堤清二
堤 清二(つつみ せいじ、1927年3月30日 - 2013年11月25日)は、日本の実業家、小説家、詩人。筆名は辻井 喬(つじい たかし)。学位は博士(経済学)(中央大学・1996年)。日本芸術院会員、財団法人セゾン文化財団理事長、社団法人日本文藝家協会副理事長、社団法人日本ペンクラブ理事、『歴程』同人、憲法再生フォーラム共同代表、日本中国文化交流協会会長。西武流通グループ代表、セゾングループ代表などを歴任した。異母弟は元西武鉄道会長の堤義明。
Contents
経歴
1927年、西武グループの創業者堤康次郎と、康次郎の妾(後に本妻)・青山操の間に生まれる[1]。青山は当時康次郎と内縁関係にあったが(のち入籍)、康次郎は5人の女性との間に5男2女を持つ。このことは父への反抗につながり、日本共産党入党や文学への傾倒へのきっかけとなっていく。また「父との確執と、父への理解」は、「小説家・辻井喬」を貫くテーマともなっている。
国立学園小学校、東京府立第十中学校(現東京都立西高等学校)を経て成城高等学校 (旧制)(現成城大学)に進学すると、寺内大吉に兄事し、後に「近代説話」の同人となる。東京大学経済学部入学直後、同級生だった氏家齊一郎などから勧誘を受け日本共産党に入党。横瀬郁夫のペンネームで積極的な活動を行っていた。
1950年、内外の混乱により共産党が所感派・国際派へと分裂する中、国際派の東大細胞に属し、党中央から除名される[2]。この頃、自ら父に勘当を願い出ているが、それは康次郎に対する清二の「絶縁宣言」というべきものだった。
1951年東京大学経済学部卒業。その後、肺結核の療養を経て、衆議院議長だった父・康次郎の秘書を務める。この頃から詩を書き始める。1954年に西武百貨店に入社。1955年から取締役店長として百貨店を任される。同年、処女詩集『不確かな朝』を発表。1961年刊行の詩集『異邦人』で室生犀星詩人賞受賞。
1964年、康次郎が死去。周囲からは清二が継承すると思われていた西武グループ総帥の座は、異母弟の堤義明が継ぐことになる。このような変動の下で、処女小説『彷徨の季節の中で』(1969年)は書き上げられた。清二は、作家の三島由紀夫とも交友を持ち、三島が自身の組織した「楯の会」の制服を制作するにあたっては、五十嵐九十九(ドゴールの制服のデザイナー)を手配するなどの便宜を図った[3]。なお、1970年(昭和45年)11月25日の三島事件直後に開かれた三島の追悼会には、ポケットマネーから資金を提供した他、三島映画上映企画などでも会場を提供するなど、三島の死後も貢献し続けた[4]。
康次郎死去後の清二は、当時阪急百貨店会長・清水雅の宝塚市にある自邸に行き、清水より経営手法などを学ぶ。スーパーマーケットである西友を急展開し、業績を拡大。1969年、池袋西武の隣にあった百貨店「東京丸物」(まるぶつ)を、買収したばかりの小佐野賢治から、さらに買収する形で経営を引き受け、府立十中の同級生だった増田通二を使い、パルコにリニューアルし、さらにパルコを全国に展開。ちなみに渋谷の「公園通り」の名前は、イタリア語で公園を意味するパルコの名前からとったものである。
また西武百貨店は、渋谷に進出させ成功を収めると、積極的な出店攻勢と「感性経営」といわれる優れた演出戦略が奏功し、清二が入社当時は二流・三流といわれた西武百貨店を、1980年代後半には当時百貨店売上高首位の三越を抜き、日本一の百貨店になるまで成長させた。
さらにデベロッパーである西洋環境開発を通じ、世界一のホテルチェーンであるインターコンチネンタルホテルズグループを買収し、ホテル経営やリゾート開発へも乗り出すなど、セゾングループを形成(これには、父のプリンスホテルを継いだ義明への対抗心もあったと言われている)[5]。
また、ラコステブランドなどを取り扱う大沢商会や、牛丼の吉野家など倒産した企業をセゾングループに組み入れ、見事に再建させた。マスメディアも彼に注目し、財界の若きプリンスともてはやすようになる。
