双葉町
双葉郡に属するが、1896年以前は標葉郡に属していた地域である。元々は新山町(しんざんまち)と長塚村(ながつかむら)であったが、これら2つが1951年に合併して標葉町(しねはまち)となり、その標葉町が1956年に改名して双葉町となった。
福島第一原子力発電所(東京電力)の5号機と6号機が立地していた[1]。2011年3月11日の東日本大震災で被災し、これに誘発されて同日に発生した福島第一原子力発電所事故(以下「福島原発事故」)の影響で、2017年4月現在もほぼ全域が「帰還困難区域」(除染・復旧工事関係者以外の一般住民の自由な行き来が終日制限される)に指定されている[2]。
Contents
地理
阿武隈山系の東に開けた浜通り地方の中部に位置し、東は太平洋に開ける[3]。行政上では、北の浪江町と南の大熊町に挟まれた位置にある。面積は51.40km2[3]。冬でも雪がほとんど降らないため、福島原発事故の発生前はカーネーションの栽培が盛んであった。
「双葉」という町名は、標葉郡(しねはぐん。夜ノ森以北、相馬氏領)と楢葉郡(ならはぐん。夜ノ森以南、岩城氏領)の合併に因んだ名称であり、こちらの双葉町は旧標葉郡に属する。
- 山 :十万山
- 河川 :前田川
隣接する自治体
歴史
古代
国造が割拠した7世紀前半には、現在の双葉町は、染羽国造(しめはのくにのみやつこ)の領土の南限であった。
しかし、律令制が浸透した7世紀後半には、現在の双葉町(長塚)と大熊町(苦麻)の境(概ね福島第一原子力発電所の付近)を境にして、長塚以北は陸奥国に編入された。この時、染羽国造の領土は、陸奥国の標葉郡(しねはぐん)となった。718年には陸奥国から分離されて石城国に編入されるも、720年代には石城国は陸奥国に編入された。
標葉氏統治時代
平安時代末期の保元年間(1156年 - 1158年)になると、請戸城を本拠地とする標葉隆義の統治下に入り、これ以後はの現双葉町は標葉郡を領土とする標葉氏の統治下に置かれた。現 双葉町の旧名である新山町は、元弘元年(1331年)に標葉隆連が築いた新山城に因んだ名称である。この後に、標葉氏は再び浪江を本拠地とするようになった。
相馬氏統治時代
1492年になると、標葉氏は相馬氏に滅ぼされ、これ以後の戦国時代後半から戊辰戦争終結まで、現在の双葉町域は相馬氏の統治下に置かれた。江戸時代の中村藩政下では、浜街道長塚宿の宿場町であった。
戊辰戦争勃発から第二次大戦終結まで
- 明治元年(1868年) - 戊辰戦争が勃発し、現在の双葉町域でも磐城の戦いがおこった。この結果、中村藩は明治政府軍に敗北する。
- 明治4年7月14日(新暦 : 1871年8月29日) - 廃藩置県により中村県が成立する。
- 明治4年11月29日(新暦 : 1872年1月9日) - 中村県と平県が合併されて磐前県が成立し、現在の双葉町域は同県に属する。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 磐前県・福島県・若松県が合併し、現在の福島県が成立し、現在の双葉町域は同県に属する。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、標葉郡新山村(しんざんむら)と長塚村が発足する。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 標葉郡が楢葉郡と合併し、双葉郡となる。
- 1898年(明治31年)8月23日 - 常磐線長塚駅(現在の双葉駅)が開業する。
- 1913年(大正2年)2月1日 - 新山村が町制施行して新山町(しんざんまち)となる。
第二次世界大戦終結から福島原発事故発生まで
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 新山町と長塚村が合併し、標葉町(しねはまち)が発足する[4]。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 標葉町から双葉町に改名する[5]。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 浪江町の旧 請戸村域から中野地区、両竹地区(一部)を編入する[6]。
