南海平野線

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停留場・施設・接続路線

廃止当時の状況

eABZq+l BHFq
0.0 今池 阪堺線
exBUE
堺筋
exBHF
0.4 飛田
uexSKRZ-Mu
阪神高速14号松原線
uxKRZ+xl uBHFq
上町線
exBHF
1.2 阿倍野(斎場前)
exBUE
庚申街道
exBHF
1.7 苗代田
exBUE
あびこ筋
xKRZt
大阪市営地下鉄御堂筋線
exBHF
2.2 文ノ里
exBHF
2.7 股ヶ池
xKRZu
国鉄阪和線
exBHF
3.3 田辺
exBHF
3.8 駒川町
xKRZu
近鉄南大阪線
exBHF
4.3 中野
exWBRÜCKE
今川
exBUE
今里筋
exBHF
5.4 西平野
exBUE
国道309号
exKBHFe
5.9 平野

平野線(ひらのせん)は、大阪府大阪市西成区今池停留場から同市平野区平野停留場までを結んでいた南海電気鉄道軌道路線。

今池駅で南海阪堺線(現在の阪堺電気軌道阪堺線。厳密にいうと、今池駅から約100m南側にある南海天王寺支線立体交差する鉄橋を越えた地点)から分岐し、現在の阪神高速14号松原線にほぼ沿う形で平野駅までを結んでいた。平野駅は現在の西日本旅客鉄道関西本線(JR西日本)の平野駅大阪市営地下鉄谷町線(現・OsakaMetro谷町線)の平野駅とは別の位置にあった。

開業以来、大阪市中心部と同市南東部を結ぶ交通手段として重要な役割を担ってきたが、1980年(昭和55年)11月27日に当路線の阿倍野 - 西平野間のほぼ真下に沿って大阪市営地下鉄谷町線の天王寺 - 八尾南間の路線が延伸開業したため、それまで担ってきた役割を同線に譲るかたちで同日限りで廃止され、66年の歴史に幕を閉じた。

路線データ

  • 管轄:平野運輸区
  • 路線距離(営業キロ):今池 - 平野間 5.9km
  • 軌間:1435mm
  • 駅数:11駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:全線
  • 電化区間:全線電化(直流600V)
  • 変電所:中野変電所
  • 車両基地:大和川車庫(現在の阪堺電気軌道我孫子道車庫)
  • 車両工場:大和川検車区(現在の阪堺電気軌道大和川車両区)

歴史

1913年 (大正2年)2月14日、阪南電気軌道株式会社が大阪府西成郡今宮村今池(現在の大阪府大阪市西成区萩之茶屋付近) - 大阪府東成郡平野郷町(現在の大阪府大阪市平野区平野本町)間の軌道敷設の認可を得て工事を開始した。阪南電気軌道は半年後の1913年 (大正2年)7月16日に阪堺電気軌道株式会社と合併したため、同社が工事を引き継いだ。そして、1914年 (大正3年)4月26日に今池 - 平野間5.9kmが阪堺電気軌道(初代)平野支線として開業した。1915年には南海鉄道と合併し、南海平野線となった。

沿線は当時、郊外の農村地帯だったが、同線の開業により住宅地として発展することとなった。そして、大阪市都心部 - 平野方面への旅客流動が既存の恵美須町駅方面よりも、天王寺駅(阿倍野駅で上町線に乗り換え、または徒歩)へと向かう乗客が増加したことから、上町線と平野線とが平面交差する阿倍野交差点に連絡線を建設し、1929年から天王寺駅前 - 平野間の直通運転を開始した。また旅客の増加に伴い、1929年 (昭和4年)12月8日からは2両連結運転を開始した。

しかし1951年(昭和26年)12月20日、それまで天王寺止まりであった大阪市営地下鉄1号線(のちの御堂筋線)が昭和町駅まで延伸された。昭和町駅は南海文ノ里停留場と近接していたことから、それに伴い平野線乗客の多くが文ノ里停留場で昭和町駅へと乗り換えるようになった。そのために乗客が減少し、2両連結運転も中止された。

その後、沿線の宅地開発とこれに伴う著しい人口増加に対応するため、1971年 (昭和46年)12月の都市交通審議会において、「この地域に高速鉄道の整備が必要」と答申された。

それを受けて大阪市交通局1973年 (昭和48年)3月から平野線の阿倍野 - 西平野間に並行するルートで、大阪市営地下鉄谷町線・天王寺 - 八尾南間10.5kmの延伸工事を始めた。

