取手市
Contents
概要
地域の中央部を南北に水戸街道(国道6号)が通り、利根川の水運とあいまって、古くは宿場町だった。また、1970年代から1980年代にかけて東京都心のベッドタウンとして開発され人口が増加。それ以降、いわゆる「茨城都民」と呼ばれる住民が多くなった。
1995年をピーク[1]として以降、都心回帰現象の影響や、子供が成長して家を離れるケース(当初より核家族が目立った井野や戸頭では、団塊世代前後の夫婦のみが暮らし、子供は進学・就職・結婚等で取手を離れて他地域を生活拠点とするケース)も多く見受けられ、人口は減少傾向に推移している。その一方で世帯数は増加しており、少数世帯化・少子高齢化及び校舎の老朽化が進み、2008年(平成20年)から市内の小・中学校の大幅な統合が実施された。
2005年に北相馬郡藤代町との合併によって人口10万人を突破するとともに、茨城県の「まちづくり特例市」に認定され、土地利用や福祉関係等の県主要事務の権限移譲を受けており、現在取手駅周辺再開発・土地区画整理事業・宅地開発などが新たに行われている。市内では、現在URによる常総ニュータウン取手ゆめみ野の開発が進められている(ゆめみ野の詳細は常総ニュータウンの項目を参照)。また、東京芸術大学取手キャンパスが市内にあることから、「アートのまち取手」としてまちづくりを展開しており、その一環として1999年より市民と取手市、東京芸術大学の三者が共同で、取手アートプロジェクト(TAP=Toride Art Project略)を行っている。
地理
県庁所在地の水戸市まで60キロメートル (km) 、東京までは約40 kmに位置する。JR常磐線や常総線の駅を中心に市街地が広がる一方、田園地帯も多く残る。また、古くは水戸街道の宿場町だったことから、それに関連した史跡・文化財が多数見られる。交通面は、鉄道ではJR常磐線、関東鉄道常総線が、道路では国道6号と、そこから分岐する国道294号の事実上の始点があり、茨城県南地域の交通の要衝として機能している。
関東平野に位置し、利根川と小貝川に面していることから、かつては水害が多かった。現在でも、市南西部と南東部の台地上の地域を除くと、市域の多くで浸水の危険性が見られる。詳しくは浸水想定区域図を参照。しかし、近年は利根川、小貝川などの堤防の高機能化により、河川の氾濫に伴う浸水被害はほとんどなくなっている。一方、集中豪雨により市内の一部低地などでは道路が冠水するなどの被害が発生する。
- 市内を流れる河川:利根川、小貝川、北浦川、相野谷川、谷田川、西浦川、大野川
1911年(明治44年)から1920年(大正9年)の利根川河川改修によりできた、利根川を挟んだ千葉県側に「取手市小堀(おおほり)」と呼ばれる、いわゆる対岸飛地があり、市営渡し船である小堀の渡しによって結ばれている。また、小堀地区を循環するバスも運行されている。尚、この地区は古利根沼が千葉県我孫子市との境である。
「取手」の都市名の由来は、戦国時代に大鹿太郎左衛門の砦(大鹿城:現在の取手競輪場付近)があったことから名づけられたといわれている。ただし、平安時代末の11世紀には伊勢神宮の相馬御厨として、当市周辺の地名がすでに史料に記されており、さらに13世紀になると、稲村、戸頭、高井、大鹿などの地名も相馬氏の領地として史料に登場することから、正確な由来は判明していない。平将門が城堡(砦:とりで)を築いた事に由来するとの説もある。また、「取手」「鳥手」「鳥出」という標記がされている歴史書なども見受けられる。
隣接している自治体
- 茨城県
- 千葉県
人口
取手市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
