラブ・塚原体操センター” (日本語). www.tsukahara-taisou.com. . 2018閲覧.
- ↑ “塚原選手、豪からロンドン五輪へ 国籍取得前提に”. 共同通信 (2011年7月19日). . 2011閲覧.
- ↑ “体操の塚原、世界選手権は絶望的 豪州の国籍取得難航で”. 共同通信 (2011年9月17日). . 2011閲覧.
- ↑ 塚原、ロンドン五輪出場できず 豪国籍取得が間に合わず
- ↑ 体操の塚原直也が豪州国籍を取得 国際大会の代表めざす 朝日新聞デジタル 2013年4月21日
- ↑ 塚原、リオ五輪出場逃す=豪州代表選考会で3位-体操 時事通信、2016年3月17日閲覧。
- ↑ 「晴れやかな気持ち」=体操アテネ金の塚原引退 時事通信、2016年3月17日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 塚原直也公式サイト
- 塚原体操センター
- 塚原直也 - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(英語)
- テンプレート:Fig