また、阪神高速道路公団(現在の阪神高速道路株式会社)が、阿倍野入口と松原JCTとを結ぶ阪神高速14号松原線の建設を計画していたことから、1978年(昭和53年)11月26日に、10年間の使用貸借契約を条件として、阿倍野 - 西平野間4.2kmの専用軌道区間の鉄道用地を阪神高速道路公団に売却した。谷町線と阪神高速松原線は同時並行で着工された。

谷町線は、南海平野線の代替に加えて、それまで大阪市営バスしか交通手段がなかった平野区長吉方面と大阪市都心部とを直結する輸送機関として、1980年 (昭和55年)11月27日に開業した。これに伴い平野線は、1980年 (昭和55年)11月28日に廃止された。1980年11月27日の1日に限り、谷町線と平野線の両方が同時に運行していた。

平野線の最終営業日となった1980年 (昭和55年)11月27日は、始発電車から終日無料として開放された。この日限りで姿を消す平野線、また平野線専用車両として運用され廃線と同時に廃車となることが決定していたモ205型電車を惜しんで、沿線住民や鉄道ファンらが早朝から詰め掛けた。沿線の各駅では、明浄学院高等学校の吹奏楽部による『蛍の光』の演奏、幼稚園児から乗務員への花束贈呈、鉄道友の会主催のお別れ会、西平野駅では地車囃子の演奏などの行事が開催された。

