南日本新聞
南日本新聞(みなみにっぽんしんぶん)は、南日本新聞社が編集・発行する鹿児島県の地方新聞である。発行部数は約35万2000部(2014年1〜6月現在)であり、九州の地方新聞としては、福岡県の西日本新聞[1]に次ぐ発行部数である。
地元での略称は「みなみ(ミナミ)」「南日(なんにち)」。
Contents
概要
取材地域は主に鹿児島県内であるが、宮崎県西部にも取材拠点を設けており、宮崎県政や宮崎県西部(諸県方面)の話題を「県内ニュース」として扱うこともある。外国や日本国内の他都道府県の出来事は共同通信社の配信記事を使用する。鹿児島県関連のニュースは見出しで鹿県(かけん)と、また要人や著名人の鹿児島県訪問は来鹿(らいか)と略して表記される。
販売地域は鹿児島県と宮崎県の諸県地方および熊本県水俣市であり、現在は朝刊のみの発行である。夕刊については、2009年2月28日付をもって休刊(廃止)した。理由としては、発行部数が2万3000部程度となり赤字が続いたことと、インターネットの普及などで夕刊の普及率が減少したためとしている。このため夕刊連載の小説は休刊を発表した2008年12月1日から一日3話ずつの掲載となった。なお、夕刊発行当時は、1日に2回(朝・夕刊セット)と1日に1回(朝刊単独)発行の地域があった。
鹿児島県出身で全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)のドライバーである末永正雄が勤務している会社としても知られている。
題字の「新」の文字は、「木」の部分に横棒が一本多く「未」のようになった字体を使用している(日本の新聞#題字の「新」の字体を参照)。
沿革
『南日本新聞の歩み』より
- 1881年 - 「鹿児島新聞社」設立
- 1882年2月10日 - 創刊号発行
- 1889年 - 政治団体・鹿児島同志会の機関誌となる。
- 1942年1月31日 - 鹿児島朝日新聞社[2]と合併。「鹿児島日報社」となる(国策による合併)。
- 1942年2月11日 - 「鹿児島日報」第1号を発刊。
- 1946年2月11日 - 「南日本新聞社」に社名変更。題字が「南日本新聞」となる。
- 1959年 - 記者が大量退職し、ライバル紙・鹿児島毎日新聞(後の鹿児島新報)を創刊(2004年廃刊)
- 1972年4月1日 - 宮崎版を廃止[3]。
- 1999年2月 - 国分市(現:霧島市)に分散印刷工場(国分制作センター)が完成、稼動開始。
- 2001年2月 - 本社を鹿児島市易居町から同市与次郎に移転。易居町の旧社屋は鹿児島市役所みなと大通り別館として改装された。
- 2008年11月27日 - 朝日新聞(西部本社発行版)の鹿児島・宮崎向けの委託印刷を2010年4月から南日本新聞社の本社工場で行うことで朝日新聞社と基本合意。
- 2009年3月 - 朝刊単独紙に移行。
- 2015年11月 - 南日本新聞の紙面イメージがパソコンやスマートフォン、タブレットなどで閲覧できるサービス「おはようネット」を開始[4]。
提携通信社等
1部売り
- 朝刊のみ130円
主な輸送ルート
2001年現在[5]
- 本社管轄 - 旧薩摩国エリア(伊佐市除く)、姶良市(旧蒲生町)、大隅諸島(熊毛郡、船便)、甑島列島(船便)、奄美群島(空輸)および熊本県水俣市
- 国分制作センター管轄 - 旧大隅国エリア(桜島を含む)、伊佐市、宮崎県南西部(諸県地方。都城市、えびの市、小林市、高原町、三股町)および宮崎市の一部
永年連載される項目
- 南風録 - 朝刊一面の下に毎日掲載されるコラム。論説委員などがローテーションで担当している。ただし、同社の論説委員の多くは取材部門の部長、副部長、支局長級の記者によって構成されており、『南風録』の多くは、彼ら兼任論説委員が、取材や原稿チェックの合間に執筆していることが多いとされている。題材は時事問題から日常の風景等の多岐にわたり、鹿児島県内では朝日新聞の天声人語よりも各方面への論調に強く影響する場合が多い。過去には中学・高校入試の国語の問題文にされることもあった。
