地震学
地震学(じしんがく、英語: seismology)とは、地震の発生機構、およびそれに伴う諸事象を解明する学問である。広義では地震計に記録される波形を扱う様々な研究を含む。
地域的特色
地震の発生は、日本・アメリカ合衆国西海岸・南アメリカ・インドネシアなどの環太平洋地域と地中海沿岸などに集中しており、他の地域ではほとんど起こらない。従って、地震に関する研究もこれらの地域で進んでおり、日本はアメリカ合衆国と並んで先進的な位置にある。
地震学の研究は大学や政府機関が主導する場合が多い。たとえばアメリカ合衆国のアメリカ地質調査所、日本の東京大学地震研究所、中華人民共和国の中国地震局などが挙げられる。ルーマニア・チリなどの準先進国・発展途上国でも政府機関主導の研究がさかんである。また、こうした国では地震による人的被害が大きくなる傾向にあるため、地震の研究は国家的課題である場合も少なくない。
歴史
古典的な地震学は、震源を点と見なし、地震計で観測された波を弾性波理論により説明することから始まった。
1950年代には、震源がシングル・カップルかダブル・カップルかという論争があり、ダブル・カップルであるという考えが認められ、1960年代のプレートテクトニクス理論を通じて、震源を断層とする考えが受け入れられていった。1970年代にはモーメント・テンソル・インバージョンが導入された。
地震学は地震波形を解明することが重要となる。そのため、地震学の進展は、地震計の性能や設置状況に大きく依存していた。たとえば、第二次世界大戦以後、アメリカ合衆国では核実験探知を目的として、西側諸国を中心に世界中に地震計を設置した。これらの地震計が今日の地震学の発展に大きく寄与している。また、1970年代頃まで、地震波記録は地震計が設置された場所で紙に記録されていたため、記録の回収と解析に多大な苦労を要した。しかし、1970年代後半から、アメリカ合衆国や日本では電磁的に記録して一元管理する体制(テレメーター)が整備され、それに伴い、地震学が大きく進展している。さらに、1990年代以降はGPSの利用が進み、地殻変動が広範かつ高精度で捉えられるようになると、測地学の分野から地震の様子を明らかにする動きが進んだ。
日本地震学会の一部の研究者は「地震予知」を標榜して観測研究を進めてきたが、近年、日本の政策は地震予知から、地震が起きた際の被害予測・災害対策へと重点が動きつつある。
教育
1970年代まで、地震学について詳述した書籍は非常に少なかった。1980年に安芸敬一とPaul G. Richardによって『QUANTITATIVE SEISMOLOGY』(邦題『地震学-定量的アプローチ』)が書かれ、地震学者や研究者を志す学生に愛読された。その後はアメリカを中心に、地震について網羅的に扱った書籍が次々と出版されている。日本では、宇津徳治の『地震学』が初学者に広く読まれているほか、同じく宇津の『地震活動総説』や宇佐美龍夫の『日本被害地震総覧』などが専門家の間でも普及している。
先進国では、大学において地震学教育を実施している。たとえば、日本では東京大学地震研究所や京都大学防災研究所などがその例である。一方で、発展途上国においては、21世紀初頭の今日においても、地震学の専門家の育成が急務となっており、アメリカや日本などに留学する者も多い。反対に、アメリカや日本の専門家が途上国で教育を行う場合もあり、人材交流に際して日本では国際協力機構が重要な役割を担っている。
また学問の性質上、一般市民への啓発が課題となっている。兵庫県南部地震の際には、近畿地方は活断層が多いと専門家らが認識していたにもかかわらず、市民の間には「京阪神周辺は地震が少ない」という地震安全神話があり、防災意識が低かったという反省から、専門家はあらゆる情報を分かりやすく伝えるという責任が再認識された。その後、一般市民を対象とした書籍が数多く出版され、講演なども活発に行われるようになっている。
地震学の諸分野
参考文献
- 地震活動総説 著:宇津徳治 出版:東京大学出版会 ISBN 978-4-13-060728-5
- 宇佐美龍夫:第1部 日本の地震学の歩み 第1章 わが国の地震学のあゆみ 特集: 日本の地震学百年の歩み 地震 第2輯 Vol.34 (1981) No. special P1-36, JOI:JST.Journalarchive/zisin1948/34.special_1
関連項目
外部リンク
- “公益社団法人日本地震学会”. . 011-09-02閲覧.
- “U.S. Geological Survey” (英語). . 2011閲覧.
- “Southern California Earthquake Center” (英語). . 2011閲覧.
- 松沢武雄:日本の地震学のあゆみ 地學雜誌 Vol.63 (1954) No.3 P127-132