年表

  • (明治の終わり頃)
    • 阪南電気軌道が大阪府西成郡今宮村字今池から大阪府東成郡平野郷町に至る3.48マイルの軌道敷設を計画。
  • 1912年(大正元年)
    • 阪南電気軌道が大阪府西成郡今宮村字今池から大阪府東成郡平野郷町に至る3.48マイル軌道敷設を出願。
  • 1912年(大正元年)
    • 軌道法』に基づき、大阪府西成郡今宮村字今池から大阪府東成郡平野郷町に至る3.48マイルの軌道敷設特許、並びに命令書が交付される。
  • 1913年(大正2年)2月14日
    • 大阪府西成郡今宮村字今池から大阪府東成郡平野郷町に至る3.48マイルの軌道敷設の認可を得て、阪南電気軌道株式会社設立され、正式に発足。
    • 資本金60万円(現在の価格に換算すると、約10億3000万円)。
  • 1913年大正2年)
    • 阪南電気軌道株式会社に対して工事施工認可が下りる。
  • 1913年(大正2年)
    • 今池 - 平野間5.9kmの軌道敷設工事着工。
  • 1913年(大正2年)7月16日
    • 旧・阪堺電気軌道が阪南電気軌道を合併し、今池 - 平野間の軌道敷設事業を継承するとともに、資本金を360万円(61億8317万円)に資本増強。
  • 1914年(大正3年)4月26日
    • 旧・阪堺電気軌道株式会社が今池 - 平野間5.9kmの路線を平野支線として旅客営業を開始。全区間4銭。
  • 1915年(大正4年)4月
    • 阪堺電気軌道と南海鉄道との切符の共通取扱開始。
  • 1915年(大正4年)6月21日
    • 阪堺電気軌道が南海鉄道と合併し、旧・阪堺電気軌道平野支線は、南海鉄道平野線となる。
  • (不明)
    • 平野 - 柏原間の延伸を計画。
  • (不明)
    • 平野 - 柏原間の軌道敷設を出願。
  • 1921年(大正10年)6月7日
    • 軌道法に基づき、南海鉄道に対して平野線、平野 - 柏原間の軌道敷設特許、並びに命令書が交付される。
  • 1922年(大正11年)3月
    • 路面電車としては日本国内初となる色灯三位式自動閉塞信号機を導入。
  • 1923年(大正12年)
    • 天王寺土地株式会社から文ノ里駅の駅施設が寄付される。
  • 1923年(大正12年)
    • 苗代田 - 股ヶ池間に文ノ里駅を新設し、旅客営業を開始。
  • 1929年(昭和4年)9月1日
    • 南海鉄道上町線と平面交差する阿倍野(斎場前)交差点に南海鉄道上町線・天王寺駅前方面への連絡線が完成。
  • 1929年(昭和4年)12月8日
    • 2両連結運転開始。「天王寺駅前 - 平野」系統の運行を開始。
  • 1934年(昭和9年)9月21日
  • 1935年(昭和10年)8月10日
    • 中野 - 平野間に中野変電所を新設。
  • 1935年(昭和10年)9月13日
    • 平野 - 柏原間の軌道敷設免許失効。
  • 1940年(昭和15年)4月1日
  • 1941年(昭和16年)6月15日
    • 大阪市電との連絡運輸を廃止。
  • 1942年(昭和17年)2月15日
    • 中野 - 平野間に西平野駅を新設し、旅客営業を開始。
  • 1944年(昭和19年)6月1日
  • 1947年(昭和22年)6月1日
    • 旧・南海鉄道の路線が南海電気鉄道に分離譲渡。同社大阪軌道線の一路線となり、南海電気鉄道平野線となる。
  • 1949年(昭和24年)1月10日
    • 集電装置がトロリーポールからビューゲルになる。
  • 1954年(昭和29年)4月11日
    • 戦時中から休止となっていた「天王寺駅前 - 平野」系統の運行を再開。
  • 1960年(昭和35年)6月
    • 2両連結運転中止。
  • 1966年(昭和41年)
    • 日曜祝日ダイヤを導入。
  • 1972年(昭和47年)6月
    • 集電装置がビューゲルからパンタグラフになる。
  • 1973年(昭和48年)3月 - 地下鉄谷町線天王寺 - 八尾南間の延伸工事着手。
  • 1976年(昭和51年)7月1日
    • 料金箱制を導入し、普通乗車券の発売を廃止。
  • 1978年(昭和53年)4月16日
    • 5分毎の運転を実施。
  • 1978年(昭和53年)11月26日
    • 西平野 - 阿倍野間の用地を10年間の使用貸借契約を付帯条件に阪神高速道路公団(現在の阪神高速道路株式会社へ売却。
  • (不明)
    • 阪神高速14号松原線の建設工事に伴い、中野 - 西平野間の線路を建設中の高架下の工事用仮線に移設。
  • 1979年(昭和54年)10月
    • 阪堺線のワンマン化(上町線は1976年〔昭和51年〕7月1日から既にワンマン化)により、廃車予定のモ205型が平野線専用となる。
  • 1980年(昭和55年)8月21日
    • 南海電気鉄道が平野線 今池 - 平野間5.9kmの旅客営業の廃止を建設大臣と運輸大臣に許可申請(廃止日は大阪市営地下鉄谷町線の天王寺 - 八尾南間の延伸開業後)。
  • 1980年(昭和55年)11月11日
    • 運輸審議会において、南海電気鉄道平野線 今池 - 平野間5.9kmの廃止が認可される。
  • 1980年(昭和55年)11月23日
    • 「平野線さようなら記念乗車券」(100円券3枚セット)を発売。
  • 1980年(昭和55年)11月27日
    • 最終運行日。平野線「さよなら電車」を運行。
    • 平野線全線、及び阪堺線の恵美須町 - 今池間、上町線の天王寺駅前 - 阿倍野間の平野線直通運転区間を終日無料開放。
    • 午後11時23分、平野発・恵美須町行最終電車が発車。66年の歴史に幕を閉じる。
  • 1980年(昭和55年)11月28日
  • ※平野線の廃止3日後の1980年(昭和55年)12月1日に、南海電気鉄道の大阪軌道線(阪堺線・上町線)が分社化され、現在の阪堺電気軌道株式会社が発足。

運行形態

運行系統

南海電気鉄道平野線は今池 - 平野間5.9kmの路線であるが、平野線のみを走る列車の設定はなく、阪堺線と直通運転を行う恵美須町 - 今池 - 平野間(恵美須町 - 今池間が阪堺線)と、上町線と直通運転を行う天王寺駅前 - 阿倍野 - 平野間(天王寺駅前 - 阿倍野が上町線)の2系統で運行されていた。これは平野線が阪堺線の今池駅から分岐する支線として建設された経緯(平野線が開業した当時の路線名は「平野支線」であった)があったからである。

なお、方向幕が導入された初期には、「邊田」(旧書体で「田邊」)と「野中」(旧書体で「中野」)という行先表示があったので、年末年始などの繁忙期や朝夕のラッシュ時、あるいは緊急時などに田邊止まり、あるいは中野止まりの列車が運行されていた可能性はある(恵美須町駅の行灯形の行き先表示灯にも『田辺』の表示が残っていた)。

盤面の地色 文字の色 系統 経路 備考
    恵美須町 - 平野 恵美須町 - 今池 - 阿倍野 - 田辺 - 平野 恵美須町 - 今池間は、阪堺線への直通運転区間
    天王寺駅前 - 平野 天王寺駅前 - 阿倍野 - 田辺 - 平野 天王寺駅前 - 阿倍野間は、上町線への直通運転区間