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 浪江町の旧 請戸村域から中浜地区(一部)、両竹地区(一部)を編入する[7]。
- 1971年(昭和46年)3月26日 - 原子力発電所が営業運転開始。それまで農業の出来ない冬には出稼ぎに行っていた大熊町・浪江町など福島の海岸地帯の住民は原発関連の仕事をすることで一年中、地元で働けるようになったため、双葉町でも安定的な働き口とかなりの補助金を与えてくれた“福の神”とされていた[8]。
- 1994年(平成6年) - 瑞穂町 (京都府)と姉妹都市連携を行う。
- 2001年(平成13年) - 双葉町の公式サイトを開設する。双葉北幼稚園・南幼稚園が合併し「ふたば幼稚園」が発足する。
- 2005年(平成17年) - マスコットキャラクターにフタバくんが決定する。
- 2009年(平成21年) - 2008年度決算で、借金返済の重さを示す実質公債費比率が基準値の25%超の29.4%となり、早期健全化団体に指定される。
福島原発事故以後
- 2011年(平成23年)
- 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、町内で震度6強を観測する。
- 3月12日 - 大熊に立地する福島第一原子力発電所で、1号機が水素爆発する(福島第一原子力発電所事故)。
- 3月19日以降、原発事故の影響を受けて住民の避難が必至となり、約1,200人の被災住民は役場の機能ともに埼玉県さいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナへ集団避難したほか、住民によっては他の場所にも避難した[9][10]。
- 3月30日 - 31日 - 役場の機能および避難住民が、埼玉県加須市にある廃校(旧 埼玉県立騎西高等学校)へ再移転・移動し、同所にある校舎を拠点とする[11][12][10]。また、避難した小中学生は4月より移動先の学区の学校に転入する[13]。
- 10月31日 - 旧騎西高避難所でのプライベートのない生活に次第に不満が高まる。町は「できるだけ放射線の危険から、町民を離したい。安全が確認されるまでは(主な機能は)埼玉に」と主張するが、福島県内で避難生活を送る町民からは「われわれの安全はどう考えてくれるのか」との声があがる[14]。
- 12月28日 - 細野豪志環境相兼原発事故担当相が東京電力福島第一原発事故による汚染廃棄物を受け入れる中間貯蔵施設を双葉郡内に整備する意向を佐藤雄平知事と地元首長に正式に伝えた[15]。
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)
- 1月5日 -町長井戸川克隆は避難先の埼玉県加須市で行われた仕事始めの訓示で「目標を暫定的に30年後とする」との方針を示した[17]。
- 1月23日 - 町長が2月12日付けでの辞職を表明する。
- 5月28日 - 町域が、「帰還困難区域」と「避難指示解除準備区域」の2つに再編される[18]。
- 日中の立ち入りが許される「避難指示解除準備区域」に指定されたのは沿岸部の3地区、町の4%に過ぎず、残り96%の地域は「帰還困難区域」に指定されており、除染と瓦礫撤去作業に携わる作業員以外の一般住民は一時帰宅を含めた町内への立ち入りが厳しく制限されている。
- 6月11日 -町長伊沢史朗は旧騎西高避難所閉鎖に向け、福島県いわき市内に町民向けの集合住宅を新たに確保する方針を示した。「旧騎西高避難所の町民の約半数が埼玉県に残りたいと考えている」アンケート結果を県に報告した事を明らかにした[19]。
- 6月17日 -福島県いわき市内に町役場仮庁舎「いわき事務所」開所[20]。
- 7月19日 - 双葉町は埼玉県加須市の旧騎西高避難所を閉鎖する方針を固め、避難所の住民に移転先の希望を聞く調査を行った[21]。
- 2014年(平成26年)
- 3月27日 - 町は埼玉県加須市の旧騎西高避難所を埼玉県に返還した。2013年12月に最後の住民が退去し、片付けと清掃が完了したため。町長伊沢史朗が埼玉県知事上田清司に謝意を伝え鍵を渡した[22]。