- 黒ヂョカ - 読者のユーモア溢れるこぼれ話を県内各地の支社、支局長、地域報道部記者らが構成して伝える人気連載。ちなみに「黒ヂョカ」とは、主に薩摩半島南部などで使われていた平たい黒薩摩焼の焼酎用急須のこと、かつてはお湯割りをつくるときに良い塩梅になるということで必ず使われていた。1951年2月27日連載開始。1951年の開始当初は市内・北薩・薩摩・大隅・宮崎の各版で別内容を掲載しており、宮崎版のタイトルは「いもがらぼくと」であった[6]。
- 薩摩狂句 - 南日本放送のさつまお笑い劇場などと同様に、永年に亘り読者から薩摩狂句の投稿作品を募集し、佳作を撰者が講評している。
- おくやみ広告 - 鹿児島県内では一般家庭も含めて、死亡及び告別式の御知らせの広告を同紙へ掲載することが一般的。
ラジオ・テレビ欄
南日本新聞では、鹿児島県所属の離島地域(奄美群島・大隅半島など)で朝刊の新聞配達が昼から翌日早朝になる事や、沖縄県内のテレビが視聴できる事などを考慮して、朝刊では最終面(休刊日は中面)にある県内の当日のテレビ番組欄とは別に第2テレビ面を設け、翌日1日分(休刊日は翌々日も)の鹿児島県と沖縄県のテレビ番組欄を掲載している。ラジオについては、中面のひろば欄の下に当日のラジオ欄を掲載している。
- 第1テレビ欄→当日の鹿児島のテレビ(欄外に各局代表電話番号掲載)とNHK BS1・NHK BSプレミアム
- 第2テレビ欄→当日のBSデジタル放送と宮崎・熊本のテレビ、翌日の鹿児島・沖縄のテレビとNHK BS1・NHK BSプレミアム
この様に、当日・翌日の2日分(休刊日は3日分)の番組表を全部載せている新聞は、同じ様に離島が多く一部では昼~夕刊発行時に配達される長崎新聞(朝刊専売)等、長崎県向けの新聞の例もある。(但し、2009年10月1日に創刊された産経新聞「九州・山口特別版」は除く)
収録テレビ局
2011年10月1日現在。
- 鹿児島県内
- ※当日分のテレビはフルサイズ、翌日分のテレビはハーフサイズで掲載。
- ※第1テレビ面に当日分、第2テレビ面に翌日分掲載。
- NHK鹿児島放送局総合テレビ(デジタル3)
- NHK鹿児島放送局Eテレ(デジタル2)
- MBC・南日本放送(デジタル1)
- KTS・鹿児島テレビ(デジタル8)
- KKB・鹿児島放送(デジタル5)
- KYT・鹿児島読売(デジタル4)
- 鹿児島県外
- ※第2テレビ面(当日分)のみハーフサイズ掲載。
- ※第2テレビ面(翌日分)のみハーフサイズ掲載。
- 衛星放送
- ※全てハーフサイズ掲載。
- ※第1テレビ面に当日分、第2テレビ面に翌日分掲載。
- ※第2テレビ面(当日分のみ)
- 4 BS日テレ
- 5 BS朝日
- 6 BS-TBS
- 7 BSジャパン
- 8 BSフジ
- 9 WOWOWプライム
- 9赤 WOWOWライブ
- 9緑 WOWOWシネマ
- 10 スターチャンネル1
- 11 BS11
- 12 トゥエルビ
- 238 FOX bs238
- 241 BSスカパー
収録ラジオ局
- MBC・南日本
- NHK・第一
- NHK・第二
- NHK・FM
- ミュー・FM鹿児島
- フレンズ・FM762
- 鹿児島県内のコミュニティ放送局では唯一の掲載。
- MRT・宮崎(4分の3のサイズ)
- JOY・FM宮崎(4分の3のサイズ)
- ラジオNIKKEI(4分の3のサイズ)
週間番組表
鹿児島県内の県域FM局とフレンズFMのみで、月曜日に掲載。NHK-FMはサイズが大きくクラシック番組の演奏順も判るようになってあるが、フレンズFMは番組名がわかる程度のサイズである。
ラ・テ欄に関する備考
- 毎年12月29日には年末年始の番組表が別版で配布される。掲載局はおおすみFMネットワークとディ!ウェイヴを除く鹿児島県内の地上波放送局(TV・FM)とNHKBS2波、WOWOWである。
- 誤植が過去数回ある。2003年6月30日のテレビ欄は前年同日(つまり2002年6月30日)の番組内容を誤植した(この際は前日の紙面で番組表は確認できた)他、鹿児島放送で放送されていたまもって守護月天!の表記を『GETTEN』としたこと、などがある。