運行ダイヤ

  • 以下に平野線廃止直前の平野駅のダイヤを示す。
  • 平野線廃止直前の平野駅においては、白いサボの恵美須町行きと青いサボの天王寺駅前行きとが交互に発着していた。

平日

  行先
恵美須町 天王寺駅前
5時 22分・42分 29分・49分
6時 2分・22分・40分・50分・55分 10分・31分・45分
7時 3分 - 8分毎 9分 - 12分毎
8時 2分 - 5分毎 6分 - 9分毎
9時 3分 - 12分毎 12分毎
10時 12分毎 12分毎
11時 12分毎 12分毎
12時 12分毎 12分毎
13時 12分毎 12分毎
14時 12分毎 12分毎
15時 12分毎 12分毎
16時 5分 - 10分毎 10分 - 12分毎
17時 5分 - 10分毎 6分 - 12分毎
18時 4分 - 7分毎 6分 - 10分毎
19時 6分 - 8分毎 6分 - 10分毎
20時 5分 - 10分毎 8分 - 10分毎
21時 5分 - 10分毎 14分 - 16分毎
22時 0分・15分・33分・53分 6分・23分・44分
23時 1分・11分・23分

日・祝日・及び12月30日 - 1月4日

  行先
恵美須町 天王寺駅前
5時 22分・42分 29分・48分
6時 3分・21分・43分 10分・28分・50分
7時 15分毎 12分 - 18分毎
8時 15分毎 12分 - 18分毎
9時 8分 - 10分毎 8分 - 10分毎
10時 8分毎 8分毎
11時 8分毎 8分毎
12時 9分 - 10分毎 8分 - 11分毎
13時 9分 - 10分毎 9分 - 11分毎
14時 8分 - 11分毎 9分 - 11分毎
15時 8分 - 11分毎 8分毎
16時 6分 - 10分毎 6分 - 10分毎
17時 10分毎 10分毎
18時 10分毎 10分毎
19時 12分毎 12分毎
20時 12分毎 12分毎
21時 6分 - 15分毎 15分 - 17分毎
22時 0分・15分・33分・53分 7分・23分・44分
23時 1分・11分・23分

阿倍野駅の構造

起点の今池駅は、平野線が駅の南方で分岐するだけのことであり、駅施設的には他の途中駅と変わらず、現在でも駅の佇まいはほぼ当時のままである。ただし平野線と上町線とが接続する阿倍野駅については、交通量の多い阿倍野交差点における併用軌道上で平面交差しており、阿倍野駅のホームは平野線用と上町線用の計4つのホームが存在した。

平野線の阿倍野駅のホームは、阿倍野交差点の東側に位置する千鳥式ホームで、下り平野方面の線路には緊急時の渡り線が存在した。天王寺駅前発平野行きの電車が、上町線の下り線用ホームを発車すると、阿倍野交差点を左折東進、平野線へ入線後、再び平野線の下り線用ホームに停車したのに対して、平野発天王寺駅前行きの電車は、平野線の上り線用ホームのみに停車し、発車後、交差点を右折北上して上町線の天王寺駅前駅へと向かった。これは当時、上町線の下り線用ホームは阿倍野交差点の北側にあったのに対し、上り線用ホームが阿倍野交差点の南側にあったためである(4つのホームのうち、このホームだけ道路上の白線のみで安全地帯が無かった)。平野から来た列車の扱いは操車係員が恵(恵美須町)・天(天王寺駅前)の何れかのボタンを押し、構内信号が青と同時にブザー・チャイムが鳴り発車する方式を取っていた。なお平野線の廃止後、阿倍野再開発事業によって、あべのベルタ東側の交差点に新駅が新設され(安全地帯も設置)、下りホームとの相対式となっている。

なお、平野線の阿倍野駅ホームは、「阿倍野(斎場前)」として、駅の表示や車内における車掌の停車案内において、上町線のそれと区別されていた(少し前まで交差点名にも「斎場前」が残っていたが、現在は改称されている)。「斎場前」というのは、かつて大阪一といわれた「大阪市営南斎場(阿倍野斎場)」に由来する。火葬施設はのちに瓜破斎場平野区)に統合されて移転するが、今も都心の一等地に存在する広大な敷地の「大阪市営南霊園(阿倍野墓地)」に、その名残を留めている。

軌道

軌道種別 区間 キロ程 道路名 平野線全線における割合
専用軌道 今池 - 飛田 0.4km   86.4%
阿倍野 - 平野 4.7km
併用軌道 飛田 - 阿倍野 0.8km 大阪市道津守阿倍野線 13.6%