- 1871年(明治4年)- 廃藩置県により、常陸国に属した現・久賀地区が新治県、下総国の属した小貝川以南が印旛県に属する。
- 1873年(明治6年)- 小貝川以南が千葉県に属する。
- 1875年(明治8年)- 小貝川以南が茨城県に編入される。新治県は廃止され、久賀地区も茨城県となる。
- 1885年(明治18年)- 地積編成により、取手村と大鹿村が合併して取手村になる。
- 1889年(明治22年)- 市制町村制の施行により、取手村と台宿村が合併して北相馬郡取手町になる。
- 1947年(昭和22年)- 取手町が井野村を編入。
- 1955年(昭和30年)- 寺原村、稲戸井村、高井村(旧同地村は守谷町へ分割編入)、小文間村を編入。
- 1963年(昭和38年)3月1日 - 現在の市章となる町章を制定。[2]
- 1970年(昭和45年)10月1日 - 市制施行。
- 1972年(昭和47年) - 市の木、市の花を制定。
- 1975年(昭和50年) - 「取手市民憲章」を制定。
- 1981年(昭和56年)11月1日 - 新町名に、新町五丁目(旧大字取手の一部)、新取手一丁目〜五丁目(大字寺田・野々井の各一部)を設定[3]。
- 1985年(昭和60年)11月1日 - 新取手5丁目の区域(旧寺田の一部)を追加設定[4]。
- 1995年(平成7年)10月2日 - 新町名として、中原町(旧大字取手・井野の一部)、井野台3丁目〜5丁目(旧大字井野の一部)を設定[5]。
- 2001年(平成13年) - 市の鳥を制定。
- 2005年(平成17年)3月28日 - 北相馬郡藤代町を編入。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 市の木・花・鳥を改訂(旧藤代町分も含めた形に変更)。
行政
歴代市長
- 中村金左衛門(1970年(昭和45年)、1期)※1955年(昭和30年) - 1970年(昭和45年)まで4期。旧取手町長。
- 海老原一雄(1970年(昭和45年) - 1979年(昭和54年)、2期)
- 菊地勝志郎(1979年(昭和54年) - 1995年(平成7年)、4期)
- 大橋幸雄(1995年(平成7年) - 2003年(平成15年)、2期)
- 塚本光男(2003年(平成15年) - 2007年(平成19年)、1期)
- 藤井信吾(2007年(平成19年) - 現職、3期目)
市役所庁舎
取手市では、本所機能を分散させた分庁舎方式を採用している。
- 取手市役所 - 総務部、政策推進部、財政部、健康福祉部、建設部、まちづくり振興部、議会事務局、監査事務局ほか
- 藤代庁舎 - 教育委員会、農業委員会、藤代総合窓口課、農政課
- 取手駅西口都市整備事務所 - 都市整備部
- 窓口等を設置している施設
- 取手支所(福祉会館内)
- 取手駅前窓口(リボンとりでビル3階)
- 戸頭窓口コーナー(戸頭公民館内)
財政
2008年度(平成20年度)は341億3,000万円の一般会計予算が組まれており、歳入の約57%が市税で、そのうち約35%が個人市民税、約27%がキヤノンやキリンビールなどの市内に事業所・工場が所在する企業の法人市民税で占める(法人税収入では、つくば市、水戸市に次ぐ茨城県内第3位、法人税割ではつくば市に次ぐ茨城県内第2位)。一般会計からの支出は民生費が最も多くを占め、ついで総務費、土木費、公債費が並ぶ。また、同年度は9つの特別会計で188億2,796万7,000円の予算が組まれている。
企業による法人税収入が茨城県内第3位と企業に恵まれた環境だが、全体では近年市町村民税法人税割が大幅に落ち込んでおり、2009年に地方交付税の交付団体となった。
