和賀郡

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ファイル:Iwate Waga-gun.png
岩手県和賀郡の範囲(緑:西和賀町)

和賀郡(わがぐん)は、岩手県陸奥国陸中国)のである。

人口5,501人、面積590.74km²、人口密度9.31人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の1町を含む。

日本国内最大級のブナの巨木を抱える原生林と秋田県との県境をなす標高1,000m級の山々による和賀山塊が郡西部に位置する。

郡域

和賀郡(第1次)

1878年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね以下の区域にあたる。

和賀郡(第2次)

1897年(明治30年)に行政区画として発足した当時の郡域は、第1次和賀郡から北上市相去町と胆沢郡金ケ崎町六原を除いた区域にあたる。

歴史

和賀郡(第1次)

所属町村の変遷は西和賀郡#郡発足までの沿革東和賀郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照

和賀郡(第2次)

ファイル:Iwate Waga-gun 1889.png
1.黒沢尻町 2.鬼柳村 3.岩崎村 4.横川目村 5.藤根村 6.江釣子村 7.笹間村 8.飯豊村 9.二子村 10.更木村 11.立花村 12.中内村 13.谷内村 14.十二鏑村 15.小山田村 21.湯田村 22.沢内村(紫:北上市 桃:花巻市 赤:西和賀町 16は胆沢郡相去村)
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行により、西和賀郡および東和賀郡の大部分(相去村を除く)の区域をもって和賀郡(第2次)が発足。郡役所が黒沢尻町に設置。以下の町村が所属。(1町16村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和15年(1940年)12月25日 - 十二鏑村が町制施行して土沢町となる。(2町15村)
  • 昭和17年(1942年)7月1日 - 「和賀地方事務所」が黒沢尻町に設置され、本郡を管轄。
  • 昭和24年(1949年)4月1日 - 立花村の一部(立花)が黒沢尻町に編入。
  • 昭和29年(1954年
    • 1月1日 - 立花村が黒沢尻町に編入。(2町14村)
    • 4月1日 - 黒沢尻町・飯豊村・鬼柳村・二子村・更木村が胆沢郡相去村・江刺郡福岡村と合併して北上市が発足し、郡より離脱。(1町10村)
  • 昭和30年(1955年
    • 1月1日 - 土沢町・小山田村・谷内村・中内村が合併て東和町が発足。(1町7村)
    • 4月1日 - 岩崎村・藤根村・横川目村が合併して和賀村が発足。(1町5村)
    • 7月1日 - 笹間村が花巻市に編入。(1町4村)
  • 昭和31年(1956年)4月1日 - 和賀村が町制施行して和賀町となる。(2町3村)
  • 昭和39年(1964年)8月1日 - 湯田村が町制施行して湯田町となる。(3町2村)
  • 平成3年(1991年)4月1日 - 和賀町・江釣子村が北上市と合併し、改めて北上市が発足、郡より離脱。(2町1村)
  • 平成17年(2005年)11月1日 - 湯田町・沢内村が合併して西和賀町が発足。(2町)
  • 平成18年(2006年)1月1日 - 東和町が花巻市・稗貫郡石鳥谷町大迫町と合併し、改めて花巻市が発足、郡より離脱。(1町)

変遷表

行政

和賀郡長(第1次)
氏名 就任 退任 備考
1 明治11年(1878年)11月26日 明治12年(1879年)1月4日 分割により岩手郡廃止
和賀郡長(第2次)
氏名 就任 退任 備考
1 明治30年(1897年)4月1日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。

参考文献

関連項目

先代:
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行政区の変遷
- 1879年 (第1次)
次代:
東和賀郡西和賀郡
先代:
東和賀郡・西和賀郡
行政区の変遷
1897年 - (第2次)
次代:
(現存)