平野線は南海大阪軌道線の中で最も専用軌道区間が多かったことから郊外電車のような趣もあり、前述したような連結運転なども行われた。

苗代田 - 文ノ里間には、大阪府道28号大阪高石線あびこ筋)と交差する踏切が、中野 - 西平野間には、今里筋と交差する踏切があり、交通渋滞を引き起こしていた。また、計画道路として、文ノ里 - 股ヶ池間には松虫通が、西平野 - 平野間には主要地方道大阪内環状線(現在の国道479号)の建設が進みつつあったことから、これらの道路と交差する踏切も、交通渋滞を引き越こすことが予測された。

主な交差鉄道路線

今池駅
南海電気鉄道天王寺支線(立体交差)
※南海電気鉄道天王寺支線と立体交差する位置は、阪堺線との分岐点の手前にあり、正確には平野線の線路上ではない。
南海電気鉄道阪堺線(平面交差)
※ここが平野線の起点
飛田駅
南海電気鉄道上町線(平面交差)
阿倍野駅(斎場前)
苗代田駅
大阪市営地下鉄御堂筋線(地下立体交差)
文ノ里駅
股ヶ池駅
日本国有鉄道阪和線(高架立体交差)
田辺駅
駒川町駅
近畿日本鉄道南大阪線(高架立体交差)
中野駅
西平野駅
平野駅
阿倍野駅 - 西平野駅間
大阪市営地下鉄谷町線(地下)
※最終営業日の1980年(昭和55年)11月27日のみ。

主な交差道路

今池駅
堺筋
飛田駅
大阪市道津守阿倍野線(併用軌道)
阿倍野駅(斎場前)
庚申街道(平野方面)
苗代田駅
庚申街道(今池・阿倍野方面)
あびこ筋
文ノ里駅
股ヶ池駅
田辺駅
駒川町駅
中野駅
今里筋
国道309号線(平野方面)
西平野駅
国道309号線(今池・阿倍野方面)
平野駅
飛田駅 - 西平野駅間
阪神高速道路14号松原線

行先表示

平野線に入線する列車は、円形の板を使用し、恵美須町 - 平野が白地に黒文字、天王寺駅前 - 平野が青地に白文字で、それぞれ始終着駅を並列表記していた。

戦後、新造されたモ351形、モ501形車両の行先表示が布製の方向幕式で登場し、ワンマン改造されたモ121形、モ151形、モ161形、モ205形(一部のみ)、モ301形車両、それに元京都市電のモ251形の行先表示も布製の方向幕式となった。

南海電気鉄道は、平野線廃止の数年前より、大阪軌道線の車両を対象に上町線、阪堺線のワンマン運転開始に伴う改造が順次行っていったが、そのうちモ161形の一部はツーマン運転への切替が可能で、改造後、平野線の廃止までの僅かの間、「ワンマンカー」の表示板を裏返し、「平野」行きの方向幕を掲出して、車掌を乗せ平野線に入線するという半ば暫定的な姿がみられた。また、ワンマン非対応車であり、平野線廃止と同じくして全車廃車となる予定だったために、それまで小型車でワンマン運用には不向きである阪堺線を中心に運用されていたモ205形は、ワンマン改造されずに廃止を迎えた平野線に集中的に運用され、最末期は逆に平野線の「顔」ともなった。モ205形は廃止時まで行先板を使用していた。なお、その後に車両計画に変更があり、3両のみワンマン改造され、阪堺電気軌道に継承されている(既に廃車)。

ちなみに、平野線が廃止される2年前の1978年(昭和53年)9月30日限りで全廃された京都市電1800形の6両が譲渡され、大阪軌道線のモ251形として運用を始めている。ワンマン改造車共通の方向幕のため「平野」が存在しており、数えるほどではあるが平野線での運用が確認されている。

現在、阪堺電気軌道に引き継がれている南海時代からの車両モ161形、モ251形(既に廃車になっているが、256号車が我孫子道車庫に保管されている)、モ351形モ501形の、旧タイプ(もはや、皆無に等しいがモ161形174号車には残っている。ただし廃車解体済)の方向幕を参考に示す。

行先表示幕

モ161形・モ351形・モ501形各車両

番号 表示
1 住     吉
2 住 吉 公 園
3 天王寺駅前
4 あ び こ 道
5 あ び こ 道
6 浜 寺 駅 前
7 え び す 町
8 平     野
9 東     湊
10 天 神 の 森
11 臨     時
12 試  運  転
  • 5・11・12は赤文字表示、8はしばらく残っていたが現在は赤文字で貸切と表示