- 5月7日 - 小学館の漫画誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」に掲載された漫画「美味しんぼ」に、福島第一原発を訪れた主人公らが原因不明の鼻血を出す場面があった問題で、町は小学館に抗議文を発送した。抗議文の内容は「原因不明の鼻血などの症状を訴える町民が大勢いるという事実はない」「風評被害を生じさせ、双葉町民と福島県民への差別が助長されると危惧している」というもの[23]。
- 8月24日 - 町が福島県いわき市錦町に建設を進めてきた、ふたば幼稚園、双葉南、双葉北両小、双葉中の仮設校舎が完成し、落成式が行われた[24]。
- 11月7日 - 双葉町民向けに福島県が整備した県営の災害公営住宅、鉄筋コンクリート造り3階建て1棟(20戸)が福島県郡山市で完成した[25]。
- 2015年(平成27年)
行政
町役場
- 福島県双葉郡双葉町大字新山字前沖28番地に所在するが、福島第一原子力発電所事故により2011年3月19日に埼玉県内に移転し、2013年6月17日にいわき市に移転。
- 双葉町役場いわき事務所が福島県いわき市東田町2丁目19-4に置かれ、実質的な町役場として機能している[30]。
町長
- 町長:伊澤史朗(2013年(平成25年)3月10日就任、1期目)
- 歴代町長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 天野楯夫 | 1951年(昭和26年)4月30日 | 1955年(昭和30年)4月29日 | |
2 | 冨沢理七 | 1955年(昭和30年)4月30日 | 1963年(昭和38年)4月29日 | 在職中町名変更 |
3 | 田中清太郎 | 1963年(昭和38年)4月30日 | 1985年(昭和60年) | |
4 | 岩本忠夫 | 1985年(昭和60年)12月8日 | 2005年(平成17年)12月7日 | |
5 | 井戸川克隆 | 2005年(平成17年)12月8日 | 2013年(平成25年)2月12日 | |
6 | 伊澤史朗 | 2013年(平成25年)3月10日 | 現職 |
姉妹都市・提携都市
地域
人口
2015年は全住民避難に伴い計測不能(0人)のため、記載されていない。
双葉町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
学校
原発事故により双葉高等学校はいわき明星大学に校舎を設置している。また、小中学校はすべて休校している。
- 福島県立双葉高等学校
- 双葉町立双葉中学校
- 双葉町立双葉北小学校
- 双葉町立双葉南小学校
交通
道路
- 一般国道
- 主要地方道
- 一般県道
- 高速道路
鉄道
路線バス
名所旧跡・観光スポット・祭事・催事
出身著名人
脚注・出典
- ↑ 1号機から4号機までは隣接する大熊町に立地していた。
- ↑ 福島県庁 (2017年4月1日). “避難指示区域の状況” (日本語). ふくしま復興ステーション 復興情報ポータルサイト. . 2017閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 “双葉郡双葉町 - 市町村詳細データ”. ふくしま・ふるさとUIターン(公式ウェブサイト). 双葉町. . 2011閲覧.
- ↑ 1951年5月19日、総理府告示第150号「町村の廃置分合」
- ↑ 1956年3月31日、総理府告示第135号「町の名称変更」。
- ↑ 1958年4月1日、総理府告示第94号「町の境界変更」。
- ↑ 1960年4月1日、総理府告示第110号「町の境界変更」。
- ↑ [ルポ]「原発事故から6年、まだ故郷に戻れません」 2017年3月9日
- ↑ 双葉町 役場ごとさいたま市へ - NHK(2011年3月19日付)
- ↑ 10.0 10.1 東日本大震災:アリーナ避難者、全員移転終える/埼玉 - 毎日新聞社(2011年4月1日付)
- ↑ 双葉町 公式ウェブサイト〈災害版〉、2011年4月1日閲覧。
- ↑ 福島・双葉町の避難住民、加須市の廃校に避難場所移転 - FNN(2011年3月30日付)
- ↑ “福島原発事故 集団避難・双葉町の小中高生 制服新調や転入説明会”. 東京新聞(ウェブサイト). 東京新聞社 (2011年4月3日). . 2011閲覧.