脱大衆文化と称して、DCブランドの展開や、無印良品、ファミリーマート、雑貨店のロフト、セゾンカード、FM放送のJ-WAVE、オーディオ・ビジュアル (AV) ソフト(CD・DVD等)の小売店チェーンWAVE、大型書店のリブロなどの事業も始める。
田中一光、山本耀司らとの交流の中から、無印良品のヒントを得たといわれる。糸井重里による「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などのキャッチコピーは西武百貨店を80年代文化の担い手として印象付けた。
また、海外有名ブランドの導入を積極的に推進し、エルメス、ラルフ・ローレン、イブ・サンローラン、アルマーニ、ミッソーニなどを日本の百貨店で最初に導入したのは西武百貨店をはじめとするセゾングループである。さらに、セゾン美術館などメセナのさきがけといわれる活動も始める。
1983年、自伝的小説『いつもと同じ春』で平林たい子文学賞受賞。しかしバブル崩壊により、金融機関からの借り入れに依存して事業の急拡大を進めていたセゾングループの経営は破綻を迎え、1991年に堤は同グループ代表を辞任。2000年には西洋環境開発(同年清算)を含むグループの清算のため、保有株の処分益等100億円を出捐し、セゾングループは解体された。
一方、1995年に堤清二名義で書き学位請求論文として中央大学に提出した『消費社会批判』が認められ、博士(経済学)の学位を取得(論文博士)。翌1996年に岩波書店から書籍化される。
1980年代までは、「実業家・堤清二」の活動が主となり、「詩人/小説家・辻井喬」は寡作だったが、セゾングループ代表辞任後は精力的に作家活動を展開。1992年、詩集『群青、わが黙示』を上梓し高見順賞受賞。1994年、『虹の岬』で谷崎潤一郎賞受賞。先述した「父との確執と、父への理解」に加え、自身の特異なプロフィールに由来する、大企業の経営者というモデルを通じた「人間の複雑な内面」の描写が小説の特徴であり、『父の肖像』(2004年)はその集大成といえよう。
2005年に堤義明が一連の不祥事で逮捕され、西武鉄道グループの再編・再建活動が活発化すると、義明への批判を展開。異母弟の猶二と共に、西武鉄道へ買収提案を行うなど、実業家、西武の創業者一族としての活動も展開した。
2000年には、小説『風の生涯』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞、詩の業績で藤村記念歴程賞受賞。2004年に『父の肖像』で野間文芸賞受賞。2006年3月には近作をはじめとする小説群の旺盛な創作活動により日本芸術院賞恩賜賞を受賞した。2006年、詩集『鷲がいて』により現代詩花椿賞受賞。2007年、同作により読売文学賞詩歌俳句賞受賞。同年、日本芸術院会員となる。2009年、『自伝詩のためのエスキース』で現代詩人賞受賞。2012年、文化功労者。
政治家にはならなかったが、父康次郎が池田勇人と仲が良かったことから[6][7][8]、池田や佐藤栄作、田中角栄、大平正芳ら政治家とも交流を続けた[7]。特に白洲次郎から生前「宮澤喜一を総理にするのを手伝え」と言われていたため、宮澤内閣の誕生にも関わっている[7][8]。角川春樹とは半世紀以上の親交を持ち[9]、角川春樹事務所の顧問も務めた。
「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めていた(辻井喬名義)[10]。中華人民共和国と太いパイプを持ち、1973年から28回も訪中していた[11]。
2013年11月25日、肝不全のため東京都内の病院で死去[12]。86歳没。2014年2月の帝国ホテルでのお別れの会は実行委員長をドナルド・キーンと林野宏が務め、麻生太郎副総理や森喜朗元内閣総理大臣などが参列し[13]、同年4月には偲ぶ会を日本中国文化交流協会が開き、加藤紘一や河野洋平らが出席した[11]。