旧型車(形式不明)

寺 王 天
道子孫我
邊   田
野   中
野   平
須 美 恵
寺   濱
濱 大 堺
院   宿
須   
前 陵 御
下 ノ 宮

運行標識

※実物は円形。

恵美須町 - 平野系統

通常の電車




 


最終電車




 


天王寺駅前 - 平野系統

通常の電車





  



最終電車




 



使用車両

車両形式 現状 備考
車両番号 状態
モ101型 全車廃車
モ121型(旧大阪市交通局1601形) 全車廃車※
モ151型 全車廃車 151号車 サンフランシスコ市営鉄道動態保存
153号車 大阪市城東区にある個人宅で保存。
モ161型 現用
モ201型 全車廃車
モ205型 全車廃車 211号車 大阪府高石市にある南海電鉄の
社員研修所の教材としてのカットボディーに改造。
212号車 大阪府堺市堺区にある賢明学園幼稚園で保存。
217号車 和歌山県和歌山市にある和歌山県立和歌山交通公園で保存。
223号車 大阪府東大阪市にある鴨高田神社で保存。
229号車 大阪府大東市にある大阪産業大学で保存。
237号車 大阪府大阪市天王寺区にある四恩学園で保存、ただし原型はほとんど留めていない。
247号車 カナダエドモントン市にある保存鉄道・エドモントン放射鉄道協会に動態保存。
248号車 大阪府藤井寺市にある大井垣添児童園で保存。
モ251型(旧京都市交通局1800型) 全車廃車 255号車 アメリカ合衆国アリゾナ州ツーソンにあるオールド・プエブロ・トロリーに動態保存。
256号車 大阪府大阪市住吉区にある我孫子道車庫で保管。
モ301型 全車廃車
モ351型 現用
モ501型 現用
  • モ121型車両の制御装置・ブレーキ・営業機器などは、モ601型に流用されている。
  • 入道雲塗装車については平野線では黄緑塗装のモ161型が基本的に利用されていたが、上町線ワンマン運転開始前の準備期間には水色のモ161型(170以降)とモ301型や橙色塗装のモ351型・モ501型も平野線に定期列車で入線している。

駅一覧

全駅大阪府大阪市に所在。接続路線の事業者名は廃止時点のもの。

路線名 駅名 駅間キロ 営業キロ 阪堺線直通 上町線直通 接続路線 代替駅 所在地
阪堺線 恵美須町駅 (0.6) (1.0)   大阪市営地下鉄: 堺筋線   浪速区
南霞町停留場 (0.4) (0.4) 日本国有鉄道:大阪環状線関西本線新今宮駅
南海電気鉄道:南海本線(新今宮駅)
大阪市営地下鉄: 御堂筋線 堺筋線動物園前駅
  西成区
今池停留場 0.0 0.0 【乗換指定駅】
南海電気鉄道:阪堺線(住吉・浜寺駅前方面)・天王寺支線(今池町駅)
 
平野線
飛田停留場 0.4 0.4   阪堺線今船停留場
上町線 天王寺駅前駅 (0.5) (0.5) 日本国有鉄道:大阪環状線関西本線阪和線天王寺駅
近畿日本鉄道:南大阪線大阪阿部野橋駅
大阪市営地下鉄: 御堂筋線 谷町線(天王寺駅)
南海電気鉄道:天王寺支線(天王寺駅)
  阿倍野区
阿倍野駅
(斎場前)
0.8 1.2 【乗換指定駅】
南海電気鉄道:上町線(住吉・住吉公園方面)
谷町線:阿倍野駅
平野線
苗代田停留場 0.5 1.7   谷町線:文の里駅
文ノ里停留場 0.5 2.2  
股ヶ池停留場 0.5 2.7   谷町線:田辺駅
田辺停留場 0.6 3.3   東住吉区
駒川町停留場 0.5 3.8   谷町線:駒川中野駅
中野停留場 0.5 4.3  
西平野停留場 1.1 5.4   谷町線:平野駅 平野区
平野停留場 0.5 5.9  
  • 今池駅は、阪堺線の今池駅との共同使用駅であったため、平野線の廃止後も存続している。
  • 阿倍野(斎場前)駅は、上町線の阿倍野駅との同駅扱いの乗換指定駅であったものの、共同使用駅ではなかったため、平野線の廃止と同時に廃駅。

