可児郡
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人口17,780人、面積56.69km²、人口密度314人/km²。(2018年4月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 御嵩町(みたけちょう)
Contents
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。
歴史
近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領[1] | 23村 | 上野村、沢渡村、徳野村、金屋村、野市場村、新村、上屋敷村、船岡村、本郷村、前波村、宮瀬村、古市場村、沓井村、田尻村、塩河村、坂戸村、●下切村、今村、大針村、大藪村、北村、野中村、●長瀬村 |
旗本領 | 16村 | 室原村、村木村、乗里村、下田尻村、伊川村、山岸村、小作村、大原村、塩村、根本村、小木村(現・多治見市池田町)、長洞村、小名田村、柿下村、古屋敷村、淵之上村 | |
藩領 | 尾張名古屋藩 | 51村 | 錦織村、兼山村、土田村、●御嵩村、●中村、伏見村、廿原村、小木村(現・多治見市北小木町)、三之倉村、名荷村、菅苅村、中切村(現・可児市)、池田町屋村、古瀬村、●石原村、善師野村、川合村、送木村、谷迫間村、大森村、羽崎村、●久々利村、伊岐津志村、比衣村、井尻村、中切村(現・加茂郡七宗町)、宿村、美佐野村、次月村、津橋村、謡坂村、小原村、樋ヶ洞村、林垣外村、谷村、綱木村、小和沢村、大久後村、西洞村、前沢村、顔戸村、平貝戸村、柿田村、東柿田村、石井村、佐渡村、原見村、我田村、酒井村、丸山村、平芝村 |
幕府領・藩領 | 幕府領・名古屋藩 | 2村 | 石森村、中之郷村 |
幕府領・旗本領・名古屋藩 | 1村 | 瀬田村 | |
旗本領・名古屋藩 | 1村 | 矢戸村 |
- 慶応4年
- 明治初年 - 領地替えにより名古屋藩領の一部(大森村・久々利村・伊岐津志村・比衣村・井尻村・中切村・宿村・美佐野村・谷村・綱木村・小和沢村・大久後村・佐渡村・原見村・我田村・酒井村・丸山村・平芝村および羽崎村の一部)が笠松県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治7年(1874年)9月 - 以下の各村の統合等が行われる[2]。(74村)
- 2ヶ所存在した中切村がそれぞれ上中切村(現・加茂郡七宗町)・下中切村(現・可児市)に改称。
- 2ヶ所存在した小木村がそれぞれ南小木村(現・多治見市池田町)・北小木村(現・多治見市北小木町)に改称。
- 上恵土村 ← 新村、本郷村、上野村、前波村
- 下恵土村 ← 宮瀬村、古市場村、沓井村、上屋敷村、船岡村、沢渡村、徳野村
- 東帷子村 ← 善師野村、古瀬村、下中切村
- 西帷子村 ← 石原村、名荷村
- 伊香村 ← 村木村、乗里村、田尻村、下田尻村、伊川村、山岸村、小作村
- 今渡村 ← 野市場村、金屋村、川合村
- 明治8年(1875年)
- 1月 - 以下の各村の統合が行われる[3]。(52村)
- 久々利村 ← 丸山村、佐渡村、酒井村、原見村、平芝村、我田村、久々利村
- 柿田村 ← 東柿田村、柿田村
- 上之郷村 ← 井尻村、上中切村、宿村、美佐野村、次月村、津橋村、前沢村、大久後村、小和沢村、綱木村、林垣外村、谷村、樋ヶ洞村、小原村、謡坂村、西洞村
- 6月(50村)
- 南小木村・三之倉村が合併して諏訪村となる。
- 送木村が御嵩村に合併。
- 1月 - 以下の各村の統合が行われる[3]。(52村)
- 明治12年(1879年)2月18日 - 郡区町村編制法の岐阜県での施行により、行政区画としての可児郡が発足。郡役所が御嵩村に設置。
- 明治13年(1880年)10月 - 上之郷村の一部が分立して井尻村・中切村・宿村・美佐野村・次月村・津橋村・前沢村・謡坂村・小原村・西洞村・小和沢村・大久後村となる[4]。(62村)
- 明治15年(1882年)9月2日 - 羽崎村の一部が分立して二野村となる。(63村)
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)7月1日 - 町村制の施行により以下の町村が発足。(2町15村)
- 兼山町(兼山村が単独町制。現・可児市)
- 御嵩町(御嵩村が単独町制。現存)
- 平牧村 ← 二野村、羽崎村、大森村(現・可児市)
- 池田村 ← 池田町屋村、廿原村、諏訪村(現・多治見市)
- 広見村 ← 瀬田村、柿田村、淵之上村、平貝戸村、石森村、石井村、伊香村(現・可児市)
- 伏見村 ← 伏見村、比衣村、上恵土村(現・御嵩町)
- 姫治村 ← 下切村(現・多治見市、可児市)、谷迫間村、今村(現・可児市)、大藪村、大針村、北小木村 (現・多治見市)