- ↑ “苦悩する自治体/双葉町(25) 迫られる重い決断 町民の不満どう受け止める”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2011年10月31日). . 2015閲覧.
- ↑ “大熊、双葉町など候補地 中間貯蔵施設 環境相が正式要請”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2011年12月29日). . 2015閲覧.
- ↑ “会長の井戸川双葉町長辞任 後任に山田広野町長 双葉地方町村会”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2012年12月11日). . 2015閲覧.
- ↑ “双葉町長「帰還まで30年」 仕事始めで表明 セシウム半減期理由に”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2013年1月5日). . 2015閲覧.
- ↑ 福島・双葉町、2区域に再編 住民帰還、見通し立たず - MSN産経ニュース(2013年5月28日付)
- ↑ “いわきに集合住宅確保へ 双葉町、避難所閉鎖見据え”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2013年6月12日). . 2015閲覧.
- ↑ “古里絆より強く 顔合わせ活動充実へ 双葉町役場いわき開所 「つながりなくさない」”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2013年6月18日). . 2015閲覧.
- ↑ “大熊、双葉町など候補地 埼玉の避難所 年内にも閉鎖 双葉町が方針 23日から住民に移転先希望調査”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2013年7月20日). . 2015閲覧.
- ↑ “埼玉県に旧騎西高返還 双葉町長、上田知事に鍵渡す”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2014年3月28日). . 2015閲覧.
- ↑ 美味しんぼ問題 小学館に抗議文 双葉町 - 福島民報「福島第一原発事故」アーカイブ(2014年5月8日付)
- ↑ “双葉町の幼稚園、小・中学校仮設校舎がいわきに完成 施設充実、学び後押し”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2014年8月25日). . 2015閲覧.
- ↑ “初の県営災害公営住宅 郡山に2棟完成 富岡、双葉町民が入居へ”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2014年11月8日). . 2015閲覧.
- ↑ “双葉町も中間貯蔵建設受け入れ 予定地2町足並みそろう”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2015年1月14日). . 2015閲覧.
- ↑ “双葉でも搬入開始 中間貯蔵”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2015年3月26日). . 2015閲覧.
- ↑ “双葉町保有の震災資料HPで公開”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2015年4月17日). . 2015閲覧.
- ↑ “双葉で本格除染開始 環境省 特別地域全て着手”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2015年5月21日). . 2015閲覧.
- ↑ 双葉町. “双葉町” (日本語). . 2017閲覧.
- ↑ 常磐道の追加インターチェンジの設置について 国土交通省 2015年6月12日掲載・閲覧
- ↑ 常磐道のIC設置を許可=18、19年度に2カ所-太田国交相 時事ドットコム 2015年6月12日掲載・閲覧
- ↑ Futaba Rose Garden(HPアーカイブ)
参考文献
- 『双葉町史』第一巻(福島県双葉郡双葉町、1995)
関連項目
- 双葉町 (福島県双葉郡旧上岡村) - 1950年から1955年まで、双葉郡に存在した町。現在は富岡町の一部。現存の双葉町域は旧標葉郡(旧相馬氏領)に属するが、この町があった富岡町域は旧楢葉郡(旧岩城氏領)に属する。
- 標葉郡
- 浜通り
- 福島第一原子力発電所
- 福島の原子力発電所と地域社会
- 福島第一原子力発電所7、8号機の増設計画の経緯
- 福島第一原子力発電所事故 / 大熊町
- 原子力明るい未来のエネルギー
外部リンク
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