運賃

普通運賃

廃止当時の普通運賃は以下のとおり。

区間 運賃
大人 小児
1区間 大阪市内のみ乗車 100円 50円
堺市内のみ乗車
2区間 大阪市内 - 堺市内間を連続して乗車 140円 70円
【乗り換え指定駅】
阿倍野・今池・住吉・我孫子道での乗り換え

定期旅客運賃

  • 1976年(昭和51年)7月から実施された上町線のワンマン運転に合わせて平野線の文ノ里駅の切符売り場も閉鎖され、朝ラッシュ時のみ集札要員が配置されるだけの無人駅となり、平野線内の有人駅は平野駅のみとなった。
  • この運賃表は、文ノ里駅の切符売り場が閉鎖された当時の文ノ里駅の定期旅客運賃表である。
駅名 経由 通勤定期 通学定期 備考
1か月 3か月 6か月 1か月 3か月 6か月
天王寺駅前 阿倍野 1,900円 5,420円 10,260円 740円 2,110円 4,000円 上町線連絡
恵美須町 今  池 2,500円 7,130円 13,500円 1,060円 3,030円 5,730円 阪堺線連絡
南霞町 2,200円 6,270円 11,880円 900円 2,570円 4,860円
今池   2,200円 6,270円 11,880円 900円 2,570円 4,860円  
飛田 1,900円 5,420円 10,260円 740円 2,110円 4,000円
阿倍野 1,600円 4,560円 8,640円 580円 1,660円 3,140円
苗代田 1,600円 4,560円 8,640円 580円 1,660円 3,140円
田辺 1,900円 5,420円 10,260円 740円 2,100円 4,000円
駒川町 1,900円 5,420円 10,260円 740円 2,100円 4,000円
中野 2,200円 6,270円 11,880円 900円 2,570円 4,860円
平野 2,200円 7,130円 13,500円 1,060円 3,030円 5,730円
天下茶屋 今  池

今池町
2,500円 7,130円 13,500円 1,060円 3,030円 5,730円 天王寺支線連絡
難波 2,800円 7,980円 15,120円 1,220円 3,460円 6,590円 天王寺支線 天下茶屋駅経由
南海本線連絡
住ノ江 3,300円 9,450円 17,820円 1,530円 4,370円 8,270円
宿院 今  池 3,800円 10,830円 20,520円 1,800円 5,130円 9,720円 阪堺線連絡
綾野町 3,800円 10,830円 20,520円 1,800円 5,139円 9,720円
我孫子道 3,150円 8,580円 17,010円 1,380円 3,940円 7,460円
北天下茶屋 2,500円 7,130円 13,500円 1,060円 3,030円 5,730円
住吉公園 阿倍野 2,800円 7,980円 15,120円 1,220円 3,480円 6,500円 上町線連絡
帝塚山四丁目 2,500円 7,130円 13,500円 1,060円 3,030円 5,730円
北畠 2,200円 6,270円 11,880円 900円 2,570円 4,860円

幻の柏原延伸計画

平野線は、平野からさらに中河内郡柏原町現在の(柏原市)方面への延伸を計画し、認可を受けていたが、1929年に発生した世界恐慌の影響や1931年に勃発した満州事変に始まる戦争への突入によって実現しなかった。

  • 動力:電気
  • 軌間:1435mm
  • 区間:平野 - 柏原間
  • キロ程:9.756km
  • 概算建設費:220万6655円
  • 特許年月日:1921年(大正10年)6月7日
  • 工事施工許可年月日:1925年(大正14年)12月24日
  • 工事着工期限:1926年(大正15年)6月23日
  • 工事施工期限:1934年(昭和9年)6月23日

幻の高速鉄道化計画

1963年(昭和38年)3月29日の「都市交通審議会答申第7号」において、専用軌道が続く平野線の阿倍野 - 平野間を高速鉄道化し、上町線への乗り入れ区間である天王寺 - 阿倍野間に高速新線を建設することによって、大阪市営地下鉄谷町線と相互直通運転を実施することが答申されたが実現しなかった。

短命に終わった南海平野線代行バス

大阪市営地下鉄谷町線の天王寺 - 八尾南間の延伸の際、阿倍野 - 平野間は既存の平野線の阿倍野 - 西平野間に沿う形で建設されたが、今池 - 阿倍野間は谷町線のルートから外れた(厳密に言うと、西平野 - 平野間も谷町線のルートから外れているが)ため、平野線の飛田駅から程近い大阪市道津守阿倍野線(飛田 - 阿倍野間の併用軌道があった道路)と堺筋(今池 - 飛田間の踏切があった道路)とがT字に交差するロータリー(現:天下茶屋東1交差点)西側にあった阪堺線の踏切両側(今池 - 松田町間)に今船駅を新設し、この駅を平野線の飛田駅の代替駅とし、今池 - 飛田間をこれに置き換えた。

