地獄の門

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地獄の門(じごくのもん、: La Porte de l'enfer

ロダンの作品。 1880年パリの装飾美術館の門扉として,政府から制作を委嘱され着手したが未完成に終った。 88年政府は契約を破棄し,1900年に石膏型のまま公開された。ロダン生存中は鋳造されず,第1次世界大戦後,松方幸次郎の出資により2個鋳造され,1つはロダン美術館,1つは東京の国立西洋美術館にある。 615cm× 390cmのブロンズ製。欄間に『考える人』,頂上に3人の裸体『影』を置き,186の高浮彫の裸体群像で方形の門全面を埋める。ダンテの『神曲』と,L.ギベルティのフィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂の浮彫門扉『天国の門』 (1425~37) に想を得たといわれる。 1880年代にロダンはこの門の構想のなかから,『アダム』 (1880) ,『イブ』 (81) ,『ウゴリーノ』 (82~1901) など多くの独立した丸彫作品を生み出した。