家族・親族
堤家
- 父・康次郎(実業家、政治家)
- 母・操(元東京土地社長青山芳三の娘)
- 妹・邦子(エッセイスト。フランスに移住し、1974年にカジノ船「ソシエテ・リディア」を経営するも悉く倒産。西洋環境開発が損失補填をしたと言われる。1997年死去。)
- 先妻・素子(俳人山口氏の娘)
- 後妻・麻子(元芸妓、元産経新聞社、フジテレビジョン社長水野成夫の養女、セゾン文化財団副理事長、セゾン現代美術館評議員)
- 異母兄弟
- 淑子(母は康次郎の最初の妻コト、元西武鉄道社長小島正治郎の妻)
- 義明(母は石塚恒子、西武鉄道・コクド前会長)
- 康弘(母は石塚恒子。元豊島園社長)
- 猶二(母は石塚恒子。東京テアトル代表取締役前会長(2011年5月に辞任)、ホスピタリティ・ネットワーク(ホテルインターコンチネンタル東京ベイ運営会社)社長・ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル代表取締役会長・インターコンチネンタルホテルズグループ前会長、プリンスホテルスクール初代代表、旧プリンスホテル(コクドに吸収)初代社長)
- 清(母は岩崎その、元近江鉄道社長)
- 子供
- 康二(長男・セゾン文化財団理事、株式会社パルコ エンタテイメント事業部制作顧問、1958-)
- たか雄(次男・セゾン文化財団評議員、セゾン現代美術館代表理事、1970-)
主な刊行著作
詩集
- 不確かな朝(ユリイカ、1955年)
- 異邦人(ユリイカ、1961年)、第二回室生犀星詩人賞受賞
- 宛名のない手紙(紀伊国屋書店、1964年)
- 辻井喬詩集(思潮社、1967年)、のち現代詩文庫
- 誘導体(思潮社、1972年)
- 箱または信号への固執(思潮社、1978年)
- ようなき人の(思潮社、1989年) [ISBN 4783703019]
- 群青、わが黙示(思潮社、1992年)、第23回高見順賞受賞
- 過ぎてゆく光景 (思潮社 1994年)
- 時の駕車(角川書店、1995年) [ISBN 4048714821]
- 続 辻井喬詩集(思潮社現代詩文庫、1995年)
- 南冥・旅の終り(思潮社、1997年)
- わたつみ・しあわせな日日(思潮社、1999年)、一連の作品で第38回藤村記念歴程賞受賞
- 呼び声の彼方(思潮社、2001年) [ISBN 4783712778] 、※友人でもあった作曲家・武満徹に捧げられた追悼詩集。
- 鷲がいて(思潮社、2006年)現代詩花椿賞・第58回読売文学賞詩歌俳句賞受賞
- 自伝詩のためのエスキース(思潮社、2008年)、第27回現代詩人賞受賞
- 生光 (藤原書店、2011年)
- 死について(思潮社、2012年)
小説
- 彷徨の季節の中で (新潮社、1969年)のち文庫、中公文庫 ※自伝的小説
- いつもと同じ春 (河出書房新社、1983年) のち新潮文庫、中公文庫。第十二回平林たい子文学賞受賞
- 静かな午後 (河出書房新社、1984年) [ISBN 4309003737]
- 不安の周辺 (新潮社、1985年)のち文庫 [ISBN 410102524X]
- 暗夜遍歴 (新潮社、1987年)のち文庫、講談社文芸文庫 ※自伝的小説
- けもの道は暗い (角川文庫、1989年)のち「変身譚」ハルキ文庫
- 国境の終り―世の終りのための四章 (福武書店、1990年) [ISBN 4828823646]
- ゆく人なしに (河出書房新社、1992年) [ISBN 4309007597]
- 虹の岬 (中央公論社、1994年)のち文庫、第三十回谷崎潤一郎賞受賞 [ISBN 4122030560] 。※歌人にして住友財閥重役の川田順の恋愛事件を描いた。後に映画化された。
- 終わりなき祝祭 (新潮社、1996年)のち文庫 [ISBN 4101025266]
- 故なくかなし (新潮社、1996年) [ISBN 4103407077]