負債に関しては、2006年度(平成18年度)末時点で、地方債現在高比率174.0%(茨城県内ワースト20)、実質的な債務残高比率186.3%(茨城県内ワースト21)、将来にわたる財政負担比率173.3%(茨城県内ワースト13)である。その一方で、経常収支に占める人件費率が34.9%(茨城県内ワースト8)と、近隣と比較して非常に高い人件費率となっており、旧藤代町との合併の影響による職員数の適正な定員管理が大きな課題となっている。
広域事務
- 取手地方広域下水道組合
- つくばみらい市の一部・当市の下水道処理を行っている。
- 龍ケ崎地方衛生組合
- 取手市外二市火葬場組合
- つくばみらい市・守谷市・当市で斎場の運営を行っている。
- 利根川水系県南水防事務組合
- 牛久市・つくば市・つくばみらい市・龍ケ崎市・当市の広域的な水防事務を行っている。
- 茨城県市町村総合事務組合
- 茨城県内市町村の職員退職手当の管理や、県民交通災害共済事業等の事務を行っている。
- 茨城租税債権管理機構
- 茨城県内市町村の一部の市税徴収代行事務を行っている。
第三セクター等
- 取手市土地開発公社
- 取手市都市開発公社
- 取手市健康福祉医療事業団
- 取手市文化事業団
- 取手市農業公社
警察・消防
管轄警察署
- 取手警察署(国道6号沿いにある警察署で、管轄は守谷市と北相馬郡利根町、当市である)
- 取手駅前交番
- 白山交番
- 戸頭交番
- 藤代地区交番
- 小文間駐在所
- 久賀駐在所
管轄消防署
- 取手消防署
- 戸頭消防署
- 吉田消防署
- 椚木消防署
- 宮和田出張所(2010年4月1日に宮和田消防署から椚木消防署の出張所に改組)
その他の機関
- 水戸地方法務局取手出張所
- 取手簡易裁判所
- 取手区検察庁
- 国土交通省下館工事事務所藤代出張所
- 国土交通省利根川下流河川事務所取手出張所
- 茨城県自転車競技事務所(取手競輪場)
- ※取手市ではなく、茨城県所管の施設である。
- なお、国税の所管は竜ヶ崎税務署(龍ケ崎市)、県税の所管は稲敷県税事務所(稲敷市)である。
経済
特産品
農業
商業
商業の中心地は取手駅前で、1973年3月23日に駅東口にカタクラショッピングプラザ、1985年に駅西口に取手とうきゅうが開店した。1986年8月には西友が撤退したが、1988年9月21日にボックスヒル取手店が開店し、1990年頃に取手駅前は最盛期を迎える。しかし、カタクラショッピングプラザは2001年のイトーヨーカドーの撤退後、キーテナントにマルエツ、ダイソーなどを入れたが2007年4月26日に閉店[6]。現在は取り壊されている。また、取手とうきゅうも2010年8月31日をもって閉店した。市内にはラーメン店を展開する『ゆにろーず』の本社と製麺所があり、ベイシアの出店計画も2005年より存在する[7]。そのような中、2012年度中に西友が取手とうきゅう跡地に出店すると報じられ[8]、「リボンとりで」として開業した(西友は1階部分に食料品販売のみで営業し、2階以上は専門店)。
市西部の戸頭では、街開き後にマスダやリブレ京成などのスーパーが出店し、新大利根橋・常総ふれあい道路の開通、隣接する守谷市の常総ニュータウン南守谷・ヒルズ美園などの開発が進むと、ジャスコ取手店が出店。さらに2001年(平成13年)にジャスコに隣接する場所にカルフール[9]、戸頭に隣接する米ノ井にベイシアが出店する予定であったが[10]、これらは中止となっている。しかし、カルフール予定地には、戸頭地内にあったケーズデンキが移転し、ホーマックも新規出店。2007年(平成19年)にはヤオコーが出店した。この他、戸頭にはジェーソンが出店した。2015年(平成27年9月)、イオン取手店(旧ジャスコ取手店)は閉店した。
工業
金融機関
