名誉革命
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Glorious Revolution
1688~89年イギリスで行われた革命。国王ジェームズ2世が追放され,オランニェ公ウィレム (ウィリアム3世 ) と妃メアリー (メアリー2世 ) が王位についたが,流血をみずに達成されたためこの名で呼ばれた。 85年即位したジェームズ2世は,審査法の適用免除により旧教徒を官職に登用し,信仰自由宣言を発して日曜日にそれを説教壇で朗読することを強制するなど,カトリック政策を推し進めたため,国民の不満は高まった。
88年6月七主教裁判事件と皇太子で,のち大王位僭称者と呼ばれた J.F.E.スチュアートの誕生を契機にトーリー,ホイッグ両党間の提携が成立,国王の長女でプロテスタントのメアリーとその夫オランダ総督ウィレムに救援の招請状が発せられた。 11月兵を率いたウィレムはトーベイに上陸。国民すべてが離反したのを知ったジェームズは王妃,皇太子に続いてみずからもフランスに亡命した。翌年1月仮議会はウィレムとメアリーを共同統治者に推し,即位の条件として「権利宣言」を提出した。2人はそれに署名して即位し,議会はあらためてそれを権利章典として制定。こうして 17世紀における議会と国王の対立に終止符が打たれ,議会主権体制建設の出発点が固まった。