- 過ぎてゆく光景 (文藝春秋、1994年) [ISBN 416316040X]
- 沈める城 (文藝春秋、1998年) [ISBN 4163180109]
- 風の生涯(上・下)(新潮社、2000年) のち文庫。芸術選奨文部科学大臣賞受賞
- 西行桜 (岩波書店、2000年) [ISBN 4000009087]
- 命あまさず-小説石田波郷 (角川春樹事務所、2000年)のち文庫
- 桃幻記 (集英社、2003年) [ISBN 4087746402]
- 父の肖像 (新潮社、2004年) のち文庫(上・下)。野間文芸賞受賞 [ISBN 4103407123] 、※父・堤康次郎の人生を叙述。
- 終わりからの旅(朝日新聞出版、2005年) 新聞小説。のち文庫
- 萱刈 (新潮社、2007年)
- 幻花 (三月書房、2007年)※小品集
- 書庫の母 (講談社、2007年) [ISBN 4062141698]
- 遠い花火 (岩波書店、2009年) [ISBN 4000241427] 、半自伝的小説
- 茜色の空 (文藝春秋、2010年)のち文庫、※大平正芳を描く
評論・随筆
- 深夜の読書 (新潮社、1987年)のち文庫
- 現代中国とマーラー(1988年)『北海道新聞』1988年5月20日付夕刊・文化欄[15]
- 深夜の遡航 (新潮社、1989年)
- 深夜の散歩 (新潮社、1994年)
- 詩が生まれるとき-私の現代詩入門(講談社現代新書、1994年) [ISBN 4061491962]
- 深夜の唄声 (新潮社、1997年)
- 本のある自伝 (講談社、1998年) [ISBN 4062090929]
- ユートピアの消滅 (集英社新書、2000年) [ISBN 4087200663]
- 伝統の創造力 (岩波新書、2001年) [ISBN 4004307627]
- 深夜の孤宴 (新潮社、2002年) [ISBN 4103407115]
- 新祖国論 (集英社、2007年)
- 憲法に生かす思想の言葉 (新日本出版社、2008年) [ISBN 440605166X]
- 古寺巡礼 (角川春樹事務所、2009年) のち文庫 [ISBN 4758411387]
- かたわらには、いつも本-辻井喬書評集 (勉誠出版、2009年) [ISBN 4585055010]
- 私の松本清張論-タブーに挑んだ国民作家 (新日本出版社、2010年) [ISBN 4406053999]
- 司馬遼太郎覚書-『坂の上の雲』のことなど (かもがわ出版、2011年)[ISBN 4780304865]
- 流離の時代 (幻戯書房、2012年) [ISBN 4901998900]
堤清二名義
- 変革の透視図 脱流通産業論(トレヴィル、1985年)
- 堤清二・辻井喬フィールドノート (文藝春秋、1986年)
- 消費社会批判 (岩波書店、1996年)博士論文を改訂
- 叙情と闘争 辻井喬/堤清二回顧録(中央公論新社、2009年) のち文庫
主な共著・共編
- 錆(脇田愛二郎と共著、河出書房新社、1985年)
- 昭和の終焉-20世紀諸概念の崩壊と未来(日野啓三対談、トレヴィル、1986年)
- 堤清二=辻井喬対談集(トレヴィル、1988年)
- 世紀末ヴィジョン(吉田直哉と共著、創樹社、1990年)
- ケルトの風に吹かれて―西欧の基層とやまととの出会い(鶴岡真弓と共著、北沢図書出版、1994年)
- 恋心 日本の名随筆 別巻55(編著、作品社、1995年)
- 国立の小学校(大西健夫と共編、校倉書房、2007年)
- ポスト消費社会のゆくえ(上野千鶴子対談、文春新書、2008年)
- 心をつなぐ左翼の言葉(聞き手浅尾大輔、かもがわ出版、2009年)
- 無印ニッポン-20世紀消費社会の終焉(三浦展対談、中公新書、2009年)
- 辻井喬&山口二郎が日本を問う(山口二郎対談、平凡社、2011年)
