南諸県郡
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郡域
1883年(明治16年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
歴史
郡発足までの沿革
- 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている、日向国諸県郡のうち後の本郡域の明治初年時点での村は以下の通り[1]。特記以外は全域が現・志布志市。(25村)
- 明治4年
- 明治5年(1872年)4月 - 下財部村の所属郡が大隅国囎唹郡に変更。
- 明治6年(1873年)1月15日 - 全域が宮崎県(第1次)の管轄となる。
- 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。
- 明治12年(1879年)
郡発足以降の沿革
- 明治16年(1883年)5月9日 - 宮崎県(第2次)の発足にともない、諸県郡のうち鹿児島県に所属する区域をもって南諸県郡が発足。「垂水郡役所」が管轄。
- 明治20年(1890年)5月9日 - 「岩川郡役所」の管轄となる。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、各郷に松山村、志布志村、大崎村が発足。(3村)
- 明治24年(1891年)2月(6村)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「岩川郡役所」が管轄する東囎唹郡・南諸県郡の区域をもって囎唹郡が発足。同日南諸県郡廃止。旧郡域が大隅国の所属となる。
方言
もともと日向国であったため、言語面でも諸県弁と共通する特徴が多く、アクセントは都城市などと同様の統合一型アクセントを用いる。
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代: 諸県郡 |
行政区の変遷 1883年 - 1897年 |
次代: 囎唹郡 |