- みずほ銀行取手支店
- 三井住友銀行取手支店
- 東日本銀行取手支店
- 常陽銀行取手支店、戸頭支店、取手西支店、藤代支店
- 筑波銀行取手支店、取手西支店、藤代支店、新取手出張所
- 中央労働金庫取手支店
- 水戸信用金庫取手支店、藤代支店
- 茨城県信用組合取手支店、藤代支店
- JAバンク取手支店、寺原支店、藤代支店、久賀支店
- ゆうちょ銀行
- 市内各郵便局が代理店として業務を行っている。(所在地は「郵便」節を参照)
郵便
国際交流
- 桂林市(中華人民共和国)
- ユバシティ (カリフォルニア州)(アメリカ合衆国)
- 取手市国際交流協会
地域
学校教育
大学
- 東京芸術大学取手キャンパス
市は1985年9月に目白女子大学(仮称。現在の目白大学)の誘致を行い、1986年1月に正式に取手市に建設する意向を受け、米ノ井地区が候補となったが[11]、建設は中止となった。
高等学校
茨城県立
私立
中学校
- 取手市立
- 取手第一中学校(昭和22年4月、北相馬郡学校組合立取手中学校本校(井野教場)として開校、昭和30年9月、寺原教場(分校)が取手第二中学校として開校により分離したため、取手第一中学校に改称、昭和54年4月、生徒増加により、取手第一中学校から分離し、取手東中学校として開校、平成24年3月、〈旧〉取手第一中学校と〈旧〉取手東中学校が統合により、両校が閉校し、4月から、現在の〈新生〉取手第一中学校となり、開校
- 取手第二中学校
- 永山中学校
- 戸頭中学校
- 藤代中学校
- 藤代南中学校
- 私立
小学校
- 取手市立
- 取手小学校
- 取手東小学校
- 白山小学校
- 寺原小学校
- 取手西小学校
- 永山小学校
- 高井小学校
- 戸頭小学校
- 藤代小学校
- 久賀小学校
- 山王小学校
- 宮和田小学校
- 六郷小学校
- 桜が丘小学校
- 私立
幼稚園
- 藤代幼稚園(市立)
- 光風台幼稚園
- あづま幼稚園
- チューリップ幼稚園
- チューリップ第二幼稚園
- 取手幼稚園
- 取手ふたば文化幼稚園
- 白山幼稚園
- みどりが丘幼稚園
- 戸頭幼稚園
- めぐみ幼稚園
- さつき幼稚園
- つつみ幼稚園
専修学校
- 取手歯科衛生専門学校
- 日本医療秘書専門学校(大阪府にある同名の学校とは無関係)
- 成田つくば航空専門学校
- 関東理工自動車専門学校
- つくば総合高等学園
職業訓練
社会教育
市立図書館
- 取手図書館
- ふじしろ図書館
市立公民館
- 中央公民館
- 小文間公民館
- 永山公民館
- 井野公民館
- 寺原公民館
- 戸頭公民館
- 白山公民館
- 藤代公民館
- 山王公民館
- 六郷公民館
- 相馬公民館
- 相馬南公民館
- 久賀公民館
- 高須公民館
その他の教育・文化施設
- 取手グリーンスポーツセンター
- 藤代スポーツセンター
- 市民会館、福祉会館
- 埋蔵文化財センター
- 白山子育て支援センター
- 戸頭子育て支援センター
- 藤代子育て支援センター
- 東部子育て支援センター
- 井野なないろ子育て支援センター(2020年1月、東部子育て支援センターから移行し、開所予定)
- 働く婦人の家・勤労青少年ホーム
福祉
保健衛生
- 取手市立保健センター(ウェルネスプラザ)
児童福祉(保育所)
- 取手市立
- 永山保育所
- 井野なないろ保育所(2020年1月、吉田保育所と舟山保育所を統合し、開園予定)
- 吉田保育所
- 舟山保育所
- 白山保育所
- 戸頭北保育所
- 中央保育所
- 久賀保育所
- 私立
高齢者福祉
- 老人福祉センターさくら荘
- かたらいの郷
- デイサービスセンターふれあいの郷
- 特別擁護老人ホームふれあいの郷
- 取手市介護老人保健施設緑樹荘