- 世界を語る言葉を求めて 3.11以後を生きる思想(宮崎学対談、毎日新聞出版、2011年)
- うるわしき戦後日本(ドナルド・キーン対談、PHP新書、2014年)。ISBN 4569-82331-9
- わが記憶、わが記録 - 堤清二×辻井喬オーラルヒストリー(聞き手・編、御厨貴、橋本寿朗、鷲田清一、中央公論新社、2015年)。ISBN 978-4120047770
著作集
補作詞
関連文献
- 暗夜遍歴(講談社文芸文庫、柿谷浩一編、2007年)
- 巻末に初の書誌、詩人+小説家の側面を網羅した「年譜」、堤清二+辻井喬の「著書目録」を収録。
- 辻井喬-創造と鈍化(小川和佑、アーツランドクラフツ、2008年)
- 辻井喬論-修羅を生きる(黒古一夫、論創社、2011年)
- 辻井喬論(中村不二夫、土曜美術社出版販売、2016年8月)
- 辻井喬と堤清二(近藤洋太、思潮社、2016年10月)
- ユリイカ 特集=堤清二/辻井喬-西武百貨店からセゾングループへ 詩人経営者の戦後史(青土社、2014年2月号)
- セゾン文化財団の挑戦 誕生から堤清二の死まで(片山正夫、書籍工房早山、2016年2月)
- 辻井喬=堤清二 文化を創造する文学者(平凡社、2016年3月)、知人6名(菅野昭正、粟津則雄、松本健一、三浦雅士、山口昭男、小池一子)の回顧。
- 堤清二とセゾングループ(立石泰則、講談社文庫、1995年)
- 堤清二と昭和の大物(松崎隆司、光文社、2014年)
- 堤清二-罪と業 最後の「告白」(児玉博、文藝春秋、2016年)。第47回大宅壮一ノンフィクション賞受賞
関連人物
脚注
- ↑ 戸籍上は婚姻準正。「わが堤一族、血の秘密」(『文藝春秋』昭和六十二年八月号)は、青山操の姉の子であるとの証言を掲載している。
- ↑ ただし完全に同党とは決別した氏家とは異なり、被除名者との関わりを断つ日本共産党の中ではかなり希有な存在として堤は晩年まで友好的な関係を維持していた。一例として、2010年の第22回参議院議員通常選挙の前に同党公認候補だった小池晃参議院議員との対談を共産党機関紙の『しんぶん赤旗』紙上で行ったことが挙げられる。
- ↑ 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- ↑ 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会メルマガ会報 2013年11月29日号)
- ↑ 文藝春秋2015年6月号 堤清二「最後の肉声」
- ↑ 上之郷利昭『堤義明は語る』 講談社 1989年 ISBN 4-0618-4383-4 126頁
- ↑ 7.0 7.1 7.2 『叙情と闘争 -辻井喬+堤清二回顧録-』113-118、313-314頁
- ↑ 8.0 8.1 『堤清二と昭和の大物』107-120、228-252頁
- ↑ 辻井喬さん:人生最後の句は『過去を忘れたい』 毎日新聞 2016年05月09日閲覧
- ↑ マスコミ九条の会(よびかけ人はだれですか)
- ↑ 11.0 11.1 “程永華大使,故辻井喬日中文化交流協会前会長を偲ぶ会に出席”. 駐日中国大使館. (2014年4月10日)
- ↑ 堤清二さん死去 元セゾングループ代表 日刊スポーツ 2013年11月28日閲覧
- ↑ “堤清二氏お別れの会に2500人 セゾングループ創業者”. 日本経済新聞. (2014年2月26日)
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』327頁
- ↑ 雑談(82)音楽よろず話(14)マーラー生誕150年と中国 2010年11月1日 早稲田大学 水島朝穂
外部リンク
- セゾン文化財団 - 理事長を務めた
- 日本ペンクラブ - 電子文藝館で短編『亡妻の昼前』が読める。
- 日中文化交流協会 - 会長を務めた
- 堤家と西武グループ経営陣の闘い - nikkei BPnet