- 今渡村 ← 今渡村、下恵土村(現・可児市)
- 上之郷村 ← 井尻村、中切村、宿村、美佐野村、次月村、津橋村、前沢村、謡坂村、小原村、西洞村、上之郷村、小和沢村、大久後村(現・御嵩町)
- 中村 ← 中村、顔戸村、古屋敷村(現・御嵩町)
- 久々利村 ← 久々利村、柿下村(現・可児市)
- 土田村(単独村制。現・可児市)
- 錦津村 ← 伊岐津志村、錦織村(現・加茂郡八百津町)
- 春里村 ← 矢戸村、塩村、坂戸村、塩河村、室原村、長洞村(現・可児市)
- 小泉村 ← 大原村、根本村、野中村、北村(現・多治見市)
- 豊岡村 ← 中之郷村、長瀬村、小名田村(現・多治見市)
- 帷子村 ← 東帷子村、菅刈村、西帷子村(現・可児市)
- 明治30年(1897年)8月1日 - 郡制を施行。
- 明治33年(1900年)7月19日 - 今渡村が町制施行して今渡町となる。(3町14村)
- 明治34年(1901年)6月10日 - 豊岡村が町制施行して豊岡町となる。(4町13村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正13年(1924年)1月1日 - 広見村が町制施行して広見町となる。(5町12村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和9年(1934年)8月1日 - 豊岡町が土岐郡多治見町に編入。(4町12村)
- 昭和19年(1944年)2月11日 - 小泉村・池田村が多治見市に編入。(4町10村)
- 昭和24年(1949年)4月1日 - 伏見村が町制施行して伏見町となる。(5町9村)
- 昭和27年(1952年)6月1日 - 中村が町制施行して中町となる。(6町8村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和35年(1960年)4月1日 - 姫治村の一部(大藪・大針・北小木および下切の一部)が多治見市に、残部(谷迫間・今並および下切の残部)が可児町にそれぞれ編入。(3町)
- 昭和57年(1982年)4月1日 - 可児町が市制施行して可児市となり、郡より離脱。(2町)
- 平成17年(2005年)5月1日 - 兼山町が可児市に編入。(1町)
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年7月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和49年 | 昭和50年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
豊岡村 | 明治32年 町制 |
昭和9年8月1日 土岐郡 多治見町に編入 |
多治見市の一部 | 多治見市の一部 | 多治見市の一部 | 多治見市 | |
池田村 | 池田村 | 昭和19年2月11日 多治見市に編入 | |||||
小泉村 | 小泉村 | ||||||
姫治村 | 姫治村 | 姫治村 | 昭和35年4月1日 多治見市に編入 | ||||
昭和35年4月1日 可児町に編入 |
昭和57年4月1日 市制 |
可児市 | 可児市 | ||||
今渡村 | 明治33年7月19日 町制 |
今渡町 | 可児町 | ||||
広見村 | 大正13年1月1日 町制 |
広見町 | |||||
土田村 | 土田村 | 土田村 | |||||
久々利村 | 久々利村 | 久々利村 | |||||
平牧村 | 平牧村 | 平牧村 | |||||
春里村 | 春里村 | 春里村 | |||||
帷子村 | 帷子村 | 帷子村 | |||||
兼山町 | 兼山町 | 兼山町 | 兼山町 | 兼山町 | 平成17年5月1日 可児市へ編入 | ||
御嵩町 | 御嵩町 | 御嵩町 | 昭和30年2月1日 御嵩町 |
御嵩町 | 御嵩町 | 御嵩町 | |
伏見村 | 伏見村 | 昭和24年4月1日 町制 | |||||
中村 | 中村 | 昭和27年6月1日 町制 | |||||
上之郷村 | 上之郷村 | 上之郷村 | |||||
錦津村 | 錦津村 | 錦津村 | 昭和30年2月1日 加茂郡 八百津町の一部 |
加茂郡 八百津町の一部 |
加茂郡 八百津町の一部 |
加茂郡 八百津町 |
脚注
- ↑ 右記のほか「池田八ヶ村山高」が記載されているが詳細不明。
- ↑ 明治7年9月岐阜県第187号布達
- ↑ 明治8年1月岐阜県第17号布達
- ↑ 旧・綱木村・林垣外村・谷村は上之郷村として残り、旧・樋ヶ洞村は小原村の一部となった。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 21 岐阜県
- 旧高旧領取調帳データベース
- 岐阜県市町村合併等経過一覧表 - ウェイバックマシン(2014年8月8日アーカイブ分)、岐阜県地域計画局市町村室