- 1988年当時は最終面に宮崎・熊本民放の番組欄を掲載していた。
- 深夜番組欄は2004年6月1日、2011年7月24日付でそれぞれ拡張された。
- 2006年12月1日付(鹿児島県内の地上デジタル放送開始日)から鹿児島・宮崎・熊本・沖縄のチャンネル案内にリモコンキーIDが表記されている。
- 2011年7月23日付(アナログテレビ放送終了前日)までは鹿児島・宮崎・熊本のチャンネル案内を掲載していた。
- BSデジタルと宮崎・熊本の民放テレビと翌日の鹿児島・沖縄のテレビはテレビ欄(最終面)の裏面に、当日のラジオ欄は中面に掲載されている。
備考
- 社会面に掲載されていた4コマ漫画「あんずちゃん」は2008年5月15日付で、原則的にカラー掲載になった(熊本日日新聞はそれ以前からカラーでの掲載である)。
- 日曜版では2010年4月から2015年3月まで西炯子の8コマ漫画『のこのこ!』が掲載された。2015年8月に小学館「フラワーコミックス」にて単行本化。
- 株式欄では、本社を鹿児島県に置く会社については、銘柄を白抜き表示している。
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法人概要
本紙を発行する株式会社南日本新聞社 (みなみにっぽんしんぶんしゃ)は、九州地場では大手の1つに位置づけられる。本紙以外にも、各種情報誌を制作し配布している。
支社・支局
関係する放送会社
南日本新聞社は鹿児島県内で株式会社の形態を採る全ての地上波放送局に出資している。以下は『南日本新聞の百二十年』発刊時点(2001年)の記述である。
- 南日本放送 - 資本金2億円のうち3パーセントの600万円を出資。創始者は当時の社長の畠中季隆で、開局時の社屋も南日本新聞社本社の3階を間借りしていた。近年は開局時ほどの影響力はないが、MBCニューズナウや最終のMBCラジオニュース内(南日本新聞ニュース)では、一部を同紙の報道や論説とタイアップならびに引用した内容が見られる。なお、新聞とは違い読み方は「みなみにほん-」である。
- 鹿児島テレビ放送 - 資本金3億円のうち26パーセントの7,800万円を出資。西日本新聞社よりも影響力が強い。
- 鹿児島放送 - 資本金10億円のうち3パーセントの3,000万円を出資。
- 鹿児島讀賣テレビ - 資本金35億円のうち1パーセントの3,500万円を出資。南日本新聞社本社の西隣に演奏所がある。
- エフエム鹿児島 - 資本金8億円のうち6パーセントの4,800万円を出資。
- 鹿児島シティエフエム - 鹿児島市を対象とするコミュニティ放送局。資本金1億5,000万円のうち8パーセントの1,200万円を出資。
脚注
- ↑ 西日本新聞は九州全県(沖縄県と長崎県・鹿児島県の離島などを除く)で販売するブロック紙。同紙では過去に「鹿児島版」が発行され、2010年から「宮崎版」と統合して「南九州ワイド版」として発行されていたが、2018年3月31日をもって宮崎県及び鹿児島県での発行を休止(西日本スポーツも同様)した。
- ↑ 当時、大阪朝日新聞社(現:朝日新聞大阪本社)より鹿児島県の配信を請け負った現地法人で現在の通称「朝日通り」(鹿児島ビル前から泉町交差点までの国道58号)の呼び名の由来と云われている。
- ↑ 『南日本新聞の百二十年』517頁。
- ↑ 利用エリアは鹿児島県と宮崎県南西部、宮崎市中心部及び熊本県水俣市を除く日本全国。
- ↑ 『南日本新聞の百二十年』515頁。
- ↑ 『南日本新聞の百二十年』489頁。
関連項目
- 鹿児島県下一周市郡対抗駅伝競走大会 - 南日本新聞社主催、2月に催される県内各郡対抗の駅伝大会。
外部リンク
- ミナミニュース・コム 南日本新聞社ホームページ (日本語)
加盟・関連項目 |
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