そして、残る飛田 - 阿倍野間は、南海観光バス・天下茶屋営業所が運行するマイクロバスによる代行輸送となったが、阪堺電気軌道となった阪堺線と上町線との接続の悪さに加え、実際の運行距離よりも阿倍野での折り返し回送(阿倍野交差点は転回禁止)の距離方が長かったことによる効率性の悪さが仇となって結局、1年程で廃止された。

停留所の位置

  • 飛田:旧南海平野線飛田駅
  • 阿倍野:少年グランド(現:阿倍野図書館)前

廃止後の状況

廃線跡はほとんどが生活道路と化している。

今池分岐点 - 飛田電停間
分岐点と堺筋との交差点の専用軌道跡には雑居ビルが建っている。
大阪市道津守阿倍野線 天下茶屋東1丁目交差点から阿倍野交差点までの道路南側に残る架線支柱。
平野線の廃止に伴い、架線を支える支柱としての役目は終えたが、廃止以後も、大阪市西成区玉出東1丁目にある現在の阪堺電気軌道玉出変電所からの電気を阪堺線を経由し、上町線に送る送電線の架線支柱としての役目を担うことになった。その際、支柱番号は、上町線の饋電線を意味する「上 キ」となっている。
阿倍野区阪南町1丁目にある阿倍野苗代田郵便局。
1944年(昭和19年)6月1日に開局した当時、平野線の苗代田駅前にあったことから「苗代田」が局名となり、平野線の廃止後も、郵便局名の変更もなく今日に至っている。
文ノ里駅跡の記念碑
現在の阪神高速14号松原線の高架下、そして地下鉄谷町線文の里駅の7号出入口付近にあった平野線の文ノ里駅跡の前に平野線の歴史や駅の沿革を記した駅名版を模した記念碑が建っている。これは、廃止後地元の文ノ里商店連合会から南海電気鉄道に、長年親しんできた文ノ里駅の跡を偲ぶモニュメントをとの要望を受け、同社が1981年(昭和56年)3月に建立したものである。
東住吉区針中野2丁目に残る石の道標
刻まれている文字は「はりみち」と「でんしやのりば」。前者は江戸元禄年間から今も続き、「針中野」の地名の由来ともなった「中野小児鍼」を指す。一方、後者の「でんしやのりば」は、道標の建立日が大正3年(1913年)4月とあることから、この月に開通した南海鉄道平野線中野駅であることは明らかである(なお、この近くを走る近鉄南大阪線針中野駅が開業したのは、大正12年のこと)。建立者名は「新吉」とあり、当時の中野小児鍼の院長である。
平野区背戸口5丁目にある「背戸口公園」
西平野駅跡に作られた公園で、公園内に設置されているレリーフには、阪堺線と上町線への直通運転区間を含めた当時の路線図とモ205型電車が描かれているほか、公園内の地面は線路をイメージした模様となっている。
西平野 - 平野間
この区間は背戸口公園(前述)とプロムナード平野(後述)に挟まれた形で廃線跡に住宅数件とカラオケBOX「ビッグエコー」が建っている。現在この区間の中間ぐらいの位置に国道479号線が交差しているが、その国道は平野線廃止後に整備された道路である。
平野区平野本町1丁目にある「プロムナード平野」
終着駅であった平野駅、および平野運輸区の建物跡と、その手前数百メートルの線路跡地を活用し、当時としてはモダンな八角形の屋根が特徴だった旧駅舎を模したベンチ、晩年、上町線と阪堺線とのワンマン化に伴い平野線専用として走っていたモ205形電車のレリーフ、信号機、レンガ敷きのレール、それに当時、平野駅で実際に使われていた車止めレールや駅ホームの骨組を利用した藤棚などがある。
元々の計画では、平野駅の駅舎やホームが保存される予定であったため、モ205型240号車もホームに留置されていたが、のちに駅舎とともに解体され、現在のように整地されるに至った。これがきっかけとなって平野のまちづくり運動が生まれた。
平野区平野本町1丁目にある「平野南海商店街」
終着駅であった平野駅に面していることからこの名が付けられ、廃止後も商店街名の変更もなく今日に至っている。

外部リンク


テンプレート:日本の路面電車