障害福祉
- あけぼの
- つつじ園
- もくせい園
医療
病院
- JAとりで総合医療センター
- 取手北相馬保健医療センター医師会病院
- 医療法人中村会 常総病院
- 医療法人櫻友会 取手中央病院
- 医療法人社団 宗仁会病院
- 医療法人西秀会 西間木病院
- 医療法人社団輝峰会 東取手病院
- 医療法人社団耕潤会 藤代病院
交通
鉄道
バス
道路
- 一般国道 - 国道6号、国道294号
- 県道 - 茨城県道11号、茨城県道19号、茨城県道47号、茨城県道58号(取手市内は国道294号と重複)、茨城県道130号、茨城県道170号、茨城県道208号、茨城県道210号、茨城県道211号、茨城県道219号、茨城県道229号、茨城県道251号、茨城県道269号、茨城県道270号、茨城県道327号、茨城県道328号、茨城県道502号(自転車道)
船
- 小堀の渡し(市営渡船) - 小堀渡船場、取手緑地運動公園サッカー場前、取手ふれあい桟橋を発着する
メディア
テレビ
取手市は民放キー局、NHK東京教育、NHK水戸総合、放送大学の放送対象地域である。また、放送対象地域外であるがほとんどの地域でNHK東京総合/チバテレ/TOKYO MXが視聴できる。
尚、アンテナの設置方向の関係(南の東京スカイツリー向きと、北の筑波中継局もしくは水戸放送局向きと、2つのアンテナを設置している住戸は実際ほぼ見当たらない)から、NHK総合テレビについても、NHK東京総合(JOAK-DTV)を設定、視聴している世帯が多いものと推定される。
リモコンキーID | 放送局名 | コールサイン | チャンネル |
---|---|---|---|
1 | NHK水戸総合 | JOEP-DTV | 49 (筑波中継局) |
2 | NHK東京教育 | JOAB-DTV | 26 |
3 | チバテレ (放送対象地域外) |
JOCL-DTV | 30 |
4 | 日本テレビ | JOAX-DTV | 25 |
5 | テレビ朝日 | JOEX-DTV | 24 |
6 | TBSテレビ | JORX-DTV | 22 |
7 | テレビ東京 | JOTX-DTV | 23 |
8 | フジテレビ | JOCX-DTV | 21 |
9 | TOKYO MX (放送対象地域外) |
JOMX-DTV | 16 |
12 | 放送大学 | JOUD-DTV | 28 |
ケーブルテレビは、土浦ケーブルテレビ(J:COM茨城)のサービスエリアである。
ラジオ放送
当市では茨城県内をカバーしている茨城放送のほか、千葉県のBayFMをはじめとして、在京AM・FM局や埼玉県のNACK5が聴取エリアである。聴取エリア内ではないものの、電波状況によっては、神奈川県のFMヨコハマや山梨県のFM-FUJI、栃木県のRADIO BERRYも聴取可能な場合がある。同じく、東京方面も含む近隣地域のコミュニティFMが聴取できることがある。
名所・旧跡・観光スポットなど
- 小貝川サイクリングロード
- 利根川の合流地点から茨城県下館市までの約60キロメートルのコースで、小貝川の左岸・右岸を取りかえながら堤防上を走っていける。また利根川との合流地点からそのまま利根川沿いを走ることもできる。(取手駅方面等)
- 新四国相馬八十八カ所霊場
- 現在の取手市 - 我孫子市周辺に現存する250年の歴史の巡礼地(取手市観光ガイド)
- とりで利根川大花火
- 取手駅にほど近い利根川の河川敷で行われる。橋の開通を記念し、1930年(昭和5年)に始まった。打ち上げ数は約8000発。有料観覧席2000席(例年7月1日に販売)開催は例年8月中旬。取手駅東側の旧水戸街道一帯は車両通行止めとなり多くの出店で賑わう。また、花火大会には珍しく仮設ゴミ捨て場が多く設けられる。しかし、向かいの千葉側では出店も少なく本部やスピーカー・ゴミ捨て場は設置されない。
- キリンビアパーク取手
- 小貝川フラワーカナル
- 小貝川土手沿い約3キロ程のエリアに、5月-6月と9月-10月頃にポピーやコスモスが一面に咲き、毎年花まつりが開催される。
- 八坂神社(もと牛頭天王社)例大祭[12]
- 関東三大御輿とされる大御輿の渡御や底抜け山車、神楽ばやしなど、例年8月1日 - 8月3日に行われ、取手駅東側の旧水戸街道一帯は車両通行止めとなり人で賑わう。取手八坂神社は1626年(寛永3年)創建、神輿は1812年(文政9年)に造られた。本殿・拝殿は取手市指定有形文化財。
- 取手アートプロジェクト(TAP=Toride Art Project略)
- 拝借景(アートスペース)
- 旧取手宿本陣(茨城県指定有形文化財、取手市指定史跡)
- 水戸街道の本陣跡、1795年(寛政7年)に建てられた建物が現存し無料公開されている。徳川斉昭歌碑が建っている。
- 米井山龍禅寺(竜禅寺)三仏堂(国の重要文化財)[13]
- 924年(延長2年)創建とも、937年(承平7年)に平将門が建立とも言われる。現存の三仏堂は室町時代後期の建築。
- 本多作左衛門重次(本多重次)の墓(茨城県指定史跡)
- 妻宛の「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな馬肥やせ」の簡潔な手紙で有名。晩年を現在の当市井野で過ごした。重次の菩提寺(本願寺:墓の東南約1km)に遺品等が収蔵されている。
- 大鹿山長禅寺三世堂(茨城県指定有形文化財)[14]
- 取手駅東側、急な階段を上り詰めた丘の上にある。931年(承平元年)平将門が創建と伝えられる寺院。
- 大日山古墳(茨城県指定史跡)
- 言い伝えではここは平将門の墳墓で、隣に将門の愛妾桔梗の住居があったとも言われている。
寺院
当市出身・ゆかりの有名人
- 平将門(武将)、将門は「相馬の小次郎」とも称したが、これは相馬郡にあった母の実家(現在の取手市寺田)で育ったことによる。
- 本多重次(三河三奉行)
- 酒詰治左衛門(治水)
- 広瀬誠一郎(利根運河開削者)
- 武藤完雄 - 東北大学名誉教授、消化器外科学・医学博士
- 武藤清(建築家)、東京大学教授、文化勲章受章
- 永田春水(日本画家)
- 服部正一郎(画家)
- 高野素十(俳人・医学博士)旧山王村生まれ。
- 坂口安吾(小説家)1938年から2年間、取手病院に住み込む。
- 折原啓子(映画女優)
- 木内幸男(高校野球監督)、取手第二高等学校甲子園優勝時の監督。
- 松沼博久(プロ野球選手)、取手第二高等学校OB
- 松沼雅之(プロ野球選手)、取手第二高等学校OB
- 大野久(プロ野球選手)、取手第二高等学校OB
- 石田文樹(プロ野球選手)、取手第二高等学校OB
- 吉田剛(プロ野球選手)、取手第二高等学校OB
- 野口祥順(プロ野球選手)、藤代高等学校OB
- 田口昌徳(プロ野球選手)、藤代紫水高等学校OB
- 井坂亮平(プロ野球選手)、取手東中学校(現・取手第一中学校)、藤代高等学校OB
- 美馬学(プロ野球選手)、藤代中学校、藤代高等学校OB
- 飯田真輝(プロサッカー選手)
- 輪湖直樹(プロサッカー選手)、旧北相馬郡藤代町出身。藤代南中学校OB
- 吉田豊(JRA騎手)、藤代中学校OB
- 吉田隼人(JRA騎手)、藤代中学校OB
- 長塚智広(競輪)、アテネオリンピック銀メダル、取手第一高等学校OB
- 十文字貴信(競輪)、アトランタオリンピック銅メダル、取手第一高等学校OB
- 井上貴子(女子プロレスラー) 、取手松陽高等学校OG
- 小川良成(プロレスラー)
- 堂島孝平(ミュージシャン)、大阪生まれ当市育ち、取手松陽高等学校OB
- 伊原直子(声楽家)当市在住、アルト歌手
- 豊嶋真千子(声優)
- 西村美月(NHK新潟放送局キャスター)
- 蛯原哲(日本テレビアナウンサー)
- 斎藤哲也(TBSアナウンサー)
- 中村慶子(NHKアナウンサー)
- 結城さとみ(NHKアナウンサー)
- 木内美穂(女優)
- 琴吉(大相撲呼出)
- 加藤啓子(女流棋士)
- 後藤仁(日本画家、アジアの美人画)一時、当市在住
- 蔡國強(現代美術家)1990年前後から5年間、当市在住
- 伊勢谷友介(俳優、モデル)、東京藝大取手キャンパスOB
- 廣枝音右衛門(台湾総督府警察の警察官。市内に墓と部下が建立した顕彰碑がある。)
その他
電話番号の市外局番
旧取手市域の市外局番は02977(小堀・取手の一部のみ0471)となっていたが、1986年(昭和61年)8月に桁ずれを行い、0297(市内局番は7X)に変更された。小堀・取手の一部は、0471区域(千葉県・柏MAと同じ地区の扱いである)の市内局番の不足に伴い2002年(平成14年)2月11日に04(市内局番は71XX)に変更された。
当市を舞台にした作品・歌謡
- 歌舞伎の演目にもなっている、江戸時代の取手宿が舞台(取手宿の旅籠屋の安孫子屋、取手宿から少し離れた利根川を望む高台にあるお蔦の家、等)
- NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」の原作でもある。
- 「日本文化私観」坂口安吾
- 筆者が取手に住んだ時のことについて書かれている。利根川に沿った小さな町で、とんかつ屋と蕎麦屋の他に食堂がなかったこと、框へ腰かけてコップ酒を飲む習慣「トンパチ」があり、村の百姓が「トンパチやんべいか」と言って親しんだこと、酒屋は一杯15銭だったり17銭だったり日によって仕入れ値段でまちまちだったことなど、1938年-1940年の取手の様子が書かれている。
- 一本刀土俵入を題材とした演歌。
- 『トトリ』というゆるキャラがいる。
関連項目
脚注
- ↑ “平成17 年国勢調査第一次基本集計結果概要 取手市”. 取手市役所. . 2012閲覧.
- ↑ 図典 日本の市町村章 p58
- ↑ “字区域の変更(昭和56年10月26日 茨城県告示第1526号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第6983号: pp.2-4, (1981年10月26日)
- ↑ “字区域の変更(昭和60年10月31日 茨城県告示1467号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第7395号: pp.1-2, (1985年10月31日)
- ↑ “町の区域の設定(平成7年9月14日 茨城県告示第1048号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第684号: p.2, (1995年9月14日)
- ↑ “◆◆◆弊社取手カタクラショッピングプラザ営業終了のお知らせ◆◆◆”. 片倉工業. . 2010閲覧.
- ↑ 平成20年第3回取手市議会定例会会議録(第4号)
- ↑ “東急ストア跡 西友が出店へ 茨城・取手駅西口”. 産経新聞. (2012年8月1日) . 2012閲覧.
- ↑ 平成13年第1回取手市議会定例会会議録(第2号)
- ↑ 平成13年第2回取手市議会定例会会議録(第2号)
- ↑ 広報とりで No.528 1988年7月1日
- ↑ 公式
- ↑ [1]、[2]
- ↑ 長禅寺、三世堂
- ↑ 公式
- ↑ 公式
- ↑ 公式